高校の頃、柔道の授業で最初に習って練習させられたのは受身でした。何回も畳の上で後ろに倒れたり前回りをして腕で畳を打ちました。腕に痛みは感じましたが、確かに受身を取らないと頭を打ってひどいことになるというのは分かりました。運動ができないので実践に入ると投げられることも少なくありませんでしたが、おかげで大怪我はしないで済みました(もちろん痛かったのですが)。
柔道だけでなく、プロレスなど武術・格闘技には受身が存在するものが少なくありません。受身を取らないと大怪我をする、ということがわかりやすいからでしょう。翻ってみると、ダメージを軽減するための作法というのはいろんな分野で必要な気がするんですが、あまり受身を覚えるための仕組みが導入されている分野って多くないんじゃないかと。
失敗学が言及していない「失敗の仕方について」
受身が必要になる状況は、相手に投げられるなど「負けた」「失敗した」状況です。失敗した時にはどうするか、という点については畑村洋太郎氏が「失敗学」という学問試をつくり、失敗を生かそうという試みがなされています。
失敗学の概要についてはこちらをどうぞ。
「失敗知識データベースの構造と表現」として、失敗の種類について表現を試みているのが以下のサイト。併せてご覧になると良いです。
しかし、上記失敗学で取り上げているのは「いかに失敗をいかすか」であり「いかに失敗のダメージを抑えるか」については言及されていません。未知のものに対する試みは失敗することもやむを得ないというのはわかるのですが、ではどのように失敗するべきかという点について触れられていないというのは、観点として物足りなく思います。
失敗を生かすためには再起できるだけの力を保つ必要がある
失敗の仕方にこだわる理由は、上記の通りです。個人でも組織でも同じことが言えます。再起不能に陥るレベルの失敗とはどのようなものか、それは起こりうること&避けられることなのか、それは起こってしまったら軽減できない類のものなのか。これは一律決められることではなく、個人・組織・そしてプロジェクトの種類によっても変わってきます。失敗は一律なものではなく濃淡のあるもので、再起できる程度の失敗であれば再挑戦は可能です*1。
「失敗を恐れず進め」など挑戦者を鼓舞するための言説がたまに出ますが、果たしてその中のいくつが、挑戦者が失敗することをどれだけ詳細に考えているのか。そう考えると、意図はともかくあくまで他人事なのだなと思います*2。
電気ブランを飲みながら、そんなことをぼんやり考えてました。考えてみたら、お酒の失敗も似たようなことが言えるかもしれませんね。最悪の失敗が死亡することなのだから、飲酒教育に近いことはやっても良いじゃないかと思っています。
それでは、また。