今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

いつかは人生の最善手を

「お前は研究者向きだな」

  高校生の頃、先生や親からよくそう言われた。人と話すのが苦手で、本を読んだりするのが好きだった。もっとも今にして思えば、「あまりにコミュニケーション能力が低いから、会社勤めは無理なんじゃないか」と思われていて、それをオブラートに包んで言われていただけかもしれない。ただ、実際に僕自身もそう思っていたし、「研究者に向いている」ことに納得していたし、それ以外に自分の生きる道はないと思っていた。
  そして僕は受験戦争を突破して晴れて大学に入った。大学でたくさんのことをやろうと思った。哲学や心理学の研究もやりたかったし、高校時代全く作れなかった友達も作りたかったし、楽器を学んでT-SQUAREを演奏したかったし、彼女も作りたかった。

 

  そして4年間が経った。
  授業では、同級生の圧倒的な語学力、哲学の知見に打ちのめされ、唯一のよりどころである「研究者」という道すら崩れようとしていた。大学院に進学できるかどうかも危うい上に、進学した後の展望すら見えなかった。
  一方で、システムエンジニアという仕事があることを知った。人よりコンピュータの方が会話はしやすそうだ。ただしデスマーチというものがあり、残業徹夜を頑張るしかないらしい。それでも、どう考えても無理な営業よりは務まるかもしれない。

 

  大学院を諦めて会社員になるか。務まるかどうかわからない会社員生活を避けてもう一度研究者への道をチャレンジするか。

  僕は前者を選んだ。

 

  こうして僕は、彼女はおろか友達も作れず、ギターも弾けないまま研究者の道を諦め、入学時に思い描いていた目標を何一つ達成できずに大学を卒業した。

 

 

  しばらく前から、バックギャモンにハマッている。

  バックギャモンとは、「西洋双六」とも呼ばれている歴史のあるゲームで、その名の通り「双六ゲーム」である。対戦する二人がサイコロを交互に振り、出た目の数だけ自分のコマを進め、先に自陣営のコマ15枚をゴールまで運んだ方の勝ち。

画像1

(上図では、白と赤がそれぞれ矢印の向きに駒を進め、白は右下、赤は右上のゴールを互いに目指す)

目的は非常にシンプルだが、
・駒を進めるにあたって、駒の移動先に相手の駒が1個だけあれば、「ヒット」して相手の駒をバー(振り出し)まで戻せる
・駒の移動先に相手の駒が2個以上有ると、その駒は進むことができない
・「ダブル」という、自分がサイコロを振る前に、相手に「点数を2倍にしようぜ」と持ちかけられるシステム(相手は申し出を受けてゲームを続ける(テイク)か、降りてこのゲームを負けにする(パス)かを選択する)
  などのルールがあり、駒の進め方やダブルをする・しないによって展開が変わるため、戦略的な要素の大きいゲームになっている。サイコロの出目、つまり運次第では素人が世界チャンピオンに勝てる可能性はあるものの、11点先取ルールなど、試合回数が必要なルールになると素人はプロには勝てない。このあたりは麻雀と似ていて、まぐれで勝つことができても、回数を重ねても安定して勝つには、きちんと強くなければといけない。

 

  さて、バックギャモンには「その局面での最善手を解析できる」ソフトがある。(僕も含めて)バックギャモンの上達を目指すプレイヤーは大体ソフトを持っていて、対局終了後に棋譜を入力し振り返りを行っている。

画像2

  上図の右下には、「サイコロの5と6が出た場合、この局面ではどう動かすのが良いか」という解析結果が表示されている。上図の場合、矢印で示している「24番の駒を13番まで動かす」が最善手であること、それ以外の手はどれくらいのエラー値かを教えてくれる。(エラー値についての詳細な解説は省略するが、エラーの値が大きいほど悪手で、勝率が低くなると理解しておけばOK) 。

 

 

「あなたのこれまでの人生で一番の”失敗”もしくは”成功”ってなんですか?」
  バックギャモンを知る前にこう聞かれたら、一番上手くいったことや思いっきり失敗ったことを思い出して話していたと思う。しかし、今は違う。その成功・失敗を「果たしてあれは最善手でうまくいったのか、たまたまのラッキーパンチだったのか?」ということを考えてしまう。もっと言えば、成功か失敗かわからない決断が、最善手だったのだろうかということに想いを馳せてしまうこともある。

