今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

【正解は1年後】2018年がどんな年になるのかタロット占い

そういえば去年やってなかったことを思い出しました。今年はちゃんとやります。

 

というわけで左下から1月、ぐるりと逆時計回りに置いていき、中央はこの一年の象徴となるテーマカードです。

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各月のカードとキーワードはこちら。

 

1月:塔(逆位置) -混沌として漫然とした状況・どうして良いかわからずに戸惑う・事態の悪化に気付いていてもやめられない-

 

2月:死(逆位置) -グレーゾーンに陥る・無気力や無感動・希望が見いだせない状況-

 

3月:恋愛(逆位置) -決断することから逃れたい・優柔不断な態度・迷い-

 

4月:戦車(逆位置) -限界を感じる・コントロールできない状況・不甲斐なさ・苦闘-

 

5月:皇帝(正位置) -獲得したい目標・実行力・リーダーシップ・繁栄-

 

6月:魔術師(正位置) -創造性・意欲・新規のプロジェクト・試みの成功-

 

7月:女帝(逆位置) -誘惑に流される・生活の乱れ・浪費・満たされない心-

 

8月:女教皇(逆位置) -思い込みに囚われる・偏見・批判的・深く考え過ぎる-

 

9月:隠者(正位置) -内省・思慮深さん・人には言えない悩み・内的成長・今後のことをじっくり考える -

 

10月:悪魔(逆位置) -悪徳・強情・不純な動機・ぬるま湯から抜け出せない -

 

11月:愚者(逆位置) -計画通りにいかない・消極的・優柔不断-

 

12月:太陽(正位置) -潜在的な可能性・成長・繁栄・自己信頼・幸運-

 

テーマカード:世界(正位置) -完成と統合・達成・願望成就・栄光・歓喜-

 

  全体的に逆位置が多く苦難の年になりそうです。1月から4月までどうしていいかわからず決断できないような苦境に立たされるという暗示がでています。この時期は会社の決算期なので、何かプロジェクトのトラブルなどが出るんじゃないかと今から戦々恐々です。しかし、4月までって長いな。

  5月は皇帝の正位置、6月は魔術師の正位置。リーダーシップや獲得したい目標を得られるという良い暗示です。誕生日やバックギャモンフェスティバルなど今からイベント盛り沢山なのが見えていますが、そこで何か特別なことを得られるのでしょうか。ともあれ、4ヶ月間の苦闘がここで実るのかなと希望を持っています。6月から何か新しいことを始めるのでしょうか。期待です。

  7月・8月は女帝と女教皇の逆位置。浪費や偏見、思い込みに囚われるなど生活がアレそうな暗示です。夏場に寝苦しい夜が続いたら要注意ですね。9月は隠者の正位置なので、このあたりで生活の乱れが元に戻る、と。これ、7月8月にデスマーチで生活が荒れるっていう暗示だったらやだなあ。

   10月・11月はぬるま湯から向け出せない、消極的と行った行動を起こすとは対局にあるような暗示。6月になにか新しいことを始めようとしているのに11月にこの暗示なので、何か心が折れちゃうことがあるんでしょうか。うーん

   12月は太陽の正位置。潜在的な可能性や自己信頼、成長など伸びることを意味する暗示です。希望に満ちた終わりですが、きっとここまでの11ヶ月をきちんと過ごして得られる成果、ぐらいに思っておいたほうが良いのでしょう。最終月の太陽を目指す一年にします。

 

  テーマカードは世界の正位置。最後のカードだったらよく分かるのだけど、キーカードとしてはどう読み解けばいいのか、ちょっと困っています。ライフワークや人生の目的を決めるとか、そういう大きな事柄と向き合うべし、あるいは自己を信頼して追求し続ける、ということを意味するのでしょうか。ともあれ、かなり強いキーカードなので、心に留めて生きていきます。

 

  ところでこのタロット占い、いつも1年後に振り返りをしていたのですが、うっかり忘れたりしてあまり効果的で無いなと感じたので、毎月末に軽く振り返りをすると宣言します。さてどうなることやら。

  リマインダーとしてGoogleカレンダーに登録しようとしたら、繰り返し機能、月末に対応してないんですね。毎月31日って設定したら、2月とか登録されていませんでした。仕方ないので最終水曜日を目安に登録しました。

 

