今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

未来の匂いのする夜の街・時間が止まる朝の街

「TOKYO NOBODY」という写真集がある。

 

TOKYO NOBODY―中野正貴写真集

TOKYO NOBODY―中野正貴写真集

 

 僕は写真にあまり興味は無いのだけど、夜景、特に大都会の夜景は例外だ。夜はこれからだとばかりに光る電灯やネオンサイン。高い場所から見える、真っ暗な空間に浮かび上がった様々な色と明るさから成る電気の群れを見ると、人間の姿こそ見えないけど、確実にたくさんの人間が活動をしているのだと思える。コンピュータに興味津津だった子供の頃、未来の匂いが立ち上る秋葉原のネオンサインを見て胸を踊らせたのだけど、その時の気分が大人になった今もどこかに残っているのかもしれない。

  大都会の夜景は未来の匂いと賑やかさのおかげで、ずっと眺めていても飽きない。

 

 「TOKYO NOBODY」は、そんな都市風景の写真集を探してる中でたまたま出会った写真集だ。タイトルの通り、「東京」で撮影した「誰もいない」風景ばかりが収められている。変わった写真集だな、と思いAmazonで注文し本を開いて開いて1ページ1ページめくって眺めた。

 

  ぞっとした。それが「TOKYO NOBODY」を最後まで見た時の感想だった。

 

  写真の多くは陽の光が柔らかく射しているから、おそらく人のいない早朝に撮影されたのだろう。しかし、こうも人がいない建造物だけの写真を見せられると、なんだか人間が死に絶えてしまった近未来を連想してしまった。早朝の写真のはずなのに、「人間がこれから活動を始める」というイメージはこの写真集からは読み取れなかった。日本橋の橋のたもと、渋谷のPARCO周辺、サロンやソープの水商売の集まる区画、銀座のホコ天の区画、お台場の無造作に並べられたコンテナ、雪の降る首都高と雪の積もった皇居周辺。

  人は一人も写っていない。みんなどこへ「消えて」しまったのだろう。

 

  この写真集は1990年から2000年に撮影された写真を集めている。INAX、富士銀行、Yamagiwa、imidas、シャンテシネ。今はもうない看板や建物、会社が写真の中に納められていることで、余計に「人類が絶滅した未来の風景」という感想が強くなっていく。これから年月を経るに連れ、もっと無くなっていく建物や看板が増えて、「人類が絶滅した未来の風景」の色はますます濃くなっていくのだろう。

 

   念のために書いておくと、「TOKYO NOBODY」を酷評する気はまったくない。むしろ人だらけの東京という街で、これだけの無人の風景を撮影したことは称賛したい。インターネットも含め電子技術も十分に発達していなかった事も考えると、撮影に10年間かかった、というのも頷ける話である。ただ、僕が(勝手に)期待していた、未来の匂いがするような人間の躍動感が感じられる写真集ではなかった、というだけのことである。

 

   「大都会の夜景は未来の匂いと賑やかさのおかげで、ずっと眺めていても飽きない」と書いた。実のところ、このことがはっきり意識できたのは「TOKYO NOBODY」のおかげである。

 

「TOKYO NOBODY」は大都会の夜景とは真逆だ。

 陽が落ちて人は寝静まっているはずなのに、電光が人の存在を表している大都会の夜景。

 陽が射して人は目覚め動き出すはずなのに、何処にも人の存在が見えない「TOKYO NOBODY」。

 子供の頃に見た電気街を連想し、未来への匂いを感じられる大都会の夜景。

 今はもうない看板から、過去で時間が止まった姿を見せられる「TOKYO NOBODY」。

 「TOKYO NOBODY」があったからこそ、なぜ自分が大都会の夜景に惹かれ心が踊るのか、なぜ自分が「TOKYO NOBODY」を見てぞっとしたのか、はっきりとわかった。未来の匂いのするところは楽しいし居たいし、時間が止まった場所は怖くて居たくない。僕の趣向には少なからず、そういった面があるのだろう。

 

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 ネオンサインのきらめく秋葉原。

 今でも、この風景を見ると未来の匂いを感じ取ることができる。夜の街の光は、不思議な力が宿っていると信じている。