今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

「テレビ」も「とりもち」も無くなっても、「テレビとりもち」は無くならない

  先週のドラえもんで、テレビとりもちを放送していた。

www.tv-asahi.co.jp

  ドラえもんの次回作の映画は「ドラえもん のび太の宇宙小戦争」。主題歌を歌うOfficial髭男dism*1がゲストで出演する話だった。わさびドラになってから有名人が出演する話が増えた印象がある*2。今回は何の話で出るのかな、と思っていたら「テレビとりもち」だった。

 

  話自体は原作のドラえもんをきちんと踏襲していて楽しかった。しずかちゃんがきちんとミーハーで「Official髭男dismよ!」とのび太に説明したり、ジャイアンがカメライダーセイヤー*3の大ファンだったりと、テレビ朝日らしい改変がされていて良いと思った。

 

  放送を見終わった後、ふと思った。

「これ、子供に『テレビ』が通じなくなる日が来るのかな?そうだとしたら、もうこの話って意味がわからなくなっちゃうのかな?」

 

  すでに子供のなりたい職業1位はYoutuberになっている。僕が子供の頃の職業の位置づけとしては、「歌手や俳優、お笑い芸人などのタレント」といった職業に当たるのだろう。しかし今の子供は「Youtuber」として認識している。Youtubeに出ている人であって、テレビに出ている人ではない。テレビ放映自体も、見逃し配信や完全版の配信など、テレビが無くてもタブレットやPCモニタ、スマートフォンなどでコンテンツを視聴できる用意が整っている。そう考えると「テレビ」という概念が無くなったとしても決して不思議ではない。「テレビ」の形状をしたものは「テレビ」ではなく「モニタ」と呼ばれるようになったら、テレビの概念は消えてしまうのだろうか。

 

  しかし、ふと気づく。

  「テレビとりもち」って言うけど、僕はとりもちの実物見たことあったっけ?

 

  記憶をたどったけど、僕はトリモチに触ったことはおろか、見たことも無かった。少し調べてみたところ、デイリーポータルZで、まさに「ドラえもんに出てくるトリモチを作る」という記事があった。

dailyportalz.jp

  上記の記事では、

広辞苑で引いてみると、だいたいこんな具合。

鳥もち
モチノキ、クロガネモチなどの樹皮から取ったガム状の粘着性物質。5~6月に樹皮をはぎ、これを秋まで水につけておいて、臼にいれて搗き、それを流水で洗う。これを3~4回くりかえすとできる。捕鳥、捕虫に用いる。(引用:広辞苑 第五版)

 

(中略)

 

調べによると、昭和初期ぐらいまでは普通にお店で売っていて、虫取りに行くときに子供がお小遣いで買っていたようだ。クワガタの世話(ダニ掃除など)にも使われるため、今でも小鳥店などでは普通に売っているらしい情報をゲット。

  なぜ僕がトリモチを見たことがないのか、よく分かった。トリモチは害虫駆除として用いる道具で、都会にはもうトリモチで駆除するような害虫はほどんど残っていなかった。また、鳥をペットとして飼ったこともなく、小鳥店に足を運ぶことも無かったので、見る機会が無かった。

 

  では、「とりもち」を見たことも無い僕は「テレビとりもち」を楽しめないのか?

  それがNoであることは、冒頭に書いたとおりである。

 

  作中で、テレビとりもちは「テレビの中のものに引っ付けて取る」と説明される。この時点で「とりもち」そのものを知らなくても、作品を楽しむ上では全然問題ない。これがどういう道具なのか、理解できる。話の進め方としてはこれで十分だ*4。そう考えると、「テレビ」という概念を理解していなくても。「なにかモニタ越しに写っているもの」、もっと言えば「自分と違うところにあるらしい空間(スクリーン)にあるもの」という概念さえ理解していれば、テレビとりもちは話として理解できる。

  つまり、テレビとりもちの本質は「自分と違うところにあるらしい空間(スクリーン)にあるもの」を「道具に引っ付けて自分のいる空間に持ってくる」道具である。こう書くと、十分にSFチックな話に思える。つくづく藤子・F・不二雄氏はSFに対する見識が深いと感嘆するばかりである。

 

  今後、「テレビ」も「とりもち」も知らない世代がほとんどになったとしても、「テレビとりもち」は無くならず、面白い話として理解されるのだろう。そういうのは古典落語にも似て、とても楽しい変遷である。そして自分が意識していないだけで、実は自分の身の回りからは消えてしまったものも、きっと少なくはないのだろう。

 

  今日は、ふと思ったことを書いてまとめた。今までほとんどが日記に近い形式だったので、珍しい。本当はこういう着想を膨らまして、もっと論じたりしたいのにな、と思う。

*1:ちなみにこの文章はiPhoneの音声入力で入力したのだけど、Official髭男dismが一発で変換された。びっくりした。

*2:甘栗旬とか福山雅秋とか、ちゃんと名前を変えているのは、個人的には原作を踏襲していていい印象を持っている。

*3:もちろん「仮面ライダーセイバー」のパロディである。

*4:考えてみたら、ドラえもんは小学生の読む漫画なのだから、概念を知らない子供を置いてけぼりにするような話にするはずがなかった。これについては自身の不明を恥じるばかりである。