今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

受信態度としての損切りライン設定・発信態度としての自吊り提案

人狼界隈で話題になっていたので読んだ。

https://fusetter.com/tw/cCDMrVNu

最初に断っておくと、本記事はあくまでリンク先の記事に触発されての自分語りのお気持ち表明である。したがって、この投稿主や発生した内容そのものに関する話では一切ないことにご留意いただきたい。

最近はすっかり頻度が少なくなってしまったが、人狼ゲームを始めてからもう16年ぐらい経っていることにびっくりしている。昔も今も、人狼だと疑われやすい性質なので、記事にある自吊りも提案していたし、(自吊り提案に限らず)自分の主張が通らないことに苛立って口調が強くなり、注意されたことも少なくはない。

それでも16年、曲がりなりにも人狼ゲームを続けられたということは、運が良かったし、人に恵まれたということなんだろう。「人に恵まれた」というと語弊があるが、要は人間関係を維持できていたことになる。これは自分の努力もそうだし、相手もきっと努力してくれていたのだと思う*1。

以前、Zoomで人狼ゲームをやっていて、僕と初対面の人がものすごい剣幕で怒ったことがあった。どうやら負け方やとある人のプレイスタイルに納得できなかったらしく、ゲーム終了後に画面に出るなり「ふざけんなよ」と怒鳴った。怒鳴られた人は弁明しようとしたが、怒鳴った人は「聞きたくない」と言って、そのままZoomから退出してしまった。

(ちなみに後で話を聞いたところ、ほぼ純粋なミスプレイだったという弁明だった)

主催陣が個別にフォローしてくれたらしいが、その様子を見て、おっかない人だなと思った。ただ、その回は主催陣が「ちゃんといいプレイヤーを集めた」という建て付けの村だったので、疑問には思ったものの、主催陣を信じて「その人がいるから同村拒否」とせずに、もう少し付き合ってみようと思った。

何回もこういうことが続いたら、さすがにギブアップしたと思うが、その後同村することはあっても怒鳴り散らかすプレイは一度もなく、結果的に今でも付き合いがある。そういう意味では、判断は間違ってはいなかった。

実際のところ、この態度が正しいのかはわからない。もうちょっと待ってみようとなって、さらに損害が広がってしまうというリスクと隣り合わせだし、直感的に早めに損切りをしたことで難を逃れるケースもありうる。

ただ、初対面かつ損切りが簡単にできるような状況であれば、リスクを取ってもいいと思っている。損切りするラインを深めにとって、一発アウトレベルのものがなければ付き合う、といった方が近いかもしれない。 言い換えれば、人間に対する判断保留のレンジを広く取るということである。*2

元来人付き合いが得意な方でも積極的な方でもないため、いきなり人間関係を切ってしまうと、人間関係が広がることがない。なので、人間関係をどうやって維持するか、という思考が強いのだろう。

ちなみに、記事の中にあった「自分を処刑してほしい」という、いわゆる「自吊り提案」は、条件付きで賛成である。以前、自分が疑われやすい胡散臭い人間であることに悩んだ結果、だったら胡散臭い人間だけができる戦法を作れば良い、と居直って書いた記事がある。

townbeginner-game.hatenadiary.jp

これの「ラストチャンス」に該当する。 処刑されることで自分が人間であると証明し、人狼を追い詰める戦法である。

どうせ処刑されるなら、全力で戦ってからだ。人狼ゲームはチーム戦なのだから、ただで処刑されることほど割に合わないことはない。役に立たないから、ではなく役に立つために全力で処刑されたい。自分の主張が受け入れられなかったとしても、それで投げるのではなく、いま自分が置かれている状況を使ってできることを探すしかない。 人狼ゲームに勝つ上でも、そして人狼ゲームをより楽しむという意味でも大事な態度だと僕は思っている。

ここまで書いて気づいた。

僕は受信側の態度と発信側の態度を、それぞれどうやっていくか整理していたのかもしれない。

以前は人間関係に限らず、いろんなことを0か100かという白黒思考で捉えており、「正しくないこと」が起こるたびに癇癪を起こしたり、ふてくされて諦めたりしていた。うつを発症した原因の一つだと今は思う。その後、認知行動療法の本を読みながら実践しつつ改善に勤しんだ。

思い起こせば、今も続いている人間関係では、僕も発信の仕方を変えようと努力していたし、相手の発信も昔と今で変わってきている。そうだと聞いたわけではないが、相手もまた、僕に対して損切りのラインを深く取ってくれていたのだろう。

受信側では、損切りのラインを深く取る。

発信側では、自分が疑われている状況でも戦略をひねり出して戦う。自覚していなかったが、おそらくうつを発症しどうしていいかわからず、もがき苦しんでいた時の経験や感情に基づいている。そう考えると、自分の人生の態度を発見できたような心持ちになって、少し安心して楽しくなった。

洋食「おなじみ」のビフカツ。

高松に来たが、うどんを差し置いて洋食屋に入ってしまった。しかし当たりのビフカツで良かった。執筆旅行のつもりで休暇を取ったが、こういうことを書く時間が確保できたのは本当に嬉しい。

*1:人間関係を維持するための行為を怠らなかった、ぐらいのニュアンスがちょうどよいと思う。努力と書くと語弊がありそうだが、他に適切なニュアンスを持つ言葉が見つけられなかった。

*2:この態度はあくまで処世術の一種である。「偉そうに物を言いやがって」と言われそうだが、人間関係にずっと悩んできた身として苦しみながら編み出した処世術であるし、お気持ち表明と最初に銘打っているのでそこは大目に見ていただきたい。

再び自分の城を作る

ウルトラオレンジクリーナーをガスレンジと壁に吹きかけて、雑巾で拭いた。 油が落ちた。

キッチンハイターを買ってシンク周りや洗面台に吹きかけ、スポンジで擦った。 こびりついた茶色い汚れが落ちた。

キッチンブリーチを買ってマグカップに水を張り、ブリーチを入れた。 内側にこびりついたコーヒーの着色が落ちた。

クエン酸と水を混ぜて鏡に吹きかけた。 洗面台の鏡はきれいになった。風呂場の鏡は効果が無かった。

トイレクイックルを買って便器と床を掃除した。 ホコリも汚れも落ちた。

水回りが全面的にすっきりした。それ以上に自分の精神が浄化された気がした。よく目にするところが綺麗であるということは、それだけ精神衛生に寄与するのだと、実感として理解できた。言われてみればそうだろうなとは思うが、そう考えるのと、実際に洗面台が光っているのを見るのとでは、まるで違う。