  バックギャモンは、自分の指した手が最善手かどうかはソフトで解析すればわかる。しかし、運が勝負に絡むため、最善手を指したからといって勝てるとは限らないし、最善手を指さなかったからこそ結果的に勝つ場合すら有る。サイコロを2つ振るので、出目は全部で36通り。もし23 通りで勝てる指し手と21通りで勝てる指し手があった場合、最善手は十中八九、前者である。しかし、場合によっては後者を指した結果、後者にしか該当しない出目が出て勝つケースも少なくない。そんな時、指した手が正しかったのだと思いながら意気揚々と解析をしたら高いエラーが出て驚き、実は最善手を見落としていた、あるいは最善手を最善手と認識していなかったことに気付く。
  自分が正しいと思って指した手がエラーだったけど、結果的に勝ちに結びつく。何回もバックギャモンをプレイすれば、それはただのラッキーパンチで、大体の場合、ひどい手を指したらひどい結果が返ってくることがわかる。しかしそれは、バックギャモンという同じ盤面上で繰り返しできるゲームだからわかることだ。

 

  一度しか経験できず後戻りもできない、同じ条件が他に無い「自分の人生」となると、あの局面のあの選択は、本当に最善手だったのだろうか?

 

 

  バックギャモンの目的は「このマッチに勝つこと」。だから最善手は、このマッチに勝つことを前提に導き出されている。だとしたら、人生の最善手を自信を持って指せるのは、自分の人生の目的を見据えられた人物だけなのだろうか。

  「自分の人生の目的」ってなんだろう。あの日の選択は自分の人生の目的に適っているのだろうか。未だにわからないまま、今日もバックギャモンに興じて、仕事をして、文章を書いている。昔に比べれば、したいことはできているが、人生の目的は、それ自体ではなく「その先にある何か」だと感じている。それが何かはわからないけど、それを探るために、必死で活動しているのだと思う。

  いつかは人生の目的を見据えて、最善手を打てる日が来るのだろうか。

 

画像3

  バックギャモンでわからないポジションを解析した。最善手のダブル/テイクとノーダブル/テイクの差は6点。「ボーダーライン」で、ほぼ誤差に近いレベル、どちらを選んでも大差ないのでお好みでどうぞ、ということらしい。

  少なくともそういう時は、ビシッと好みを表明し、自信を持って手を指せるような人生を歩みたい。

 

データの溢れる世界に残された人間の意志の力

本記事は「データ活用 Advent Calendar2018」の12月21日分の記事です。

 

  第四次産業革命が起こっています。 

monoist.atmarkit.co.jp

  「ハードウェアの時代」「ソフトウェアの時代」を経て、今は「データの時代」だとも言われています。

  正直なところ、「データの時代」が蒸気機関・電気・コンピューティングに並ぶ産業革命にまで匹敵するレベルの話なのかどうかは、あまり良くわかりません。ただ、データやAIを活用することに起因する話は、「人間とは何か」を改めて考えるきっかけになると考えています。

 

データが増えるほど現実世界に近くなるデジタル世界

  コンピュータの世界は、0と1の2進数の世界です。コンピュータができたばかりの時代は、扱えるデータの容量も少なかったため、制約を乗り越えながら業務は表現をこなしてきました。ファミコンなどのレトロゲームのキャラクターは、人間だとわかるものの、「今、現実世界で我々が普段見ている人間と全く同一である」とは思わないでしょう。しかし、ハードウェアが発達するに伴い、コンピューターが扱えるデータ量が増えてきました。扱えるデータが増えると言う事は、よりきめ細やかな表現・描写ができることを意味します。写真の画素数が大きくなればなるほど、現実世界がよりきめ細かく表現できるように、データレコード数やログレコードが多ければ多いほど、より細かい時間単位での経緯や状態が表現できるように。

  こうしてコンピュータの世界が発達していき、次第にコンピュータの世界、デジタルの世界で表現される世界が現実の世界に近くなっていきました。フライトシミュレーターなど、様々なシミュレータは大量のデータと計算により、現実世界を模倣できるようになりました。現在のゲームの世界は、大量のデータと大量の計算により、キムタクが本当に暴れているように見えるくらいには現実世界を描写しています。

 

  このようにコンピュータが扱えるデータ量が増える一方で、コンピュータは別方向への発展をします。モバイル端末です。

「モノ」が情報を発信するInternet Of Things

  モバイル端末の発達により、コンピューターは今までの端末以外から情報取得することができるようになりました。位置情報センサー、携帯電話・バイタルセンサー、などなど。これまで取得が容易ではなかったデータが取れるようになりました。

  PCなどの端末以外からも簡単にデータが取れるようになりました。「データを取得できる場所が広がる」ことがIoTの本質であると僕は考えています。「データを取得できる場所が広がる」ことが意味することはなにか。タイムラグが無くなること、データ量が爆発的に広がることです。

