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今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

冷え込みがキツい日には地図を作ってミックスピザを食べよう

  Openstreetmapのマッピングパーティに参加した。

  詳しい記事はまた別の記事で書くつもりだけど、自分が調べて歩いた結果を反映させられるのは新鮮だった。小学校の頃、「たんけんぼくのまち」よろしく自分の周りの地図を作ったことがあったけどそれが世界規模というのはウキウキする。

www.openstreetmap.org

  記念すべき、OpenstreetMapでの情報登録第一号。小石川植物園の「精子発見のソテツ」案内板。

  OpenStreetMapには反映させようと思えばいろんなデータを反映させることができるらしいので、今後も積極的にちまちまと作っていこうと思う。

 

 

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  「ピッコリーニ」のアンチョビピザ。

 ここのピザを食べるのは二十年以上ぶりぐらいだと思う。昔、両親がこういうピザハウスに連れて行ってくれたのだけど、そこのピザはイタリア料理店のようなものではなく、喫茶店のミックスピザに近いものだった。

 こういうピザを出す店が新しくオープンしたという話は寡聞にして聞いたことが無い。あまり通っていない身から祈るのはおこがましいのは承知しているけど、こういう店は残って欲しい。本格的なイタリアンピザも良いのだけど、こういうチーズがしっかり残っていて生地があまり厚くなくクリスピーでないピザは、食べてて安心できる。

多分そこら辺にいる人のなんでもない話

読みまして。

nectaris.hatenablog.com

 

 インターネットが出始めた頃、ホームページを作って日常の話をしている人々がいた。

 ホームページを作る人は、最先端の技術を頑張って覚えてホームページを作った。まだマイナーだったインターネット技術を覚えようとするという意味では、そんな人達は変わった人と言えなくもないけど、どこかへ出かけたり何かを読んだりプレイしたりという文章は、当時友達の居ない僕にとってはとっても新鮮だった。

 他人は普段、どんなことをして暮らしているのだろう。僕みたいに、1人で大学に行って授業に出てご飯を食べて昼過ぎに帰ってゲームをやるだけの味気ない生活ではない、もっと楽しい暮らしをしているんだろうか。僕はどうやったらそんな生活を送れるようになるんだろう。

 僕にとって、友達と遊びに行ったり、近所の迷惑おばさんの愚痴や、ひどいシモネタ、テキストフォントをいじって書かれた災難話は、全部、自分の身近にあるかもしれないけど、決して普段は見ることのできないワンダーランドだった。

 

 日記サービスができて、ブログができて、SNSができて、スマホができて、だんだんインターネットは身近になっていき、皆が自分のことを書こうと思えば書けるようになった。

 その頃には、暮らしているかぎりは、どんなに頑張っても、多少はトラブルに遭うことは僕にも理解できていた。ただ、インターネットのトラブルは、最悪サイト閉鎖、アカウント閉鎖にまで結びつくことがショックだった。アカウントしか知らない人との繋がりは、死んでしまったかのように途絶えた。たとえ、その関係が一方的なものだったとしても。

 

でも、結局、今、インターネットで生の人間の文章を書くことは難しい。炎上しないように気をつけていても、炎上することはまれにあるし、その場合、自分自身の誰にも話していない一番大切で繊細な部分を記したブログは、自分自身そのものなので、ダメージが半端ない。

インターネットではかつて、“普通の人”の日常の話が読めた - マイルドヤンキーにさよならを

 書くということは「書くことを選択したこと」だ。それは、大なり小なり自分が大事にしていることで、それが炎上するのだから、ダメージを受けざるを得ない*1。特に大事にしていることなら、尚更。

 

 自分が書いている今までの文章だって、炎上しないかどうかチェックしている。それでも文句を言いたくして仕方が無かったものは書いているけど。

townbeginner.hatenablog.com

 今のところ、特に誰かの悪口を言いたいとか、反社会的な事を見せびらかしたいという欲求は別にない。でも、それは炎上する可能性がゼロだということではない。何が反感を買うかどうかは究極的にはわからない。

 

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 燻製ハンバーグを作った。ヒッコリーの香りが思った以上についてて美味しかった。でもご飯には普通のハンバーグの方が合う。パンと一緒にハンバーガーとして食べるか、酒のツマミとしてちょっとずつ食べるのが正解。 