前回のブログで書いた通り、姉が死んだ。それが自分にとってどんな心の影響を与えているのか、正直、自分でもよくわかっていない。わからないまま四十九日の法要を済ませて、それから数か月が過ぎている。仕事でも、9月から体制がいろいろ変わることを聞かされていて、ナーバスになっていたのも少なからずある。

悪いことばかりではない。むしろ7月8月は楽しいことが満載だった。7月には念願の『がんばれゴエモン大集合』も『カルドセプト ビギンズ』も発売されて、当初の予想を越えてハマっている。

がんばれゴエモン大集合! -Switch

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  • コナミデジタルエンタテインメント(Konami Digital Entertainment)
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積んでいた『メタファー』『Coffee Talk Tokyo』もクリアした。どちらもストーリーが素晴らしく、いまこのゲームをプレイできて心から良かった。Coffee Talk Tokyoのサントラの発売をずっと心待ちにしている。

1年半前から温めていた、自分企画のロールプレイ人狼も無事に開催できた。開催・参加できて本当に良かった。人狼ゲームとしては散々な出来だったけど、それでもちゃんと物語の一つになれて良かった。

それでも、今は心が宙に浮いている感じがする。どこへ行こうか、どこにも行きようがない、というような感じがする。例えとして適切かどうかわからないが、「街を歩く」と「さまよう」の違いだと思う。街を歩くのは基本的には楽しい。目的なんか持たなくていい。ただ歩いて、そこにあるものに触れて、話して、また歩けばいいだけだからだ。

でも、さまようのは違う。目的地があるはずなのに、ない。そもそも目的地があるのかどうかすらわからない。方向性を失って、歩いているだけだ。消費はできる。生産活動もできる。だが、それだけだ。美味しいと思うことも、楽しいと思うことも、味わうこともできている感じがする。だが、それがしっかり根を張っているという感じがしない。文字通り自分が根無し草になって、ふわりと漂っているような感覚が拭えないのだ。

もうひとつ、うまくいっていないことがある。書くことだ。 自分がどうやって文章を書いていたのか、わかるようでわかっていなかった。何か出来事があって、それに対してオピニオンを書いて、感想を書いて、反論も書いてみて、ひたすらこねくり回す。あの作業が楽しかった。 今はまだ、その「楽しい」という感覚が戻ってきていない。

生成AIを使った正しい文章の書き方は、生成AIに書かせて

「ダメだ、俺が書き直す」

とやることらしい。僕もそう思う。

ただ今は、「ダメだ」までは言えても、「俺が書き直す」まで動けなかった。

仕方がないから、まずは音声入力でひたすら頭にあることを出すしかない。こうして近況報告を生成AIに書いてもらった。

これはダメだ。俺が書き直そうと思った。

こうして前段までの近況報告が書けた。

幸か不幸か、身の回りには面白いものがまだ転がっている。ゲームだったり、書籍だったり。しばらくは本を読んで、その感想を編集AIと書く、といった記事が中心になると思う。

本当は、『十七歳だった!』みたいなギラギラしたエッセイを全力で書きたい。他の人がどうでもいいようなことを、全力で言いたい。今の僕には、全力で言いたい・書きたいと思う力も、他の人がどうでもいいようなことにこだわる力も、失われている感じがする。

もう一度、自分の輪郭を取り戻さないといけない。

きっかけは風水だった。

たまたま『がんばれゴエモン大集合』や『カルドセプト ビギンズ』を配信しているVTuberを見つけて、とりあえず流し見をしていた。

www.youtube.com

その朝の雑談で、「風水は生活の知恵を集めたものだから」という発言があった。なるほど、それもそうか、と思った。

それで『風水講義』を買った。

図書館では風水のインテリアに関する本も借りた。

かつてはこの家に五人が住んでいた。今は一人しか住んでいない。

この家で一人暮らしになってしまったのだから、家を改造する権利を得たと考えることにした。どのように家を改造するのか、どのようにインテリアを整えるのか、自分でちゃんと考えようと思った。

ただしデザインセンスは壊滅的にない。だからせめて、きれいな間取りを目指す。スマートスピーカーも使って省力化もしたい。

思い出した。どうしようもない時は、一人でこもって何かを無心にした。キッチンで燻製ベーコン、情報処理の資格試験勉強、英語の音読、リングフィットアドベンチャー。

風水がそれにあてはまるかどうかはわからない。ただ、風水講義を無心に読むことはできているし、水回りの掃除も無心にできた。

自分の城を無心に作ろう。僕はそうやって生きてきていた。

従兄弟に紹介してもらったリフォームの業者に連絡を取った。リビングの壁と天井に染み付いたタバコのヤニがこれからキレイに生まれ変わることを想像しながら、キッチンの不用品と仏間になる予定の部屋を掃除している。

麺飯食堂なかじまの熟成塩ラーメンと茄子の味噌炒め定食。

久々に人狼ゲームのお誘いを受けて、行く前に食べた。渋谷に勤めていた頃や人狼ゲームをよくやっていた頃は、ここで食べるのが楽しみだったことを思い出しながら食べた。ある意味ではここは自分の拠点の一つだったのだろう。

今は茄子の味噌炒め定食だけで十分な腹持ちになった。

カロリーコントロールという意味では改善されているけど、少しだけさみしい気持ちになった。

昨日と今日で世界はまったく変わる

昨日と今日で、世界がまったく変わる。そういう経験は、何度もあった。

ある日、リーマン・ブラザーズという会社が倒産した。後年に「リーマン・ショック」と呼ばれるこの出来事が発端となり、プロジェクトが次々と打ち切りになり、当時勤めていた会社の社長から、転職を勧める連絡が来た。

