最近、インターネットでは英語学習に関する記事がホットです。かくいう僕もこれまで何回も触れている通り、現在英語学習中です。
さてそんな状況のためか、英語学習・英語教育についていろいろ意見が交わされることも多くなってきた気がします。その中で結構多いのが「英語はあくまでツール、何を話すかが無いと意味がない」という意見。HowよりWhatが大事、というものです。自分自身を振り返ると、その作業自体が楽しくなって手段が目的化することがたまにあるので、耳の痛い話です。
とはいうものの、「手段それ自体に専心してもいい時はあるんじゃないか?」とちょっとだけ思います。
昔のパソコンの話
「目的より手段が大事」という話に戻って。この意見を聞いて思い出したことがあります。確か10年〜20年ぐらい前に似たような話を聞きました。それは「コンピュータ」について。
古くはメインフレームの誕生に始まり、OAの導入にWindows95の発売など、これまでにコンピュータは何回か仕事に対して巨大なインパクトを与えてきました。そしてパソコンが普及し始めたのと時を同じくして、パソコンができなくて苦労するおじさんが、ドラマやマンガの中で出てきました。当時僕は学生だったので詳細は不明ですが、きっと実際の会社の中にもいたんだろうなあと思っています。で、ドラマとかでは「大事なのはツールじゃなくて何をするか」と、ヘマをやらかした若手社員を諭して〆るいうのがお決まりのパターンでした。
「IT革命」という言葉が流行語大賞をとってからは、ドラマの中でパソコンはインターネットやケータイに形を変えていました。このころ僕も社会人になって、実際に「大事なのはツールじゃなくて何をするか」がわかってなくて、ITを導入したはいいものの、さっぱり使えずお金を無駄にしてしまったりという企業を見てきました。*1
手段が目的だったパソコンおたく
本来、パソコン・コンピュータそれ自体はツールであり、目的ではありません。パソコンを買うときも「インターネットがしたい」「ワードやエクセルができれば十分」など、普通は何がしたいかを決めて買いに行きます。
しかし中には「パソコンをとにかくいじりたい」と手段を目的にする人もいます。いわゆる「パソコンおたく*2」です。それこそ20年以上前の、X1とかMSXとかPC-98とか規格が乱立していたころは、「とにかくパソコンを買って使ってみたい」と憧れる少年は少なくありませんでした(僕もそうでした)。何ができるかよくはわからないけど、とにかくプログラムを書いて動かしたい。「それで結局何ができるの?」と聞かれても、彼らはそんなにうまくは答えられなかったんじゃないかと思います。せいぜい一部のヘビーユーザーが「ゲーム」「CG書くためのツール」とか答えられたぐらいでしょう。
当時、パソコンは一部の人たちが嗜好を示す高級な娯楽用品でした。そして今や、パソコン・コンピュータのない社会は(少なくとも日本などの先進国においては)全く考えられないものになっています。
やりたいことが分からなくてもとりあえず始めてみる
世の中にはWindowsやLinux、twitterとコンピュータありきのサービスが掃いて捨てるほどあります。そしてこれらのサービスを生み出した創業者は、コンピュータに触れた当初は、こういったサービスを生み出そうとは露ほども考えてもいなかったでしょう*3。彼らは、コンピュータに触れていじっていくうちに、自分が面白そうだと思うこと、自分のやりたいことを見つけていったのだと思います。
念のために書いておきますが「手段を目的化する」ことを是とするつもりはありません。英語学習を始める場合は、もともと何かの目的があって始めることが大半だし、英語学習はとても時間のかかる話だから、目的を見失ってはふらふらしては時間のロスになってしまいます。
でもたまには、当初の目的からちょっと離れて手段に注目してみるのも、そんなに悪いことではないんじゃないかなあと思います。コンピュータと英語は違う、と思われるかもしれませんが、何かを続けてて「ああ、これがやりたい!」と発見することは少なからずあるんじゃないでしょうか。ちょうど小説家が最後近くまで書き終えて「ああ、これが俺の書きたかったことか!!」と発見するように。
もっとも、こういったことが起こるには「ただひたすら真剣に取り組むこと」という非常にストイックな条件がつくので、万人には適用できるわけではない*4のですが。それでも、目的から「ちょっとだけ」離れてみて、「今やっていること」それ自体に集中してそこからの視点を大事にすれば、また別の発見はあるんじゃないかな、と思います。
そういうわけで、目的を忘れないようにしつつ英語学習に励みます。わき道に逸れることはあるかもしれないけど、新たな発見があることを信じて。