いぶり暮らしレシピブック

いぶり暮らしレシピブック

 

 燻製ハンバーグは上記の「いぶり暮らし」 に会ったレシピ。美味しそうなレシピがたくさんあるので今後も試そうと思う。

 

 こんな暮らしがいつまで続くのか、いつまで書き続けるようになるのかわからない。それでも、こんな記事がふと見知らぬ誰かの目に止まって、ちょっと時間を消費して読んで、何かを感じてもらえるのだとしたら、やっぱりそれは、なかなかに面白いことだと思う。

*1:だから僕は炎上芸人にはあまり人間らしさを感じていない。

立川の映画・新宿の本

 立川シネマシティに行った。目当ては極音の「レ・ミゼラブル」「オペラ座の怪人」。

 どちらも名作と名高いけど未視聴だったので良い機会だと思い、立川へ。

 

レ・ミゼラブル

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  ジャン・バルジャンとジャベール、どちらも素晴らしくて見ごたえがあった。シーンが進むに連れてどちらにも感情移入する不思議な感覚があった。ジャベールにとって、ジャン・バルジャンは法を破った悪で有り続けないといけないけど、それが保てなくなったことは、ジャベールにとっては天地を揺るがすレベルの話なのだろう。

(ジャン・バルジャンはよく市長にまでなれたなとは思うけど。)

 あと、ファンテーヌ役のアン・ハサウェイが綺麗で良かった。外国映画の役者はなかなか名前を覚えられくて、別の映画でちゃんと認識できるかちょっと自信はないのだけれど。

 

オペラ座の怪人

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立川シネマシティの紹介文で、

 なぜイケメンはいつも愛しき女を奪っていくのか。
 仮面の男はあらゆる才能を持ち、全身全霊をかけて美しき少女に音楽を教えるも、そこにイケメン登場!
 なんという悲劇…なんという悲劇なのだ、これは。どうして愛だけでは、駄目なのか。

 

 とあったので興味本位で観た。その通りだった。怪人ファントムから見たら確かにこう見えるなあ。ただ、最後にファントムが引いたのはあまり納得していない。あそこまでこじらせているのなら、もっと往生際は悪くなる。とはいえ、構成はしっかりしているし、2時間以上の映画なのに全然長さを感じなかったのは面白かった証左だと思う。

 両方共ミュージカルの映画化作品だけど、また観たい。

 

新宿紀伊國屋書店で久々に大量買い

 紀伊國屋書店には魔物が棲んでいる。

 一旦興味のあるジャンルを見つけて、ちょっと試してみようかなと思ったら数冊は簡単に買ってしまう。

はじめての短歌 (河出文庫 ほ 6-3)

はじめての短歌 (河出文庫 ほ 6-3)

 

 

 

短歌の友人 (河出文庫)

短歌の友人 (河出文庫)

 

 一年前に短歌をちょっと読んでいたけど、離れてしまったのでもう一度読んでみようと思い2Fの文学コーナーへ。穂村弘は名前しか知らなかったけど、よく見る名前だからという理由で購入。 

ユリイカ 2016年8月号 特集=あたらしい短歌、ここにあります

ユリイカ 2016年8月号 特集=あたらしい短歌、ここにあります

 

 

NHK 短歌 2016年 12 月号 [雑誌]

NHK 短歌 2016年 12 月号 [雑誌]

 

 雑誌も試しに買ってみる。

 

読書について

読書について

 

 近くにあったので購入。なんで大学時代に小林秀雄を一冊も読んでいないのか理解に苦しむけど、読まなかったものは仕方が無い。

 「助言は平凡なもの、実行しないから気の利いたものを欲しがってるだけじゃないのか」

 という言葉は苦く感じるが、その通り。

 

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 新宿「Hole Hole」でタコライスとジントニック。

 ひとり飯で酒を頼むことはあまりないのだけど、今日はどういうわけか軽く飲んで本を読む気になったのでカクテルを頼んだ。夕飯時で混んでて長居しにくかったけど、意外と本を読むのに居心地が良かったので、また行きたい。

 