結婚した二週間後、何の前触れもなく父が大動脈解離で死んだ。

「今日、『天地明察』を送ったから」

留守番電話に残っていたそのメッセージが、最後の父の言葉だった。

コロナが発生して、それまで毎日出社していた仕事がフルリモートになった。 今まで苦労していた仕事が、びっくりするくらい楽になった。 今まで苦労していた仕事は何だったんだ、と思った。

朝起きて、姉がうつ伏せに倒れているのを見つけた。

慌てて身体を叩いて、声をかけた。太ももを叩いた。

反応はなかった。身体は冷たかった。

よく見たら斑のようなものが浮かんでいた。

慌てて救急車を呼んだ。

電話口の応答に従い心臓マッサージをしながら救急車を待っているあいだ、これはもう駄目なのだろうか、人はこんなふうに突然死ぬのだろうかと考えていた。頭からうっ血した太ももの映像が離れなかった。

その一方で、どこか醒めた目で世界を見ている自分もいた。

これはもうだめだ。諦めるしか無い。

「二回も心臓が止まったんだ。諦めるよ」

前に伯父が倒れたという連絡を受けて家族で車を飛ばしている最中、父がこう呟いたのを覚えている。もう20年以上前の話だ。その時はどういう感情かわからなかったけど、いまならわかる。こういう感情だ。

警察が来て、これまでのことや最近の様子、発見時の状況を詳しく聞かれた。

事件性の有無も含めて死因を確認するため、姉は担架で警察に運ばれていった。

そうだ、姉は

死んだんだ。

1日目・2日目

近くで働いている従兄弟に手伝ってもらい、葬儀屋やお寺さんに挨拶に行った。 従兄弟は突然のことでショックを受けていた。

その様子を見て、俺は妙に冷静になり、これからのことを考えていた。

平常心は保てていた。もちろんこの一文には、「悪い意味で」という枕詞をつけるべきなのだろう。

姉が亡くなった。遺品を処分しなければいけない。

叔父が亡くなったとき、父は服などをなかなか処分できなかった。

今処分しないと、これからもう処分できなくなる。そう思った。

家に帰って、ベランダを見た。洗濯物が干されていた。 姉の服があった。 昨日、姉が洗濯したものだ。

これを着る人は、もういない。

こういうものは処分しなければいけない。そう思った。でも、どうしてもその日は処分できなかった。

キッチンを整理すると、酒が出てきた。未開封の台湾ウイスキー。これをどうやって入手したのか、俺は知らない。ウイスキーが好きな友人がいるので、これはみんなで飲もうと思った。

飲みかけのジンやウォッカは処分した。

昼ご飯は弁当を買って、残り物の新玉ねぎの焼き浸しを食べた。

昨日、姉が作ってくれたものだ。やっぱりおいしい。 作り方を聞いておいて、本当によかったと思う。

新玉ねぎはまだまだ家にあるので、今後も作るつもりだ。今後、新玉ねぎの焼き浸しを作るたびに、きっと姉のことを思い出すのだろう。思い出が、こんな形で残るとは思わなかった。

洗面所で、姉の化粧品や美容グッズを処分した。一瞬、自分でも使おうかと思ったが、最低限のものだけ残して処分することにした。

「こんなに美容液を使うなら、そもそもタバコをやめたほうがいいのではないか」

という話をしたことを思い出した。当然、聞き入れてはもらえなかった。

3日目~6日目

姉の訃報をSNSで知らせた。 次々と姉の友人から連絡が来た。

想像以上に、姉は顔が広かったらしい。姉は、地元でも、小学校でも、大学でも、会社でも、趣味の世界でも、それぞれにコミュニティを作り、維持していた。

コミュニティの構築・維持に難儀している俺とは大違いだと思った。

俺は、姉のことを本当に何も知らない。

姉の友人と、葬儀屋で打ち合わせをした。 想像以上に人が来ると言われたので、慌てて通常のプランから、人数に合わせたプランへ変更した。

姉の持っていた楽器がたくさんあった。リビングに無造作に置かれていて、ずっと片付けろと言っていた(そしてやはり聞き入れてもらえなかった)ものだ。

その楽器を全部、友人たちに引き取ってもらった。もしかしたら、売却すればそれなりの値段になったのかもしれない。でも、売る気にはなれなかった。あの友人たちがその楽器を有効活用してくれれば、もうそれでいいと思った。

そのほうが、姉も喜ぶだろう。

7日目・8日目

葬儀をやった。一般人にしては、どう考えても多すぎる参列者が来た。

住職の読経をBGMに、焼香をして涙ぐむ参列者を見ながら、姉はこれだけ多くの人とつながって生きてきたのだな、と思った。

火葬場で、大きく丈夫な姉の骨を、職員が骨壺に収めていった。

火葬場の灰の匂いが生身の姉の最後の記憶になった。

お清めの塩を身体に撒いて帰宅し、喪服を脱いで仕事用のPCを立ち上げた。先週から今日まで仕事にならなかったが、打ち合わせでお客様にこれ以上迷惑をかけてはいけない、と思い直し仕事をした。

どのみち、葬儀での感情は整理・言語化できそうにない。

9日目~

葬儀が終わり、一つの山を越えた。 次の山が始まる。遺品整理である。

16Personalitiesの一覧が出てきた。どうやら、姉が前職の職場でメンバー全員と診断し、その結果をまとめたものらしい。姉は運動家(ENFP)だった。

情熱的で独創力があり、社交的な自由人。そのままだと思った。 建築家(INTJ)の俺とは、ほぼ正反対だ。

「うちの弟は私とは似ていない」

と 姉はよく言っていた。良い意味でも、悪い意味でも、だと思う。

俺もそう思う。

リビングや寝室は、モノだらけだった。 よく言えば、物を大事にする性分。悪く言えば、片付けられない性分。 姉の洋服や本を、とにかくまとめて捨てた。 少なくとも、大事にしていた本は棺に入れて燃やし、天国に送ったのだから、文句を言われる筋合いはない。

写真を整理しながら、ものを選り分けていく。よくわからない外国のコイン。古い写真。古い確定申告や領収書。勉強したであろうノート。古い文庫本。何かのフィギュア。イベントTシャツ。ズボン。地球の歩き方。期限の切れたパスポート。証明写真。キャッシュカード。クレジットカード。よくわからない飲み物。 手続きが必要なものだけを選り分けて、9割5分をゴミ箱に捨てる。

