今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

ポルノ電話からの家庭崩壊を防ぐためにロシア文学青年を志した日

  ぼくが大学生活を終えてからかれこれもう20年以上経つのだけど、今でも大学生というものは悩み多き生き物なのだと信じている。

「大学受験が終わったぞう!もうitが示すものを明らかにしたり漢文の返り点を正確に記したりしなくていいもんね、へっへっへっ」

  とほくそ笑みながら自動車免許合宿のパンフレットを取り寄せてソッコーで免許取って夏には海までドライブしちゃうもんね、夜の海辺でお姉さんとイイコトもイケナイコトもしちゃうもんねと学問への志はどこへやら最高学府に行くとは思えないような煩悩丸出しでキャンパスライフへ突入したはいいもののの、いざ蓋を開けたら

「単位取れねー」

「彼女ができねー」

「時間が足りねー」

「内定とれねー」

と無い無い尽くしのキャンパスライフを送りながら、こんなはずではなかった俺はヒトカドの人物になるはずなのだぁッと鬱屈とした思いを抱えながら、いまどきの大学生もかつてのぼくのように伏し目がちにキャンパスを歩いているのだと信じている。というかそう信じないと僕が浮かばれなくて、何しろ彼女どころか友達もできなかったし、肝心の学業も成果が出なかったし、これでは一体何のために大学に行ったのか、一つもいいことが無かったのよヨヨヨ、とさくらと一郎が裸足で逃げるくらいには僕は大学生活に負け続けて心の中のすすきを枯らし続けた。

 

  もっともいまどきの大学生は、さっきのぼくの悩みを耳にした途端に怒りのアフガンと化して、

「キャンパスライフがバラ色とかどういうことだッ!こっちは奨学金も返済しないといけないし、TOEICは当然Aランク目標だし、インターンを決めるためのレジュメのアジェンダを今日中に提出しないとジョブオポチュニティが一気に狭まってしまうではないかァッ!」

  とグローバル市場のグの字も知らなかった大学時代のぼくを圧倒してなぎ倒すくらい勉学に励んだり就職先に悩んだりと、危機感を持って行動しているのかもしれない。そう考えると、ぼくの悩みというのは確かにくだらないと言われても仕方がないと思うけど、それでもぼくの悩みはぼくの悩みで存在していたことに嘘偽りは全く無いし、社会にどう対応していくのかに悩んでいるという点では一緒だと思っている。

 

  当時、ぼくはどう社会に対応していけばいいのかなんて全然わからない、というより中程度の対人恐怖を患っていたので、就職してサラリーマン、それも営業職になんて就いたら、

「タウン君、チミの営業成績は課内で最低だよ、どうやったらこんなに売れないのか逆に興味があるから今聞かせてくれないかね?」

  とパワハラ課長にネチネチ言われるならまだましで、

「お前やる気あるのか!!!今日中にとっととTOPPO1万本先斗町で売ってこい!!」

  とパワハラ部長に罵声を浴びせられあまりの辛さに自殺してしまうと本気で思っていた。サラリーマンになる=死であるため、ぼくに残された選択肢は、大学院へいって研究職になることしかないと決意を固めていた。つまりやるべきは、アリストテレスが難しいことを書いている哲学書やヴィトゲンシュタインが難しいことを書いている英文やカントが難しいことを書いている独文をたくさん読みすごい卒論を書いて指導教授から

「チミは平成の西田幾多郎に違いない!素晴らしい!!」

と呼ばれように学問に励むことだと決めていた。

  そう決めていたのだけど、それを阻害する大きな要因に、ぼくは悩まされていた。

  女の子である。

 

 

  大学時代のぼくが通っていたのは文学部だったのだけど、文学部という学部は(おそらく今もそうなのだと思うけど)他の学部と比べて男女比が女性側に傾いている。その結果、電車を降りて文学部キャンパスに向かう途中に女の子の群れ、文学部キャンパスの正門に女の子の群れ、教室に向かうスロープに女の子の群れ、レポート提出の手続きをする事務局に女の子の群れ、授業のある教室に女の子の群れ、昼休みの学食に女の子の群れと、ぼくが行く先々には、