  これは、Twitterが広まったことを思い返してもらえればわかりやすいと思います。Twitter以前は、特定の報道機関だけが写真付きで記事を広められました。そしてリアルタイムではなく、特定の決まった時間のみという制約がありました。しかし、Twitterとスマートフォンにより、多くの人が参加し、ほとんどリアルタイムに近い形で様々な場所から記事を広められるようになりました。

 IoTはInternet of Things の略ですが、「モノのインターネット」とは、「モノ」が情報を発信することを意味しています。それは「データ量が爆発的に増えること」  「情報がリアルタイム性を帯びること」に他なりません。

   そしてこれらの爆発的に増えたデータと相性が良い存在があります。AIのディープラーニングです。

 

大量の学習を行い進化するAI

ディープラーニングについては、こちらの記事がわかりやすいです。

www.itmedia.co.jp

  以下引用です。

  ここ最近になって、人間の脳の働きついての研究が進み、その成果を応用した機械学習の一手法である「ディープラーニング(深層学習)」が登場します。この手法は、特徴量の選定や組み合せを、データを解析することで自ら作り出すことができます。そのため、人間に依存せず、データ量を増やすほどに、規則性や関係性を見つけ出す精度を向上させることができます。

 (太字は引用者によるもの)

  ディープラーニングは人工知能自身が学習を行い精度を向上させますが、それには学習の元となる「大量のデータ」が必要になります。理論的には1950年代から存在しましたが、近年脚光を浴びるようになったのは、実際に世界がデータで溢れるようになったからでしょう。いわば「時代が追いついてきた」状態です。Googleが作ったAlphaGoが囲碁の名人イ・セドル氏を倒したのは記憶に新しいですが、これらディープラーニングによる成果は、今後も増えていくでしょう。

 

人間が理解できない正解を提示するコンピュータ

  Alphagoは人間が理解できない手を指して名人を打ち負かしましたが、ディープラーニングの成果は人間が理解できるとは限りません。AlphaGoの手は、最初解説者がきちんと説明できませんでした。

www.nikkei.com

  上記記事では、人間が理解できないことを「人工知能の弱み」と書いていますが、僕はそうは思いません。人間が理解できなくても、結果としてAlphaGoが勝ち、結果を出しました。これは、人工知能の弱みではなく、理解できないことを実行できない「人間の弱み」です。

  では、コンピュータが正しい答えを出し続ける結果、人間はどのように振る舞うべきか。例えばディストピアを描いたSFでは、

  「コンピュータがすべて考える、人間は考えずにただコンピュータの言うとおりに振る舞えば良い」として、考えない人間を描写しています。ただ、その場合でも人間には仕事が残ります。

  「結論を実行すること」です。

  

ラスト1マイルの「決断し実行する」という人間らしい行為

  コンピュータがいくら最善手を出しても、なにか自動化されていない作業があったら、それは人間が実行しないと動きません。核ミサイルを打つべきだと結論をコンピュータが出し、確実に敵地に核ミサイルを打ち込む計算をコンピュータが出したとしても、核ミサイル押すという行為がコンピュータに出来ないのであれば、コンピュータは何も出来ません。核ミサイルを押すと「決断」し、「実行」するのは、人間です。

 人間が何かを実行するには、経過や理由が必要です。それはコンピュータが直接提示してくれるとは限りません。ある意味、人間にはストーリーが必要です。*1

  ストーリーを理解し、最後の決断、実行をすること。それが人間に残された最後の砦なのかもしれないな、と思います。

 

  生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答えは、いつかコンピュータによって明らかになる日が来るかもしれません。 

生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え - Google 検索

  しかし、答えの「42」がどういうことなのかを人間が理解するためには、そしてそれが意味することを踏まえてどう生きるべきなのかは、人間自身が考え、行動しなければならないのです。

 

 

  コンピュータや機械、人間を巡るトピックはたくさんこれからも出てくると思いますが、その都度「人間とはなにか、どうあるべきか」という課題は必ずついて回ります。せっかく大学で哲学科に入っていたのだから、もう少しちゃんと哲学を学んでおけばと思わなくもありませんが*2、図らずしも「人間とはなにか」を考えられる分野の近くにいるので、引き続きこの辺の話題はウォッチしていきます。

 

  最近はそんなことを考えています。

*1:ただ、一部の研究では、小説も人工知能が書けるという話があります。

*2:本当は、だいぶ後悔しています。もっとやれたはずだったのに。

悪という悲しみを一身に背負ったアイン・ジードという将軍

※この記事は「幻想水滸伝 Advent Calendar 2018」の12/20 分の記事です。

 

