今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

クリエイティブの可能性 春合宿(6) 再び7万本の松

3日目、6:00起床。
普段の起床時間とほぼ同じでしたが、きちんと布団で寝なかった*1分疲労は溜まっていたし、体をかなり動かした上に前日酒を飲んだため起きるのはしんどかったです。それでも朝食を食べていくうちに体は起きてきました*2。6:30に出発し、再び陸前高田ボランティアセンターに向かいました。

再び7万本の松

この日のボランティア活動は、高田松原を守る会のみなさんと一緒に松を植える作業。陸前高田の7万本の松を再生させるプロジェクトのお手伝いです。そもそもこのボランティア活動は前回の冬合宿からの続きで、前回は整地のみだったのが、今回いよいよ植樹に入るとのことでした。
まず松を植える前の整地を行い、それから植樹。再生に向けての取り組みという明るい内容だからか、メンバーも和気あいあいと話し合いながら楽しく作業をしていました。僕自身、(運動量が少なかったという基本的な理由ももちろんありましたが)昨日より楽しく作業ができました。


陣中見舞いとして、サックス奏者の小林洋平さんから曲を聞かせてもらったり、横浜のありあけハーバーを販売されている上原淳一郎さんからお菓子の差し入れをいただいたり。本当に有難うございました。


頂いたお菓子。奇跡の一本松が描かれています。

語り継ぐこと

印象的だったのは、高田松原を守る会の皆さんです。特に会長さんは実にいい笑顔で、とても楽しそうでした。
1年前、あんなにひどい災害に見舞われたのに。


「松を植えたところで、また地震が起こって同じように津波が来たらどうするのか」
植樹を始める前、そんな疑問を持っていました。しかし、その疑問の答えは松を植えていくことでなんとなく掴めました。

「それでも松を植えて7万本の松がある高田松原を復活させたい」
会長さん以下、ひどい地震津波に見舞われても、陸前高田から「恒常的に」出ていく、という選択肢は持たないでしょう。それは高齢で移動が困難だからとかいった理由とは別に、そもそもこの土地に居続けたいという意志があるからです。そこには、ちょっとした面白い出来事や大切な人々、あるいはひどい自然災害など様々な出来事の記憶があって、その記憶は住み続ける人々の伝聞だったり記念碑だったりなどの様々な形で子孫へ、未来へと受け継がれていくのです。
きっと、そういったことの積み重ねが郷土愛というものなのだろうなと思いました。

マイナスを無くす VS 未来を作る

前述したとおり、植樹のボランティアは楽しかったです。要因はいくつかあると思いますが、「これから育つ木を植える」という未来へと繋がることをイメージしやすい作業だっため気持ちが明るくなった、ということは少なからずあったと考えています。瓦礫処理も確かに将来家を立てたりなど未来を作るためには必要な作業ですが、どちらかと言えば「マイナスをゼロに戻す」作業で、未来へと繋がる実感は植樹ほどは得られなかったのは事実です。

そう考えると、「瓦礫被災地で全て処理すべき」という意見には賛同できなくなりました。特に「雇用が急減した東北にとっては雇用機会が増えていいこと」という意見に、です。まだまだ沢山の瓦礫が東北にはありました。1年以上経ったのに、です。それでもなお東北だけで処理する、というのは何時まで経っても終わらない作業のように感じられました。さらには、東北の人々がそのような「マイナスをゼロにする作業」に長期間従事するとどうなるか。東北の人は完全に意気消沈し、全く希望が持てなくなってもおかしくない状態になっても、不思議ではないでしょう。
おそらくかなりの極論だと思います。しかし、ボランティアで瓦礫処理と植樹を両方体験したことから考えると、これから東北が復興するためには、被災者自身の手で「未来を作る」ということを行なわないといけないし、そのためには未来を作ることに近い仕事をさせるべきではないかと思うのです。



植樹ボランティアを終えた一行は、地元の復興のために活動を続けられている武田雄高さんの話を伺うために、再び南三陸に戻りました。
次以降の記事に続きます。

それでは、また。

*1:初日はバス泊でした。思ったよりは寝れましたが所詮はバス泊なので……。

*2:本合宿のリーダー、野田さんのブログ読んで気付いたんですが、この時間の朝食って確かに普段より早いですね。旅館の皆様、お手数をおかけしました。そして、ありがとうございました。