 穂村弘「初めての短歌」を一気に読んだ。実に小気味よい短歌指南書。随分実社会と逆だということを強調していると思ったら、オープンキャンパスの講義を収録したものだと解説で知り納得。穂村弘の選歌は面白そうなので注目する。

咳が治らない

  風邪は治ったのに咳だけが治らないので、久々にかかりつけの呼吸器科に。予想はしていたけど咳喘息が再発していた。

  風邪をひいたら咳喘息がセットについてくるようになってしまった。つらい。それでもまだ深刻な状況にはなっていないので、薬を飲んで治す。

 

  一週間が終わり一気に寒くなった。コートを着る季節になった。少しは温かいものを食べるようにしよう。

 

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  呼吸器科の先生に勧められて加湿器を押入れから引っ張り出して稼働させた。今週末は冬に備えて環境を整備しよう。冬スーツと靴、ダメージが蓄積している気がする。

「復興」は続く

 復興バー 2016 に行ってきた。

 ほとんど知らない人々ばかりだったけど、それでも旧交を温めることが出来てよかった。

 

 あまり話す相手も居なかったので、最近の復興活動が記されたパンフレットを見ながら、ぼんやりと考えていた。

 

「復興」は必要か?

 2011年の東日本大震災から5年経った。いま、東北はどうなっているのか。あまりニュースで特集されることはない。ニュースにならないから、うっかり自然に元通りになっているような感覚を覚えてしまうけど、実際にはまだまだ活動している人々がいる。

 宮城県石巻市では、ISHINOMAKI2.0 として新しい街を作ろうとする試みが行われている。

ishinomaki2.com

 活動を初めて5年。やったことは沢山あるし、まだまだやれることはあるという刺青が伝わってきた。何しろ街を作るのだから、やれることは尽きない。

 

 復興バー。

 震災から5年も経って、まだ「復興」という言葉を使う必要があるのか。

 

 使う必要は、ある。それは、「(東北が)まだ復興していないから」ではない。今は、東北に限らず、どの地域でも、いつ「復興」が必要になるかわからない状態であり、「復興」というコンセプトを絶やしてはいけないから。そう考えている。

 

未来を予言する「被災地」、未来がまだ来ない「未災地」

 以前、災害対策の考え方として、「被災地」に対する「未災地」というコンセプトを聴いたことがある。被災地はもちろん「災害が起こった場所」という意味だが、未災地は「これから災害が起こる場所」。ただし、いつ起こるかはわからない。

「どこでも災害は起こりうることであり、被災地はそれを先取りしているだけに過ぎない」という考え方。だからこそ、被災地の活動と情報は、未災地の未来を決めるための活動に他ならないのだ、と。

 今年2016年4月、熊本で大地震が起こった。10月には鳥取で大地震が起こった。どちらも東日本大震災よりは被害の規模は小さいが、規模が小さいだけで被害を受けている人々はいる。その人達にとっては、生活を立て直すことは紛れもなく復興である。

 

 熊本も鳥取も、2016年3月までは「未災地」だった。今は「被災地」である。

 今、自分が住んでいる東京という街は、いつ未災地ではなくなるのだろう。その時までには、自分は自分と他人のために、何ができるようになっているのだろう。

 

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 「クリエイティブの可能性」でお世話になった野田さんに勧められた牛丼。100g1000円の肉らしい。味付けも濃い目で大変美味しゅうございました。

 

 復興バーは11日までやっているので、お時間のある方はどうぞ。日本酒も美味しゅうございました。

静養の日

 久々に遠出をせず、人とも会わずに過ごした。靴を磨き、本を読み、洗濯をし、肉味噌を大量生産し、片付けをした。こういう日が自分には必要で、長いこと取れないと心が死ぬことがよくわかった。ともあれ今日は良い日だった。

 

「ORIGINALS」を読んでる。 

ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代 (単行本)

ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代 (単行本)

 

表題の「誰もが人と違うことができる時代」の箇所はまだ読了していないので不明だけど、オリジナルをどう育てていくかという点など、事例が豊富で読み応えがある。時間を見つけて残りを一気に読了したい。

 