  改めて、旧年中は大変お世話になりました。今年もひとまずこんな感じで書き続けていきます。

  本年もどうぞ宜しくお願いします。

ずっと知らない街を歩いてる

 中学・高校時代はギリギリ引きこもりではありませんでした。家と学校と学校周辺の古本屋と秋葉原を行くだけの人間でした。友達がいなかったのは辛かったですが、筒井康隆は面白かったし、MSXもセガサターンも魅惑のゲームが多かったのは救いでした。僕は地元と秋葉原と学校周辺しか行ったことがありません。それ以外の街は古本屋もパソコン・ゲームがあるとは思わず、一切興味がありませんでした。

   とはいえ、秋葉原や学校周辺も限られた場所しか行ってないので、それ以外に何があるのか全く知りませんでした。

 

  大学に入りました。友達を作ろうと思いましたが何を話せばいいのかわかりませんでした。右往左往した結果、笑いをとることはできましたが友達を作ることはできませんでした。

 酒の席で何をあんなに盛り上がってるんだろう?初対面の人と何を話しているんだろう?

「あ、函館なの!?この間五稜郭行ったよ!」

「霧島、ションベン横丁燃えちゃったよ」

「明後日油そばの店あそこにオープンするんだけど行かね?」

  みんなが話しているのは、どこかの街の話でした。

 

  この時に僕はようやく自分がとても狭い世界に生きていることを自覚しました。

  高校時代に一緒の部活をやってた人物がいました。彼は見識が広く大学生活を充分に謳歌しているように見えました。その時の自分に彼の差は埋められないように見えました。

   僕は何も街のことを知らず、話に入ることができませんでした。

 

  社会人になりようやく仕事と趣味を通じて話せるようになりました。新橋・中目黒・自由が丘、少しずつ行くところが増えました。美味しいラーメン屋、TSUTAYAの場所、なんかよくわからないけどでかいオフィスビル。さっぱり興味を持てなかった「街」を少しずつ味わえるようになりました。

 

 

  ある日、ブログにコメントを書きたくなりました。ブログ主はリアルの知り合いではあるものの、本名を記入するのはためらわれ、ハンドルネームも決めてなかったので、どうしたものかと思いました。

  その人が僕だと分かりそうなハンドルネーム。その頃には「やっぱり街に詳しくないといけないんだよ!!」と酒の席で言えるくらいにはなっていました。

 

 

  僕は「TownBeginner」と名前の欄に打ち込んでコメントしました。

 

 

「タウンビギナー」とインターネットで名乗り始めてもうすぐ13年が経ちます。その間に色んな街を歩きました。人と比較すると多分乏しい気もしますが、興味のムラが結構激しい自分には、それなりに折り合いをつけられるようにはなりました。

   まだ知らない街はたくさんあります。知らない街の話を聞くのは、時に面白く、時に退屈です。

  街のことを知りたいと思ったら知る行動に移せるくらいの行動力は身につけました。ただ、面倒くさいと思ったらさっさとやめるくらいの不精さも相変わらずなので、まだ街には詳しくはないままです。

 

 

「なんでタウンビギナーって名前なんですか?」

質問箱にこんな質問が来たので答えてみました。この名前をやめる気は、今のところあまりありません。

 

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  立川シネマシティより立川の街を臨みました。まだあまり立川のことは知りません。無精さと好奇心、どちらが勝つのでしょうか。

昔の自分がちょっと居心地悪くなったので、ログを出力する

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」

はてなブログで↑のお題があったので、書きます。

 

 振り返ると、だいたい以下の場合にブログを書いています。

  1. ニュースや本を見た結果、ある着想が出て記録したいと思った時
  2. 何か大きなイベントがあって記録したいと思った時
  3. 心がざわざわしていて、なんとかしたいと思った時

 

1.がこれまでの記事の中では一番多いと思います。

townbeginner.hatenablog.com

  この手の記事を書くと、自分の中では満足が行くと同時に、もっと書けることは無かったのか、もっと考えることはできないか、ということを思います。

 

2.は最近になって書くようにしました。

townbeginner.hatenablog.com

  記憶の欠落というものは、想像以上に大きいことが最近になって分かったので、こうやって記録することにしました。TwitterのツイートはをEvernoteに保存していますが、それだけでは不十分。再編集するという一手間は記憶に欠かせないのだと思います。

