今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」
はてなブログで↑のお題があったので、書きます。
振り返ると、だいたい以下の場合にブログを書いています。
- ニュースや本を見た結果、ある着想が出て記録したいと思った時
- 何か大きなイベントがあって記録したいと思った時
- 心がざわざわしていて、なんとかしたいと思った時
1.がこれまでの記事の中では一番多いと思います。
この手の記事を書くと、自分の中では満足が行くと同時に、もっと書けることは無かったのか、もっと考えることはできないか、ということを思います。
2.は最近になって書くようにしました。
記憶の欠落というものは、想像以上に大きいことが最近になって分かったので、こうやって記録することにしました。TwitterのツイートはをEvernoteに保存していますが、それだけでは不十分。再編集するという一手間は記憶に欠かせないのだと思います。
3.はこんな感じの記事。
3.を見て自己セラピーかな、と思ったけど、広い意味で1.2.もセラピーの要素があるなと思い直しました。ブログを書くのは日記に近いのだけど、やっていることは「自分自身のログを出力する作業」なのだと思います。モードが変わってデバッグモードみたいに沢山とにかくログを書きたいと思ったり、普段はおとなしいけど大変なエラーが発生したらなんとか事象を書き留めたいとログを書いたり。
最近は3.の動機が多く1.2.が少ないため、少しイライラした気持ちにはなっています。「ブログなんざ趣味で書いているんだから、そんな堅苦しく考えなくたってかまわない」というのは一理あるのだけれど、書かない期間が長くなると、自分の行動が、思考がどうにもぼんやりしてしまうのではないか、という不安に襲われることがあります。そのうち書く時間が長くかかり、億劫になってログを残せなくなる。
この事が嫌だと思うのは、自分が書き言葉のほうが得意だから、と考えているからです。
自分の中で、思考は書き言葉として書くと輪郭をハッキリ持って浮かび上がる感覚があります。話し言葉よりも書き言葉。実際、話すのはあまり得意ではありません*1。書いて少し戻って、書いて振り返ってができるのが大きいんだと思います。話したことは振り返りができません。
僕は悪筆です。
中学の時、ワープロに感動しました。これで手書き文字から解放される!と希望に満ち溢れていたのを覚えています。頭で考えている事はあるのに、口に出すと上手く伝わらない、表情など話と関係ないところで突っ込まれる、と対面で話すことは正直嫌いでした*2。「メールだと伝わらない」と言われることが有りますが、メールの方がよっぽど伝わるということもある、と思います。
コンピュータのお陰で、悪筆な自分が、滑舌の悪い自分が、表情を上手く作れない自分が、きちんと思考を表明できる。メールやFacebook,TwitterなどのSNSは、他者とコミュニケーションを行うことに主眼をおいたツール*3。そしてブログは、自分がくつろいで思考と伸び伸びと書ける場。セーブポイントのように、行動の整理をする場。
ブログはある種、昔の自分の希望の結晶なのだろう。今はそう考えています。
書いてて思考がまとまり落ち着いてきました。この文章自体は散文気味ですが、自己セラピーにはなっているので良しとしています。まだブログを書くのは止めません。
きっと自分がブログを書きたくなるのは、思考がまとまらなかったり、話してばかりで書き物を長いことしていないなど、「昔の自分にとってちょっと居心地の悪い状態になった時」かな、と。
北海道から人狼仲間が来たので、迎撃に使った秋葉原の「MEAT WINERY」。
熟成肉は大変美味しゅうございました。人狼が控えていたのでワインは飲まなかったのですが、多分ワインも美味しい。