30袋以上のゴミ袋を出して処分した。粗大ごみは、まだ捨てられていない。

人の思い出は、きちんと整えないと廃墟になるのだと、積み上がったゴミ袋を見て思った。

姉は突然死んだ。多くの参列者が、その死を悲しみ、姉を偲んだ。

残された俺は、ひたすら遺品整理に追われている。

静かに死ぬのも、悪くないな、と思った。

人が来すぎて――もともと社交的ではない性分なので――、人と会うのに疲れてしまった、というところもある。老年の孤独死、という話がよく言われるが、それはそこまで悪いことではないのかもしれない。

強がっているだけなのか、本心からそう思っているのかは、自分でもよくわからない。

使っていない銀行口座やクレジットカードを引っ張り出して、解約手続きを申し込んだ。サブスクの一覧もまとめた。少なくともこれで、いきなり死んであたふたすることはないだろう。とは言え、俺が死んだところで、親兄弟はもういない。遺族になるのはもう従兄弟くらいだ。

それでも、後始末をする人を、あまり困らせたくはない。

会社の目標管理を検討した。目標管理の一環として、仕事プライベートを問わずに「夢」を定義する必要があった。

「いきなり自分がいなくなっても、困らないようにしたい」

と書いた。 仕事に関しては、間違いなくプラスに働く。システムを構築していて一番困るのは、その人しか知らないシステムだ。作った人間がいなくなった途端に、崩れてしまう。それでは意味がない。

属人化の排除は、大事なことだ。そういう意味では、仕事に即したいい夢だと思う。

プライベートでこういう夢を持つことが正しいのかはわからないが、もはや「正しさ」に、あまり興味が持てなくなっている。

親族のうち4分の3がいきなり死んでいる。年金に至っては全敗だ。

つくづく俺は、いろんな意味ではみ出し者なのだと思う。どうやって生きていくか、というよりは、どうやって人生を閉じるか。そちらに考えが及ぶようになるのも、そう遠くはないのだろう。

積み上がったゴミ袋に整理券を貼って出した。

リビングや姉の部屋の見通しが一気に良くなった。そうだ、子供の頃住んでいた家は、こんな感じだった。父と母と姉と僕と妹が住んでいた家だ。

ここには僕しか住んでいない。一人で住むにはあまりに広すぎる。整理しなければならないものはまだまだ多い。

きっとモノを片付け終わって、あの時の家を甦らせることができたのならば、その時は良い心持ちで、これからのことを考えることができるようになるのだろう。

文学フリマで買った本の感想 -世界文学航海日誌・本読みゾンビ・深夜街-

文学フリマ東京には出展者として参加したのだけれど、ただ出展するだけというのもなんだか味気ない。そういう思いもあって、本を買った。

買ったのは、出展していた読書会の友人や、ずっとTwitterで繋がってはいたものの長らくご無沙汰だった写真家の方々の本、それに文学フリマのタグで見かけて気になった本など。今回、僕が出展する側に回ってみて、感想を書いてもらうことがどれだけ嬉しいかがよくわかった。だから恩返しのような気持ちで、買った本の感想を書いてみようと思う。

世界文学航海日誌 (ぶっくるーず編著)

bookruise.booth.pm

海外文学好きのAsami(あさみ)、マヤ、しまうま、さやの4人からなるグループ「ぶっくるーず」の初刊本。書名の通り、世界文学を紹介する一冊。

ぶっくるーずのひとりであるAsamiさんとは、以前に読書会で何度かご一緒したことがある縁ではあったのだけれど、今回が(僕と同じく)初出展ということで、ブースにお邪魔して購入した。海外文学についてはほとんど知見がなかったので、これだけの熱量を持った人が、いったいどんなふうに本を読んでいるのか——純粋にそこに興味があった。

取り上げている国は、イギリスやアメリカといった英米文学が中心……かと思いきや、韓国、アルゼンチン、はてはアンゴラまで。思った以上にバラエティに富んでいる。

面白かったのは、本の前半と後半とでテンションが明らかに違うところだ。

前半のブックトークは、海外文学を知らない人に向けて語り口がやわらかい。本の概要を説明し、たとえば「フェミニズム小説が苦手な人にこそ読んでほしい」と、エクスキューズも交えながら丁寧に紹介していく。実際、『三つ編み』や『過去を売る男』は自分にはあまり縁のない話ではあるものの、「少し読んでみようかな」と思わせてくれる語り口だった。本の紹介としてオーソドックスなスタイルである。

ところが後半の「偏愛本語り尽くし」のパートに入ると、いい意味で読者を置き去りにして、ぐっとギアを上げている。たとえばAsamiさんの偏愛本『秘密の花園』の章。まるまる一ページを使って紹介しているのだが、書かれているのは登場人物の紹介だけ。主人公がいかにして再び能動的に動き出すことになるのか、それがAsamiさんにとって体重の乗った感想だというのはよく伝わってくるのだが、そもそもこの本がどんなストーリーでどんな話なのか、その概要はまるでわからない。ほかの偏愛本の紹介も、だいたいこの調子で、本の「あらすじ」というものは見えてこない。

しかし、それだからこそ、この本が著者の心を動かして一ページを書かせるだけの魅力を持っているということが、はっきりと伝わってくる。「本を読んで感情を揺さぶられる」というのは、確かにこういうことだよなと、妙に納得してしまった。

巻末に海外文学のQ&Aや、本書に登場した主な本の一覧がまとめてあるのも好印象。総じて、「とりあえず一冊読んでみようかな」と思わせてくれる構成になっていて、海外文学の入門書としてとても良い一冊だと思う。

年間365冊読む本読みゾンビ(雨宮仁美)

年間365冊読む本読みゾンビの生態報告書

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年間365冊読む本読みゾンビの狂気の1年間の読書日記

hitomiamamiya.booth.pm

年間365冊、つまり1日1冊のペースで本を読む「本読みゾンビ」による二冊。

年間100冊といった多読を売りにする読書アカウントはよく見かけるけれど、実際に本当にそれだけ読んでいるのか、いったいどんな生活をしているのか、というのはあまり知らなかった。それで興味が湧き、購入してみた。