 

3.はこんな感じの記事。

townbeginner.hatenablog.com

   3.を見て自己セラピーかな、と思ったけど、広い意味で1.2.もセラピーの要素があるなと思い直しました。ブログを書くのは日記に近いのだけど、やっていることは「自分自身のログを出力する作業」なのだと思います。モードが変わってデバッグモードみたいに沢山とにかくログを書きたいと思ったり、普段はおとなしいけど大変なエラーが発生したらなんとか事象を書き留めたいとログを書いたり。

 

 最近は3.の動機が多く1.2.が少ないため、少しイライラした気持ちにはなっています。「ブログなんざ趣味で書いているんだから、そんな堅苦しく考えなくたってかまわない」というのは一理あるのだけれど、書かない期間が長くなると、自分の行動が、思考がどうにもぼんやりしてしまうのではないか、という不安に襲われることがあります。そのうち書く時間が長くかかり、億劫になってログを残せなくなる。

 この事が嫌だと思うのは、自分が書き言葉のほうが得意だから、と考えているからです。

 

 自分の中で、思考は書き言葉として書くと輪郭をハッキリ持って浮かび上がる感覚があります。話し言葉よりも書き言葉。実際、話すのはあまり得意ではありません*1。書いて少し戻って、書いて振り返ってができるのが大きいんだと思います。話したことは振り返りができません。

 

 僕は悪筆です。

 中学の時、ワープロに感動しました。これで手書き文字から解放される!と希望に満ち溢れていたのを覚えています。頭で考えている事はあるのに、口に出すと上手く伝わらない、表情など話と関係ないところで突っ込まれる、と対面で話すことは正直嫌いでした*2。「メールだと伝わらない」と言われることが有りますが、メールの方がよっぽど伝わるということもある、と思います。

 コンピュータのお陰で、悪筆な自分が、滑舌の悪い自分が、表情を上手く作れない自分が、きちんと思考を表明できる。メールやFacebook,TwitterなどのSNSは、他者とコミュニケーションを行うことに主眼をおいたツール*3。そしてブログは、自分がくつろいで思考と伸び伸びと書ける場。セーブポイントのように、行動の整理をする場。

 ブログはある種、昔の自分の希望の結晶なのだろう。今はそう考えています。

 

 書いてて思考がまとまり落ち着いてきました。この文章自体は散文気味ですが、自己セラピーにはなっているので良しとしています。まだブログを書くのは止めません。

 きっと自分がブログを書きたくなるのは、思考がまとまらなかったり、話してばかりで書き物を長いことしていないなど、「昔の自分にとってちょっと居心地の悪い状態になった時」かな、と。

 

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 北海道から人狼仲間が来たので、迎撃に使った秋葉原の「MEAT WINERY」。

熟成肉は大変美味しゅうございました。人狼が控えていたのでワインは飲まなかったのですが、多分ワインも美味しい。

*1:滑舌が悪いこと、耳があまり良くなくてコミュニケーションの細かいロスが起こりやすいのも影響していると思います。

*2:人狼が無かったら、今でも嫌いだったと思います。

*3:個人的に、Twitterはそうでもないとは思いますが。

心をあやすことができるなら、あやしといたほうがいい

  長雨のせいでテンションが全く上がらない。

  10月はバックギャモン王位戦など色々面白いイベントがあったのだけど、仕事が激変したのと長雨のコンボでぼんやりとした思い出になってしまっている。その場その場では確かに良い体験だったはずなのに、それが十分に振り返りが出来ないのが悔しい。

  こういう振り返りをするためにこそブログは在るのだというのは分かるんだけど、記事を書くのに気力が必要になってしまっている。500字程度の記事ならそれほど苦労は無く書けるけど(4ツイート程度だし)、ブログはそれでいいのか、という抵抗が未だにある。

  ブログ記事は思考の端材をまとめ上げて、曲がりなりにも1つの統一された思考を描く場、と考えているけど、それは一旦棚に上げたほうがいいのかもしれない。そういうブログ記事を自分が好きだから、ブログかくあるべし、と思っているのだけど、思考力が足りない、気力が足りないなど諸々の理由で書けないのなら、それは仕方がないんだろう。どうしても書きたいことがあったら、それだけの勢いは自然に出る。その勢いを殺さないために、ブログを書くという習慣さえ絶やさなければそれでいいんだろう、と思う。