 ORIGINALSを読んでてインプットとアウトプットについて考えていた。

 以前、「アウトプットを目的としない学習は無駄」という言説を読んで考えを改め、なるべくどうアウトプットをするかを考えながら本を読んでたけど、果たしてコレは正しいのかちょっと懐疑的になっている。この言説は全く間違っているとは言わないけど、コレをやったところ、どうにも結論が似たり寄ったりになってしまい、ある一方向の考え方を強化するような結果にしかならない感じがした。今思えば、アウトプットをしようとして、自分の近くに無理やり寄せようとしていたと思う。

 「それはアウトプットの仕方が悪い」というのはその通りなのだけど、ではどうやれば質の良いアウトプットができるのかを考えると、インプットしたものを落ち着かせるための時間が必要になるんじゃないかと感じている。そもそも土台が貧弱ならばアウトプットしたところで貧弱なものが出るとしか思えない。「アウトプットの量をこなせば質は上がるからアウトプットすべき」という言説は、量が必要だという意味では同意するけど、量をこなせば質が上がるとは同意できない。

 

 インプットとアウトプットの間には見えない熟成期間があって、その期間も含めインプットとアウトプットのサイクルを大事にしないと、サイクルのパイプを強くできない。古典が重要視されるのは、すぐに現実にリンクしない、役に立たないからこそだと今になって思う。これは熟成期間を半強制的にとらせて、サイクルを強くする役割を結果的に担うから。そう考えると、古典もそうだし、すぐに現実の役に立つわけではない小説・物語も熟成期間を経てアウトプットすることで、質の高い、あるいはその人独自のアウトプットになるんじゃないかと思う。

  「ハリー・ポッターを読んでいる子供は差別に敏感、ハリーとかが純血主義により差別されているシーンを目の当たりにしているから」というツイートを見た。真偽は不明だけど、熟成期間を経た物語の影響と考えると、納得はできる。きっと読んだ本人も意識していない。インプットはいかにきちんと眠らせるかが大事なのだろう。

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 浅草「阿吽」の 汁なし担々麺。

 自分をねぎらう時は汁なし担々麺とビールの組み合わせがすっかり定番になった。

もうおばあちゃんと麻雀は打てない

支援していたクラウドファンディング「麻雀人口増加計画」がSUCCESSしました。

 

fundiy.jp

 大崎初音氏が麻雀講師として奮闘する姿を描いたマンガ「麻雀人口増加計画」。近代麻雀に掲載されるも読み切り6話分を持って凍結状態になってしまいました。そのマンガをクラウドファンディングの力で単行本化しよう、というプロジェクトです。プロジェクトは無事にSUCCESSし、お礼のリターン企画も始まっています。

 

 リターン企画の一つ「麻雀人口増加計画・出版記念麻雀大会」に参加しました。会の詳細の様子は以下に書きましたので、詳しくはこちらをどうぞ。

townbeginner-game.hatenadiary.jp

 

 さて、10/29(土)に第1話がPDFで配信されました。内容は

  • 漫画・第1話/原作:大崎初音 漫画:萩原玲二 (近代麻雀2012/5/1号・竹書房刊
  • SPECIAL INTERVIEW 五十嵐毅×大崎初音
  • ゲストコラム 児玉健
  • 【闘牌解説】 あの日あのときあの選択 藤原哲史
  • コラム MPGP Memories 大崎初音
  • 第1話の初稿ネーム・決定稿ネーム・下描き・予告カットの詰め合わせ
  • 『aya ~麻雀最強戦女流プロ代表決定戦~』/漫画・萩原玲二(近代麻雀2011/8/15号・竹書房刊)

 と、想像以上に豪盛な内容でした。特に漫画本編と児玉健さんのコラムが琴線に触れました。

【※以下、麻雀人口増加計画第一話の内容に触れるため、特に支援している人で未読の人がいたら、読んでからこの記事を読むことを勧めます】

 

 麻雀に楽しそうに触れるおばあちゃん

 教室の生徒である重兼さん。重兼さんは高齢ということもあり、「目の手術で入院しないといけないからしばらく(教室に)来れない」と寂しそうに伝えます。それに対して、大崎氏は

「忘れちゃったら思い出せばいいんだよー!『麻雀を楽しむ』のが一番なんだから!」と重兼さんに伝えます。

 

