今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

自分自身を正確に知る手段としてのぼっち活動 -「ぼっち」の歩き方 書評に代えて-

 読みました。

「ぼっち」の歩き方

「ぼっち」の歩き方

 

  プラネタリウムやボウリング・バーベキューや納涼船など「普通は1人でやらない」と思われることを1人でやってみるとどうなるのか、というソロ活*1の連載をまとめた本書。Web記事の頃から読んでいたのですが、大幅に加筆修正がされており、Web記事との差も含めて楽しめました。

 

 著者の朝井さんが本書で行ったぼっち活動は、

  • バーベキュー
  • フレンチレストラン
  • ボート
  • プリクラ
  • 納涼船
  • スイカ割り

 などなど、「1人で行うことはできなくはないけど、1人で行うことはあまり想定されない活動」から「どう考えても1人でやるのは無理がある」ものまで様々です。そんな活動を実際にやってみた結果をまとめたのが本書です。ここでは、これらの活動を題材にして、1人でも楽しめる活動・楽しめない活動とはどういうことかを考えてみます。

 

 

必要なスキルを1人で賄わなければならないぼっち活動

 そもそも、フレンチレストランやバーベキューなど、ある種の活動がなぜ1人で行われることを想定していないのか?主な理由は二つあると僕は考えています。

・1人だけで行うには荷が重すぎる

 わかりやすい例がバーベキューです。バーベキューの準備として、食材だけでなく調理器具と火種の用意、火を起こす作業、さらに食べ終わった後の片付け。作業量という意味でも、技術的な意味でも1人で行うのは大変です。事実、バーベキュースキルを持たなかった朝井さんは、火を起こすことができずに心が折れ、近くの人に助けを求めました。

ついに私は、人と人との助け合いに屈したのだった。しかしである。これはひとえに、私のバーベキュー能力が低かったゆえ。バーベキューが一人行動に不向き、と結論づけたいわけではない。(P.55〜P.56) 

 ただし、バーベキューが楽しめなかったのは、あくまで「バーベキューがスキル的に不十分で、できなかったから」であり、「バーベキューをやっても食事が美味しくなかった、楽しくなかった」からではないと朝井さんは書きます。

肉や海老をほおばりながら、難しい顔で思案にくれている私に、たびたび「ひとりじゃつまらないでしょう?混ざりなよ〜!」と声を掛けてきた謎の集団。美味しい霜降り肉を食べつことができて私はこんなに幸せなのに、つまらなくなんてないのに。(P.57) 

 とはいえ、スキルがあったとしても、食事前の食材・炭の運搬や片付けの手間を考えると、精神的な満足度はどうしても下がってしまうでしょう。その意味で、準備が必要になる物理的に大変な活動は、ぼっち活動にはあまり向いていないと言えます。

 

対象へ集中できるぼっち活動

 ある種の活動が1人で行われることを想定していない、もう一つの理由。

・2人以上でコミュニケーションをとることを目的としている

  ここではフレンチレストランを例に挙げます。1人で食事すること自体は、珍しいことではありません。しかし、フレンチレストランを1人で食べようと試みるも、朝井さんはなかなかフレンチレストランの予約をとることができませんでした。予約を断られる理由は「1人で予約することを想定していないから」。ではなぜ、フレンチレストランは1人で予約することを想定していないのか。その理由は、食事をする行為そのもの以外にあると考えるのが自然でしょう。フレンチレストラン編で、担当のウェイターさんはこう説明しています。

この日、担当してくれたウェイターさんによると、「もともとフルコースの料理は貴族が屋敷に人を招いて、自分の財力を見せつけるために、つまり、「人に見せるため」のものとして始まったんです。だからその名残で、おひとりのお客様をお断りしているお店が多いのだと思います」とのことだ。(P.131)

 もしフレンチレストランの食事が「人に見せるため」という目的を本題とするならば、「料理を味わう」という目的は二次的にならざるを得ません。料理が美味しくても、それは最終的に「こんな旨い料理を出せる、食べられる俺すごいだろ」という他者への見せつけ、という目的に集約されてしまうからです。だからこそ、朝井さんはフレンチレストラン編でこう書きます。