『生態報告書』に書かれているのは、どうやって本読みゾンビになったのか、今はどんな仕事をしているのか、といったプロフィール的な内容から、本をどう読んでいるのか、一日のスケジュールはどうなっているのか、まで。 「電子VS紙どっちで読む?」「1日のスケジュール」「本を見つける方法8選」「本を読むための時間術4選」の項は、本読みゾンビだからこそ説得力があったり、興味深いと思えたりする内容が多かった。

個人的に一番良かったのは「本を読むための時間術4選」だ。 挙げられているのは、

  • テレビやゲームはやらない
  • 二次会には行かない
  • ショート動画は観ない
  • こだわりのないものは選ぶ時間や回数を減らす

の4つ。

年間365冊読むのなら、これくらいはやるだろうな、という納得感はあった。が、それと同時に、僕は「本読みゾンビ」にはなりたくない、とも思った。

二次会には行かない、ショート動画は観ない、こだわりのないものは減らす。これらには同意できるし、何か集中したい物事があるなら削った方がいい、というのもわかる。

しかし問題は「テレビやゲームはやらない」である。 テレビはともかく、「ゲームをやらない」は絶対に選びたくないと反射的に思った。最近、人生の棚卸しも兼ねて聖地巡礼にも行ったのだが、ゲームというものが、僕の人生に深く根ざしたものだと、改めてわかってしまった。 だからゲームをやらないという選択肢はない。なんなら、今後ゲームと読書のどちらか片方しかできないとなったら、ゲームを選ぶ可能性すらある(結論は出ていないが)。

自分が何を大事にしているのか、という優先順位が、思わぬ形で浮き彫りになった。

もう一冊の『狂気の1年間の読書日記』は、1月1日から12月31日まで、何を読んだのかをひたすら綴った日記である。1日1冊のペースを365日守りきっている、というのがまず驚きだった。

いくら本を読んでいるとはいえ、一日でよく読み終わるな、と不思議に感じていたが、『生態報告書』に 「『100分de名著』を読んでいたら読書体力がついた」 と書いてあったのを思い出した。 巻末には読んだ本の一覧があり、『100分de名著』の本が多かった。確かに当番組は時折、面白い特集をしていて、自分も観ることがある。 『100分de名著』、今月来月は本を買って読んでみる。

今後の読書について考えること、そして読書が自分にとって何なのか、ということを改めて感じさせてくれた。他人の極端な生活を読むことは、結局、自分の生活の輪郭をなぞる行為に他ならないのかもしれない。

深夜景5・江川海岸

Twitterで相互フォローとしてゆるく繋がっていたTakahiro Yoshidaさんの写真集。タイトルの通り、深夜の町の風景と、江川海岸の風景を、それぞれ撮影したものだ。

『深夜景5』は、舞台が神保町だったので即購入した。撮影されたのは、三省堂書店神保町本店の最終営業日——改装前の最後の営業日の時期で、どこか懐かしい感じがした。ほかにも、よく行く店のシャッターが閉まっていて、街灯と車のライトだけが存在する街の姿。自分の知らない神保町の様相が見られて、とても楽しい。*1

『江川海岸』は、2017年当時の江川海岸の風景。海の中に電柱が立っている光景は、確かに珍しく、幻想的ですらあった。僕は特に夜明けの景色が好きなのだけれど、江川海岸の夜景というのも、夜明けとはまた違った趣があって、とても楽しい。

TakahiroさんはInstagramでも夜景の写真をアップしており、写真集のタイトルからもわかる通り、夜景をよく撮影している。

www.instagram.com

写真集というものはあまり買わないのだけれど、こういう夜景は、改めて自分の好きなものなのだなとわかる。二冊に共通しているのは『電気』だ。自分の知らない街や風景の様相が見られること、電柱や街灯といった電気の灯りのようなものが、僕は好きなのかもしれない。思えば、秋葉原のようなネオンサインの輝きが、子供の頃から好きだった。夜はワクワクする時間——子供の頃からのその気分を、今もまだ引きずっているのだろう。

*1:写真集という本の特性上、引用ができないのがもどかしい。

聖地巡礼三日目 -内省の時間、人生の練習-

午前6時半に目が覚めた。いつもよりずっと早い時間である。

 

聖地巡礼として予定していた場所は、前日までにほとんど回り終えていたこともあり、この日は、どこかを目指すというより、旅のあいだに浮かんできたものを少し整理する日にしようと思っていた。

 

 

だから午前中にどこかへ観光をするという用事があるわけでもなく、もっと遅く寝ていてもよかったのだが、目が覚めてしまったので、身支度を整えて朝食バイキングへ。

 

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朝食ビュッフェ会場からの眺望が素晴らしい。

部屋も非常に快適だったので、神戸に泊まるときは今後もここにしようかと思うくらいには良いホテルだった。


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「旅行に来るとついつい食べ過ぎてしまうから」と野菜中心にしようと思うのだが、気がついたらいろいろ取ってしまっている。ホテルのデザートはなぜこんなにおいしいのだろう。

 


朝食を終えてチェックアウトまで時間があったので、摂取したカロリーを少しでも消費しようとSwitch 2のFit Boxing 3をプレイした。

 

久々にプレイしたが、結構な運動量だった。聖地巡礼の1日目と2日目はどちらも20,000歩以上歩いていたので、Switch 2を持ってくる必要はなかったのではとも思ったが、持ってきて正解だった。

食事を打ち消すほどの運動量にはならないけれど、運動が習慣化されているということを意識できるだけでも、持ってくる価値はあった。

 

11時にホテルをチェックアウトし、三宮へ。

昼食はすでに目星をつけていた。グリル一平である。

grill-ippei.co.jp

 

 

数年前に兵庫へ仕事で来たとき、仕事終わりに食べたデミグラスソースが忘れられなかった。

 

 

ランチもやっているというので向かったのだが、まさかの47組待ち。いつの間にか大人気店になっていて、順番待ちのDX化まで進んでいた。静岡の「さわやか」クラスの人気店になっているとは思わなかった。

 

 

とりあえず受付をして、1時間ほどカフェで時間を潰すことにする。

 


神戸らしいカフェがいくつかあったが、どこも行列していて入れる状況ではなかった。考えることはみんな同じである。諦めて近くのドトールに入り、本を読んで過ごした。

 


