復興バー 2016 に行ってきた。
ほとんど知らない人々ばかりだったけど、それでも旧交を温めることが出来てよかった。
あまり話す相手も居なかったので、最近の復興活動が記されたパンフレットを見ながら、ぼんやりと考えていた。
「復興」は必要か?
2011年の東日本大震災から5年経った。いま、東北はどうなっているのか。あまりニュースで特集されることはない。ニュースにならないから、うっかり自然に元通りになっているような感覚を覚えてしまうけど、実際にはまだまだ活動している人々がいる。
宮城県石巻市では、ISHINOMAKI2.0 として新しい街を作ろうとする試みが行われている。
活動を初めて5年。やったことは沢山あるし、まだまだやれることはあるという刺青が伝わってきた。何しろ街を作るのだから、やれることは尽きない。
復興バー。
震災から5年も経って、まだ「復興」という言葉を使う必要があるのか。
使う必要は、ある。それは、「(東北が)まだ復興していないから」ではない。今は、東北に限らず、どの地域でも、いつ「復興」が必要になるかわからない状態であり、「復興」というコンセプトを絶やしてはいけないから。そう考えている。
未来を予言する「被災地」、未来がまだ来ない「未災地」
以前、災害対策の考え方として、「被災地」に対する「未災地」というコンセプトを聴いたことがある。被災地はもちろん「災害が起こった場所」という意味だが、未災地は「これから災害が起こる場所」。ただし、いつ起こるかはわからない。
「どこでも災害は起こりうることであり、被災地はそれを先取りしているだけに過ぎない」という考え方。だからこそ、被災地の活動と情報は、未災地の未来を決めるための活動に他ならないのだ、と。
今年2016年4月、熊本で大地震が起こった。10月には鳥取で大地震が起こった。どちらも東日本大震災よりは被害の規模は小さいが、規模が小さいだけで被害を受けている人々はいる。その人達にとっては、生活を立て直すことは紛れもなく復興である。
熊本も鳥取も、2016年3月までは「未災地」だった。今は「被災地」である。
今、自分が住んでいる東京という街は、いつ未災地ではなくなるのだろう。その時までには、自分は自分と他人のために、何ができるようになっているのだろう。
「クリエイティブの可能性」でお世話になった野田さんに勧められた牛丼。100g1000円の肉らしい。味付けも濃い目で大変美味しゅうございました。
復興バーは11日までやっているので、お時間のある方はどうぞ。日本酒も美味しゅうございました。