  幻想水滸伝シリーズで一番好きなキャラクターがいます。アイン・ジードです。

ja.suikoden.wikia.com

 

  幻想水滸伝1に登場するキャラクターですが、108星ではありません。敵役です。なぜ好きなのか。彼が悪役であることを自覚し、それを受けれて戦い死ぬ様が涙無しには見られないからです。

 

富樫左衛門として立ちはだかるアイン・ジード

  主人公たちがアイン・ジードと最初に出会うのは、逃亡中に通過しようとした「クワバの要塞」です。「シュトルテハイム・ラインバッハ3世」などの偽名で逃れようとするも、帝国には主人公の人相書きが「お尋ね者」として出回っており、主人公は疑いをかけられてしまいます。疑ったアイン・ジードが主人公の顔を見ようとした時、

 

「もうおれはガマンできん。お前はいつも足を引っ張りやがって!!!」

  主人公の付き人グレミオが、突然主人公に殴りかかります。

「お役人さん、疑うんだったらこいつの首をこの場で落としますよ!!」

  役人に向かって、グレミオがタンカを切りました。勧進帳です。

  それを見たアイン・ジードはこう言います。

「そもそもマクドール家の息子がこんなみすぼらしい恰好なわけが無い。通せ」

  こうして主人公たちは無事に通過できたのですが、去り際にアイン・ジードは主人公に声をかけます。

「おい、少年。父親を大事にしろよ」

  主人公の父親は、帝国軍の将軍テオ・マクドール。ここでわざわざ父親の話を出す理由は、主人公が何者なのか気付いていたからに他なりません。

  かくして主人公たちはアイン・ジードが見逃してくれたおかげで、無事に難を逃れます。そして主人公たちは幾度の戦いを経て、再びアイン・ジードと出会います。最終戦、ラスボスのバルバロッサ皇帝と戦うために訪れた帝都、グレッグミンスターで。

 

「間違っていること」を一人で背負うアイン・ジード

「久しぶりです、主人公様」

城門前でアイン・ジードが待ち構えていました。

「お前は・・・そうか、思いだしたぞ。クワバの城塞で俺達の猿芝居を見逃してくれた・・・」

「ああ、君は確かシュトルテハイム・ラインバッハ3世くんでしたね」

驚くビクトールに対して、事も無げにさらっと当時の偽名で呼びかけるアイン・ジード。

  

「そこをどいてくれ」
「私は帝国の将軍ですから、できません」
「もう帝国軍に勝ち目は無い!恩のある相手を斬りたくは無い!」
「私まで裏切ってはバルバロッサ様がおかわいそうだ。ここを通りたければ、このアインジードを!倒してください!」

   ビクトールの説得も失敗に終わり、主人公たちはアイン・ジードと戦うことになります。

 

  帝国に反旗を翻した主人公に集う仲間は107人。その中には圧政に苦しめられた者、そして帝国五将軍として帝国に共に仕えていた、かつての仲間たちもいます。五将軍のうち四人は反旗を翻して解放軍に着き、唯一加わらなかった主人公の父親「テオ・マクドール」は、主人公の手によって倒され、その部下のアレンとグレンシールは、やはり解放軍に着いています。

  バルバロッサ皇帝のそばにいるのは、宮廷魔術師のウィンディと自分だけ。

 

  ここからは想像です。

  アイン・ジードは、五将軍やバルバロッサがウィンディに操られていたこと、ウィンディが黒幕であったことに薄々気付いていたんじゃないかと思っています。そもそも将軍にまで上り詰めて、一度だけ聞いた「シュトルテハイム・ラインバッハ3世」という偽名を諳んじて覚えているようなアイン・ジードほどの人間が、五将軍も含めた帝国の重鎮が、解放軍について帝国に敵対することの意味を理解していないとは思えないのです。

  しかし、アイン・ジードは最後まで解放軍には加わりませんでした。アイン・ジードまで反旗を翻してしまったら、帝国に唯一残ったウィンディにいよいよ好き勝手やられてしまいます。そうなった場合、全ての責任を取るのは、ウィンディではなく、ただ操られていたバルバロッサ皇帝ただ一人です。

 

  それは、あまりにおかわいそうだ。

 

  アイン・ジードがやったことは、解放軍に加わらずに最後まで抵抗したことではありません。皇帝バルバロッサのそばにいて、ほんの少しだけ負担を和らげたことです。

  誰も、悪役にはなりたくありません。自分自身を「悪役」として糾弾されるのは良い気持ちにはならないし、人によっては耐え難い屈辱でもあるでしょう。立場が上の人間ならば、なおさらです。