1時間半ほどして入店。注文を受けてからさほど時間もかからずに料理が出てきた。オペレーションが洗練されている。

 

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ビーフカツレツ。前回来たときから気になっていたメニューだったのだが、期待を裏切らず、デミグラスソースとカツレツのハーモニーが素晴らしかった。

 

減量中なので揚げ物は基本的によろしくないのだが、デミグラスソースに絡む衣は間違いなくおいしいと確信できたので、旅行中はやむを得ずと自分に言い聞かせて食べた。

 

 

食事を終えて、大阪へ。聖地巡礼は一通り終えていたので、無理に観光するよりは内省の時間に充てることにした。ドトールで読んでいた『台北プライベートアイ』が終盤にかかってきていたので、最後まで読み切りたい気持ちもあり、ホテルにチェックインし、近くの図書館を探す。

 

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大阪中之島図書館。実際に行ってみると想像以上に堂々とした建物でびっくりしてしまった。

 

中は本館と新館に分かれており、本館は昔からの建物らしい静謐な雰囲気だった。カフェが併設されていたが、案の定行列ができていた。諦めて閲覧席を確保し、読書をしながら今年の振り返りを軽く行う。

 


読書もはかどったが、Claudeとやり取りしながらの振り返りが思ったより成果が出て驚いた。今年も5ヶ月に入っているので、GoogleカレンダーやNotionのメモを読み込ませて、自分がこれまで何をしてきたのか、何をしようとしてできなかったのかを一緒に振り返った。

 

文学フリマへの出展という大きな成果がある一方、部屋の片付けはいつまでもできなかったり、電子工作の勉強が進んでいなかったりという悩みも明らかになった。

 


振り返りを進めていくうちに、自分が「成果が出せなければ価値がない、埋もれる」という観念に強く囚われていることがわかった。

 

これは大学時代からずっとある観念で、成果が出なければ埋もれて見捨てられる、という感覚がある。自分を苦しめるだけであまり良い観念ではないとは思うものの、これを脱ぎ捨てるような体験ができず、どうしても取り憑かれてしまう。

 

 

この観念をすぐに否定することはできないので、その観念を前提としたうえでどうやって過ごし方を変えるかをClaudeと一緒に相談しながら、明日以降の方針を考えていった。

 


こういった「明日以降どうしようか」という問いは、袋小路に陥ったりアイデアが出なくて右往左往することがあった。でも、壁打ち相手ができてからだいぶ楽になり、何をするべきかが明確になってきたと思う。生成AIの恩恵は、個人的には「いかに明日以降を生きていくか」をクリアにしやすいところにあると感じている。

 

 

17時に図書館が閉館したので、ホテルに戻って読書の続き。無事に『台北プライベートアイ2 DV8』を読み終えた。

 

 

 

読書の感想を手書きでノートに書いてから大浴場へ。そして予定していた、関西の友人たちとの飲み会へ向かった。

 

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もともとロールプレイ人狼を不定期にやる間柄ではあったが、こういった飲み会の機会はあまりなかったので、友人に頼んで人を集めてもらった。

 

考えてみれば、「人を集めてくれないか」と誰かに頼んだことは、人生で一度もなかった。もうすぐ50になるが、いまだに人生の練習をしなければいけないような状況なのだなと思うと同時に、そうしなければいけないのだから仕方がないよな、とも思う。

 

飲み会は楽しかったので、頼んでよかった。自分の人生をよくしたければ、練習を丹念にするしかない。

 

 

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ホテルに戻り、電気ケトルで湯を沸かして飲む。ただのお湯だけど、酒を飲んだあとの身体には染みる。

 

今年に入ってから自宅用に電気ケトルを買ったのだが、白湯を飲む習慣がついた。それが功を奏したのかはわからないが、体調は崩さないで済んでいる。

 

旅の記録や読書の感想をノートに書く。人に「飲みたいから人を集めてくれないか」と頼む。酒を飲んだあとに白湯を飲む。

 

きっと一つ一つは大したことではなきのだろう。でも僕にとってはどれもある種の重大さと切実さがあるし、そういう小さな練習を積み重ねた先には、まだ知らない別のところに行き着くことができると、心のどこかで信じている。

聖地巡礼2日目 -SNATCHER「ネオ・コウベ・シティ」でOne Night in Neo kobe cityを吹きたい

午前6時起床。

 


いつもよりずっと早い時間に起きたが、理由がある。『十七歳だった!』の聖地巡礼のためである。

 


「M本さん。大切なお話があります。明日午前六時、旭川の河原へ来てください。後楽園正門前の竹久夢二の碑の下あたりで待っています。
君が来るまで待っています。原田」

手紙の内容は大体こんな感じであった。本当はもっとコリコリに凝った美文調のものも書いたのだが、何だか気合いが入りすぎちゃって我ながら恥ずかしくなっちゃったのである。呼び出しの手紙なんだから、こういうメモみたいな感じでサリゲナク仕上げたほうがカッチョいいだろうと判断したのである。「君が来るまで待っています」という一文が、この手紙の最大のポイントだなと一人悦に入っていたのだが、今にして思うとこれはもうほとんど脅迫である。『愛と誠』の岩清水かお前はッ、と言いたくなる。(P.30〜31)


というわけで、午前6時に竹久夢二の碑に行くために起床した。*1

 


レンタサイクルを使って、竹久夢二の碑へ向かう。

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原田宗典は結局、4時半に起きてここに到着し、6時までずっと待っていた。しかし、結局M本さんとはごく普通の世間話をして終わってしまい、その直後に振られてしまうのであった。

 


とはいえ、こういった河原で早朝から高校生の男女が会話をするというのは、それ自体が青春の一ページみたいでうらやましくもある。

 


他に特に用はなかったので、ホテルに戻って朝食を食べる。

 

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とりあえず蒜山とか白桃とか、岡山っぽい名前のついたものを手当たり次第に取って食べる。少し食べ過ぎた気もするが、今日はそれなりに歩く予感がしたので、多少食べ過ぎるくらいでもちょうどいいと自分に言い聞かせた。

 


ホテルをチェックアウトして、第二の目的地、神戸へ。

 