 その後、大会で大崎氏は負けてしまうのですが、退院して久しぶりに教室に来た重兼さんに

「対局を観てて大崎先生が一番楽しそうだった、だから退院した後もこの教室が楽しみだった」

 と伝えられ、勇気をもらうシーンが印象的でした。

 

 第一話のコラムゲストは児玉健さん。人狼ルームでよくお世話になっていますが、麻雀の話は全く知りませんでした。児玉さんのお祖母様は、麻雀教室に通って麻雀を覚え、大会で優勝し、しまいには児玉さん・児玉さんの両親・児玉さんのお祖母様の4人で3世代対抗麻雀をしていたというエピソードはとても微笑ましかったです。

 

 なぜこの話とコラムが印象的だったかというと、僕の祖母が麻雀を打っていた「らしい」からです。

 

 麻雀を打っていたらしいおばあちゃん

 祖母はかつて看護師でしたが、その時に麻雀を覚えて、医局の人と打っていたらしいです。そのおかげか、今でもたまに入居者から麻雀に誘われて打っているそうです。

 全て伝聞なのは、祖母からそう聞いたからです。

 

 祖母は認知症を発症し、現在も進行中です。前述の話は1年ほど前に祖母を直接尋ねた時に聞いた話です。その時は2時間ぐらい話していましたが、明らかに短いスパンで同じ話を繰り返していました。 「入居者から麻雀に誘われる」のは多分本当なのだと思いますが、判断能力に加え、歩行もやや困難だった事を考えると、あの時点で実際に麻雀を打つことは出来たのだろうか、と考えてしまいました。

 

 麻雀の話を表に出さなかった家族

 僕が麻雀というものを知ったのは小学生の頃です。その自体の小学生のご多分に漏れず、ファミコンに興味を示し、その中にあった「麻雀」というタイトル、ドンジャラっぽいゲームにすっかり夢中になりました。嫌がる父を説得し「ニャロメのおもしろ麻雀入門」を買ってもらい何度も読んでルールを覚えました。

 しかし、そんな僕が何回も父に向かって「麻雀やろう」と言っても、父は首を縦に振りませんでした。

 

 一度でいいから、麻雀牌を使って本物の麻雀をやりたい!

 その願いは高校に友達の家で叶いましたが、結局父と麻雀をやることありませんでした。

 

 ここからは推測になってしまいますが、父はあまり僕に賭け事の世界に触れさせたくないようでした。社会人になりたての頃、一緒にWINSに行きましたが「競輪場には連れて行かない」と言われたのを覚えています。競馬はメジャーな趣味になっていて、それなりに明るい世界になったから、連れて行って良いと父は判断したのかもしれません。

 

 麻雀はゲームです。

 ゲームだから、ただ真剣に遊ぶ。それだけで全然楽しいのです。

 でももし、父が麻雀を賭け事の世界と認識していて、しかも明るい世界ではないと認識していたとしたら。

 今思えば、父だけでなく、叔父(祖母の息子)もファミコンで麻雀をやっていた割には、麻雀の話を出すことはありませんでした。

 

 

 僕のおばあちゃんは麻雀を打っていました。

 医局の人を手玉に取るくらい強かったのか、素人同然で数合わせとかで打っていたのか、真相はわからないままです。

 

 僕のお父さんは麻雀を打っていました。

 帰宅して出かけていって、麻雀を打っていました。無双していたのかカモられていたのか、真相はわからないままです。*1

 

 僕の叔父さんは麻雀を打っていました。

 今はどうしているか知りません。健在なので、今度あった時に麻雀の話を聞いてみようと思います。 

 

 

 麻雀人口増加計画は、日本プロ麻雀協会所属、大崎初音氏が麻雀ファン増大に発案・推進する麻雀普及活動の総称です。健康麻将全国会の麻雀講師として活動する大崎氏のこの活動が広がっていった際は、賭け事の世界というイメージは払拭されるのかもしれません。

  その時は、家族とか身近な人とも気軽に麻雀をやって、その人の新しい一面を知れたり、新しい会話が生まれたりするのかな。そんなことを考えています。

 

 

ニャロメのおもしろ麻雀入門

ニャロメのおもしろ麻雀入門

 

 

*1:父は6年前に他界しているのでもう聞けません。