今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

きっかけバスの話

 きっかけバスの話をしますね。


 きっかけバスの公式HPはこちら。
http://kikkakebus.tasukeaijapan.jp/

 ざっくり言うと「47都道府県からそれぞれバスを出して東北に学生を連れて行こう!」というプロジェクトです。
以下公式トップページから引用。

『きっかけバス47』は47都道府県の学生たちが
東北三県にバスで行くプロジェクトです。
東日本大震災から丸3年が経とうとする今、
東北の人たちは「風化」と「風評」に苦しんでいます。
その流れをなんとか止めたい。
もう一度、日本中に復興の「旋風」を巻き起こしたい。
そう考えた学生たちが中心に動いています。
わたしたち学生は、東北での実体験を通して東北の今を感じ、
震災の教訓を学び、自分のコトバで家族や友人、大切な人、
それぞれの故郷・地域の人たちに伝え続けてゆくつもりです。
そして、日本中が助けあって東北の復興に関わり、
311の教訓を地域の防災に活かす“きっかけ”をつくります。
ただ、学生には資金力がありません。
同郷の先輩の方々、どうぞお力をお貸しください。
寄付及びご支援のほどよろしくお願い申し上げます。

 このプロジェクト、最初はたった二人の学生で始まったんですが、この二人がREADYFOR?で資金を募ったり
賛同してくれる学生や社会人・企業・団体を探したりひたすら動き回りました。そしたら資金は400万円集まって、
47都道府県から、バスを出したいという学生リーダーも徐々に立ち上がって来ていて、これからまさに
都道府県から東北3県に向かってバスが出発しようとしてます。

「今、東北に行くこと」の意味

 以前のブログ記事で「クリエイティブの可能性」という合宿に行ったという記事を書いたんですが、
見返したら、10記事*1も書いてますね。改めて見たらずいぶんたくさん書いたなーと思うけど、それでも
当時の僕はあの記事を書かずにはいられなかったんです。感じることが多くて。それは東北の荒れ果てた
風景であったり、そこで笑いながら商売しているおばちゃんだったり、一緒にボランティアに行って
震災の風景を見て涙ぐんでる女の子だったり、そういうことを整理しきれないで何がなんだか解んなく
なってる自分自身だったり。
 船や列車・自動車がそこら辺に転がっていたりする廃墟みたいな場所と、そこで生活している
人々に出会うことで自分と他人を知ること。震災が起こった後の東北に行くとは、そういうこと
なんじゃないかな、と僕は思います。

石巻の思い出

 東日本大震災からもうすぐ3年。テレビやネットで荒れ果てた景色はさんざん見たけど、今どうなってるんだろう?
ふとそう思います。2年前に初めて石巻にボランティアに行った時*2は、道路こそ問題なく整理されて
いたけど、海岸沿いには津波で流された自動車が無造作に積まれていたし、傾いた電柱、廃墟にしか
見えない小学校など、人の気配は全くありませんでした。

 あの自動車、いまどうなってるんだろ?さすがにもう片付いているよな、と思うものの、正確な
ところはわかりません。



 「石巻百景」というサイトがあります。石巻市のおすすめスポットや美味しい食べ物を紹介するサイトなのですが、
ここに震災後の風景が時々アップされています。これを書いている時点では2014/1/23が最新の記事で、
瓦礫の焼却が全て完了したという記事でした。燃やした瓦礫は57万トン。この焼却炉は今年の
夏頃までに解体されるそうです。
 石巻という街を形作っていた57万トンの何かは、瓦礫と化して燃やされ無くなりました。
57万トンの何かが失われました。
 二年前に石巻に行き、海岸沿いに積まれた自動車を見て、仮設住宅で話を聞いて、美味しいひじきを
お土産に買って帰りました。それ以来、別に四六時中では無いのですが石巻のことを考えることが増えました。
またあのひじきが食べたいとか、自動車は今どうなってるんだろうとか、あの仮設住宅に住んでいる人々は
住宅を見つけられたのだろうか、などなど。


 「震災は終わっていない」というフレーズを見るたびに思います。それは、被災者にとっては紛れも無く
真実であると同時に、あまり被害を受けてない人にとっては「震災が終わったことになっている」という事実を
暗黙のうちに認めてしまっているのではないかと。あれだけの被害を出したにも関わらず、東北の被災者と
そうでない人の間には厳然と差があって、その乖離がどんどん激しくなっていったとしたら。
 とても悲しいことだと僕は思います。

未災地の人々が受け継ぐ被災地の物語

 「未災地」という造語を聞きました。「被災地」という言葉に対して作られた言葉で、災害に遭っていない・災害が
少ない地域を指す言葉だそうです。未災地は「まだ」本格的な災害には遭っていなだけで、いつ同じように被災地と
なってもおかしくない地域です。南海トラフ巨大地震のことも考えれば、首都圏や東海地方は未災地です。
だからこそ、東日本大震災は終わっておらず、その教訓やそこにいる人々の物語を受け取る必要があるのです。

 もう一度、きっかけバスの趣旨を抜粋して引用します。

わたしたち学生は、東北での実体験を通して東北の今を感じ、
震災の教訓を学び、自分のコトバで家族や友人、大切な人、
それぞれの故郷・地域の人たちに伝え続けてゆくつもりです。
そして、日本中が助けあって東北の復興に関わり、
311の教訓を地域の防災に活かす“きっかけ”をつくります。

 昨日の2/1から、きっかけバスは走り始めました。第一弾は岐阜からです。
 これから1ヶ月以上かけて、47都道府県からバスが東北に向けて走ります。


ただ、学生には資金力がありません。
同郷の先輩の方々、どうぞお力をお貸しください。
寄付及びご支援のほどよろしくお願い申し上げます。


 というわけできっかけバスへの支援方法を紹介します。まだ、間に合います。

1:クレジットカードで寄付する

2:寄付登録フォームに登録して銀行口座に振り込む

3:JALマイレージを利用して寄付する

4:自分も実際に東北に行って感想を周りの人に伝える


 きっかけバスを紹介しているので、本来は1〜3だけを紹介して寄付をお願いするのが筋でしょう。
 しかし僕は、実際に東北に行ってくれたら、そっちのほうがもっと嬉しいです。風化を防ぐためには、一人でも
多くの力があったほうが良いからです。東北に実際に行くことで、物語の共有はもっとも確実に進むでしょう。
とはいえ、4番を選ぶためには、お金はもちろん時間もかかります。仕事など諸々の要因で時間を割く事が難しい人も
多いでしょう。そのためにあるのが、1〜3だと僕は思っています。


 僕自身は東京在住で、東日本大震災でもそれほど被害は受けませんでした。ただ、時間が経つに連れて、
何か被災地と分断されてしまう感覚が急に不安になって、石巻に行きました。必ずしもこの感覚は持たなければ
いけないというものでは無いでしょう。ただ、持ってしまったものは仕方が無いのでこうやって書いています。


 東北で出会った被災者の方々は、口をそろえて「忘れてほしくない」と口にしていました。それは
自分たちの存在を、被災を忘れてほしくないという心情もそうだし、未災地である東北以外の地域がまた
天災で同じような被害に遭うのもつらいという意味も含んでいました。そのためにも未災地の人間として、
何をするのか。時折でも良いから考える人が増えてくると良いなと思っています。


 それでは、また。


 ※感想がありましたら、はてブやリツイート・リプライ等でいただけると幸いです。

*1:クリエイティブの可能性・春合宿というカテゴリでまとめています。こちらからどうぞ。

*2:その時の記事はこちらでどうぞ。