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新神戸到着後、レンタサイクルを借りて王子町へ。坂が結構多かったので、電動サイクルは本当に便利だと思う。

 

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神戸文学館。

 


小泉八雲が神戸に滞在していたこともあり、展示があった。『ばけばけ』をちゃんと視聴しておけばよかったなと、少し後悔する。

 


他にも、震災や大空襲をテーマにした作品の展示などもあり、思った以上に見応えがあった。

 


考えてみたら、震災に関する文学というのは出てきてしかるべきだと思った。東日本大震災が起こって15年が経つが、それに対する文学作品というものを、自分はあまりチェックしていなかった。確認してみようと思う。

 

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横尾忠則現代美術館も、名前だけは知っているので入ってみようかと思ったが、残念ながら休館だった。

 


電車に乗って、芦屋へ。

 

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とんかつ屋「む藏
https://tabelog.com/hyogo/A2803/A280302/28056434/」のヘレカツ定食。ヒレカツではないらしい。

 


最近は減量中ということもあって、意識的にとんかつ屋での食事は避けていた。ただ、『ぼくも十七歳だった!』の中でとんかつに関するエッセイを書いた。その聖地巡礼なのだから、食べた方が良いだろうと決めて、入店。

 

 


豚肉の旨味と衣の香ばしさがマッチしていて、非常においしかった。塩もあったので塩で食べてみたが、ヘレカツは塩よりもソースで食べる方が好みだった。

 


食事を終えて、谷崎潤一郎記念館へ。

 


このあたりは残念ながらレンタサイクルのエリア外であるため、おとなしくタクシー、バス、徒歩を駆使しながら目的地へ向かう。

 

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谷崎潤一郎は熱烈なファンの方がいることもあり、一度見てみようという興味本位で入ったが、谷崎潤一郎をほとんど知らなくても楽しめる内容だった。

 


谷崎潤一郎の生涯や作品の系譜がわかりやすく展示されており、どれか一つ読んでみようと思えるような展示だった。

 


幸い、谷崎潤一郎の作品は青空文庫にあるものも多かったので、Kindleでダウンロードしてみた。『痴人の愛』から読んでみようと思う。

 

 

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谷崎潤一郎記念館を後にして、芦屋温泉の足湯につかり、足の疲れを癒す。

 


電車で三宮に戻り、再びレンタサイクルを借りて北野異人館へ向かった。

 

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萌黄の館や風見鶏の館などを見学しつつ、街並みを楽しむ。確かに建物は洋風は洋風でも、現代日本の家とはまったく違う感じで、本当に異国に迷い込んだような気分になる。

 


歩きながら、ふとスナッチャーの聖地巡礼の一環で来ていることを思い出す。

 


ここは異人街で、教会も多い。

 


『スナッチャー』の終盤で教会が出てくるが、もしかしたらモデルとなった教会はこの近くにあるのではないか。そう気づき、歩いたり、教会の画像をChatGPTに上げて似たところはないか確認したりしながら探す。

 


果たして、見つかった。

 

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神戸ムスリムモスク。

 


教会ではなくイスラム教の施設なのだが、実際の画像を見る限り、ほぼ一致しているので間違いないと思う。

gameflame.seesaa.net

 


たまたま礼拝の合間だったため、案内をしてもらう。案内をしてくださったのは新井アハサンさんという方で、パキスタンから来て50年ほど日本で過ごしているとのことだった。

 


神戸ムスリムモスクは、神戸大空襲でも阪神・淡路大震災でも崩れずに残っていたらしい。そのことを写真で紹介していただいた。非常に堅牢な建築である。

 


他にも、ムスリムの風習やこのあたりの神戸のことなども親切に教えてくださって、非常に面白かった。

 


礼拝の時間は一日5回だが、それが電光掲示板で表示され、管理されているのが個人的には面白かった。

 


東京の渋谷、代々木にも似たムスリムモスクがあるらしいので、機会があれば行ってみようと思う。

 


夕方になって、ホテルにチェックインできる時間帯になったので、レンタサイクルを返し、三宮からポートライナーで市民広場へ向かい、ホテルへチェックイン。

 


だいぶ歩いたので、しばらく靴と靴下を脱いで仮眠を取った後、夕飯を食べに三宮へ向かった。

 

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夕飯は「明石焼き 蛸匠[
https://tabelog.com/hyogo/A2801/A280101/28074958/]」の明石焼き。

 


『スナッチャー』には、「ネオコウベ焼き」という明石焼きによく似た食べ物が出てくる。熱く煮立った出汁の中に生地を入れて、しばらくすると浮島のように浮かんでくるので、それを食べるという、ゲームの中のオリジナル料理である。

 


一度やってみたい、試してみたいとは思うものの、実際に明石焼きを見てみると、出汁に入れても生地は沈むばかりで、浮く気配がない。もっと薄くしたり、生地の中身を変えたりしないと、浮島のようにはならないと思う。

 


明石焼きはおいしかったが、ネオコウベ焼きを作るのは難しそうだなと思う。具材を入れたら沈んでしまう気がして、どうしたら良いのかアイデアが湧かない。

 


食事を終えてホテルに戻り、機材を手に北公園へ向かった。

 


日本三大夜景の一つが神戸にあり、摩耶山掬星台からの眺望がそれにあたるが、ポートアイランドから眺める神戸の夜景も、なかなかだと思う。

 


『スナッチャー』の舞台はネオ・コウベ・シティという架空の都市だが、埋め立て地を元にした都市とあるので、モデルはポートアイランドで間違いない。事実、かつてコナミの神戸開発センターはポートアイランドにあったので、モデルにしやすかったというのもあるだろう。

 


となると、『スナッチャー』で描かれている街並みの背景などは、ポートアイランドから見える夜景を参考にして描かれたと思われる。

 

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北公園からの夜景。

 


『スナッチャー』のテーマ曲「One Night in Neo Kobe City」。神戸の夜景をネオ・コウベ・シティの背景に見立て、EWIで吹いてみる。

 

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残念ながらEWIの腕前はまだまだのため、人に聴かせることはできないが、1人で撮影をしながら吹いてみるだけでも想像以上に楽しかった。ちなみにヘッドホンでつないでいるので、音漏れはしていない。

 


