今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

今週のお題「2017年にやりたいこと」

 Civilization5プレイ動画リストを見て、一日を過ごした。

www.nicovideo.jp

 

 勢いでCivilization5を買ったはいいが、把握しなければならないことが多過ぎて途中で止まってしまっていた。この動画は解説が丁寧な上、やる夫らの掛け合いが多く、一気に見た。全26回で21回まで見た。明日には全部見る。

 

 見ていたらCivilization5をやりたいともちろん思ったけど、社会科科目に対する理解を深くしたいと思うようになった。小学校の頃は社会が得意だったんだけど、たまたま興味のある分野で暗記科目だったから覚えられただけであって、地理や政治経済など興味範囲外の分野に移ったら一気に苦手科目になった。

 

 今年は社会科科目をやり直す年にする。

 

studysapuri.jp

 大学受験向けの科目が一通り揃っているサイト「スタディサプリ」。月額980円ですべての科目の講義動画が見放題、PDFテキストが見放題というのは破格。社会人が学び直すには確かにうってつけだと思う。

 提供はリクルート。コンテンツや配信制度など、既存の予備校はこういうの出来たと思うのだけど、できなかったのはビジネスモデルを確立できなかったからだと思う。こういうの、リクルートは抜け目ない。

 

 タイトルははてなブログから推奨されたのでそのままつけた。はてなブログの使い込みもついでにやりたい。

片付かない部屋

 本棚がもう一つあったとしても置く場所がないので、これ以上は本を置けないな、と思っていたけど、押し入れの中身を整理すれば今部屋にあるものを押入れに入れられるし、そうすれば本を何処かに積んでもこんなに鬱陶しくはならないだろう。

 心象風景でもあるし、実際の自分の部屋のことでもある。

 

 今年の6月に妹が亡くなったことは、まだ整理がついていない。正確には、人間は突然死ぬのだという諦めにも似た気持ちから進んでいない。ここから何か人生訓的な内容を引き出すこともできない、というよりする気にならない。事実としてただそこに在り続けて、除くこともできず、透過的な存在で通り抜けられるから普段の生活には変わりないけど、風景が変わってしまう。

 何の前触れもなく、突然近しい人が死んだ場合、皆はどんな形で受け止めるのだろう。事件など「○○のせい」にできる要素があるばあいは、そのことを言い続けるのだろうか。泣き叫んだり悔やんだりすることはなかったのだけど、ここは変わらない気がする。

 

 今年1年はなるべく心境を書き残すことにした。これは間違っていなかったと思う。当初、このブログは思考とかをきちんとまとめて各オピニオン的なブログを目指していたけど、もう少し緩くいこうと思う。オピニオンやレポートを書かないことはないけど、それを書くにはまだ思考も文章力も未熟だった。もう一回、思考を鍛えていく。文章力は書くより先に読まないと鍛えられないで頭打ちになっている気がする。

 

 今年一年、お世話になりました。喪中のため新年の挨拶は控えさせていただきます。

 どうぞ良いお年を。

 

 

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 年末年始恒例の築地買い出し紀行、今年もマグロ赤身のサクをづけにした。

 明日のご飯が楽しみ。

冷え込みがキツい日には地図を作ってミックスピザを食べよう

  Openstreetmapのマッピングパーティに参加した。

  詳しい記事はまた別の記事で書くつもりだけど、自分が調べて歩いた結果を反映させられるのは新鮮だった。小学校の頃、「たんけんぼくのまち」よろしく自分の周りの地図を作ったことがあったけどそれが世界規模というのはウキウキする。

www.openstreetmap.org

  記念すべき、OpenstreetMapでの情報登録第一号。小石川植物園の「精子発見のソテツ」案内板。

  OpenStreetMapには反映させようと思えばいろんなデータを反映させることができるらしいので、今後も積極的にちまちまと作っていこうと思う。

 

 

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  「ピッコリーニ」のアンチョビピザ。

 ここのピザを食べるのは二十年以上ぶりぐらいだと思う。昔、両親がこういうピザハウスに連れて行ってくれたのだけど、そこのピザはイタリア料理店のようなものではなく、喫茶店のミックスピザに近いものだった。

 こういうピザを出す店が新しくオープンしたという話は寡聞にして聞いたことが無い。あまり通っていない身から祈るのはおこがましいのは承知しているけど、こういう店は残って欲しい。本格的なイタリアンピザも良いのだけど、こういうチーズがしっかり残っていて生地があまり厚くなくクリスピーでないピザは、食べてて安心できる。

多分そこら辺にいる人のなんでもない話

読みまして。

nectaris.hatenablog.com

 

 インターネットが出始めた頃、ホームページを作って日常の話をしている人々がいた。

 ホームページを作る人は、最先端の技術を頑張って覚えてホームページを作った。まだマイナーだったインターネット技術を覚えようとするという意味では、そんな人達は変わった人と言えなくもないけど、どこかへ出かけたり何かを読んだりプレイしたりという文章は、当時友達の居ない僕にとってはとっても新鮮だった。