  しかし、アイン・ジードは「悪役」となることを受け入れます。アイン・ジードにとっては、バルバロッサ皇帝を見放すことこそ悪でした。皇帝のそばに居ながらここまでの事態を止められなかった将軍としての責任を放棄するわけにはいかなかった。だからこそ、アイン・ジードは呼びかけたのです。

 

「ああ、君は確かシュトルテハイム・ラインバッハ3世くんでしたね」

 

 アイン・ジードはあの日、クワバの要塞で主人公を捕らえることができました。しかし、結局見逃しました。これは主人公たちにとっては良かったことですし、帝国を討つためであれば「良いこと」でしょう。しかし、バルバロッサ皇帝に使える将軍のやったこととしては「主人公だと知ってて見逃した」行為であり、悪いことです。

  アイン・ジードは眼の前の大男を「シュトルテハイム・ラインバッハ3世」と呼びました。これは、あの日クワバの要塞で見逃した一味だと認める行為です。アイン・ジードでは、自らの行為が引き起こした事態と改めて向き合ったのです。

 

 

自分たちが正しくないことを受け入れるアイン・ジード

  主人公たちは激闘の末、アイン・ジードを倒します。

「バルバロッサ様・・・先に行きますぞ・・・」

  こうつぶやいてアイン・ジードは絶命します。「先に行く」という言葉に全てが詰まっています。バルバロッサ皇帝が、自分の後に来ること、つまりはバルバロッサ皇帝が倒されてしまうことを予期したセリフです。


「こんなことは間違っている・・・」
「ああ、やつは間違っていた。だが正しくたって価値の無いものがあるように、間違っていても価値あるものは・・・あるんじゃないか?」

 

  死に様を見たフリックとビクトールの会話です。アイン・ジードは「間違って」いました。しかし、だからこそアイン・ジードは「価値のある行為」をしていたのです。

 

  きっと、自分の周りには少なからず「正しくないこと」もあるのでしょう。しかし正しくないことがあったとして、果たして自分は、その「正しくないこと」を、何の条件もなく糾弾できる立場にあるのだろうか。もしかしたら、自分の責任は少なからずあって、自分が「正しくないこと」を見つめ直さないといけないのではないか。そんなことを思うことがあります。

  アイン・ジードは、バルバロッサ皇帝の「正しくないこと」に寄り添った優しい人物だったのだと思います。

 

幻想水滸伝I&II - PSP

幻想水滸伝I&II - PSP

 

   幻想水滸伝はプレイステーションポータブルでプレイできますし、ダウンロード販売もあります。ぜひやってみてください。RPGとしてもよくできていますし、108人集めるのは楽しいですよ。

 

今日考えているのはそんなところです。

軽くカフェオレの話

※この記事は 「Coffee Advent Calendar 2018」12月16日分の記事です。

 

  コーヒーに牛乳を入れて飲もうとした人に金一封をあげたい。僕はそう思いながらいつもカフェオレを飲んでいます。もちろんこれは嘘ですが、それくらいの嘘をつかせるくらいには、カフェオレを考案した人には感謝しています。

 

  (ここでは、コーヒーと牛乳を混ぜた飲み物は一律「カフェオレ」として話を進めます。)

 

  もともとはグリコのカフェオーレでカフェオレを知ったのが最初です。

グリコ カフェオーレ180ml 20本

グリコ カフェオーレ180ml 20本

 

 

 子供の僕にとって、カフェオーレは大人の飲み物に手を届かせてくれる飲み物でした。コーヒーは苦いけどカッコいい飲み物で、それが飲める大人を羨ましく思っていました。そのコーヒーが、自分の手の届くところに来たときの喜びと言ったら。甘さが強い中にも、コーヒーの苦さと風味がしっかりとあるカフェオーレに僕は夢中になりました。

  以来、コーヒーは牛乳を入れて飲めば良いのだと思うようになりました。牛乳が嫌いだったので、成長期の中高時代は、牛乳を飲むためにコーヒーと牛乳を一緒に混ぜて飲むことが習慣になっていました。*1

 

  自宅でカフェオレを入れるときは、豆を挽いて作ります。豆はイタリアローストが1番です。なるべく深入りで酸味が少ないものが。カフェオレを作るときに相性が良いです。コーヒーの苦味をしっかりと押し出した上で、牛乳でマイルドにする。なんだかマッチポンプと思えなくもないですが、カフェオレとしてはこれがベストです。

 