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  「炭焼きハンバーグさわやか」のげんこつハンバーグ。

  静岡に行った時、食べられるのであれば食べたい一品。やっぱりステーキよりはハンバーグのほうが好みだし、そういうのは子供の頃から変わらないのだなとしみじみ思う。

 

  このハンバーグを食べた後、ドラえもんを久々に見られると気付いた時に妙にテンションが上った。美味しいハンバーグを食べて好きなアニメ見るって、子供は大喜びするだろうなと思うし、そういう子供の自分が喜んでいるんだろうな、と思った。

  ドラえもんは面白かったです。

 

  エンディングでいきなりなぞなぞ出して「早く答えないと爆発するぞー!」と脅すフルカワくんはサイコでした。

肉の万世と子どもの夢

  「疲れた」という言葉を聞くとこっちまで疲れるから、1回疲れたと言ったら100円貯金するルール。それが「疲れた募金」。 今年の6月に始めて3ヶ月、それなりの額が貯ったっぽいので、姉とご馳走を食べることにした。

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肉の万世 秋葉原本店の粗挽きハンバーグにチェダーチーズをトッピング。

子供の頃から好きで食べていたけど、チェダーチーズををトッピングできるようになったのは確か最近の話。時代だと思う。ハンバーグが他のものと比べてジューシーで、あらびきっぽさがたまらない。

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  牛すじ煮込み。万世に牛すじ煮込みがあることを知らなかった。あまり両親はホルモンとかを好んでは食べなかったし、子どもにも食べさせようとはしなかったから、発見が遅れた。初めて食べた万世の牛すじ煮込みは、しっかり臭みも取れてて美味しかった。甘辛く煮付けた煮込みが多いけど、こしょうをきっちり効かせていることも良かった。

 

  万世は子供の頃からご馳走だった。

  幸いなことに、ステーキや焼肉の美味い店はいくつか知ることができたけど、ご馳走として肉を食べたいとなった場合、今でも必ず万世は候補に上げる*1。僕にとって、万世は料理だけじゃない。電気街であり、電車も含めて万世だ。

 

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  万世店内より。もう石丸電機もサトームセンもヤマギワもないけど、色とりどりの看板とネオンサイン 、少しさみしげに灯る電灯は、今でも電気の街だと感じる。19時頃のネオンサインが最も光る時間帯は、飽きずに外を見つめていられた。

 

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  左手に中央線が走っている。ただ子供の頃はなぜかあまり外の電車を見た記憶がない。当時近くにあった交通博物館は好きで行っていたので、電車にも興味を示していたはずなのだけど。多分電気街の方のネオンサインに夢中だったか、電車が通るたびにうるさいから、電車の見えない席に連れて行かれたか、のどっちかだと思う。

  

 

  今日は母の命日だった。

  母は万世でロブスターを食べていた。それほど肉は好きではなかったのだろう。それでも万世に行ったのは、間違いなく「僕が喜ぶから」だったと思っている。夢見心地で電気街にはしゃいで美味しそうにハンバーグを食べる息子を見て、母は何を思っていたのだろう。

 

  「命日だから」と、あまり大げさに何かをするということをしてこなかったのだけど、ちょっとイベントを、と心境に変化があったのは、加齢のためなのかどうかは、よく分からない。  もういない人のことを思い出すことが、これから少しずつ増えていく。それはなんだか、これまで生きてきたことの振り返りにも似て、かつての自分を思い起こす。

  きっとこれからも、こうして何かを食べながら、かつての人々や自分を思い出していくのだろう。

*1:一人で食べる、という条件付きだけど。二人以上で、となった場合のシチュエーションが今のところ無い。

夏期休暇の有効な使い道

 夏期休暇は1週間丸々とってどっか遠いところにずっと旅行、もしくは小刻みにとってストレスを軽減しながら働ける準備をする、というのが比較的良い使い道なのではないだろうか。そんなことを考えてた1週間だった。

  組織が変わり徐々に仕事の作法も変えていく、と思いきや大ハードランディングだったので混乱の嵐。今週、休みを取って週3じゃなかったらと思うとゾッとする。そんな週だった。とりあえず今日はジムへ行くことができたので、習慣は絶やさないように心掛ける。習慣のの延長に未来がある、という考え方は、比較的好きなのだけど、あまり信じ過ぎると不測の事態のインパクトにストレスを感じるようになるので、ほどほどに。

