読みまして。
記事中に、
「美味しいと思ってもらえるかな」「栄養は大丈夫かな」なんて心配が先走ってしまって、ちょっぴり"義務感"や"プレッシャー"みたいなものが芽生えてしまうのです。 自分の好きなものを自分のために作るご飯とは私の中では全然訳が違う。
お料理のお話 - 前枝野乃加の日記
とあって、「自分のために作るご飯」と「誰かのために作るご飯」ってやっぱり違うよなあと思いました。キャロルさん*1は義務感やプレッシャーって書いてるけど、加えて作って持ち寄る形式だと「食中毒とか気をつけないと」といった衛生面の要素も加わるので、より注意力を発揮しないといけないなあと。
誰かのために作る事は全然嫌いではないし、やれるんだったらやったるでーという気にはなるのだけど、気力や集中力を消費するので、しっかりしたものを作ったらMPを大きく消費するような感じです。ちょっと何かを刻むくらいならメラ程度、なめろうとか手間が少しかかる&鮮度に気を付けないといけない料理を1品ならベギラマ、複数料理をコースで振る舞うのはイオナズン。今のところイオラやベギラマあたりが精一杯です。
一方で、自分のために作る料理は、無条件で自分の好きなもの、かつ今自分が食べたいものです。作り慣れたものならあまり失敗はしないし、初挑戦でも責任を負うのは自分だけなので気楽は気楽です。
自分の食べたいものを、自分の好きなタイミングで、自分の良き工程で、自分のために作って、自分で食べる。 なおかつ、生きる為にも必要不可欠な「食べる」ということであるというところが一石二鳥でお得感。 一時期、一人暮らしのご飯は自分よがりすぎて「なんだかこれじゃダメな気がする」と思いたって、綺麗に盛り付けした食卓を写真に撮ってSNSに載せたりもしていたけど、 逆に「なんだかこれじゃ自分のためのご飯じゃない」気がして、あまりやらなくなりました。
お料理のお話 - 前枝野乃加の日記
「 自分でコントロールできる」というのは大事な要素だと思っていて、外食で好きなものを食べるのではなく、自分で作ることに意味があります。外食では実現できない自分の好みの量・好みの味というだけではなく、自分でここまで作った、と言う感覚が大事なのかなと想像しています。最初にゴールをイメージして、そこまでの工程をイメージしてその通りに実施して、多少イレギュラーなことは在るかもしれないけど、だいたいはちゃんと料理ができます。
書いてて思ったのは、
- ゴールがイメージできてる
- そこまでの工程が把握できてる
- イレギュラーなことがあっても対応できる
というのは、ストレス無く出来る活動どころかストレスを解消する役割すらあるのかなあ、と。人生、大抵の場合見通しが悪いしイレギュラーなことはしょっちゅう、ゴールが変わることすらあります*2。これだけコントロール出来ないことがあるのだから、少しはコントロールできるものがあったっていいじゃないですか。
早く帰れたときや休日にキッチンで料理を作るのは、コントロールできることを確認しつつ自分の調子をととのえる役目も在るのかなと思いました。キッチンはちょっとしたベースキャンプです。
自分で作る料理であるところの、通称「家メシ」は、僕の場合は大量に作って翌日以降もお弁当に出来たり、朝の忙しい時にすぐに食べられたり、といった類のものが好きです。具だくさんのつけそば or かけうどん、もやしと豚肉の甘酢炒め、鶏肉とニラのオイスターソース炒め、などなど。いけないとは思いつつ、できたてをついつい食べ過ぎちゃうのは、きちんと作れたことのご褒美という面もあるのでしょう。
今日考えたのはそんなところです。
家メシの一つ「スープカリー」。
スープカリーが好きで自宅でも食べたいなあ、と思っていたら「きょうの料理ビギナーズ」で紹介されていたレシピをもとに作ったものです。 キャベツが特徴的。
長いこと作ってないなあ。久々に作ろうかな。