ひとりフルコースの一番のメリットはやはり「精神的コスト」からの解放にあると感じた。人に見られることがないからこそ、足枷無く料理の味に集中できる。どんな顔して食べてもいいし、ハーブの処遇に悩むこともない。午前中の人がいないオフィスの方が仕事がはかどりやすいのと原理は同じである。他者の存在は、対象への集中をしばしば削ぐのだ。(P.132)

 集中する対象を料理だけに絞ることができる。これこそが1人フレンチレストランの一番のメリットと朝井さんは説きます。これは、経験上納得の行く話でした。少し前に1人で焼き肉を食べたのですが、肉に集中できてとても美味しく楽しい時間でした。時間こそ短かったものの、濃密な時間だったと感じています。*2もし、お一人様の予約をお断りしている理由が「ただの名残」だけだとしたら、もっと1人予約できる店が増えればいいのに、とも思います。*3

 

コミュニケーションは、「コスト」か?「目的」か?

 前述した通り、バーベキューもフレンチレストランも他者とのコミュニケーションを行うことがほぼ前提となっています。その理由は、スキルや作業量を分担するために、あるいは他の人に見せびらかすために。この時、他者とのコミュニケーションを行うことが「料理を楽しむために仕方なく行わなければならないこと」と位置づけるのであれば、コミュニケーションは「コスト」となります。一方で、デートなど「二人で食事をすること」が主目的であれば、コミュニケーションは「コスト」にはなりません。「目的」です。

 例えば、バーベキューをすることで、何を得ようとしているのか?朝井さんは食事を楽しむことで、バーベキューで朝井さんに声をかけてきたおじさんは、きっとコミュニケーションが目的だったのだろうな、と思います。だからこそ、前述のような食い違いが起こったのでしょう。

 

自分自身の趣向と対象のクオリティに大きく左右されるぼっち活動

  コミュニケーションを「コスト」とみなし除外した場合、活動の満足度は自分自身と対象だけで決まることになります。つまり、ぼっち活動は、自分自身の趣向と対象のクオリティにより、満足度が大きく左右されることになります。

 朝井さんは、ぼっち活動で「フレンチレストラン」「ボート」は楽しめ*4、「バーベキュー」「プリクラ」「納涼船」は楽しめなかったと書いています。満足度の高かった「ボート」では、ボートを漕ぐという行為に集中している様が書かれています。

 ひと漕ぎ、ふた漕ぎ。なんだか、思った以上にスイスイ進む。ボートを漕ぐのはこんなに簡単だったのか。漕げば漕ぐほど目に見えた成果が出るゆえか、「私、ボート漕ぐのうまいかも」という謎の全能感まで湧き上がってくる。

 正直にいって、ボートは乗ったところで何かドラマチックな出来事が起こるレジャーではない。でも、それでいいのだ。そのままで、充分面白いのだ。ボートに乗って大笑いするわけでもなければ、はしゃぐわけでもない。ただ淡々と漕ぎ、手を動かした分だけ前に進む、その小さな達成感を積み重ねるのがボートである。(P.36)

   

一方、「プリクラ」「納涼船」では、こう書いています。

タイトル「プリクラの苦手意識を克服するためにひとりで撮ってきた」。(P.40) 

 

ところで、浴衣が苦手であることによらず、東京湾の納涼船文化とやらは、兼ねてより理解できないと思っていた。「納涼」というからには、熱さを忘れて涼やかに過ごしたいのだろう。だからといって、人っ子ひとりいないプライベートビーチならまだしも、何百人も何千人もいる乗船者でぎゅうぎゅう詰めの中、東京湾など見て涼しい気持ちになれるのか、否。(P.77)

