今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

データの溢れる世界に残された人間の意志の力

本記事は「データ活用 Advent Calendar2018」の12月21日分の記事です。

 

  第四次産業革命が起こっています。 

monoist.atmarkit.co.jp

  「ハードウェアの時代」「ソフトウェアの時代」を経て、今は「データの時代」だとも言われています。

  正直なところ、「データの時代」が蒸気機関・電気・コンピューティングに並ぶ産業革命にまで匹敵するレベルの話なのかどうかは、あまり良くわかりません。ただ、データやAIを活用することに起因する話は、「人間とは何か」を改めて考えるきっかけになると考えています。

 

データが増えるほど現実世界に近くなるデジタル世界

  コンピュータの世界は、0と1の2進数の世界です。コンピュータができたばかりの時代は、扱えるデータの容量も少なかったため、制約を乗り越えながら業務は表現をこなしてきました。ファミコンなどのレトロゲームのキャラクターは、人間だとわかるものの、「今、現実世界で我々が普段見ている人間と全く同一である」とは思わないでしょう。しかし、ハードウェアが発達するに伴い、コンピューターが扱えるデータ量が増えてきました。扱えるデータが増えると言う事は、よりきめ細やかな表現・描写ができることを意味します。写真の画素数が大きくなればなるほど、現実世界がよりきめ細かく表現できるように、データレコード数やログレコードが多ければ多いほど、より細かい時間単位での経緯や状態が表現できるように。

  こうしてコンピュータの世界が発達していき、次第にコンピュータの世界、デジタルの世界で表現される世界が現実の世界に近くなっていきました。フライトシミュレーターなど、様々なシミュレータは大量のデータと計算により、現実世界を模倣できるようになりました。現在のゲームの世界は、大量のデータと大量の計算により、キムタクが本当に暴れているように見えるくらいには現実世界を描写しています。

 

  このようにコンピュータが扱えるデータ量が増える一方で、コンピュータは別方向への発展をします。モバイル端末です。

「モノ」が情報を発信するInternet Of Things

  モバイル端末の発達により、コンピューターは今までの端末以外から情報取得することができるようになりました。位置情報センサー、携帯電話・バイタルセンサー、などなど。これまで取得が容易ではなかったデータが取れるようになりました。

  PCなどの端末以外からも簡単にデータが取れるようになりました。「データを取得できる場所が広がる」ことがIoTの本質であると僕は考えています。「データを取得できる場所が広がる」ことが意味することはなにか。タイムラグが無くなること、データ量が爆発的に広がることです。

  これは、Twitterが広まったことを思い返してもらえればわかりやすいと思います。Twitter以前は、特定の報道機関だけが写真付きで記事を広められました。そしてリアルタイムではなく、特定の決まった時間のみという制約がありました。しかし、Twitterとスマートフォンにより、多くの人が参加し、ほとんどリアルタイムに近い形で様々な場所から記事を広められるようになりました。

 IoTはInternet of Things の略ですが、「モノのインターネット」とは、「モノ」が情報を発信することを意味しています。それは「データ量が爆発的に増えること」  「情報がリアルタイム性を帯びること」に他なりません。

   そしてこれらの爆発的に増えたデータと相性が良い存在があります。AIのディープラーニングです。

 

大量の学習を行い進化するAI

ディープラーニングについては、こちらの記事がわかりやすいです。

www.itmedia.co.jp

  以下引用です。

  ここ最近になって、人間の脳の働きついての研究が進み、その成果を応用した機械学習の一手法である「ディープラーニング(深層学習)」が登場します。この手法は、特徴量の選定や組み合せを、データを解析することで自ら作り出すことができます。そのため、人間に依存せず、データ量を増やすほどに、規則性や関係性を見つけ出す精度を向上させることができます。

 (太字は引用者によるもの)

  ディープラーニングは人工知能自身が学習を行い精度を向上させますが、それには学習の元となる「大量のデータ」が必要になります。理論的には1950年代から存在しましたが、近年脚光を浴びるようになったのは、実際に世界がデータで溢れるようになったからでしょう。いわば「時代が追いついてきた」状態です。Googleが作ったAlphaGoが囲碁の名人イ・セドル氏を倒したのは記憶に新しいですが、これらディープラーニングによる成果は、今後も増えていくでしょう。

 

人間が理解できない正解を提示するコンピュータ

  Alphagoは人間が理解できない手を指して名人を打ち負かしましたが、ディープラーニングの成果は人間が理解できるとは限りません。AlphaGoの手は、最初解説者がきちんと説明できませんでした。

www.nikkei.com

  上記記事では、人間が理解できないことを「人工知能の弱み」と書いていますが、僕はそうは思いません。人間が理解できなくても、結果としてAlphaGoが勝ち、結果を出しました。これは、人工知能の弱みではなく、理解できないことを実行できない「人間の弱み」です。

  では、コンピュータが正しい答えを出し続ける結果、人間はどのように振る舞うべきか。例えばディストピアを描いたSFでは、

  「コンピュータがすべて考える、人間は考えずにただコンピュータの言うとおりに振る舞えば良い」として、考えない人間を描写しています。ただ、その場合でも人間には仕事が残ります。

  「結論を実行すること」です。

  

ラスト1マイルの「決断し実行する」という人間らしい行為

  コンピュータがいくら最善手を出しても、なにか自動化されていない作業があったら、それは人間が実行しないと動きません。核ミサイルを打つべきだと結論をコンピュータが出し、確実に敵地に核ミサイルを打ち込む計算をコンピュータが出したとしても、核ミサイル押すという行為がコンピュータに出来ないのであれば、コンピュータは何も出来ません。核ミサイルを押すと「決断」し、「実行」するのは、人間です。

 人間が何かを実行するには、経過や理由が必要です。それはコンピュータが直接提示してくれるとは限りません。ある意味、人間にはストーリーが必要です。*1

  ストーリーを理解し、最後の決断、実行をすること。それが人間に残された最後の砦なのかもしれないな、と思います。

 

  生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答えは、いつかコンピュータによって明らかになる日が来るかもしれません。 

生命、宇宙、そして万物についての究極の疑問の答え - Google 検索

  しかし、答えの「42」がどういうことなのかを人間が理解するためには、そしてそれが意味することを踏まえてどう生きるべきなのかは、人間自身が考え、行動しなければならないのです。

 

 

  コンピュータや機械、人間を巡るトピックはたくさんこれからも出てくると思いますが、その都度「人間とはなにか、どうあるべきか」という課題は必ずついて回ります。せっかく大学で哲学科に入っていたのだから、もう少しちゃんと哲学を学んでおけばと思わなくもありませんが*2、図らずしも「人間とはなにか」を考えられる分野の近くにいるので、引き続きこの辺の話題はウォッチしていきます。

 

  最近はそんなことを考えています。

*1:ただ、一部の研究では、小説も人工知能が書けるという話があります。

*2:本当は、だいぶ後悔しています。もっとやれたはずだったのに。