 

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沖縄土産を冷奴に。

左は「あぐーあんだんすー」という味噌、右は「食べる島ラー油」。あぐーあんだんすーは、もう少し量が少なくても十分いける。食べる島ラー油は塩を軽く振ると良い。

沖縄に行ってきたので取った写真を元に振り返りながら感想を書く

  今年も沖縄に行った。

  去年は水族館やパイナップルパークへ行ったので、今年は少し違うところへ行こうと思った。

 

   地図を見たら世界遺産があるとのことで、中城城跡へ向かう。

  「観光案内では小学校から徒歩30分ってあるけど、久場駅からなら徒歩15分程度だからこっちのほうが早い」というネットの記事を見かけたので、久場駅から歩いて向かう。

 

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  ここまで2時間かかった。

  途中道に迷ったことを考慮しても1時間はゆうにかかる。炎天下ということもすっかり考慮から漏れていた。もし途中でお寺と自販機を発券していなかったら、本当に道中倒れていたと思う。危険だった。

 

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  途中、朦朧としながら取った写真。多分無意識にいい景色と思ったのだろう。

 

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  中城城跡は、石作りが印象的で、見返してみると外国の城かと錯覚するような作りだった。天守閣が無く、日本の城と作りが違うから余計にそう感じた。

  とくに中城は、石積みに特徴がでていて、野面積み、布積み、相方積みと異なる方式が一度に見られるらしい。鉄腕DASHを見てるともっと楽しめたに違いないが、普通に見ているだけでも十分面白かった。石が琉球石灰岩という沖縄独自の石だということも影響しているのだろう。

 

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  太平洋を一望した。喉の渇きと足の痺れが癒やされた。

  流石に帰りはタクシーを呼んでもらった。 

 

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  首里城の本殿は改修中だった。残念。

  首里城は三大がっかりスポットと紹介されていたけど、本殿が改修中だった事以外はそうでもなかった。中城城跡で見た石積みがここでもあって、沖縄に来ているのだという気分がしっかり味わえた。

 

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  首里城を後にして、琉球王たちが眠る玉陵へ。琉球王国に関する歴史や当時の政治状況は書いてあったけど、琉球処分については一切触れられていなかった。当時の日本政府が琉球に対して何をしたのか書くことは、何か都合が悪いことなのだろうか。19代尚泰から琉球王国は解体され、従一位の称号を与えられていたけど、次の代の尚典はなぜ従二位止まりだったのか。そんなことを考えていた。こういう時、歴史の知識というのは、運動を行う時の筋肉にも似て、積み重ねてこなかったことによる蒙昧を後悔する材料になる。

 

小説 琉球処分(上) (講談社文庫)

小説 琉球処分(上) (講談社文庫)

 
小説 琉球処分(下) (講談社文庫)

小説 琉球処分(下) (講談社文庫)

 

  佐藤優氏が薦めていた本。琉球特有の用語などが少し飲み込みにくいが、小国である琉球の人々の感覚を味わえるのが良い。まだ下巻途中までしか読めていないのだけど。

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  琉球処分を読む前にこれを見ておくと、理解がし易い。親方の読み方はなかなかしっくり来なかったけど。親雲上はあっさり頭に入った。「おやかた」となまじ読めるから、その知識が邪魔してしまう。

 

  沖縄は日本にとってはテーマパークであり、日本のつらい部分を負担させられていると考えている。今、軍事基地があることに限らない。仮にアメリカ軍事基地がなくなったとしても地政学的に要所にならざるを得ない。琉球王国の末期、清と日本の板挟みに三司官は悩んでいた。力のある大国の間にある小国として、どう振る舞うか。それをずっと悩み続けてきたのが琉球であり、沖縄なのだろう。

  そんな勝手な感想を抱いた。似た国は他にもありそうだけど。アナロジーができるくらいにきちんと知識を蓄えておくことは、歴史に限らず重要である。 

 

f:id:TownBeginner:20170914212901j:image A&WのA&Wハンバーガーとルートビア。

ハンバーガは美味しかった。ルートビアはお代わり自由だったけど、一杯で十分。