 他人は普段、どんなことをして暮らしているのだろう。僕みたいに、1人で大学に行って授業に出てご飯を食べて昼過ぎに帰ってゲームをやるだけの味気ない生活ではない、もっと楽しい暮らしをしているんだろうか。僕はどうやったらそんな生活を送れるようになるんだろう。

 僕にとって、友達と遊びに行ったり、近所の迷惑おばさんの愚痴や、ひどいシモネタ、テキストフォントをいじって書かれた災難話は、全部、自分の身近にあるかもしれないけど、決して普段は見ることのできないワンダーランドだった。

 

 日記サービスができて、ブログができて、SNSができて、スマホができて、だんだんインターネットは身近になっていき、皆が自分のことを書こうと思えば書けるようになった。

 その頃には、暮らしているかぎりは、どんなに頑張っても、多少はトラブルに遭うことは僕にも理解できていた。ただ、インターネットのトラブルは、最悪サイト閉鎖、アカウント閉鎖にまで結びつくことがショックだった。アカウントしか知らない人との繋がりは、死んでしまったかのように途絶えた。たとえ、その関係が一方的なものだったとしても。

 

でも、結局、今、インターネットで生の人間の文章を書くことは難しい。炎上しないように気をつけていても、炎上することはまれにあるし、その場合、自分自身の誰にも話していない一番大切で繊細な部分を記したブログは、自分自身そのものなので、ダメージが半端ない。

インターネットではかつて、“普通の人”の日常の話が読めた - マイルドヤンキーにさよならを

 書くということは「書くことを選択したこと」だ。それは、大なり小なり自分が大事にしていることで、それが炎上するのだから、ダメージを受けざるを得ない*1。特に大事にしていることなら、尚更。

 

 自分が書いている今までの文章だって、炎上しないかどうかチェックしている。それでも文句を言いたくして仕方が無かったものは書いているけど。

townbeginner.hatenablog.com

 今のところ、特に誰かの悪口を言いたいとか、反社会的な事を見せびらかしたいという欲求は別にない。でも、それは炎上する可能性がゼロだということではない。何が反感を買うかどうかは究極的にはわからない。

 

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 燻製ハンバーグを作った。ヒッコリーの香りが思った以上についてて美味しかった。でもご飯には普通のハンバーグの方が合う。パンと一緒にハンバーガーとして食べるか、酒のツマミとしてちょっとずつ食べるのが正解。 

いぶり暮らしレシピブック

いぶり暮らしレシピブック

 

 燻製ハンバーグは上記の「いぶり暮らし」 に会ったレシピ。美味しそうなレシピがたくさんあるので今後も試そうと思う。

 

 こんな暮らしがいつまで続くのか、いつまで書き続けるようになるのかわからない。それでも、こんな記事がふと見知らぬ誰かの目に止まって、ちょっと時間を消費して読んで、何かを感じてもらえるのだとしたら、やっぱりそれは、なかなかに面白いことだと思う。

*1:だから僕は炎上芸人にはあまり人間らしさを感じていない。

立川の映画・新宿の本

 立川シネマシティに行った。目当ては極音の「レ・ミゼラブル」「オペラ座の怪人」。

 どちらも名作と名高いけど未視聴だったので良い機会だと思い、立川へ。

 

レ・ミゼラブル

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  ジャン・バルジャンとジャベール、どちらも素晴らしくて見ごたえがあった。シーンが進むに連れてどちらにも感情移入する不思議な感覚があった。ジャベールにとって、ジャン・バルジャンは法を破った悪で有り続けないといけないけど、それが保てなくなったことは、ジャベールにとっては天地を揺るがすレベルの話なのだろう。

(ジャン・バルジャンはよく市長にまでなれたなとは思うけど。)

 あと、ファンテーヌ役のアン・ハサウェイが綺麗で良かった。外国映画の役者はなかなか名前を覚えられくて、別の映画でちゃんと認識できるかちょっと自信はないのだけれど。

 

オペラ座の怪人

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立川シネマシティの紹介文で、

 なぜイケメンはいつも愛しき女を奪っていくのか。
 仮面の男はあらゆる才能を持ち、全身全霊をかけて美しき少女に音楽を教えるも、そこにイケメン登場!
 なんという悲劇…なんという悲劇なのだ、これは。どうして愛だけでは、駄目なのか。

 

 とあったので興味本位で観た。その通りだった。怪人ファントムから見たら確かにこう見えるなあ。ただ、最後にファントムが引いたのはあまり納得していない。あそこまでこじらせているのなら、もっと往生際は悪くなる。とはいえ、構成はしっかりしているし、2時間以上の映画なのに全然長さを感じなかったのは面白かった証左だと思う。

 両方共ミュージカルの映画化作品だけど、また観たい。

 

新宿紀伊國屋書店で久々に大量買い

 紀伊國屋書店には魔物が棲んでいる。

 一旦興味のあるジャンルを見つけて、ちょっと試してみようかなと思ったら数冊は簡単に買ってしまう。

はじめての短歌 (河出文庫 ほ 6-3)

