今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

今年はちゃんと振り返りをしたい -8月〜10月-

ちゃんと振り返りをしたいと思うも、3ヶ月間が空いてしまいました。

 

 

townbeginner.hatenablog.com

 

8月:女教皇(逆位置) -思い込みに囚われる・偏見・批判的・深く考え過ぎる-

  8月はどうだったかなあ。あまり当てはまる感じはありませんでした。T-SQUAREの40周年コンサートあり、バックギャモン足利オープンありと結構プライベートは盛りだくさんで楽しかったです。仕事は、予定していた内容が後ろ倒しになって、結果的に空きが増えました。その分、9月は死ぬんですが。

 

9月:隠者(正位置) -内省・思慮深さん・人には言えない悩み・内的成長・今後のことをじっくり考える -

  9月はバッチリ当てはまっています。「クリエイティブ・ライティング合宿」に参加したんですが、いかに自分の身体にアクセスして書いていくか、 どうやって書いていくか、書きたいものはなんなのか、考えて書くことができて、とても良い時間を過ごせました。9月は熱海のTRPGフェスティバル&WAR→P、後半仕事で死ぬなど、盛りだくさんの月でした。多分今年1年のハイライトシーンには入ります。

 

10月:悪魔(逆位置) -悪徳・強情・不純な動機・ぬるま湯から抜け出せない - 

  最後の「ぬるま湯から抜け出せない」が当てはまるかなあ。10月はバックギャモン王位戦や大阪出張などのイベントはあったものの、全体的に静かというか、目立った飛躍は無かった印象。ちょっと停滞気味でしたね。何にせよ、すぐに成長するとか成果が出るといった類の活動はしていないので、成果が見えないからといって過度に不安にならないようにします。

 

1年の最後二ヶ月は

11月:愚者(逆位置) -計画通りにいかない・消極的・優柔不断-

 

12月:太陽(正位置) -潜在的な可能性・成長・繁栄・自己信頼・幸運-

 

こんな感じです。体がなまっているので鍛えようと考えていた矢先に「計画通りにいかない」は厳しいなあ。少しでも多くジムに行く回数を増やそう。12月を楽しみにしながら。

 

 

胸焼けする絵文字、時代を生きていない僕

  定期的に「オジサンLINE」が話題になっている。

otakei.otakuma.net

  twitterとかでたまに流れているので目にするけど、胸焼けがする文章だと思う。年齢と性別でカテゴライズすれば、僕は間違いなく「オジサン」に入るからこの手の文章を書いていてもおかしくないのだけど、書いたことが無い。もし書こうと思っても書ける気がしない。理由は、どうしても馴染めないからだ。

 

文化に乗れなかった学生時代

  オジサンLINEは文面や内容などから様々な分析がされているけど、ほぼ必ず「絵文字」「顔文字」が要素として入る。PCからテキストベースでネットをやっていたので、顔文字は抵抗なく使えるけど、絵文字になると使い方がわからないし、デコり過ぎて読みにくいとすら感じてしまう。ガラケーは持っていたけど、友達も少なく持つ理由があまりなかったので、携帯を買うのも周囲に比べてだいぶ遅かった(携帯を買った一番の理由は、「就職活動で便利だから」だった)。PCに比べて機能も少なくキーも押しにくいと感じていたため、メール機能も対して使わなかったし、iモードなどガラケー特有の機能も殆ど使わなかった。 *1

  結果として、絵文字で会話するような文化を身につけることは無かった。馴染めなかった、という方が正確かもしれない。僕の10代20代は小室サウンドやコギャルが街を支配していた、らしい。「らしい」というのは、僕はこれらの文化に興味も持てなかったし、怖いとすら思っていたからだ。だから、生でコギャルを見たことが無いし、小室サウンドも大して聴いていない。かといって、オタクやサブカル文化にどっぷり浸かっていたかといえば、そうでもなく、エヴァも見ていない、完全自殺マニュアルも読んでいない、ということで、僕はただ一人で本を読んでゲームをしていた。

  僕は、どこの文化圏にも属することができなかった。

 

LINE文化の中で浮くガラケー文化

  おはようとかの挨拶をメールでするのが不思議だった。

  (わざわざメールでなんでそんなにやりとりするんだろう?)