  ちなみに、コーヒー豆はここでよく買っています。 

ameblo.jp

   豆の種類が豊富で、金額も手頃。フレンチロースト・イタリアンローストなどカフェオレ向けの深煎り豆が多いのも嬉しいです。カフェオレ以外のコーヒーも美味しいし、器具も豊富ですので、コーヒー好きの方は一度足を運んで見ることを勧めます。

 

  ところで今回Coffee Advent Calendar に参加してみたんですが、他の方々の記事を読むとかなり勉強になりました。

adventar.org

  コーヒーに関する知見が広がりますね。来年はこれらを参考にカフェオレを楽しみます。カフェオレに関する記事はあまりなさそうなので、カフェオレの知見を少しでも広められると良いのですが。

*1:余談ですが、お通じが良くなかったので、その意味でも効果がありました。

好きな食べ物第3位の水餃子について語る

※この記事は 「餃子 Advent Calendar 2018」の記事です。 

 

  好きな食べ物第3位*1の水餃子について語ります。

 

  僕が好きな水餃子は、自宅で食べる水餃子です。以下、自宅で食べる水餃子について書きます。

 

  まず、以下のものを用意します。

  • 冷凍餃子
  • ポン酢
  • ごま油

   鍋に水を入れて火をかけます。沸騰したら鍋の中に冷凍餃子を入れます。 4・5分程度経つと、皮が透けて浮かび上がってきます(この時餃子を放置していると、鍋の底に冷凍餃子が張り付いてしまうことがありますので注意してください。時々お玉でかき回してやると良いでしょう。)それから1分程度更に茹でればできあがり。*2

 

  次に「水餃子のタレ」の準備です。少し深めのお皿に、ポン酢とごま油を入れます。ポン酢を入れたら、ごま油は少し軽めに垂らす程度で充分です。

f:id:TownBeginner:20181205210504p:plain

こんな感じです。

茹で上がった餃子は、穴あきのおたまで水気を切って皿によそいます。

f:id:TownBeginner:20181205210457p:plain

できあがり。あとはタレに付けて食べるだけ。

 

  この食べ方は、もう20年以上前に両親が自宅で作ってくれたやり方です。その美味しさに病みつきになり、餃子ランキング1位をこの水餃子が獲得し、以来20年以上地位を明け渡していません。

  冷凍餃子は、水餃子用でなくても構いません。焼き餃子用でも充分美味しく食べられます。オススメはいくつかあります。以下、紹介。

 

餃子の王国

 

普通に焼餃子としても美味しいし、水餃子にしても美味しい万能型です。特に肉が好き。

 

○老李

老李 『台湾料理専門店 長崎』 Lao Lee Group

こちらは冷凍の水餃子。もちもちした食感が水餃子としての旨さを増しています。

 

  水餃子は油も使わないのでダイエット食としてもいい線いってるんんじゃないかと僕は思っています。水餃子にポン酢とごま油という食べ方がどれだけ広まっているかわからないのですが、少しでも世に広まってくれるようにと願って、このエントリを書きました。

 

  冬は鍋の季節です。僕の中では水餃子も鍋料理の一つです。

  そろそろ冷凍餃子が尽きそうなので、また追加注文しようかな。

*1:1位と2位については、どこかで機会があったら書きます。

*2:皮が透けて浮かび上がった段階だと、まだ中の肉が凍っていることがありますので注意してください。

文章と向き合い直すためのクリエイティブ・ライディング講座 -今年やってよかったこと-

※本記事は「今年やって良かった事2018 Advent Calendar」の12/11 分の記事です。

 

  今年は、文章と向き合い直した年でした。向き合い直して本当に良かったです。 

 

  もともと僕は文章を書くことが好きでした。どちらかと言えば「文章書くことが好き」というよりは、「人と話すのが苦手」と言ったほうが正確かもしれません。文章であれば、

  • 自分の思考を考えてから正確に言葉に書き表せる*1
  • 相手の言葉を持って適切な返事を返すことができる


  といった利点があります。だから僕は、話すことベースの電話が嫌いだったし、書くことベースのパソコン・ワープロが大好きでした。加えて、自分の字が汚いと言うのも、僕がパソコン・ワープロが大好きな理由です。

 

  ただ、「文章が面白い」と褒められる事はありましたが、自分自身、なにかを身に着ていったとか学んでいったとか、書くためのスキルが向上しているのかは、あまり手応えが感じられませんでした。本当に自分の書いた文章は面白いのか、もっと良い文章が書けるのではないか。

  一度、きちんと文章を書くことに向き合おう。そう考えて参加したのが、作家の小野美由紀さんが主催する「クリエイティブ・ライティングスクール」です。

camp-fire.jp

 