「女女女女女女女女女女女女女女女女女女女女女女女女女女女女女女女女」

と、とにかく女の子しかいなかった。女の子の群れの中に、男子校上がりで全く女の子に免疫のない、性欲が服を着て歩いている若干19歳のぼくが入った結果、ぼくはパニックに近い状態になってしまった。

「女の子が沢山いる!彼女も作り放題だ!これぞキャンパスライフ!スンバラシイいー!!」

  とはならず、

  「あ、すぐに、あ、ここどきますんで、あ、ちょっと待ってください、あ、すみませんすみません、あ、片付け終わりましたから」

 と女の子の群れに恐怖心を抱いてそそくさをと去るようになってしまったのである。なんとか煩悩よ去れ女の子とエンカウントしないようにと図書館に引き籠もって勉強しようとしても、図書館にも女の子の群れがいるので、

  「あ、すぐに、あ、ここどきますんで、あ、ちょっと待ってください、あ、すみませんすみません、あ、片付け終わりましたから

と同じことになってしまい意味が無かった。

 

  中度の対人恐怖を患っていたというのは前に書いたけど、それに加えてぼくは自信が全く無かった(今もあまりない)。高校の頃、腕っぷしの強い奴の右腕VSぼくの両腕 という腕相撲で負けるくらい身体能力は低いし、ファッションセンスもよくわからず、雨風がしのげて警察には捕まらないというレベルの服を着ていたし、肝心の勉学も内部進学の同級生が英語はおろかドイツ語、さらにはフランス語までペラペラな様子を見てすっかり自信を無くしてしまい、そんななんの取り柄もないどころか劣っていないところを探すのが難しいような自分に女の子が振り向いてくれるとは全く信じられなかったのである。

  女の子には相手にしてもらえない、さりとてこの身に焼き付いてあり余る若さ特有のほとばしる情熱とやるせない気持ち(要するに性欲のことです)をぼくはどうにかしないといけなかった。そこでぼくがとった作戦はこうだ。

  「英語を学ぶためにも、国語を学ぶためにも本がある。しかもゲラゲラ笑えるものまである。本は万能だ!だったらこの身に焼き付いてあり余る若さ特有のほとばしる情熱とやるせない気持ち(要するに性欲のことです)だって、本で解決できるはずではないか!」

  ということで、ぼくはこの身に焼き付いてある余る若さ特有のほとばしる情熱とやるせない気持ち(要するに性欲のことです)(長ったらしいので以降は「情熱」でまとめます)を解消すべくエッチな本を買っては情熱をほとばしらせエッチな本を買っては情熱をほとばしらせていた。 

   というような前置きを経て(ここまで2700字も書いているのにまだ前置きだという事実にびっくりである。相変わらず前置きが長くてすいません)、やっと本題である。

 


  今日も今日とて家族が皆寝静まったのを確認して、ぼくはエッチな漫画雑誌を片手に活動を始めた。いつもは自室で活動を始めるのだけど、今日は一味違った。エッチな絵だけでなくエッチな声を聞きながら情熱をほとばしらせようと決めたのである。

   当時のエッチな漫画雑誌は裏表紙に札束風呂に入った男が脇に若い女性二人を侍らせて「勝ちまくりモテまくり」というように、これで貴方も成功者に!というたぐいのいかがわしい広告ばかりだったのだけど、その中にあった広告の一つにぼくは目を惹かれた。

「ワタシの声を聴かせてア・ゲ・ル♡アナタからの電話待ってるわ♡」

  なんと、書かれている電話番号に電話すると、掲載されている漫画の朗読が聴けるというのである。

「これは!!ダイヤルQ2というやつではないのか!!!」

  若い読者の方々のために解説すると、かつて「ダイヤルQ2」という、特定の電話番号から始まる電話番号にかけるとサードパーティが提供する様々なサービスが受けられるというNTTの電話サービスがあった。当初、NTTはそれを目的としていなかったけど、次第にエッチなコンテンツが多くなって、ダイヤルQ2といえばいかがわしいサービスを連想するまでになったのである。そのダイヤルQ2が目の前に待っている。しかもサービス内容はぼくのお気に入りの漫画の朗読である。

