40代ブロガーの間で自分の人生について考えることがホットトピックになっているらしい(雑)。
一応自分も40代で心境の変化も無くはないので、ブコメで感想を書いて済ませるよりは
というかこのへんの話題、観測するメンツが似てきているので、もっといろんな人の文章を読みたい。みんなどこで書いているの。
自分の人生に飽きたくない - インターネットの備忘録
というはせさんの要望に素直に従ってつらつらと書いた方が自分のスタンス・思考もクリアになるだろうという希望を持って書いてみる。
若者になりきれなかった幼い自分
他の方々のブログを読んで気付いたことがある。皆、熱狂していたということだ。
なにかに熱狂するエネルギーであったり、好き/嫌いに対する爆発的な感情みたいなものが年々なだらかになっていき、まさに「人生の秋」のような、しんみりした味わいが出てきたなあと感じる。
自分の人生に飽きたくない - インターネットの備忘録
若い頃は人生の中で面白いことやワクワクすることがたくさんあったから、感じたことをそのまま書いていけばよかった。
どうせ俺らは早く死ぬ - phaの日記
10代・20代の頃は何がしかの本やアニメ・ゲームやスポーツにハマることは多いと思う。僕自身も確かにハマったものはある。だが、果たしてその熱量はどれほどのものだったのだろうかとも思う。自分が好きなもの・ことに対して周りの人と同意したり分かち合ったり時には激論を交わしたり、文章に書いたり創作で表現したり。いずれにしても「自分はこれを好きなんだ」と明瞭に叫んだ記憶が僕にはない。ナイツもポリスノーツも受験そっちのけでプレイした。MSXのメタルギアは徹夜でプレイした。星新一をひたすら古本屋で買って読みあさった。毎日T-SQUAREを聴いていた。メタルギア・ソリッド2の初回限定版が発売された日は、(プレステ2本体を持っていないくせに)始発が出る前に自転車で秋葉原に行きソフマップの前に並んで買った。
そしてこれらの事は、誰にも何も言わなかった。誰とも分かち合うことがなかった。自分の好きなことがうまく伝えられず、それが「自分の好きなことは他の人は別に興味が無い」に変わるのは、すぐだった。ついでに言えば、流行には背を向けていた。ひねくれていたのか本当に食指が動かなかったのか、今となってはよくわからないが、一つ確実に言えるのは、今薄っすらと疎外感を感じていることだ。僕はエヴァンゲリオンについて一切思い出がないし、小室哲哉もモーニング娘を追ってなかった。知識として知っているだけである。そんな僕が今見ている景色は、10代の頃にエヴァンゲリオンに熱狂できた人々とは全く違うのだろう。どちらも「オタク」と呼ばれた10代を過ごしてきたと思っているが、いま見ている景色は、多分全然違う。
そんな僕にとっては、「若い頃は人生の中で面白いことやワクワクすることがたくさんあったから、感じたことをそのまま書いていけばよかった。」という一文は眩しすぎる。僕は若者の熱狂と無縁だった。20代中盤で鬱を発症してからは、ただただ防衛戦を展開していて、熱狂どころでは無かった。
そう考えると、僕は「若者」だったことが無かったのではないかとすら思う。「若者」は無茶をしたり騒々しかったりとにかくうっとうしいくらいにエネルギーの塊だ。僕にはエネルギーが無かった。ただ、世間に怯える幼い人間というだけの話だったのだろう。
若いうちはいい。みずみずしい感受性で、世の中のあらゆる物事から「充実」や「生きがい」を引き出すことができる。しかし中年期以降、感受性の衰えの中で「充実」「生きがい」を自給自足して生きていくことは、段々とむずかしくなっていく。
『自由』が『虚無』と化した先の人生の生きがいについて(あるいは個人主義と共同体主義の狭間で) - 自意識高い系男子
ta-nishiさんのこの一文は、おそらく真実だと思えるし、きっと自分にも当てはまる。でも自分がそう感じてない(ように思える)のは、加齢により感受性は衰えたものの、その感じたことを表現する技術と精神を身につけることができてきたから、帳尻が合っているからだ。それくらい技術と精神が無かった。
