今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

猫町倶楽部読書マラソン -ギリシャ神話 第一回-

今日から毎週木曜日、全10回の読書会「ギリシャ神話を読む」に参加することになった。 

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  ギリシャ神話は、真・女神転生(メガテン)シリーズやペルソナシリーズをプレイしていて登場する悪魔を見ていたので、ある程度知識はあったものの、ストーリーはあまり正確には知らなかったので、いい機会だと思い参加。 

 

  課題本は、呉茂一「ギリシア神話」。 

ギリシア神話☆〔新装版〕☆

ギリシア神話☆〔新装版〕☆

  • 作者:呉 茂一
  • 発売日: 1994/08/24
  • メディア: 単行本
 

第一回は本書の第1章。いわゆるプロローグ的な位置づけで、登場人物(神様)がわらわらと出てきて、なかなか覚えられず頭に入ってこないという混乱を抱えるものの、ヘカトンケイルやアトロポス・クロト・プロメテウスなど、

「あ、メガテンで出てきたやつだ!」

と初見なのに懐かしさを感じながら読み進めていった。

  「なかなか覚えられず頭に入ってこない」というのは他の読書会参加者の方々も同じ感想だったようで、少し安心した。余談だが、読書会の後の懇親会で、巻末に家系図が一覧として載ってることを教えてもらった。もっと早く知りたかったが、巻末にあるので、下手したら最終回までこの家系図の存在に気付かなかった可能性はある。教えてくれた方には感謝しか無い。

 

  以下、ここまでの感想をピックアップ。

人間に知恵を持たせるキャラクターは、神様の怒りを買う

  プロメテウスは人間に火を与えて、ゼウスの不興を買い、最終的にプロメテウスはゼウスの手によって磔にされてしまう。プロメテウスが火を与えたエピソードはメガテンの説明書きで知ってはいたが、ゼウスとの対立は頭に入っていなかった。いわゆる「知恵」を人間に与えて神の怒りを買うというのは、キリスト教におけるアダムとイブの楽園追放エピソードを連想した。(人間が)知恵を得ることを神が嫌がるのは、共通した話なのかもしれない。読書会では「施政者が非統治者の知識人を嫌がるのに似ている」と指摘があったけど、人間と神の関係も同じなのだろうか。ある意味では、神の人間らしさが出ていると言えなくもない。

  それはそれとして、プロメテウスがゼウスに知恵比べで喧嘩を売る様は、「頭が良いことを自慢したい人間」のそれにしか見えず、大変人間臭くて面白い。

 

えぐい父親殺しエピソード

  いわゆる「父親殺し」は、スター・ウォーズやダイの大冒険など、現代の物語でもしばしば登場するモチーフだが、ギリシア神話にも父親殺しは登場する。しかしそのエピソードは大変に攻めたエピソードで、なかなかえぐい。以下引用する。

しかし母である大地はこれにひどく不満であったうえ、地底が彼らで詰まったために苦しみ、ついに謀を巡らして灰白色の鋼鉄で大きな利鎌を作り、苦悶の色を顔に表し、子供たちを促して、自分のいうとおりの策を実行しろと煽動した。

しかし彼らはみな父親を恐れ、ただ黙然とうつむくばかりで応じようとしなかったとき、末の子クロノスばかりは敢然として母の勧めに従い、罪深い父ウーラノスに復仇しようと申し出た。そして彼がまたガイアを訪れ、正体もなく倒れ付した隙に、物陰から先の大鎌をとって立ち現れ、左手を延ばし、右手にどきどきする鎌を揮って、父の陽物をいきなり切って落とし、うしろのほうに投げ捨てた(これはおそらく呪いのためであろう)。
(ギリシア神話 P.34)

   母親が大鎌を作り「あいつを殺せ」と自分の子供にけしかけ、子供が応じて父親の陽物*1をちょんぎってしまう。父殺しにしても、ずいぶんなエピソードである。さらにすごいのは、そこから血が出て大地へ流れた結果、復讐の女神エリーニュースが生まれ、ウラノスの陽物が海へ放り込まれ、その周りに白い泡が集まって、愛の女神アフロディーテが生まれたと言うエピソードである。カオス過ぎる。

  「どういう読み解きをすれば良いのか、血から復讐の女神が出るのはわかるが、陽物から愛の女神??」

  など、色々相談してみたが「こういった一神教でない神話は後付も多く、あまり整合性を意識しなくて大丈夫」と諭された。とはいえ、なにか鍵が無いとも限らないので、頭に留め置いて置こうと思う。

  ところでこのエピソードで、怪物「ヘカトンケイレス(ヘカトンケイル)」が登場する。メガテンでは、ヘカトンケイレスは

  • 種族「邪鬼」(DARK-CHAOS)
  • 物理攻撃が強い
  • 明らかにビジュアルがおどろおどろしい

  という特徴があるので、ギリシア神話においても、相当に粗暴なキャラクターだったのだろうと予想していた。ところが実際のギリシャ神話では、その醜さから父ウーラノスに嫌われタルタロスに幽閉されてしまう。母が大鎌を作ってけしかけたときも、父親を怖がり戦おうとしなかった。このエピソードをしり、なんだか悲しくなってしまった。

  今度ヘカトンケイルが仲魔になったら、きちんと育てて一緒に戦うことにする。

 

パンドラの箱の中には、なぜ最後に希望だけが残っていたのか?

  ゼウスはパンドラを生み出し、災厄の詰まった箱を持たせてプロメテウスの弟、エピメーテウスへ送りつけた。プロメテウスはゼウスの奸計に気付いていて、弟に「ゼウスの贈り物は注意しろ」と忠告しているのに、エピメーテウスは結局パンドラにデレデレになり、ダメだと言っているにも関わらず、パンドラの箱を受け取り開けてしまう。典型的なハニートラップに笑ってしまったが、パンドラの箱からは災厄が流行し、最後の箱には希望だけが残った。

  ではなぜ、パンドラの箱には希望が残っていたのか?

  読書会で出てきた説の中で、「災厄の中に希望が残っていた方が絶望の度合いが深くなる」という説は、納得できつつも空恐ろしくなってしまった。また、希望が最後まで残っていたということは、裏を返せば、この箱を作ったゼウスが最初に希望を入れていることになる。そう考えると、「希望」最初に入れ、その後厄災で希望を粉微塵にしようとしたと考えられなくもない。他にも考察はできると思うが、いずれにしても、こういった考察ができるのはギリシャ神話の魅力のように思う。

 

  今回は第1回。残り9回でどのようなストーリーが展開されるのか、楽しみにしている。

*1:陽なのか陰なのか、はっきりして欲しいと思った。