  今ならわかる。「コミュニケーションのためのコミュニケーション」だからだ。この目的はコミュニケーションを取ることそれ自体であり、内容は副次的にすらなることがある*2。コミュニケーションにはこういった形態があるのだということがなかなか理解できなかったけど、今ならこの文脈でガラケー文化が花開いた理由を説明できると考えている。「電子メール」という非同期なツールはコミュニケーションのタイミングというコストを大きく減らし、「絵文字」という漢字以上の表意文字は、文字のコストを減らした。そして、絵文字によるメールのやりとりは、当時の若者の間で「コミュニケーションのためのコミュニケーション」として成立していった。

 

   細かいところは違うけど、LINEは「コミュニケーションのためのコミュニケーションを取るために特化したツール」だと感じている。スタンプは定型的なやり取り、意味合いを含むものが幅広く売られているのは偶然ではない。コミュニケーションを取るためには文章を書くよりスタンプを送り合うほうがスピーディで回数を増やせるからだ。

  そんなスピーディなスタンプ文化には、絵文字は情報量が多過ぎて馴染まない。ワンタップで遅れるスタンプとは、スピードも情報量も合わない。結果として、絵文字文化はLINEの中では「オジサンLINE」として異質なモノ扱いされていった。

 

  以上は、ガラケー文化を始めとして何の文化にも、何の時代にも乗れなかった僕の感想である。絵文字だらけのメールをしている学生時代の同期に、メールをやり取りする相手がいないことを馬鹿にされたことを覚えている。今、もしその同期がこういう「オジサンLINE」をしていたら、僕は暗い喜びを覚える。

  「お前は時代に乗れなかった僕を馬鹿にしていたけど、今度はお前が時代に乗れなくて馬鹿にされる番だからな!!」

 

 しかしその一方で、どの文化にも属せず、時代と生きた感覚の無い僕は、そんなオジサンLINEが眩しくも見える。あそこには、かつて時代を生きた、文化を生きた感覚が残っているんだろうな、とも思う*3

 

  時代に乗れない日々から20年以上が経った。来年で平成が終わるにあたって、これからTV番組などで「平成を振り返る」特集がされるようになったら、きっと時代を生きなかったことについてのしこりをまた感じるのだろう。

*1:フリック入力を何の抵抗もなくスムーズに身につけられたのは、ガラケー文化に浸かっていなかったからだと思う。

*2:念のために書いておくが、良い悪いという話では全くない。

*3:若い女性にちょっかいを出す事云々の話は置いといて。あくまで文体の話。というか、コミュニケーションのためのコミュニケーションという前提が成立してないから、そりゃ疎まられるよな、と思った。

おれが面白いと考えていることはこれだっ!! -クリエイティブ・ライティング合宿参加記録-

  作家が「缶詰」と称し、どこかのホテルや温泉宿に行き(あるいは編集者に連れて行かれ)、ひたすら原稿を書く、というのがある。そうまでしないと書けないのか、と昔は思っていたけど、今なら分かる。「日常」は細々とした「気にすべきこと・気になってしまうこと」が多過ぎるのだ。普段の場所でも原稿は書けるけど、それをずっと一日中、となると多分無理だ。食事とか各種の家事もしないといけないし、仕事に関連する本を読んで準備もしたいし、あと気になってるゲームの続きもやりたい。原稿を書いては休み、書いては休み休み休み、という感じで思ったように進められないことは容易に想像できる。

  だから「合宿」という言葉が出た時、直感的に参加を決めた。会場へは自宅から電車で十分に行ける距離だったけど、宿泊施設を利用して缶詰の体験をしてみたかった。

  これが、僕が9/23,24の三連休の終わり二日間に「クリエイティブ・ライティング合宿」に参加するを決めた動機である。

 

クリエイティブ・ライティング講座

  「クリエイティブ・ライティング講座」とは、作家の小野美由紀さんが月一回に開いている文章講座で、身体的なアプローチを含めた様々なワークを行い参加者自身の文章作品を作り上げていくという講座である。

  講座の詳細は以下のリンク参照。

onomiyuki.com

 今回は合宿という形式のため(合宿という形式を取るのはこれが初めてらしい)、1日目がワーク中心、2日目に実際に作品を作るというプロセスで書くことになった。

 

身体にアクセスするワークで木になる

  身体に関するワークは、もう一人の講師、青剣さんが担当。「からだ部」や「きがるね」という、身体的な活動を行うワークショップを開いているダンサーで、合宿の前半はこの身体的なワークを実施。

 

  やったことは

  • ペアで前の人は目をつぶり、後ろの人に動かしてもらう
  • 一列でつながり、一番前の人が一番後ろの人と鬼ごっこ
  • 適当な擬音を出しながら動作をして、相手はそれに合わせて動作する
  • 全員中央に集まり互いに力を抜いて座り、一つの木になる