若者の時は池波正太郎の本を読んだことを誰にも言わなかったし、どこにも書かなかった。今はとりとめもない話はブログやTwitterでとりあえず書けばいいやとばかりに書いている。熱狂とは程遠い。だが、いまはそれでも問題ないという気分になっている。元々が熱狂から遠いところにいたのだから、少しの灯火があれば、それで十分だ。
「しぶとく」生きに生きて40代
もともとの期待値・スタートラインが低いから、何かが得られなかったとしても、それはもう仕方ないものとさっさと諦めてしまうところがある。10代が悲惨な学校生活で友人も恋人も一切できず、20代の中盤で鬱を発症してしまっているので、人生は戦後の焼け野原からスタートに近い感覚を持っている*1。そのことを思えば、よくもまあここまで立て直したと思わざるを得ない。
若い世代も含めた他人から何と言われるか、どう自分の人生が寸評されるかにかかわらず、この目が黒いうちは生きて、生きて、トートロジーと言われちゃうかもだけど死ぬまで生きるしかないのだと思う。格好良いか、格好悪いか、そんなのも知ったことではない。
生きに生きて40歳、俺らは結構長く生きた - シロクマの屑籠
40代後半にさしかかって私が思うのは、「どうせ俺らは早く死ぬ」ではなく「生きに生きて40代」だ。狩猟採集社会の男性と比較すれば十分長く生きたし、少なくとも思春期をこれ以上延長できないぐらいまでは生きることができたのだ。40年という時間は、ホモ・サピエンスである私たちにとって決して短いものではない。本来なら世代がひとめぐりしている年齢だし、たどり着くまでに幾人もの脱落者が出ておかしくない年齢でもある。
生きに生きて40歳、俺らは結構長く生きた - シロクマの屑籠
その意味ではシロクマ先生の「生きに生きて40代」という言葉は非常に刺さる言葉である。
じゃあ、私がそんなに長生きするという保証はどこにある? 私がそんな高齢まで生きられるという確証をどこに求めればいいのか? ない。どこにも見当たらない。統計上のファクトはあくまで統計上のファクトでしかなく、個人の未来を予言するものではない。
生きに生きて40歳、俺らは結構長く生きた - シロクマの屑籠
とは言え、自分は長く生きると言うイメージはやっぱり持てない。このことは以前にも書いた。
ではどうするか。答えは意外とシンプルで、後始末を片付ければ良かった。
当たり前だが、遺言書を作成したからといって自分の何かが変わるわけではない。何だったら、遺言書は施行されるのは自分が死んだ後の話なので、自分の人生という意味では全く関係がない。それでも、「自分が死んだ後の後始末は一つ片付けた」と事実は、今の自分が生きることについて、少しだけ不思議な安心感を与えてくれた。
遺言書を書いた - 今日も知らない街を歩く
どうしようもないことに対して、「備えて待つ」というのは、ケースバイケースとはいえ、有効な場面が意外と多かった。「字が汚い」ことを散々馬鹿にされたり怒られたが、今はPCのおかげで字の汚さが生活する上でネックにならない*2。他人と喋れなくて困っていたのが、ブログやSNSでポツポツと「書く」ことで少しずつコミュニケーションを取る勉強ができるようになった。会社の飲み会や社員総会で寄る場が無くぼっちになる苦しみは、コロナでテレワークになった今は一切ない。
自分自身が変わらなくても、世界のほうが変わってくれて、辛いことが辛いことで無くなることがある。もちろん東日本大震災やコロナは災害でしんどいものだけど、何かがきっかけて社会が変わって、不利な状況を脱するチャンスが得られることがある。
チャンスを待つためにどうやってしぶとく生き続けるか。きっとこれからもそういったことを考えながらしぶとく生き続ける。
久々にベーコンを作った。
初めてベーコンを作ってからもう10年以上が経つ。彼女ができずにとうとう30歳を迎え「俺はもう一人で生きていくしか無い、自分であらゆる道を切り開いていくしか無いんだ」と絶望的な気持ち半分でベーコンを作り始めたのを覚えている。今、絶望的な気持ちにならずにベーコンを美味しくいただけているだけでも、それで十分だ。