今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

今年の目標は「毎日2000字以上の文章を書く」だけ

  いわゆる「今年の目標」を年始めに立てることを毎年行っているのだけど、今年は試しに一つだけに絞ってみることにする。

 

今年の目標:毎日2000字以上の文章を書く

 

今年はこれ以外の目標は一切立てない。理由は以下。

  • 身も蓋もないけど、過去に目標を何個も設定したところで守れた試しがなく、どうせ忘れてしまうのであれば、いくつも立てるだけ無駄だと考えているため
  • 「アウトプットする」という力を鍛えれば、「インプットする」ことについても自然に改善ができるのではないかと仮説を建てたため
  • 「2000字」は原稿用紙5枚分の枚数で、これを定期的に書けるだけの力をつけることで、文章のネタを探す力・構成をする力が付くのではと考えているため(基礎訓練のイメージ)

 

この目標についてレギュレーションは以下の通り。

  • 書く文章の内容は何でもOK。ブログなどに公開する文章、仕事などの理由で公開できない文章、どちらでも問題ない。ただし非公開文章を2000字以上書いた場合は、ブログを書き起こして非公開文章を書いたこと、非公開文章の内容を書ける範囲で申告すること
  • Twitterの文章はノーカウントとする。ただし実況中継以外の連続ツイートはカウントする。もっともその場合は、ブログを改めて起こして文章を再構成することを推奨する。
  • この目標を守れなかったときのペナルティーは特に設けない。ただし、必ず月ごとに振り返りができるよう、「守った」「守らなかった」の記録はつけること
  • 締切は原則日付が変わるまでとするが、何らかの事情で日付が変わり寝る前に投稿したものは許可する。ただしその場合は日付が変わってから書いた旨を記録すること。

  

  去年はテレワークのおかげで通勤時間が減った分、読書に充てられる時間が増えた。一昨年の終わりより参加させてもらっている読書会もオンラインに移行し、それにより読書会に参加しやすくなり、参加回数も明らかに増えた。読書会は本の読了が必須のため、読書量は増えているはずである。それなのに、読書で得たはずの知識や感覚・思考がどうにもしっくりこないというか、体重の乗った思考に移しきれていないという感想を抱いてしまっている。去年の読書で一番印象に残っているのは、フーコーの「監獄の誕生」。しかし、印象に残ったのは「内容がさっぱり理解できない」という印象であり、フーコーは自分には合わないという記事を書いたことで、フーコーの思想そのものを自分の思想や思考に取り込めたわけではない*1

  もしこの体験をブログの記事として起こしていなければ、このインパクトも忘れ去ってしまっていた可能性は全然ある。何しろ今となっては、1年前の1月にどう過ごしていたのか全然思い出せないくらいだ。それくらい生活に変動が起こってしまっては、記録をしないとすぐに思い出せなくなる。それは嫌だと、どこかで本能的に思っている。

  ※余談だが、読書記録はnoteでも書いたのだけれど、読書記録が複数の媒体に散らばってしまうと参照もしにくい上、note自体も媒体として信頼性が高いとは思えないこと、文章を書くことについてははてなブログで不都合は無いので、noteが今年5月までにエクスポート機能を実装しなければ、noteの更新を停止してはてなブログに一本化する予定でいる。

 

  「2000字以上書くこと」について、音声入力が鍵となるのは間違いない。テレワークで仕事の合間に音声入力でブログ記事を執筆したことがあったけど、文章の分量自体も増えて書きやすかった。一方で、ある程度頭の中で文章の構成を整えておかないと、音声入力で文章を打つことができない。キーボードの場合は「とりあえず文字を入力してそこから構成を考える」というやり方で文章を書くことがあり、どうしても取っ掛かりができないときは、そうやって書くこともある。しかし音声入力の場合は、口から喋るにあたって、まず頭の中で構成を完成させないといけないので、キーボードで書く時とは勝手が違い戸惑うことがある。

  そのこともあり、音声入力を使いこなすことで、ある程度構成力を鍛える訓練にもなるのではないかと期待をしている。全体的な骨組みは画面を見ながらキーボードでやることになるだろうけど、小さい文章の構成を考える事は、頭の中で組み立てることができるようになると良いなと思う*2

 

 

 年が明けた。喪中のため、新年の挨拶は無し。  

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  深夜の浅草寺。屋台が一軒も出ておらず、人が明らかに例年より少ない。毎年、じゃがバターの出店でバターをたっぷり塗ったじゃがバターを食べるのが新年恒例行事だったのだけど、屋台が出ていない以上、断念。

  参拝客は明らかに例年より少ない。とはいえ「少ない」と言っても行列して係員が誘導しながら参拝をしているので、外から見ていると「三密を避ける」という意味では不安になってしまった。

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  自分の目的はみくじを引くことだけなので、参拝には行かずにみくじ売り場へ。アルコールハンドスプレーもすっかりいろんな施設に常備されるようになったなと思いながら、スプレーを掛けておみくじを引く。 

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  新年の浅草寺で引いたおみくじ。内容は「真心があれば魚は寄ってくるが、妨害するものがあるので充分注意せよ」というもの。レベル的には去年より少し悪いが、十分に良い。とはいえ、病気の欄の「長引くでしょう」という記述はこのご時世、不安になってしまう。

*1:もっとも、それはそれで得難い体験で、自分の思考が別の方面で強化はされたので良い経験ではあった。

*2:もう気づいているかもしれないが、この文章のほとんどは音声入力で入力されたものである。