  クリエイティブ・ライティングスクールでは、1ヵ月に1度課題が出されます。その課題に沿って参加者はそれぞれ文章を書く、というものです。参加して良かったといくつかあるのですが、特に良いと感じたこと2つあります。

  1. 参加者同士でフィードバックし合うことで、感想を言語化する思考を養える
  2. 「書き直し」という概念を知ること

  ある1つの課題に対して投稿した作品は、他の参加者全員に共有されます。それらの作品を見て、(批判はせずに)どのように感じたのか、他の参加者はフィードバックをします*2。同じテーマでも、エッセイだったり小説だったり表現形態は様々ですし、例えば「会話をさせてください」という広いテーマであれば、内容はほぼフリーなので、参加者自身のテーマが浮き彫りになります。他の人の作品を読むのはとてもおもしろく、またフィードバックを行うにあたって「この文章のどこが、どういったところが自分の琴線に触れたのか」を見極める作業は、文章を書く上でのヒントになりました。

 

  課題で書いた作品については、フィードバックと講師の小野美由紀さんのコメントを受けて、「書き直し」を行います。ブログの文章を書く時、どのように直せば良いのかというところがあまりよく分かっていなかったので、この作業はとても新鮮で有意義でした。書き直しをした結果、構成が違ってくるものもあれば、そもそも最初に書いたものとは全然違う内容になったことも驚きました。いくつかは、書き直してノートやブログにもあげました。以下が投稿をして書き直しをした作品です。

note.mu

 

note.mu

 

  ずっとT-SQUAREが好きだったのですが、これまでT-SQUAREに関する感情を文章化した事は1度もありませんでした。インストゥルメンタルとううボーカルが無い曲で、どのように良さを説明すれば良いのかわからなかったからです。僕には音楽の知識が無いため、技術的な話は書けません。

  ではどうやって伝えたらいいか。考えるべきは「自分がどれだけ感動しているか」ということをどうやって書くか、ということだけでした。結果として(どこまで伝わっているかわかりませんが)自分がT-SQUAREが好きだと言う事はしっかり書くことができたという手応えがあり、満足度は高かったです。また、試しに書いてみた小説が思いの外好評で、筆が乗ったのも意外でした。人狼TLPTでファンアートの一つとして小説を書いた事はありましたが、オリジナルの小説を書くのはこれが初めてでした。まだ完成させる自信がないので、「なろう」に投稿するのはまだ先になりそうですが、これだけ書いたのだから、一度は完成させて投稿したいと考えています。たとえ客観的にはうまくできていなくても、「小説を書く」と言う事は、子供の頃から自分がやりたかったことに他ならないということに気づいたからです。

 

 

  文章書く事は自分と世界と向き合うことだと僕は考えています。どのように向かい合うべきか。それを改めて考えさせてくれたのは、クリエイティブライティング講座だと思っています。来年以降も、どうやって自分の文章と向き合うかということを引き続き考えていくつもりです。

  

今日書きたいのは、こんなところです。

*1:もちろん全て正確に、ということはありませんが、少なくとも話すよりはずっと正確に表せると感じていました。

*2:ちなみにこれらの作業は、Google docs上で行われます。現代ならではだなあと感じます。便利。

ひ弱なぼっちが自己回復を行う儀式としての筋トレを続ける方法

※この記事は 筋肉 Advent Calendar 2018 12/8 分の記事です。

 

  もしこの記事を読んでいるあなたが、学生時代に体育の授業が大嫌いでスポーツをやるのも嫌だ、と思っているのであれば、伝えたいことがあります。

騙されたと思って筋トレしろ」です。

 

  運動が苦手で大嫌いな僕は、スポーツうまくできず、当然体育の授業も大嫌いでした。個人種目ならまだしも、バレーボールなどの団体競技となると、足を引っ張りクラスメートに煙たがられてしまい、毎時間、針のむしろに座らされている気分でした。

  20代の頃、「体力をつけよう」とジムに通ったことがあるのですが、時間の確保もうまくいかず、身体的にも全然変化が感じられなず退会し、お金を捨てるような結果になってしまいました。今思えば、ジムに入会しただけで、筋トレをするための正しい情報も筋トレを続けるための環境もきちんと整備できていなかったから、こういう結果になってしまったのだと思います。

  そこで今回は、どうすれば筋トレを続けられるのかといったことを、自分なりに書いてみます。

 

