作家が「缶詰」と称し、どこかのホテルや温泉宿に行き(あるいは編集者に連れて行かれ)、ひたすら原稿を書く、というのがある。そうまでしないと書けないのか、と昔は思っていたけど、今なら分かる。「日常」は細々とした「気にすべきこと・気になってしまうこと」が多過ぎるのだ。普段の場所でも原稿は書けるけど、それをずっと一日中、となると多分無理だ。食事とか各種の家事もしないといけないし、仕事に関連する本を読んで準備もしたいし、あと気になってるゲームの続きもやりたい。原稿を書いては休み、書いては休み休み休み、という感じで思ったように進められないことは容易に想像できる。
だから「合宿」という言葉が出た時、直感的に参加を決めた。会場へは自宅から電車で十分に行ける距離だったけど、宿泊施設を利用して缶詰の体験をしてみたかった。
これが、僕が9/23,24の三連休の終わり二日間に「クリエイティブ・ライティング合宿」に参加するを決めた動機である。
クリエイティブ・ライティング講座
「クリエイティブ・ライティング講座」とは、作家の小野美由紀さんが月一回に開いている文章講座で、身体的なアプローチを含めた様々なワークを行い参加者自身の文章作品を作り上げていくという講座である。
講座の詳細は以下のリンク参照。
onomiyuki.com
今回は合宿という形式のため(合宿という形式を取るのはこれが初めてらしい)、1日目がワーク中心、2日目に実際に作品を作るというプロセスで書くことになった。
身体にアクセスするワークで木になる
身体に関するワークは、もう一人の講師、青剣さんが担当。「からだ部」や「きがるね」という、身体的な活動を行うワークショップを開いているダンサーで、合宿の前半はこの身体的なワークを実施。
やったことは
- ペアで前の人は目をつぶり、後ろの人に動かしてもらう
- 一列でつながり、一番前の人が一番後ろの人と鬼ごっこ
- 適当な擬音を出しながら動作をして、相手はそれに合わせて動作する
- 全員中央に集まり互いに力を抜いて座り、一つの木になる
といったもの。
過去の活動レポートが写真付きでアップされていたけど、
きがるねレポート
だいたいこんな感じ。
子供の頃の作品を思い出すワークで童心に帰る
身体的なワークショップで体をほぐし、心なしか気分が晴れた感覚になった。続いてのワークは「子供の頃に書いたものを再現してみる」ワーク。昔書いた絵日記や読書感想文を再現して、他の人は感想を互いに付箋で書いていく。
例えば僕の場合は
- 日記で姉に対する不満を書いたけど、先生は全くそこに触れてくれずに不満を持ったこと
- 小学一年生の頃に(書いた経緯はすっかり忘れたけど)タヌキがパンを届けに行く童話
これらの作品に対しする他の参加者からの質問に答えることで、少しずつ自分が何が好きだったか、何が面白いと思っていたのか、何が嫌だと思っていたのか、感情を少しずつ思い出して行く旅に入っていった。
即興大喜利ワークをして、話をでっち上げるのは楽しいと確信を持つ
その後はいくつか文章に関するワークを行っていく。
- 3人一組になり、よくわからない絵が書かれたカードを渡され、それを元に即興で文章作品を作る。詩・エッセイ・ルポ・川柳なんでもOK*1。
- ある音楽を聴いて、思いついたことを書く。音楽に関する感想はもちろん、インスピレーションで浮かんだことなど、なんでもOK。
- 4人一組になり、単語と形容詞をリストアップし、タイトルだけ決めたら横の人に渡して、渡された人は2分間でそのタイトルの小説を書き、次の人にパスし、リレー形式で書いていく*2。
- 2人一組になり、相手が話した思い出のエピソードを元に紙粘土細工を作る。その後、別のペアの人がその紙粘土細工だけを見て、思い浮かんだ文章を書く(これも形式は問わない)
これらのワークは収穫が多かった。自分がどういう時に筆が進むのかよくわかったからだ。
- 一定の情報量を得られる時
- 客観的な事実を元にでっち上げの話を作れる時
- 一見なんにも関係の無い2つ以上の事柄がリンクできた時
僕の書いた作品は小話が多く、構成を立てて書いていって、というように考えること自体がとても楽しかった。ある一つの物語、まだはそれに付随するシーンを思い浮かべ、書いていくのが好きなんだと思った。試しにワークで書いた作品を今振り返ってみたところ、少し単語やフレーズは見直したいと思ったけど、書いたものの着眼点や構成は今でも気に入っている。
情報を繋げて話を作り構成を考えることは、とても楽しいことだと思ったし、そこから新たな着想が出てきた。僕の場合、着想は最初に出るのではなく、構成から生まれるのだろう、と感じた。
こうして1日目のワークを終えた。懇親会も兼ねた夕食は、童心を保つためにオムライス*3とノンアルコールビール*4を頼んだ。
書きたかった小説をひたすら書く
2日目は再び身体のワークを行い体をほぐし、いよいよ作品作り。もともと書いていた小説の続きを書くつもりだったので、ひたすら没頭して書いた。長編小説ということもあり章の途中までしか書けなかったけど、振り返ってみたら4700字近く書いてた。時間は確か1時間程度だったと思うので、間違いなく集中して書いてた。
感覚的にはうっすらとゴールが見えつつ、脇道の色々なイベントをこなしながら走っている感覚だった。途中、構成を入れ替えて新しいネタに気付いたり、様子を表現すべきフレーズをひねり出したり、最後の最後で敵キャラがご乱心したり、心と頭を遊ばせながら走っていった。長編なのでこの後の続きを書く必要があるけど、今回書いたシーンは、ちょっと他のシーンとの接続を考える必要はあるけど、なかなかに気に入っていて活かしていきたいと考えている。
面白いと考えていることをひたすら書く
島本和彦「吼えよペン 1巻」(2001年,小学館) P.189より。
劇中、主人公の漫画家「炎尾燃」はキャバクラで軟禁され、キャバ嬢が考えた作品を書かされるのだけど、自分を取り戻し、書かされた原稿を破り自分の作品を作りキャバ嬢をねじ伏せた。このシーンにすごいカタルシスを感じたのだけど、(趣味とはいえ)モノを書くようになって、このシーンの凄さが改めて理解できた。
自分が面白いと考えていることを徹底的に書かないと、どうしようもない。読者に受けるかどうかは様々な要素がある。絵柄・ストーリー・キャラクター・セリフやフレーズ・その時代の流行、などなど。しかし、それらを予測したところで、自分自身がそれを全て網羅して合わせることはほぼ不可能だ(そもそも予測できること自体が不可能に近い)。だとしたら自分自身のスイートスポットを見つけ、そこで勝負を仕掛ける方が精神的にも余程良い*5。
面白いと考えていることはきっとこれからも見つかるだろうし、そういうことをどんどん書きたいと感じている。
ただ、帰宅した自分を待ち構えていたのは、宅配便の不在票と取り込まれていない洗濯物と仕事の準備だった。しばらくは日常に戻り諸々の片付けをしてから、童心に帰るための準備をする必要があるらしい。