ロールプレイ人狼(以下RP人狼)を初めて7年半が経った。
元々のきっかけはこのブログでも何回か取り上げた「人狼TLPT」である。
「人狼ゲームをやりつつ、ある設定における登場人物になりきって演じる」RP人狼。人狼仲間内で始まった企画に参加させてもらったのがきっかけで、それから7年以上もやっているというのは、(不定期とはいえ)ずいぶん長く続いているものだなあと我ながら驚く。基本的には人狼仲間内でやるだけで、観客が居る中でRP人狼をすることはないのだけど、イベントに当選し、観客が居る中でRP人狼をやったことは、以前に書いたとおりである。
前記事の感想編で、
人狼のプレイングが上手くなるのはもちろんなのだけど、究極的には自分を活かした上で他者も活かす、そして勝つ。
と書いたけど、今もこの方針は変わっていない。そして現状はというと、未だに達成できてないことが多く、どうしたものかなとウンウン唸りながら反省して次の公演*1に臨むことの繰り返しである。自分を殺し過ぎて序盤は空気になってしまった、勝ったは勝ったけど判断が一日遅かった、などなど。それでも変わらずお誘いをいただき、参加して楽しませてもらっていることを7年間続けられているというのは、こういった課題を少しでも克服してうまくなっているだと思い直す。
RP人狼で出てくる「地」
RP人狼で面白いと思えることは、回数を経るにつれてその人なりの「ハマり役」ができる瞬間と、その役が板についた後に「地」が透けて見える瞬間である。例えば舞台に出ているキャラクターを基に演じるとしても、当然そのキャラクターを演じた役者本人とは別人なので、全然違ったものになる。そのキャラクターをどう演じるかは、人によってアプローチが違うのが面白い。きちんと本家に寄せる人、そのキャラクターのエッセンスを抽出して全く別のキャラクターにして再構成する人、設定だけ借りて自分なりのオリジナルキャラクターに仕立て上げる人、元の設定をガン無視してぜんぜん違うキャラクターにする人。アプローチの仕方が様々で、見ていて飽きない。
公演によっては、元ネタのあるキャラクターをやることもあれば、完全にオリジナルキャラをやることもある。そういった役を演じる回数を経るごとに、それぞれの人のハマる役が見えてくる。それと同時にその人なりのオリジナル要素がどんどん強くなり、「ハマり役」を演る時の「地」が出て、体重の乗った芯のある演技が見られるようになる。
こういった「体重の乗った芯のある」キャラクターと、別の人の「体重の乗った芯のある」キャラクター同士がぶつかり、バチバチに戦って、握手して共闘して、1つのゲームを通した物語を作っていく。役者や演劇を専門的に勉強したり教育を受けたわけではないので、芝居の出来不出来は置いといて、そういった物語を観るのはやはり楽しい。自分が役をやることで、自分自身や他者の解像度が上がっていく感覚がある。
これは全くの余談だが、RPをするにあたって役作りをやることがある。具体的には、衣装の選定やセリフの練習、さらには体型づくり。前述の記事でも書いたが、キャラクターを演じるにあたって現時点での体型・体格では説得力が無いという理由で食事の節制をしたり体を鍛えたことがある。特に今年は、それが功を奏してダイエットに成功してしまった。自分自身からキャラクターを生み出すのではなく、自分自身がキャラクターに寄っていった。
大げさな書き方をすると、虚構が現実を侵食した瞬間である。
RP人狼の醍醐味は実際に人と人とが向かい合う瞬間を「立体的に」見られることである。観賞はオンラインでも可能だが、向かい合うことはどうしても実際にやらないといけない。その性質上、コロナ禍の最中でRP人狼も開催が難しくなっているのは確かだ。だからこそ、演劇に対する見方が変わった。人が実際に向かい合うことは、「その瞬間にその二人が同じ空間にいる」という身体的なことであり、それをベースにした物語なのだと。文字にすると当たり前のことだけど、RP人狼をやっていないと、この意味を理解できなかったと思う*2。どうか、一つでも多くの演劇が今後も無事に行われますように。
公演が終わった後、あのセリフはもっとうまい言い回しがあった、こういう説得の仕方があったと、人狼ゲーム的な意味でもロールプレイ的な意味でも反省することが少なくない。7年間、いまだにこのサイクルを繰り返している。そんなことの繰り返しは、今のところとても楽しい。