「あの女の子の声が聞ける!!!」

  ぼくに電話しないという選択肢は無かった。

  ぼくは大きな音を立てないように、そーっと自室のドアを開けてエッチな漫画雑誌片手にリビングに忍び込みそーっと固定電話に手を伸ばした。余談だけど、この当時は携帯電話が普及し始めた頃で、まだ携帯電話を持っている人は少数派だった。携帯電話を持っていればリビングに忍び込む必要は無かったのだけど、当時のぼくはあの女の子の声のためなら忍者のような苦行は苦行とも思っていなかった。

  押し間違え無いように番号を確認し、人差し指を少し震わせながらボタンを押していっ  た。数回の発信音の後、ガチャ、と受話器から音が聞こえた瞬間、唾を飲み込んだ。

「やった!!繋がった!!!」 

  ぼくは心の中でタウンあっぱれ音頭を踊りつつ、ザァーという砂嵐の音の交じる音声に集中しながらエッチな漫画雑誌のページをめくった。音声は確かにナレーションも含めて朗読してくれている。よしよし、と心を踊らせながら聴き続けた。

 

 

  そして3分ぐらい経った頃だと思う。

  「ひどいにも程がある!!!!!!!!」

  ぼくは心の中でタウン怒髪天突音頭を踊りながら受話器を切った。限界だった。砂嵐の交じる音声はそもそも聞き取りづらい上に、女の子のセリフが棒読みを通り越してコンピュータの機械音声にしか聴こえなかった、まだエッチシーンには到達していなかったけど、ここまでのこの質を考えると、情熱という名の豪速球を受け止める先は名キャッチャーのグラブではなく手賀沼の水を吸ったお麩の壁としか思えず、とても期待できなかった。何よりお気に入りの漫画がここまでひどい扱いをされているという事実に我慢がならなかったのである。

  余談だけど、最近漫画やゲームが実写化されたりアニメ化されて

「なんなのこの出来!!ただのコスプレじゃん!!」

「声優ちゃんとしたやつつけろよ!!話題だけの芸能人とか要らねえ!!」

  とファンが憤っているのを見るけど、この経験があるからか、ぼくは憤っているファンに

 「そうだよねえ、わかる、わかるよ、その気持ち」

とウンウンと頷きながら慰めのためにあずきバーを差し入れしたくなることがある。

   閑話休題。

  受話器をおいたぼくは、では他の漫画はどうかと広告に載っていった他の番号にも電話をかけたけど、結果は同じで、どれもタウンあっぱれ音頭からタウン怒髪天突音頭へ変わっていくだけだった。結局その日はあの子の声が情熱を受け止めてくれることはなく、他のお気に入りの小説に情熱を受け止めてもらった。

 

  翌日、冷静になってエッチな漫画雑誌の件の広告をよく見返してみると、電話番号がおかしいことに気付いた。てっきりダイヤルQ2の番号だと思っていたのだけど、ダイヤルQ2の番号の開始は0990である。この広告電話の番号は、0990で始まらない見たことのない市外局番だった。

  「これ、どこのサービスなんだろう…?」

  よくわからないところに電話をかけたという事実に嫌な予感を感じたぼくは、急いで調べた。そしてわかったことは「広告の電話番号は切れ目がおかしい」ということだった。例えば、広告に載っていた電話番号は「003-301-074-95-123-45-67」(当時の電話番号は全く覚えていないので、これはイメージです)という感じで書かれていたのだけど、こんな区切りをする電話番号は無かったのだ。正しい情報を元にあるべき区切りを再現すると

「0033-010-7-495-123-45-67」

となった。そしてこの電話番号の謎を読み解いたぼくは、驚愕の事実に行き着いた。

「ロシアに国際電話をかけてる…」

 

  今なら、わざとこういうわかりにくい切れ目をつけて国際電話をかけさせてごっそりお金を貰おうというトラップなのだとわかるけど、情熱に負けたぼくは全くそんなことは思いもよらず、生物の実験で使用されるネズミのごとく、目の前のあの子の声に引っかかって突き進み、あっさりトラップにかかってしまい、まんまとロシアに国際電話を掛けてバカ高い通話料を請求されることになってしまったのである。