といったもの。

過去の活動レポートが写真付きでアップされていたけど、

きがるねレポート

だいたいこんな感じ。

 

子供の頃の作品を思い出すワークで童心に帰る

  身体的なワークショップで体をほぐし、心なしか気分が晴れた感覚になった。続いてのワークは「子供の頃に書いたものを再現してみる」ワーク。昔書いた絵日記や読書感想文を再現して、他の人は感想を互いに付箋で書いていく。

  例えば僕の場合は

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  • 日記で姉に対する不満を書いたけど、先生は全くそこに触れてくれずに不満を持ったこと
  • 小学一年生の頃に(書いた経緯はすっかり忘れたけど)タヌキがパンを届けに行く童話

  これらの作品に対しする他の参加者からの質問に答えることで、少しずつ自分が何が好きだったか、何が面白いと思っていたのか、何が嫌だと思っていたのか、感情を少しずつ思い出して行く旅に入っていった。

 

即興大喜利ワークをして、話をでっち上げるのは楽しいと確信を持つ

  その後はいくつか文章に関するワークを行っていく。

  •   3人一組になり、よくわからない絵が書かれたカードを渡され、それを元に即興で文章作品を作る。詩・エッセイ・ルポ・川柳なんでもOK*1
  • ある音楽を聴いて、思いついたことを書く。音楽に関する感想はもちろん、インスピレーションで浮かんだことなど、なんでもOK。
  • 4人一組になり、単語と形容詞をリストアップし、タイトルだけ決めたら横の人に渡して、渡された人は2分間でそのタイトルの小説を書き、次の人にパスし、リレー形式で書いていく*2
  • 2人一組になり、相手が話した思い出のエピソードを元に紙粘土細工を作る。その後、別のペアの人がその紙粘土細工だけを見て、思い浮かんだ文章を書く(これも形式は問わない)

  これらのワークは収穫が多かった。自分がどういう時に筆が進むのかよくわかったからだ。

  • 一定の情報量を得られる時
  • 客観的な事実を元にでっち上げの話を作れる時
  • 一見なんにも関係の無い2つ以上の事柄がリンクできた時

   僕の書いた作品は小話が多く、構成を立てて書いていって、というように考えること自体がとても楽しかった。ある一つの物語、まだはそれに付随するシーンを思い浮かべ、書いていくのが好きなんだと思った。試しにワークで書いた作品を今振り返ってみたところ、少し単語やフレーズは見直したいと思ったけど、書いたものの着眼点や構成は今でも気に入っている。

  情報を繋げて話を作り構成を考えることは、とても楽しいことだと思ったし、そこから新たな着想が出てきた。僕の場合、着想は最初に出るのではなく、構成から生まれるのだろう、と感じた。

  こうして1日目のワークを終えた。懇親会も兼ねた夕食は、童心を保つためにオムライス*3とノンアルコールビール*4を頼んだ。

 

  書きたかった小説をひたすら書く

  2日目は再び身体のワークを行い体をほぐし、いよいよ作品作り。もともと書いていた小説の続きを書くつもりだったので、ひたすら没頭して書いた。長編小説ということもあり章の途中までしか書けなかったけど、振り返ってみたら4700字近く書いてた。時間は確か1時間程度だったと思うので、間違いなく集中して書いてた。

  感覚的にはうっすらとゴールが見えつつ、脇道の色々なイベントをこなしながら走っている感覚だった。途中、構成を入れ替えて新しいネタに気付いたり、様子を表現すべきフレーズをひねり出したり、最後の最後で敵キャラがご乱心したり、心と頭を遊ばせながら走っていった。長編なのでこの後の続きを書く必要があるけど、今回書いたシーンは、ちょっと他のシーンとの接続を考える必要はあるけど、なかなかに気に入っていて活かしていきたいと考えている。

 

面白いと考えていることをひたすら書く

  島本和彦「吼えよペン 1巻」(2001年,小学館) P.189より。

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   劇中、主人公の漫画家「炎尾燃」はキャバクラで軟禁され、キャバ嬢が考えた作品を書かされるのだけど、自分を取り戻し、書かされた原稿を破り自分の作品を作りキャバ嬢をねじ伏せた。このシーンにすごいカタルシスを感じたのだけど、(趣味とはいえ)モノを書くようになって、このシーンの凄さが改めて理解できた。

