今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

多分そこら辺にいる人のなんでもない話

読みまして。

nectaris.hatenablog.com

 

 インターネットが出始めた頃、ホームページを作って日常の話をしている人々がいた。

 ホームページを作る人は、最先端の技術を頑張って覚えてホームページを作った。まだマイナーだったインターネット技術を覚えようとするという意味では、そんな人達は変わった人と言えなくもないけど、どこかへ出かけたり何かを読んだりプレイしたりという文章は、当時友達の居ない僕にとってはとっても新鮮だった。

 他人は普段、どんなことをして暮らしているのだろう。僕みたいに、1人で大学に行って授業に出てご飯を食べて昼過ぎに帰ってゲームをやるだけの味気ない生活ではない、もっと楽しい暮らしをしているんだろうか。僕はどうやったらそんな生活を送れるようになるんだろう。

 僕にとって、友達と遊びに行ったり、近所の迷惑おばさんの愚痴や、ひどいシモネタ、テキストフォントをいじって書かれた災難話は、全部、自分の身近にあるかもしれないけど、決して普段は見ることのできないワンダーランドだった。

 

 日記サービスができて、ブログができて、SNSができて、スマホができて、だんだんインターネットは身近になっていき、皆が自分のことを書こうと思えば書けるようになった。

 その頃には、暮らしているかぎりは、どんなに頑張っても、多少はトラブルに遭うことは僕にも理解できていた。ただ、インターネットのトラブルは、最悪サイト閉鎖、アカウント閉鎖にまで結びつくことがショックだった。アカウントしか知らない人との繋がりは、死んでしまったかのように途絶えた。たとえ、その関係が一方的なものだったとしても。

 

でも、結局、今、インターネットで生の人間の文章を書くことは難しい。炎上しないように気をつけていても、炎上することはまれにあるし、その場合、自分自身の誰にも話していない一番大切で繊細な部分を記したブログは、自分自身そのものなので、ダメージが半端ない。

インターネットではかつて、“普通の人”の日常の話が読めた - マイルドヤンキーにさよならを

 書くということは「書くことを選択したこと」だ。それは、大なり小なり自分が大事にしていることで、それが炎上するのだから、ダメージを受けざるを得ない*1。特に大事にしていることなら、尚更。

 

 自分が書いている今までの文章だって、炎上しないかどうかチェックしている。それでも文句を言いたくして仕方が無かったものは書いているけど。

townbeginner.hatenablog.com

 今のところ、特に誰かの悪口を言いたいとか、反社会的な事を見せびらかしたいという欲求は別にない。でも、それは炎上する可能性がゼロだということではない。何が反感を買うかどうかは究極的にはわからない。

 

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 燻製ハンバーグを作った。ヒッコリーの香りが思った以上についてて美味しかった。でもご飯には普通のハンバーグの方が合う。パンと一緒にハンバーガーとして食べるか、酒のツマミとしてちょっとずつ食べるのが正解。 

いぶり暮らしレシピブック

いぶり暮らしレシピブック

 

 燻製ハンバーグは上記の「いぶり暮らし」 に会ったレシピ。美味しそうなレシピがたくさんあるので今後も試そうと思う。

 

 こんな暮らしがいつまで続くのか、いつまで書き続けるようになるのかわからない。それでも、こんな記事がふと見知らぬ誰かの目に止まって、ちょっと時間を消費して読んで、何かを感じてもらえるのだとしたら、やっぱりそれは、なかなかに面白いことだと思う。

*1:だから僕は炎上芸人にはあまり人間らしさを感じていない。