はじめての短歌 (河出文庫 ほ 6-3)

 

 

 

短歌の友人 (河出文庫)

短歌の友人 (河出文庫)

 

 一年前に短歌をちょっと読んでいたけど、離れてしまったのでもう一度読んでみようと思い2Fの文学コーナーへ。穂村弘は名前しか知らなかったけど、よく見る名前だからという理由で購入。 

ユリイカ 2016年8月号 特集=あたらしい短歌、ここにあります

ユリイカ 2016年8月号 特集=あたらしい短歌、ここにあります

 

 

NHK 短歌 2016年 12 月号 [雑誌]

NHK 短歌 2016年 12 月号 [雑誌]

 

 雑誌も試しに買ってみる。

 

読書について

読書について

 

 近くにあったので購入。なんで大学時代に小林秀雄を一冊も読んでいないのか理解に苦しむけど、読まなかったものは仕方が無い。

 「助言は平凡なもの、実行しないから気の利いたものを欲しがってるだけじゃないのか」

 という言葉は苦く感じるが、その通り。

 

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 新宿「Hole Hole」でタコライスとジントニック。

 ひとり飯で酒を頼むことはあまりないのだけど、今日はどういうわけか軽く飲んで本を読む気になったのでカクテルを頼んだ。夕飯時で混んでて長居しにくかったけど、意外と本を読むのに居心地が良かったので、また行きたい。

 

 穂村弘「初めての短歌」を一気に読んだ。実に小気味よい短歌指南書。随分実社会と逆だということを強調していると思ったら、オープンキャンパスの講義を収録したものだと解説で知り納得。穂村弘の選歌は面白そうなので注目する。

咳が治らない

  風邪は治ったのに咳だけが治らないので、久々にかかりつけの呼吸器科に。予想はしていたけど咳喘息が再発していた。

  風邪をひいたら咳喘息がセットについてくるようになってしまった。つらい。それでもまだ深刻な状況にはなっていないので、薬を飲んで治す。

 

  一週間が終わり一気に寒くなった。コートを着る季節になった。少しは温かいものを食べるようにしよう。

 

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  呼吸器科の先生に勧められて加湿器を押入れから引っ張り出して稼働させた。今週末は冬に備えて環境を整備しよう。冬スーツと靴、ダメージが蓄積している気がする。

「復興」は続く

 復興バー 2016 に行ってきた。

 ほとんど知らない人々ばかりだったけど、それでも旧交を温めることが出来てよかった。

 

 あまり話す相手も居なかったので、最近の復興活動が記されたパンフレットを見ながら、ぼんやりと考えていた。

 

「復興」は必要か?

 2011年の東日本大震災から5年経った。いま、東北はどうなっているのか。あまりニュースで特集されることはない。ニュースにならないから、うっかり自然に元通りになっているような感覚を覚えてしまうけど、実際にはまだまだ活動している人々がいる。

 宮城県石巻市では、ISHINOMAKI2.0 として新しい街を作ろうとする試みが行われている。

ishinomaki2.com

 活動を初めて5年。やったことは沢山あるし、まだまだやれることはあるという刺青が伝わってきた。何しろ街を作るのだから、やれることは尽きない。

 

 復興バー。

 震災から5年も経って、まだ「復興」という言葉を使う必要があるのか。

 

 使う必要は、ある。それは、「(東北が)まだ復興していないから」ではない。今は、東北に限らず、どの地域でも、いつ「復興」が必要になるかわからない状態であり、「復興」というコンセプトを絶やしてはいけないから。そう考えている。

 

未来を予言する「被災地」、未来がまだ来ない「未災地」

 以前、災害対策の考え方として、「被災地」に対する「未災地」というコンセプトを聴いたことがある。被災地はもちろん「災害が起こった場所」という意味だが、未災地は「これから災害が起こる場所」。ただし、いつ起こるかはわからない。

「どこでも災害は起こりうることであり、被災地はそれを先取りしているだけに過ぎない」という考え方。だからこそ、被災地の活動と情報は、未災地の未来を決めるための活動に他ならないのだ、と。

 今年2016年4月、熊本で大地震が起こった。10月には鳥取で大地震が起こった。どちらも東日本大震災よりは被害の規模は小さいが、規模が小さいだけで被害を受けている人々はいる。その人達にとっては、生活を立て直すことは紛れもなく復興である。

 

 熊本も鳥取も、2016年3月までは「未災地」だった。今は「被災地」である。

 今、自分が住んでいる東京という街は、いつ未災地ではなくなるのだろう。その時までには、自分は自分と他人のために、何ができるようになっているのだろう。

 

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 「クリエイティブの可能性」でお世話になった野田さんに勧められた牛丼。100g1000円の肉らしい。味付けも濃い目で大変美味しゅうございました。

 

 復興バーは11日までやっているので、お時間のある方はどうぞ。日本酒も美味しゅうございました。