  自分が面白いと考えていることを徹底的に書かないと、どうしようもない。読者に受けるかどうかは様々な要素がある。絵柄・ストーリー・キャラクター・セリフやフレーズ・その時代の流行、などなど。しかし、それらを予測したところで、自分自身がそれを全て網羅して合わせることはほぼ不可能だ(そもそも予測できること自体が不可能に近い)。だとしたら自分自身のスイートスポットを見つけ、そこで勝負を仕掛ける方が精神的にも余程良い*5

  面白いと考えていることはきっとこれからも見つかるだろうし、そういうことをどんどん書きたいと感じている。

 

  ただ、帰宅した自分を待ち構えていたのは、宅配便の不在票と取り込まれていない洗濯物と仕事の準備だった。しばらくは日常に戻り諸々の片付けをしてから、童心に帰るための準備をする必要があるらしい。 

*1:ちなみに、この時のお題の絵として使われていたのは「Dixit」のカード。確かに奇妙な絵としてうってつけの題材だと思う。

*2:気付いた人もいるかもしれないけど、やっていることは「じゃれ本」と同じ。ただ、今回のワークの主眼は「他人の力を借りることに目を向けること」なので、じゃれ本の趣旨とは違うと青剣さんからのコメント。納得。

*3:昔、コボちゃんがアニメ化された時、せっかく夕飯がオムライスだったのに松茸が届いたから松茸ご飯に変更したお母さんに「やだーーーオムライスがいいーー!!」と駄々をこねるコボちゃんを見てから、オムライスは子供の象徴に近い。

*4:子供はお酒に憧れるけど、アルコールは禁止なので。

*5:件の島本和彦氏も、現在「アオイホノオ」が大ヒットしている。「時代が島本和彦に追いついた」と評されていたが、その通りだと思う。

時間旅行 -いつでも僕たちは「いま」を生きていける-

  自宅から最寄りの浅草駅へ自転車を少し早足で漕いだ。隅田川花火大会は終わったけど、街は浴衣を着ている人たちが多い。一番多いのは女の人が3,4人という組み合わせ。次が男女のカップル。そんな人達を横目で見ながら自転車を駐め、銀座線で渋谷まで。浅草駅は始発なので必ず座れるのはありがたかった。ヘッドホンをしてiPhoneをズボンのポケットから取り出した。少し考えて、今日は「時間旅行」を聴くことにした。

  「時間旅行」を聴いていると、未来よりは過去を旅するようなイメージを持てる。その日、僕は時間旅行を聴いて過去に旅立った。 

時間旅行

時間旅行

  • アーティスト:T-SQUARE
  • Village Records
Amazon

 

  気休めに英語の参考書を鞄に入れていたけど、案の定、読んでも蛍光マーカーを引いても頭には全然入ってこなかった。
  地下鉄銀座線なのに何故か渋谷だけは地上に出て、そこからまたひたすら地下に向かって歩くのってバカバカしいなと思いながら、乗り換えのために東急東横線へ歩いていった。渋谷のスクランブル交差点周辺には、上京してきたと思われる家族や夏休みで遊びに来た高校生、カップル、パリピ、よくわからない政治団体、募金の人。色んな人が居るけど、少なくとも誰もぼっちじゃない。だから僕は渋谷が嫌いだ。でも今日の目的地は渋谷じゃないからどうでもいいや、と思いながら東急東横線の急行に飛び乗った。

 

  目的地はみなとみらい駅のパシフィコ横浜。
  今年40周年を迎えるT-SQUAREのコンサート「T-SQUARE 40th anniversary Concert」の会場だ。

  中学高校と学校生活が一つもうまく行かず、燻っていた僕の人生をT-SQUAREは物語にしてくれた。ただの音楽と言ったらそれまでだけど、それでもT-SQUAREを聴いていると自分が何がしかの物語の主人公になれた気がした。将来への明るい展望があれば、そして今自分が歩いているのがその展望への旅路だったら、それは歩いていく原動力になっていくと思った。脱走の機会をうかがう囚人みたいな生活から、T-SQUAREは僕を解放してくれた。
  そのT-SQUAREが、40周年ということで歴代メンバーを揃えてコンサートをやる。行きたいと思う反面、僕は行くことに二の足を踏んでいた。迷った理由は大学受験なのにコンサートに行っている暇はない、からではない。受験に息抜きは絶対に必要だ。理由は3つ。
「周りのノリについていけるかどうか心配」
「アルバムと曲順が違うし、今までイメージしていたノリが壊されてしまうのではないか」
  そして一番大きな理由は、出演者の中にある「足立区立西新井中学校吹奏楽部」という文字だった。

 