 1:徹底的にフォームを教えてもらう

 まず、有識者に教えを乞いましょう。有料だったとしても、最初は必ずちゃんとトレーナーにやり方を確認してください。YouTubeなどで動画は上がっていますが、自分がちゃんとフォーム通りにできているかどうかは、自分ではわかりません(自分が運動が苦手で、身体をうまく使えないのであれば、なおさらです)。自分のフォームのチェックは想像以上に難しいので、きちんとトレーナーに見てもらい正しいフォームの感覚を掴みましょう。

  また、(特にこれは運動ができない人に特有の話だと思うのですが)、運動が得意な人に対する苦手・恐怖意識がある人は少なくないと思っています。だからこそ運動が得意な人に教えを請うことで、運動が得意な人に対する苦手意識を払拭するという狙いもあります。少なくとも、ジムのトレーナーにとってあなたはお客様です。正直に運動が苦手であることを伝えれば、きちんと優しく教えてくれるはずです。

 

2:好きな種目を見つける

  ベンチプレス・スクワット・デッドリフトといったコンパウンド種目、あるいはアームカール・レッグカール・ラットプルダウンといったマシンを使う種目でも、何でも良いのですが、とにかくいろいろ試してみてください。その中で、「自分がすごく大変だけどやりきれる種目」「全然できなくてすぐにへばってしまう種目」のどちらかがあったら、それらを集中的にやりましょう。前者は「これなら自分でもできる」という達成感に繋がりますし、全然できない種目は、筋トレの効果が出てくるのが相対的に早いからです。

  僕の場合、脚の種目が得意で腕の種目は苦手でした。スクワットやレッグカールはそれほど続けるのが苦痛ではないため、実行するための気力が比較的少なく、続ける助けになりました。一方、アームカールやフレンチプレスが全然上がらず苦手だったのですが、特にフレンチプレスは、腕が太くなる・重量が上げられるペースが上がるなど、効果が出やすかったです。こういった変化を感じられる種目を見つけることは、筋トレを続けるモチベーションになりえます。

 

 3.記録・習慣化のアプリを使う

  アプリは何でも良いのですが、とにかく筋トレをしたら記録をしてください。そうすることで自分がどれだけできたのかを可視化し、振り返りができやすくなります。

  僕が使っているのは「Library」という筋トレ用のSNSです。

library.fit

  筋トレの種目を入力して投稿ができるアプリです。このアプリの良いところは、結構な確率で「いいね」がもらえることです。この効果は想像以上に良くて、励まされている気分になります。僕もタイムラインで筋トレの記録が流れてきたら「いいね」を押しています。「お互いよくやったな」と思えるので、ぜひ筋トレを始めたらやってみてください。

 

自己回復としての筋トレ

  明確な成果が出ること、今までの自分の考えが間違っていたことがわかること。それが僕が筋トレが好きな理由です。かつての自分は「一生運動はできないもの、自分には縁がない者」という考えに凝り固まっていました。それを変えてくれたのが筋トレです。筋トレをすることで、僕の体は少しずつ腕に張りが出てきて足に筋肉がついてきました。人から見れば僅かかもしれませんし、実際に日本人の平均男性の中では、まだ筋力も体力も低い方でしょう。それでも、自分にとっては、昔の自分よりも明らかに筋肉が付いて贅肉が減っていることが確認できて、今まで自分が見ていた世界が違うもの見えてきたのです。

 

  もしあなたが「運動が大嫌い」というのであれば、一度筋トレを1ヶ月間試しにやってみてください。当たり前ですが最初からうまくはできないでしょう。ですが、それでも少しずつ続けていくにつれて、体が変わっていきます。これは本当に面白い体験です。  そして体つきが変わる事は、自分の経験が、自分の思考が少しずつ変わっていくことに他ならないと確信しています。

 

ウイダー マッスルフィット プロテイン ココア味 (900g) 特許成分 EMR配合

ウイダー マッスルフィット プロテイン ココア味 (900g) 特許成分 EMR配合

 

  僕は好きなプロテイン。これが一番溶けやすくて美味しいと感じました。 

 

ザバスプロテインシェーカー (500ml)

ザバスプロテインシェーカー (500ml)

 

シェイカーはこれ使ってるんですが、違いとかあるのなら知りたいです。

 

 

モビバン(mobiban) モビバンEXブルー(一般向け) MV008 BL

モビバン(mobiban) モビバンEXブルー(一般向け) MV008 BL

 

 基本的にはジムでトレーニングしているんですが、出張などでトレーニングができないときはこれを持っていって背筋や腕のトレーニングをしています。自重トレーニングはまだわからないことが多いので、今後はこの辺も学んでいきたいです。

 

 

  今日考えているのは、そんなところです。