  このことを知ったぼくは慌てた。ぼくは固定電話から電話した。つまり翌月になれば父親の元にロシアに国際電話をかけたという明細票が届いてしまう。家族の誰もロシアに用のある人物はいない。そうなれば時間帯から考えて、ぼくが電話したことがバレてしまう。そうなればぼくがエッチな音声を聞きたいがために深夜にタウンあっぱれ音頭を踊りながら電話をかけたことがバレてしまう。そうなれば、

「我が息子ながら情けない…」

と父には失望されるだろうし、

「あんたは一体何をしてるの!」

と母には呆れられるだろうし、

「ふーんそんなコトしてんだー」

と姉には嫌なマウントを取られるだろうし、

「お兄ちゃん…」

と妹には軽蔑されるだろう。

  まずい。なんとかしてこの国際電話の明細票の追求から始まる家庭崩壊からの脱出を図らなければいけない。どうするどうするポクポクポクチーンと一休さんのように必死で知恵を絞ったが、幸いすぐに名案が浮かんだ。

「ロシア語だ!ロシア語を勉強することにすればいいんだ!!」

  ロシアに電話する理由はロシアに用があるからである。であればロシアに電話する用事を作ればいい。ロシアに電話する用事は何か。ロシア人と会話することである。ロシア人と会話する理由はなにか。ロシア語を学ぶためである。

  すべてのロジックが繋がり、やるべきことが決まったとなれば話は早い、ハラショーこいつは素敵に愉快だとぼくはタウンスター号という名のママチャリに乗って区立図書館に行き、ロシア語語学講座やら数冊の学習書を借りてきた。そして説得力を増すために、机の上に無造作に本を積んだり、カバンの中に本を入れて持ち歩いたり、しまいには教室でドイツ語の授業前にあえてドイツ語ではなくロシア語の本を出して、クラスメートに

「あれ、ロシア語?」

と気付かれたタイミングで、

「ズドラーストヴィチェ林田、いやあ、大学に入ったからにはロシア語ぐらいやらないとね、今度ロシア人の留学生とウォッカを飲みながら語り合うことになったし、はっはっは」

  と留学生と何も接点がない上に下戸で酒が飲めないくせに、豪快な嘘をついてアリバイ作りに精を出した。全ては家庭崩壊からの脱出のためである。

 

 

  そしてその日は来た。父が電話の明細票のことを尋ねてきたのである。

「タウン、なんか国際電話が掛けられているぞ。どうせインターネットだろ?」

「え、あ、ごめん。なんか変な所に繋いじゃったかも」

「気をつけろよ」

  当時、インターネットは電話回線を使うダイヤルアップ方式で、接続した時間だけ通話料がかかる。それを父は知っていた。結果として、国際電話の容疑は、「タウンがインターネットで変なところにつないだ」と勝手に誤解してくれたおかげで、少し注意されただけであっさり不問になった。つまり、ロシア語を勉強する必要は1mmも無かったことになる。安心したぼくは、ロシア語の本をすべて図書館に返して、きれいさっぱりロシア語の知識を忘れてしまった。ウォッカも飲まなかった。

 

 

  最近、上坂すみれさんという声優をよく見る。こちらの方、ロシア語学科を卒業されてロシア文学・歴史・政治・ミリタリーなどロシア文化の多方面に造詣が深いことでも有名である。純粋な好きを真っ直ぐに突き詰めて華が開く例もあれば、自分の保身が徒労に終わり何も残らない例もあると、ロシアにまつわる彼我の差に愕然としている。一方で、上坂すみれさんが当時のぼくの時代にいたら、ぼくは近づきたい思いでロシア語の勉強を続けていたのだろうかとも思う。つくづく若者の情熱というのは厄介なものである。

 

 

 

※本記事は「好きな作家の模倣をする」という習作テーマで、原田宗典「十七歳だった!」を模倣した記事です。文体を真似ていますが、内容はオリジナルです。

十七歳だった! (集英社文庫)

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  十代の頃はハラダ式文体を読んでゲラゲラ笑いながら過ごしました。

  本記事を読んでゲラゲラ笑っていただけば望外の喜びでございます。

 

 

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