  僕は(学校に行かなくていいという一点だけで)夏休みが大好きだったけど、夏のイベントは大嫌いだった。花火大会はどうせ友だちがいないから一人で見てもつまらないし、甲子園は普段立場の弱い生徒とかに威張り散らしてるくせに、ちょっと権力の有る先生やOBとかには外でだけいい面をしておいて陰で悪口ばかり言ってるような野球部の奴らがヒーローとしてちやほやされているようなイベントだ(実際の甲子園球児には会ったこと無いけど、ウチの野球部を見ていたらだいたい想像がつく)。
  でも、そんな奴らでも、野球が上手ければ、女の子にモテる。チヤホヤされる。友達が作れる。誰かに話しかけらてもらえる。何か誘っても嫌な顔をされない。机に突っ伏して寝てる時にいきなり椅子を引かれたりしない。何より、わざわざ机に突っ伏して寝る必要がない。
  甲子園球児たちは、僕が欲しかったものを全部持っていた。そして僕は、西新井中学校吹奏楽部に似たものを感じていた。西新井中学校には別に縁もゆかりもないし、吹奏楽部にも嫌悪感は無かったけど、自分より少し年下の中学生がプロ、それも40周年を迎える大御所のコンサートに参加しているという事実は、僕を気後れさせるのに十分だった。自分が今の人生で何ひとつできていない中で、中学生がT-SQUAREと肩を並べて演奏をしているのを見たら、僕はどう思うのだろう。人生のうまく行っている組とうまく行っていない僕との差が違い過ぎて、打ちのめされた気持ちになるんじゃないだろうか。

  そういうわけで、僕は西新井中学校吹奏楽部を見たくなくて迷っていたけど、結局T-SQUAREの40周年というお祭りの誘惑には勝てず、チケットを買ってパシフィコ横浜の大ホールに向かった。

 

 

  席は2階で、ステージを見下ろすことができた。今回は歴代メンバー18人が出演ということもあり、各パートを複数で演奏するらしい。だからドラムセットが4つもあるのか、と納得した。席に座り入場時に配られたチラシを眺めているうちに、照明が少しずつ暗くなっていった。静かに拍手が響いたので、僕も一緒に拍手をした。開演である。
  舞台の上手と下手から制服を着た中学生が楽器を持って整列を始めた。あれが西新井中学校吹奏楽部か。別に何の変哲もない、ただの中学生だと思った。でも、舞台の上手と下手からぞろぞろと出てきて、総勢50人以上が舞台に立つと少し気圧された。中学生たちがそれぞれ楽器の準備を終えると、指揮者がやってきて会場に一礼をした。もう一度拍手が起こった。僕も慌てて拍手をした。拍手が鳴り止み、指揮者が中学生たちの方を向いて指揮棒を上げた。
  演奏が始まった。T-SQUAREの代表曲「OMENS OF LOVE」だ。

 

  「OMENS OF LOVE」は、アルバム「R・E・S・O・R・T」の原曲はもちろん、「CLASSICS」の大胆にアレンジされたオーケストラ曲、「宝曲」の少し落ち着いたセルフカバー、どれも冒険心を掻き立てる印象を持たせつつ、それぞれの持ち味を活かして演奏している素晴らしい曲だ。そして、いま眼の前で演奏されている「OMENS OF LOVE」もそうだった。サックス、トランペット、ホルン、微妙に違う金管楽器がハーモニーを奏でていて、吹奏楽のアレンジが効いた「OMENS OF LOVE」は聴いていてとても楽しかった。僕はいつの間にか周りに合わせて、曲に合わせて手拍子をしていた。
  演奏が終わり指揮者が礼をしたところで、再び僕は拍手をした。演奏を終えた吹奏楽部と指揮者が舞台から退出した。
  T-SQUAREのメンバーはまだ一人も出ていないのに、僕はすっかり夢中になっていた。

 

  吹奏楽部と交代する形で歴代メンバーが登場した。いよいよだ。生で見る安藤まさひろは、伊東たけしは、マクドナルドのテレビCMやタモリ倶楽部で見た感じの人だった。初期アルバムにはメンバーの写真が載っていなかったので、初期メンバーの顔とかはよくわからなかった(もし載っていたとしても、30年以上経っているからやっぱりわからなかったかもしれないけど)。
照明が瞬いて演奏が始まった。1曲目はデビューアルバムの「Lucky Summer Ready」の1曲目「A Feel Deep Inside」。2曲目はセカンドアルバム「Midnight Lover」から表題曲の「Midnight Lover」。
  どちらも40年近く前の曲だ。初期アルバムはそんなに聴き込んでいなかったから、思い出すのに少し時間がかかったけど、とてもいい曲だと思った。「A Feel Deep Inside」はピアノを弾ませつつドラムが落ち着いたスネアで曲全体を支えていたし、2枚目の「Midnight Lover」は伊東たけしのサックスがより情感的にメロディーを奏でていた。

