今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

クリエイティブの可能性 春合宿(9) 気仙沼のご飯を味わうことについて

最後のダイアログが終わった後も、他のメンバーとこの2日間で感じたことを夜遅くまで話しました。実際に触れて感じるという身体的な感覚が大切だという事、現実はどこまでもリアルで、ドラマやゲームとは全く違う事。




「起きて!!遅れてる!!もうバス出る時間!!」
※画像はあくまでイメージです。


遅くまで酒を飲んでてグースカ寝ている僕たちを起こしにきたのは隣に住んでる幼なじみではありませんでした。怒りのアフガンと化した野田リーダーに起こされ、慌てて身支度を整えてバスに乗り込んだら今度は行方不明者が出る始末。顛末としてはただの寝坊だったため事なきを得たのですが、僕も含めた遅刻組を迎える添乗員の橋本さんの目が笑ってなかったのを、僕ははっきり覚えています。ご迷惑をおかけしてしまい、ごめんなさい。


気仙沼の今と未来

さて、そんな3日目は気仙沼に行きました。ボランティア活動は無く観光がメインで、地元のツアーガイドの方と気仙沼漁港を巡りました。



訪れたのは月曜日だったため、漁港では普通に働いている人がいました。ネットで気仙沼が火の海になっている写真を見ていたので心配していたのですが、すでに働けるほどに復旧している事に安心したのを覚えています。



とはいえ、津波でできたと思われる建物のヒビや壊れた窓はまだまだ残っていて、震災からの復旧活動はまだ終わっていないと感じられました。


前日にNango-baseの武田さんが「気仙沼は漁業にこだわらなくても」という話をされていました。もちろん、武田さんが言いたかったのは別に漁業を捨てろとかそういう話ではありません。ただ、気仙沼の漁港を巡り、ガイドの方のお話をうかがっていると、気仙沼という街は漁業という産業や漁港といった場所と本当に密接に結びついているように感じられました。



気仙沼の明日はどうなるのだろう。
漁港から見える海は、何事も無かったかのように -それこそ津波なんて無かったかのように- ただ動いてました。波が寄せて、波が引いて、ウミネコが鳴き、少し遠くの漁船がゆっくりと揺れ動く様は、これが日常というもので、変わりようが無いもののように見えました。それは変化の拒絶ではなく、絶え間ない変化の中に残る不変である、と。




昼食は復興屋台村で海鮮丼を食べました。さすが漁港近くなだけあって、具は全部美味しかったです。和布蕪*1が地味に美味しかったのが個人的にヒットでした。海産物があまりに美味しかったので、お土産にひじきやわかめを買い込み、家でも作る事に決めました。
帰宅して作ったのがこちら。わかめご飯、海苔のみそ汁、ひじきの煮物、しらすと空豆のサラダ。


お土産を買って自宅で料理をしたのには、単純に美味しいからという以外にもう一つ理由があります。被災地に対してフックをかけたかったからです。

未来を決めるフック

今年の3月11日はずっと家にいたのですが、その時twitterで一番印象に残ったツイートがあります。

いつから日本人は1月17日に黙祷をしなくなったのだろうな

今年の1月17日、僕は特に何もしませんでした。その日、阪神淡路大震災が起こったこともtwitterで見るまですっぽ抜けていました。
僕にとって阪神淡路大震災は、西日本で起こった大震災以上の意味がありませんでした。母方の祖母は神戸在住ですが、特に被害が無かったのも一因でしょう。当時高校1年生で、世間とか外の世界を避けて閉じこもってほとんどニュースも見ていなかったこともあり、阪神淡路大震災はただの大災害という位置づけでした。
そして去年の12月頃、「もう震災のニュースなんて飽きたでしょ?」というツイートが流れてきました。阪神淡路大震災の時より、ニュースの量は多くなり、僕は受け取っていたニュースなどの情報量も比較にならないくらい多くなっていました。しかし、3月11日に多少混乱はしたものの、その後取り敢えず普通に生活できている僕にとって、ニュースを見なくなって仕事が忙しくなると忘れる東日本大震災はやはり「ただの大震災」でした。根っこは一緒でした。



何かフックが無いと、必ず忘れる。



そのまま忘れるという選択肢もありました。しかし、その選択肢を取ることになんだか言いようのない不安がありました。何かを流すことで、大事なものを逃すような、そんな不安です。この不安が何なのかわかりませんでしたが、そのわからない分だけ不安は大きくなっていきました。 僕は2月のボランティアツアーに申し込みました。不安を解消したい、被災地へのフックを掛けたかったからです。
2月にもボランティアツアーに行きましたが、良い経験だと思いました。何より石巻への気持ちのフックが出来たのが心理的に満足できました。なぜ、心理的なフックが出来たことで満足したのか。今回の合宿でよくわかりました。存在を忘れないで済んだからです。一生涯東北のことを忘れないでいられるか、と言ったら正直そこまで自信がありません。しかし、陸前高田の松が再生しようとしていることや、石巻気仙沼の海産物がめっぽう美味しかったりとか、そういうことならずっと覚えていられます。


「信頼の崩壊」は、あらゆるインフラの崩壊

お土産の海産物はとても美味しかったです。それだけに、3.11で発生した原発放射能問題が重くのしかかりました。料理の写真をアップした時も「ベクレルは大丈夫なのか」と尋ねられました。今もなお、子供を持つ人々を中心に不安に思っている人は多くいます。
その後、包装の裏面に書いてあった会社に問い合わせました。検査をきちんと受けてパスした商品しか出していないし、HPにも証明書があるという回答でした。きっと3.11以前なら、誰もこの回答を疑問には思わなかったでしょう。しかし、今は違います。仮に問題があったとしてもそんなことは言わないだろう、そもそも検査の方法に問題はないのか、と回答を信じない人がいます。もっとも、そのことを責めることなんかできません。この1年間、日本は原発放射能をめぐって情報が錯綜し大きく混乱しました。そしてその問題は今もなお続いています。そんな状態では、何かあったらまずいとして徹底的に疑う姿勢をとったとしても仕方のないことでしょう。



もし誰も、この検査を、この回答を信じなかったらどうなるのか。誰もこの海産物を買う事は無くなるでしょう。当然、この海産物を食べる人はいなくなり、漁業は無くなり、地元の定食屋や土産屋は立ち行かなくなり、そしてこの海産物がどんだけ美味しいのか、知る人は最終的にはいなくなります。僕はここの海産物を食べて、とても美味しいと感じました。特にひじきは、普段スーパーで買っているひじきと違いすぎてびっくりしたほどです。
それだけに、この海産物が食べられなくなるとしたら、僕はとてもショックを受けるでしょう。「信頼」が無くなるという事は、究極的には商取引・食文化なども含めたあらゆるインフラが無くなる事なのだと思いました。



気仙沼を後にした我々は、バスに乗って帰路につきました。
バスの車内では、この合宿最後のイベント、チェックアウトが行われました。簡単に言うと、この合宿を自分なりにまとめて語る、というものです。実は長々と合宿のことについて書いてきましたが、この合宿のメインはこのチェックアウトです


合宿について長々と書いてきましたが、次の記事で最後になります。もう少々お付き合いいただければ幸いです。

※反応・感想が知りたいので、もし良い記事だと感じたら、はてブやRTをしていただけるとありがたく思います。


それでは、また。

*1:めかぶ」てこういう漢字なんだ。知らなかった。