今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

耳なし芳一はどうして耳にお経を書かれなかったのか考えてみる

「小泉八雲集」を読んでます。 

小泉八雲集 (新潮文庫)

小泉八雲集 (新潮文庫)

 

 

『影』『日本雑記』『骨董』『怪談』などの小泉八雲の著作が集められた一冊。『耳なし芳一』や『ろくろ首』は内容を知っていたものの、ちゃんと読んだことは無かったので読んでいますが、面白いです。

 

さて、表題の話です。

『怪談』の『耳なし芳一のはなし』。夜になると、平家の亡霊に連れられているとも知らず、琵琶の弾き語りを安徳天皇の陵墓で行う盲目の芳一。それを知った住職が芳一を守るために芳一の全身に経文を書くが、耳だけお経が書かれていなかったため芳一は亡霊に耳を引きちぎられてしまう、という知る人も多い怪談。

改めて読んでも不気味だと感じましたが、ふと思いました。

 

なんで、耳にお経が書かれていなかったんだろう?

 

日の沈む前に、住職と小僧は、芳一をはだかにした。それから、筆をとって、彼の胸や背中や、頭や顔や頸や、手足に―足の裏や、体の隅々に至るまで―「般若心経」の経文を書きつけた。(「小泉八雲集」P.172)

 芳一は琵琶法師なので坊主です。耳に近い顔や頸にびっしり経文書いたのに、耳だけ書き忘れるなんて事があるんだろうか?それに、書き終えて芳一の姿をパッと見て、顔に経文がびっしり書かれているのに対し、耳が真っさらだったら普通気付くと思います。何より、当の芳一本人が耳に何もされていないことに気付いても良さそうなものですが。

 

というわけで、どうしてこんなことになったのか、自分なりに考えてみました。 

 

説1:小僧が芳一に嫉妬して経文を書かなかった

 ポイントとなるのは以下の記述。

「かわいそうに、かわいそうに、芳一!」住職は叫んだ、「みんな、わし*1が悪かったのじゃ!――わしの、ひどい手抜かりじゃった!…お前の身体じゅう、経文を書いておいたのに――耳だけぬかった!その辺は小僧にまかせた。しかし、やったあと、確かめなかったのは、重々、わしが悪かった!」(「小泉八雲集」P.174) 

「その辺は」とあるので、顔の周辺に経文を書いたのは 小僧であると推測できます。となると、芳一の耳に経文が書かれなかったのは、小僧に原因が在ると考えるのが自然でしょう。

 では、なぜ小僧は経文を書かなかったのか?もし意図的に書かなかったのであれば、小僧が芳一に対してあまりよい感情を抱いていなかったことになります。

のちに、この少年のすばらしい腕にひどく心を動かされて住職は寺へ来て住むように申し出た。この申し出はよろこんで受けいれられた。芳一は、寺の一室をあたえられた。そして、食事と宿のお礼として、ほかに約束のない晩には琵琶をかたって、住職をなぐさめるだけでよかった。(「小泉八雲集」P.162) 

 琵琶の才能があり、琵琶を語るだけで住まわせてもらえる芳一。そんな芳一に対して、雑用など細々とした仕事ばかりしている小僧が嫉妬を覚えたとしてもおかしくはありません。死んでしまえばいい、とまでは思わなくても少し苦しめば、という出来心の結果、耳に経文を書かなかった、という説です。ただ、この説は

「般若心経」の経文を書きつけた。書き終わると住職は、芳一にさとしていった。(「小泉八雲集」P.172) 

とあるので成り立ちにくいと思います。「住職が芳一にさとしていった」ということは住職はきっと芳一に顔を向けているわけで、まっさらな耳があったとしたら住職は気付くのではないか、と思うからです。 

  

説2:小僧が平家の亡霊だった

寺が建てられ、墓がつくられてからは、平家の人たちも前ほど、人を困らせることがなくなった。それでも、彼らはときどき妙なことをしでかす――まだ十分、安息を得ていない証拠であろう。(「小泉八雲集」P.161)

 寺の小僧に化けるという「妙なこと」を平家の亡霊がしている、という説です。この場合、小僧に化けたのは幼帝「安徳天皇」である、と考えて良いでしょう。安徳天皇が小僧に化けて寺に居たところ芳一の存在を知り、安徳天皇の陵墓で琵琶を弾いてもらうために亡霊を呼び寄せた、と。ただし、この説も説1の「住職が芳一にさとしていった」の部分に弱点を抱えています。

 説3:小僧が経文を間違えた

  小僧なのでまだ経文を書くのに慣れておらず、経文を書いたつもりが経文になっていなかった、という説です。「耳は狭い上に曲線が多く、そもそも文字が書きにくい」という理由もありうるでしょう。これなら芳一も「耳に書かれたのだから大丈夫」と勘違いし、前述の「住職が芳一にさとしていった」の部分で住職が芳一を見ても、パッと見て経文が書かれているように見えるので気付かなかったとしてもおかしくありません。

  そして亡霊がやってきて、亡霊に間違った経文が通用せずに耳だけが浮かび上がってしまった。今のところ一番辻褄が合うと考えている説です。

 

  今のところ、これらの説を考えているのですが、この耳なし芳一について、文学的な考察などはあるんでしょうか。文学的な考察をご存じの方がいらっしゃったら、ブコメなどで教えていただければ幸いです。知らないという方も、他の説があったら教えていただければ幸いです。大喜利的な回答でも良いです。

 

それでは、また。

*1:この引用を書くとき、「わし」まで書いて「ワシが育てた」が自動予測変換で出るのが地味に面倒くさかったです。