 

 

  瞬間、T-SQUAREが辿ってきた歴史が見えた。
  そして僕は思い出した。T-SQUAREはずっと僕を支えてくれていた事を。

  大学の推薦が取れず必死に受験勉強していた時、大学デビューに大失敗して一切何も得られずに卒業した時も、新卒で入った企業で残業の嵐だった時も、「Dans Sa Chanbre」はどこへでも行けるような自由な空気をくれたし、「COPACABANA」は静かで柔らかい海中に連れて行って癒やしてくれた。うつが寛解し始めてもう一度働き始めた時も、結婚生活に別れを告げた時も、半年近く休み無しで働いていたのに全然成果が出せずに燃え尽きた時も、「HEARTS」は悲しいことはどうやったって悲しいままだけどそれで良いということを、「待ちぼうけの午後」は所在なく立っているのも悪くないと教えてくれた。

 

  いま、僕は40歳を迎えてパシフィコ横浜の大ホールにいた。
  いま、僕の眼の前で西新井中学校吹奏楽部が、今は別のバンドなどで活躍している元メンバーが、そして安藤正容、伊東たけし、河野啓三、坂東慧の現T-SQUAREメンバーが40年間演奏し続けてきた曲を「いま」の自分たちに乗せて、演奏していた。それは、T-SQUAREがやる音楽とは何かを求めて辿って、ずっと活動を続けてきたT-SQUAREだから演奏できた曲だった。

  僕は、40年間活動を続けてきたT-SQUAREと手拍子をして一体になった。
  40年経ったことによる懐かしさなんて一つもなかった。60歳を越えた安藤正容が、伊東たけしが、これまでを経た「いま」だからこそ、過去を武器にして演奏できる曲があった。

  T-SQUAREが、40年前のデビュー曲から今年のアルバム「City Coaster」まで、一気に駆け抜けていった。最後の曲はライブの定番曲としてお馴染みの(といってもライブで聴くのは初めてだけど)「Japanese Soul Brothers」、そしてアンコールの「Truth」で幕を閉じた。演奏後、舞台上で18人が集まって抱き合い、客席に向かって手を上げた。僕も手を上げて大きく腕を振った。

 

 

時間旅行

時間旅行

  • アーティスト:T-SQUARE
  • Village Records
Amazon

 

 
  時間旅行が終わった。
  大ホールを出て階段を降りるところで中学生の一団と一緒になった。さっきの吹奏楽部生か、吹奏楽部を応援に来た中学生かはわからなかったけど、きっと彼女たちも、明日からまた部活動で「いま」曲を練習したり、宿題に追われて「いま」苦しんだりするような今年の夏を始めるのだろう。そんな想像を勝手にして、少し楽しくなった。

 

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  帰り道、ハンバーグ屋に寄って晩酌セットを頼んだ。
  10代から大好物だったハンバーグと、20代の僕が嫌がってたビールと、30代で好きになっていったポテトサラダとヒレカツ。全部うまいうまいと言いながら食べられる40代の僕は幸せだった。翌日、胃もたれするような40代の僕じゃなければもっと幸せだったけど、それぐらいならまあいいや、とも思った。
  明日は趣味のバックギャモンをやる日だということを思い出して、鞄からバックギャモンの本を取り出した。洋書だから読むのはスムーズじゃないけど、それでも読み進められるから、昔の英語の勉強は役に立ってるらしい。


  明後日は立秋だけど、「残暑」という言葉が全くしっくりこない暑さは当分続くのだろう。甲子園は大丈夫かと、ちょっと心配しながら残りのビールを呷った。

今年はちゃんと振り返りをしたい - 6月7月-

ちゃんと月ごとに振り返りをしたかったのに、間が空いてしまいました。

気を取り直して、2ヶ月分まとめてやります。

 

6月:魔術師(正位置) -創造性・意欲・新規のプロジェクト・試みの成功- 

  仕事に関してはバッチリ当てはまってました。組織の変更などで仕事のやり方が変わったのですが、その最初のプロジェクトが無事に6月で終わりました。特に大きなトラブルも無くて良かったです。

  私事だと、どうやって文章を書くかを少しずつ意識していったけど、まだ形にはなっていない状態ですね。玉ねぎもそんなにちゃんと使えていないので、もう一歩といったところでしょうか。

