読んだ。
ここでいう「料理」には、ざっくり言うと二つの側面がある。自分が好きなものを食べるための料理と、家族(自分ももちろん含む)が飢えないようにするための料理。
そしてこの二つは、衝突を起こすことがよくある。
ここでは便宜的に前者を「開発としての料理」、後者を「運用としての料理」として記載していく。
開発としての料理・運用としての料理
開発としての料理は「調理者が食べたいもの」を作るため、以下の特徴がある。
- 使用する食材・調味料・器具は制約なし
- 調理を含めて準備にかける時間は制約なし
一方、運用としての料理は「家族が飢えないための料理」のため、特徴は開発としての料理とほぼ逆になる。
- 使用する食材・調味料・器具はキッチンなど自宅に収容できるもの
- 調理を含めて準備にかける時間に制約有り(あまり時間はかけられない)
このため、運用を考慮しないで開発としての料理を行うと、
「要らない調理器具があって邪魔」
「最初に使ってから全然使ってなくて、結局賞味期限の切れた食材が冷蔵庫で腐臭を放つ」
といった悲惨な状況になる。
豆板醤・甜麵醬を活用する自炊
自分が料理を始めたのは一人暮らしをしてからだけど、自分でクックドゥを使ったことは無い。あり合わせの調味料を使って自炊するくらいなら、ちゃんと調味料を揃えて自分でやるか、外食するかのどちらかに寄せた方がいいと考えているからだ。クックドゥはどっちつかずで中途半端な位置になってしまっている。
そしてこういう人間は、クックドゥの対象ユーザーではない。こういう人間の料理は開発としての料理という側面が強く、運用としての料理という側面は二次的な側面になっているからだ。もちろん調味料や器具を使い倒し、醤油や包丁などと同じくらいに使いこなせるようになれば運用としての料理は成立し得る。しかし、そこに至るまでのコストも存在するため、そこまでのコストを支払ってまで運用にのせたいか、となるとこれは個人の判断になる。
合わせ調味料を作るのが面白いし、色々試してみたいと思うような私は、多分開発寄りの人間なのだろう。しかし、「運用しないといけないから要らないものを置きたくない」というのはよく分かる。一人暮らしをすると食材・調味料を運用するノウハウの理解が深まる。ただ、一人暮らしの場合と二人以上、あるいは子供がいる場合の運用はまた違った話になるから、一筋縄ではいかない。
毎日の料理で起こるDevOps戦争
「開発」「運用」というのはシステム開発用語で、「開発」はコンピュータシステムをつくり上げること*1、「運用」はそのコンピュータシステムが停止などおかしな動きをしないように管理すること。今回の料理の話となんか似ている(特に開発のやらかしを運用が負担する点)と思って書いたけど、だとしたらシステム開発の現場で盛り上がっているDevOpsみたいな活動が、料理の世界で起こらないものだろうか。
毎日の節約レシピが近い気もするけど、これは「お金をかけない」という運用ベースで、「味を良くする」という開発に寄せていくスタンスである。逆に、「馴染みのない調味料」を使うという開発ベースで、「いろんな使い方をして運用を楽にする」という運用に寄せるスタンスってあるんだろうか。個人的にとても知りたい。
しかし、ここまで書いて気付いた。運用としての料理を楽にして、新しい味を取り入れるための開発を行う活動があることに。
クックドゥである。
そもそもクックドゥが1978年に初めて販売された時、中華料理はあまり家庭の食卓にも上がっていなかった。当然、中華料理で使われる豆板醤などの調味料もあまり馴染みが無かった。その後、クックドゥは2002年に「Cook Doコリア」を発売している。韓流ブームが日本で起こったのは2003年、プルコギやコチュジャンは存在は知られていたものの、やはり日本の食卓には無かった。
1回使いきりで保存などの運用も楽。しかも、今まで外でしか味わえなかった味を家庭でも味わえるように。
クックドゥは、開発ベースで運用としての料理を楽にしていたのである。
冒頭の麻婆豆腐大論争は、豆板醤・甜麺醤が手軽に入手できるような環境になったからこそ、開発・運用の見直しとして出てきたとも考えられる。そういう意味では、食生活は昔に比べて飛躍的に豊かになったということで、幸福と言えるのかもしれない。
Cook Do、今度試しに買ってみようかな。
最近はチューブタイプの豆板醤・甜麺醤も売られている。食品メーカーは毎日の料理で起こるDevOps戦争を戦っているのだ。敬礼。
上野のとんかつ山家。
たまたま見つけて入ってみたけど、美味しい。750円でこれは、文句がつけられない。
最近、自炊するタイミングが取れない。玉ねぎの痛むスピードも思ったより早いので、早いとこ使い切りたい。
*1:厳密には違うけど、とりあえずここではこうしておきます。