昨日誕生日を迎えた。
たまたまその日は上野で開催されている大哺乳類展に友人たちと一緒に行くことになっていたこともあり、その流れでお祝いをしてもらった。ありがたい限りである。
その流れで、自分の人生を1年ごとに振り返る企画(?)を試したところ、面白い指摘をもらった。
「タウンさんって、小説とかいろんな物語のベースや読み方がSFにあるんですね」
自覚なしにSFを浴びていた中学時代
中学の頃友達がおらず、ゲームをやって本ばかり読んでいたという話をした。その時に話したのは、「よく読んでいたのは星新一や筒井康隆、小松左京」ということだった。とはいえ、自分ではSFが好きであるという自覚は無かった。この三者以外のSF作品は特に漁っていなかったし、スペースオペラ的な作品についても見識が無いし、何より理科の授業は先生と相性が悪いこともあって大嫌いだった。
しかし、この三作以外にも夢中になったゲームなどを振り返ると、確かにSF的な要素が盛り込まれていることに話してて気付いた。
その飲み会の席で話していたのはエロゲーの話で、初めてプレイしたエロゲー「Elle」と。印象的だったエロゲーの話で挙げた「Dr.STOP!」である。*1
Dr.STOP!は、アリスソフトから配布フリー宣言が出されており、無料で配布をしていることがわかったので、すぐにダウンロードして読み返した。
今読み返すとシナリオの展開は唐突すぎるなとは思うものの、その時に受けた衝撃は思い出すことができたし、確かにこれはSF的な展開だと思った。*2
どちらもネタバレになってしまうのでストーリーの詳細は控えるが、確かにSF的な展開や舞台設定で、ミステリーとして謎を解き明かす醍醐味というよりは、謎は謎のまま提示されたうえで、「そういうことだから」と明快な理由もなく話が終わる。重要なのは、「そういうことだから。じゃあそれで、お前はどうするんだ」と決断を突きつけられる作品だったという話をした。
エロゲー以外のコンシューマーゲームは「グラディウス」「R-TYPE」「魂斗羅」などのアクション・シューティングゲームが好きだったのだが、だからといってSFが好きだと自覚することは無かった。確かに巨大メカや宇宙を舞台にはしているが、それはゲーム的には本質ではなくあくまで舞台装置であり、SF的な話や本質というわけではないからだ。
しかし、人生を振り返りながら「このゲームの何が印象的だったか」を語るにつれて、SFがベースにある、SF的な読み方をしているという指摘は、説得力を持った意見だと思い唸ってしまった。
思い当たる点がもう1点ある。最近NHKオンデマンドで藤子・F・不二雄SF短編ドラマと星新一の不思議な不思議な短編ドラマを観ていることだ。
15分程度で見れる短編ドラマで、仕事の合間の昼休憩に観るにはちょうど良い。ただそれだけだと思っていたのだが、よく考えたらどちらも明らかにSFである。そういったドラマを選んで観ているという事は、少なからずSFに対する趣向が強いから観るわけであって、SFがベースにあるという指摘は全くその通りだと思わざるを得ない。
ちゃんとした人間を目指す吉田聡作品とヤンキー漫画の本質について
そう考えると、(その飲み会の当時には時間の都合もあり触れられなかったのだが)、もう一点、外してはならない作品群がある。
吉田聡である。
吉田聡は、代表作として湘南爆走族があるためヤンキー漫画のイメージが強く、事実「荒くれKNIGHT」「DA・DA!」などヤンキーや裏社会が絡む作品が多い。一方で僕が中学の頃に読んでいた吉田聡作品は「トラキーヨ」「スローニン」「バードマンラリー」など、ビックコミック系の作品が中心だった。
当時はギャグの部分でゲラゲラ笑っていたおり、それが吉田聡を好きになった理由だったのだが、シリアスなメッセージ性についても感じ入るところが少なからずあった。
これはあくまで主観なのだが、吉田聡の作品は、はみ出し者や人生に躓いた者、ちゃんとしていない人が「まともな人間になりたい、ちゃんとした生き方をしたい」と願いながら悪戦苦闘をする筋書きが多い。未熟な主人公が成長する物語というよりは、躓いて失意にある主人公が復活する、あるいは別の道を見つける物語である。
「はみ出し者がちゃんとする人間を目指す」という筋書きは、今思えば全然ちゃんとしていなかった、仲間のいなかった自分に対するロールモデル、成功物語、あるいはエールのような暖かさがあったのだろうなと、今になって思う。
最近、「ぶっちぎり?!」というアニメを見た。
ストーリーラインやキャラクター背景の説明が不十分と当初は思っていたが、「細かい説明はいいから、とにかく拳と拳でぶつかれ、本気人になれ」というメッセージが伝わればそれで良いと割り切りをしている事に気付いてからは、すっかり楽しめた。
このアニメを見て「ヤンキー漫画の本筋は、『とにかく普通のレールに乗れない、一般社会に対してちゃんとできてない奴らが、なんとかして自分なりのちゃんとしたことを目指してもがき暴れることである」と着想し、なぜそう思ったのか探ったところ、かつて吉田聡作品を読んでいたことを思い出した。
その意味では、吉田聡作品にはヤンキーが出てこなかったとしても作品としてはヤンキー漫画で、吉田聡が好きだったのは、僕の中にそういったヤンキー的な憧れがあり、喧嘩がからっきしだったのビビリだったとしても、そういった生き方をしてみたい、なぜなら自分もちゃんとしてない人間だから。
「ちゃんとした人間になりたい」という僕の渇望に、吉田聡は答えていたのだと思う。
今年一年間何をするか方向性が定まっていなかったのだが、「何を読むか」「何を書くか」については、幸いなことに方向性が定まった。
未読の吉田聡作品に触れたうえで、自分によっての吉田聡は何だったのかを腹落ちさせること。筒井康隆・小松左京・星新一を読み返して、自分に取って何がSF的に好きだったのかを押さえたうえで、SFの開拓をする。
きっと、まだ自分でもわかっていない、自分の好きなヤンキー的な要素やSF的な要素を発見できると信じている。
上野「肉の大山」のメンチカツとコロッケ。
大哺乳類展を見に行った後に数年ぶりに行ったが、値段が安くてこれだけのものが食べられるのは本当に素晴らしい。出されてすぐに食べてしまい、写真を撮るのを忘れた事に気付いて慌てた。