 

7月:女帝(逆位置) -誘惑に流される・生活の乱れ・浪費・満たされない心-

 これはもう心当たりがあり過ぎて頭抱えています……。

  大阪にしばらく出張に行っていたのですが、夕飯にお好み焼きやうどんといった粉物中心の生活を続けた結果、体重と体脂肪が最高値を更新してしまいました。出張中危険だと思いモビバンを勝って自重筋トレをしたのですが、脂肪の増加には勝てませんでした(筋肉維持はできていたので、効果はゼロでは無かったと信じたいのですが)。

  生活の乱れは、FF14という悪魔のゲームが影響しています。うっかりやり始めると他の時間をゴリゴリ削ってしまうので、慎重にプレイしないと危険です。どうやって終わらせるトリガーを作るかが今の所一番の課題です。いやあ、木工師と革細工師のクエストが楽しいなあ。

 

8月:女教皇(逆位置) -思い込みに囚われる・偏見・批判的・深く考え過ぎる 

   8月。思考に危険信号が灯っています。仕事よりは私生活に関してかな予感しています。あまり深く考えすぎないように気をつけます。

はてな村の隅っこにいる人間として

本エントリーは感情の整理のためのエントリーです。 

 

Hagexさんこと岡本顕一郎さんが殺された。

www.asahi.com

  当初「ITの講師が刺殺」と書かれた記事が、Hagexさんだと判明するにあたって、いっきにはてなブックマークが騒がしくなり、2018年6月25日22時30分現在、トップページのホットエントリーは9つ中8つが本件に関する記事である。

lineblog.me

 

zaikabou.hatenablog.com

 

  はてなブックマークでたまに上がってくるHagexさんの記事を読んでた。その時の印象は

「丁寧に記事を拾ってるなあ」

  という印象だった。主にイケハヤ・はあちゅう関連の記事で、少なくとも愉快犯として炎上させようという感じは受けなかった。丁寧に証拠集めをして炎上させる、やまもといちろう氏と同じ系譜と感じていた。嫌いだと言う意見はわかるけど、不都合なことを容赦なく突きつける、ある種のカタルシス的なものを自分が感じたのも事実だった。

 

  そのHagexさんが、自分の講演会の直後に、刺されて死んだ。

  意味がわからなかった。要人の暗殺みたいなことが起こった。

  

  程なくして犯人が出頭していた。犯人ははてなの捨て垢を作っては誰彼構わず「低能」と罵倒しまくっては通報されてその都度凍結されて、しまいには「低能先生」と呼ばれていた人物、らしい。はてな匿名ダイアリーに犯行声明を出していたらしいが、もう運営に消されてしまっているので、本人かどうかは結局不明のままだ(時間や犯人しか知りえない情報から本人と言われているけど、本人の口から聞くまで信じないことにしている。)。

 

   次々と上がってくるホットエントリーの哀悼記事を読みながら、「運が本当に悪くてHagexさんは死んだ」としか思えない自分がいる。低能先生が罵倒していたのはHageさんだけじゃないし、Hagexさんだけが非難したわけでもない。ただ、たまたま低能先生がいる福岡にHagaxさんが講演で来ていて、低能先生が気を起こして、こうなったんだと思う。

  ただの偶然の積み重ねにしか見えない。だからこそ救いようがない。

 

  『今週末に開催されるはてなの公式イベント「はてなミートアップ」は?』というブコメを見た。嫌な予感がした。

  

blog.hatenablog.com

 予感は的中した。中止になっていた*1

  昔「数万人に一人のクズが社会構造を決定する」というエントリーを読んだ*2。池田小学校の事件などを引き合いに、激レアな事故を防ぐために万人にコストを強いるという趣旨だったと記憶しているが、今回の事件もその契機になるのだろうなと感じている。

  ブログなどで情報発信するということは、それなりに責任の伴う話で、安全・安心といったことも考慮しなければいけないくらい利用者が増えて、インフラも発達してきたということなのだろう。これ自体は歓迎すべき話だ。人が増えて整備が行き届けば、それを土台としたさらなる技術・文化が生まれる。しかし、今回の事件はその契機としてはあまりにも重すぎる。名前のあるブロガーやイベントが一時的であれ萎縮してしまうのは望ましくない。それがデフォルトになり兼ねないから。

 

  他の人から見たら、僕は呑気に見えるのだろうか。隅っこの方で書いてるだけで、僕自身にはそこまで影響が無いからそう感じるだけなのだろうか。安全・安心は大事だけど、萎縮して書きたいことが書けなくなっているというのは、もうその時点で安全・安心が脅かされてしまっていることになるんじゃないだろうか。