 この引用部は、どちらもぼっち活動の前段の話です。そもそも朝井さんは、プリクラも納涼船も好きではないのです。「自身の好みとして好きではない」以上、「対象に集中する」といっても、これでは余程のことが無い限り精神的な満足度は高くはならないでしょう。

 プリクラと納涼船が精神的に辛かった理由として

とにかく1人だと周りから思い切り浮く(P.163) 

と書いていますが、個人的には、この理由は少し違うと考えています。もし対象に集中できれば、周りから思い切り浮こうが、関係ないのではないでしょうか。対象が好きではないから集中できず、結果として周りから浮くことを意識せざるを得ない状況になってしまったから、精神的に辛くなってしまった。僕はそう考えています。

 なので、精神的に辛い活動となるかどうかは、「対象に集中できるか」にかかっている、つまりは自分自身の好みにかかっています。納涼船やプリクラが好きな人であれば、どちらもぼっち活動でも楽しめるでしょう。

 

自分自身を正確に知る手段としてのぼっち活動

 ぼっち活動は、非常に単純な話です。

  ひとりに慣れていようがいまいが、ひとりでバーベキューをしたければすればいいし、したくもないのにわざわざする必要はない。人と予定を合わせることなく、自分の好きなときに、好きな場所へ行き、好きなように過ごす、という単純な話なのである。(P.162) 

 「ぼっち」という言葉から「人と予定を合わせることなく」という点がぼっち活動のポイントのように見えますが、個人的には「自分の好きなときに、好きな場所へ行き、好きなように過ごす」という点こそがポイントだと感じました。

 朝井さんは自分が苦手な活動にも果敢に挑みました。これらの活動は、Web記事の連載記事としてネタが必要だから行ったという側面もあるでしょう。しかし、

少しだけ、ほんの少しだけ、プリクラに歩み寄ってもいいんじゃないかと思ったのだった。(P.48)

 ひとりで乗船をすることで、あんなに苦手だった浴衣と歩み寄れたかといったら嘘になる。ただ、納涼船とわかり合うことだけは大いにできたように思う。(P.83)

   結果として、満足度は高くはなりませんでしたが、苦手だったプリクラに歩み寄ったり、浴衣はやっぱりだめだったりと、自分が苦手だったものに対して、スタンスがより正確になっています。

  飲み会のお酒が苦手だったり、焼肉が好きだったり。もし自分が何かの活動を誰かと一緒にやっていて、それが好き、あるいは苦手だとしたら、試しにぼっち活動を行ってみても良いのではないでしょうか。1人だとまた違った観点で好きだとわかったり、他者とのコミュニケーションがノイズになって、苦手だと錯覚していることがあるかもしれないのですから。*5

 

 本書は、何かをやるときに(何の疑問もなく)ずっと1人でやってきた僕自身にとって、一部は当たり前の話であり、一部は再発見であり、一部は奇想天外な本でした。ひとりボウリングやひとりフレンチレストランは、これまでの僕自身のぼっち活動を振り返るための助けになりましたし、ひとり誕生日パーティー・ひとり豆まきなど、シュールを通り越して、写真を見るだけでも笑える活動は圧巻でした。もし人付き合いがちょっと疲れたなと思ったら、息抜き代わりに読んでみてはいかがでしょうか。

 

 ところで本書のサブタイトルは、「魅惑のデートスポット編」。次回はきっと、家族連れを始めとした集団が行くようなところに行くのでしょう。楽しみです。

*1:ソロ活の記事一覧はこちら。現在も連載中です。

*2:かつて、仕事のプロジェクトのお祝いで焼き肉を食べたことがありましたが、気の合う仲間どころか嫌いな人が多くて全然楽しめませんでした。そのこともあり、余計にこの記述は納得感が高かったです。

*3:実際には、回転率や客単価など他の要因の方が大きそうですが。

*4:某夢の国のぼっち活動も楽しかったようですが、大人の事情で本書には収録されていません。残念。

*5:僕は飲み会は得意ではないけど、日本酒を1人で飲むのは割と好きだということを発見したことがあります。詳細の記事はこちらで。