最近、バーに1人でぶらりと行ったり。
自分自身、下戸であまり酒に明るくない&特に20代は重度のコミュ症だったため、バーに行くという習慣というか習わしを全く身につけること無く生きてきたのですが、以下の記事を読んで面白そうだ、ということでモノは試しにと行ってます。
バーに行く風習はどれくらいのオトナが身につけている風習なのだろうか
実際のところ習慣的にバーに行くという人ってどれくらいいるんでしょう。自分の観測範囲で、酒好きという人は居酒屋とかには行くけど、薄暗いバーで飲んだ話を全然聞かないです。前述した「下戸であまり酒に明るくない&特に20代は重度のコミュ症だったため」、行ってる人はいるけどそういった話をしていないだけなのか、女性を口説くために隠れ家としてシークレットにしているのか、本当に居ないのか、さっぱりわかりません。
なんでこんなことを急に書いたのかというと、自分の思うオトナ像があって、だいぶ年を取ったのに全然追いつけていない感覚が強いからです。
日経新聞を読みながらコーヒーを飲んでバーに入るイデアとしてのオトナ
子供の頃思い描いていたオトナは、自分には難しくて読めない経済新聞を読んで、自分には苦くて飲めないブラックコーヒーを飲んで、自分は年齢的な理由で入れないバーに入れるオトナでした。今、年を経てここに存在するのは、経済新聞を見よう見まねで読んで、ブラックコーヒーは飲めなくはないけどそれだったらカフェオレの方が美味しいと思って、バーのことはまるでわからない自分でした。
経済新聞は、わからないものはわからない。それはあまり気分のいいことはではないけれどリソースを他に割り当てたいから、今はこれで良い。もしそれが嫌だったらその時はリソースを割り当てて理解できるように踏ん張る。
コーヒーは、カフェオレが一番いい。胃にキツくないし量飲めるし気分が捗るし適度にカフェインも摂取して眠気も覚める。
バーは…‥下戸だから。
経済新聞とコーヒーはとりあえず取っ組み合って、わからないこととわかることが斑にあって、それに折り合いつけることができたのに、バーについては「下戸だから知らん」という態度を取りきれませんでした。
経済新聞とコーヒーは、どちらも1人で買えばいいだけです。ですが、バーは違います。バーは空間でありコミュニティです。1人でできることは1人で済ませばいいだけですが、コミュニティに入るのであれば、1人で何かするにしても立ち居振る舞いなど所作を気にする必要があります。
オトナはどうやって難しい知識を手に入れ、どうやってコミュニティ内の立ち居振る舞いを身につけて生きていっているのだろう。子供の僕が抱いていたのは、そんな疑問だったのだと今になって思います。そしてその疑問は、今もなお燻っているのだと自覚しています。この辺の燻りは長い時間燻っているので、そう簡単には収まらないのでしょう。ちょっとでいいからバーに通ったりして、イデアと折り合いとつけていくしか無いのでしょう。
幸い近所に良いバーが見つかりました。ただ、結構いい値段がするのでもう少しコスパの良いバーが見つかると良いのですが。そんなことを思いながらバーをぶらぶら探し続けています。「皆バーでどうしているの?」という疑問が解消される機会は少なそうですが、きっとこれからも、何かの燻りができたら折り合いをつけて、燻りを解消していくしかないのだろうな、と思います。
バー帰りの少し酔った頭で書きました。エモい(エモーショナル・感情的な、という意味らしいです)文章を書くのが下手だなあと我ながら思います。感情をどうやって文章に乗せたらいいのでしょうか。そもそも、感情を表すのってどうやるんだっけか?自分は自分の感情というものをあまり大事にしてきてない疑惑が持ち上がりましたが、今日はここでやめときます。
それでは、また。