 

  まだしばらく、はてな村の隅っこで特にどうということもない記事を書き続けると思う。

*1:Hagexさんのブコメにスターが輝いているのが悲しい。

*2:当該エントリーを読みたかったが、残念ながらリンク切れらしく読めなかった。

未来の匂いのする夜の街・時間が止まる朝の街

「TOKYO NOBODY」という写真集がある。

 

TOKYO NOBODY―中野正貴写真集

TOKYO NOBODY―中野正貴写真集

 

 僕は写真にあまり興味は無いのだけど、夜景、特に大都会の夜景は例外だ。夜はこれからだとばかりに光る電灯やネオンサイン。高い場所から見える、真っ暗な空間に浮かび上がった様々な色と明るさから成る電気の群れを見ると、人間の姿こそ見えないけど、確実にたくさんの人間が活動をしているのだと思える。コンピュータに興味津津だった子供の頃、未来の匂いが立ち上る秋葉原のネオンサインを見て胸を踊らせたのだけど、その時の気分が大人になった今もどこかに残っているのかもしれない。

  大都会の夜景は未来の匂いと賑やかさのおかげで、ずっと眺めていても飽きない。

 

 「TOKYO NOBODY」は、そんな都市風景の写真集を探してる中でたまたま出会った写真集だ。タイトルの通り、「東京」で撮影した「誰もいない」風景ばかりが収められている。変わった写真集だな、と思いAmazonで注文し本を開いて開いて1ページ1ページめくって眺めた。

 

  ぞっとした。それが「TOKYO NOBODY」を最後まで見た時の感想だった。

 

  写真の多くは陽の光が柔らかく射しているから、おそらく人のいない早朝に撮影されたのだろう。しかし、こうも人がいない建造物だけの写真を見せられると、なんだか人間が死に絶えてしまった近未来を連想してしまった。早朝の写真のはずなのに、「人間がこれから活動を始める」というイメージはこの写真集からは読み取れなかった。日本橋の橋のたもと、渋谷のPARCO周辺、サロンやソープの水商売の集まる区画、銀座のホコ天の区画、お台場の無造作に並べられたコンテナ、雪の降る首都高と雪の積もった皇居周辺。

  人は一人も写っていない。みんなどこへ「消えて」しまったのだろう。

 

  この写真集は1990年から2000年に撮影された写真を集めている。INAX、富士銀行、Yamagiwa、imidas、シャンテシネ。今はもうない看板や建物、会社が写真の中に納められていることで、余計に「人類が絶滅した未来の風景」という感想が強くなっていく。これから年月を経るに連れ、もっと無くなっていく建物や看板が増えて、「人類が絶滅した未来の風景」の色はますます濃くなっていくのだろう。

 

   念のために書いておくと、「TOKYO NOBODY」を酷評する気はまったくない。むしろ人だらけの東京という街で、これだけの無人の風景を撮影したことは称賛したい。インターネットも含め電子技術も十分に発達していなかった事も考えると、撮影に10年間かかった、というのも頷ける話である。ただ、僕が(勝手に)期待していた、未来の匂いがするような人間の躍動感が感じられる写真集ではなかった、というだけのことである。

 

   「大都会の夜景は未来の匂いと賑やかさのおかげで、ずっと眺めていても飽きない」と書いた。実のところ、このことがはっきり意識できたのは「TOKYO NOBODY」のおかげである。

 

「TOKYO NOBODY」は大都会の夜景とは真逆だ。

 陽が落ちて人は寝静まっているはずなのに、電光が人の存在を表している大都会の夜景。

 陽が射して人は目覚め動き出すはずなのに、何処にも人の存在が見えない「TOKYO NOBODY」。

 子供の頃に見た電気街を連想し、未来への匂いを感じられる大都会の夜景。

 今はもうない看板から、過去で時間が止まった姿を見せられる「TOKYO NOBODY」。

 「TOKYO NOBODY」があったからこそ、なぜ自分が大都会の夜景に惹かれ心が踊るのか、なぜ自分が「TOKYO NOBODY」を見てぞっとしたのか、はっきりとわかった。未来の匂いのするところは楽しいし居たいし、時間が止まった場所は怖くて居たくない。僕の趣向には少なからず、そういった面があるのだろう。

 

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 ネオンサインのきらめく秋葉原。

 今でも、この風景を見ると未来の匂いを感じ取ることができる。夜の街の光は、不思議な力が宿っていると信じている。