いつかは、吹いている姿と自分の演奏をミックスさせて、ちょっとしたミュージックビデオを作れたらいいな、という妄想もしている。

 

youtu.be


改めて聴いたが、「One Night in Neo Kobe City」は名曲だと思う。

 


PC-88版でしか使われていない「Twilight in Neo Kobe City」も同様に良い曲だが、「One Night in Neo Kobe City」は、少し寂しい曲調が、主人公の立場と、これからの冒険を表す雰囲気と合わさった名曲だと思う。

 


ただし、そもそもスナッチャー自体の知名度が低く、この曲の知名度も高いとは言えない。

 


『スナッチャー』自体がすでに30年以上前の作品だし、移植や復刻も限られている。そういった意味では、『スナッチャー』は現代によみがえっていない。

 


現代によみがえっていない作品は、だんだん影が薄くなり、無かったものになってしまう。

 


昨今、昔の作品がリブートやリメイクされることが多い。懐古趣味であるとか、新規IPを作る能力がないと揶揄されることもある。

けれど、実際に「One Night in Neo Kobe City」を神戸で吹いてみて、考えが変わった。

 


リメイクやリブートは、IPを続けるため、生き残らせるため、絶やさないための方法だった。

 


どんなに素晴らしい作品でも、作り続けていかないとIPは消滅する。

 


事実、忠臣蔵が放送されなくなってから、若い世代では忠臣蔵を知らないという人も出てきている。放送されない。出版されない。語られない。そういうIPは、死に絶えてしまうのである。

 


『スナッチャー』は確かに、シナリオは荒い。

 


小島秀夫氏のその後の『ポリスノーツ』や『メタルギア』シリーズ、『デス・ストランディング』に比べれば、明らかに完成度は低い。

 


それでも、高校の時に聴いた「One Night in Neo Kobe City」は名曲だと思ったし、30年以上歳を取ってから聴いても、今でもやっぱり良い曲だと思う。EWIで吹いてみても楽しかったし心が弾んだ。

 


自分の好きだったものが、いつまでもあり続けるわけではない。

 


作品化されなかったり、誰も話さなかったり、語られなかったり、作られなかったりすると、それはなくなっていき、なかったことになってしまう。

 


それが猛烈に嫌だ。

 


原田宗典の文体は、やっぱりエッセイとしてゲラゲラ笑えるし、『スナッチャー』の「One Night in Neo Kobe City」は名曲である。

 


何とかして、自分が良いと思うもの、自分が好きなものを、絶やさないでいられるだけの力をつけられたらと思いながら、最近は生きている。

 


ホテルに戻り、コンビニで買ったカフェラテを飲みながら就寝。

 


昨日も今日も、20,000歩以上歩いているらしい。明日、ちゃんと動けるか少し心配になった。

*1:作中で原田宗典氏は3時に起きて4時半に到着したが、さすがにそこまで合わせる気力はなかった。

聖地巡礼1日目 -原田宗典「十七歳だった!」

ゴールデンウィークは文学フリマなど、一日単位でのイベントが多かったため、旅行のように複数日かけてやることができなかった。

 


ただ、文学フリマに合わせて原田宗典の『十七歳だった!』を読み返していて、一度、岡山へ聖地巡礼をしてみてもよいのではないかと思い立った。

 


そこでゴールデンウィーク明けに休暇を取るチャンスがあったので、休暇を取得し岡山県へ向かうことにした。

 

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岡山駅前に到着すると、桃太郎像がお出迎えしてくれた。そういえば、岡山県に上陸したのは初めてだったと思う。

 

新幹線に乗ったのが11時過ぎで到着が14時半。昼食を食べるタイミングを逃してしまったので、岡山駅周辺でどこか入れる店はないかと探す。

 

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「ニコニコキッチン さんさん(https://tabelog.com/okayama/A3301/A330101/33001305/)」のハンバーグオムライス。

 


ふわっとした卵の上にハンバーグがのっていて、さらにその上からデミグラスソースがかかっている。見た目の時点で、かなり強い。

 

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オムライスの中に入っているライスは、いわゆるケチャップライスではなく、黒いピラフだった。醤油で味付けされたような香ばしい米で、それがデミグラスソースとよく合う。

 


岡山で最初に食べたちゃんとした食事として、かなり満足度が高かった。


昼食を無事に終えてホテルにチェックインし、そこから交通手段を探すことにした。

 

こういう観光地には、大体レンタルサイクルみたいなサービスがどこかしらにあると踏んで探すと、果たしてレンタサイクルがあった。

docomo-cycle.jp


サービス登録をして利用開始。

電動自転車というのは本当に便利だと思う。小回りが利くうえに待ち時間が少ない。こういったサービスはもっと広がってほしい。LUUPがそうなのかもしれないけれど、個人的にはキックボードよりも自転車の方が便利だと思う。

 


原田宗典『十七歳だった!』の聖地巡礼ということで、最初に行くべき場所は一か所しかない。

 

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岡山県立岡山操山高等学校。原田宗典の通っていた高校である。下校時間を過ぎているからか、人の姿はあまりなかった。

 

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校門の近くには全国大会の表彰が並んでいて、その数は想像以上に多かった。後で聞いた話だと、やはり操山高校は進学校として名高いらしい。

 

(以下、特に記載が無い場合は「十七歳だった!」(原田宗典著、集英社文庫、1996年)からの引用とする)

昭和四十九年、僕が入学したのは操山高校と言う名前の県立高校であった正式名称は「岡山県立岡山操山高等学校」というのだが、なんだかヤケに岡と山がたくさんあって回りくどい。岡山県立岡山操山高等学校岡山県立岡山操山高等学校岡山県立岡山操山高等学校と三回唱えると、頭の中がすっかり岡と山でいっぱいになって気が狂って死ぬ、と言う呪いが籠められているのではないかと疑うばかりの回りくどさである。したがって誰もこの高校を正式名称で呼ぶものはいなかった。地元の人々は学生を含めてみんな、単純に「ソーザン高校」と呼んでいた。(P.10)


作中には鬱屈した不良たちも出てきたが、そういった鬱屈した高校生が、今もどこかにいてくれるといいなと思う。そう思うのは、自分がもう40歳を過ぎ、高校生とは程遠い人間になったからだろう。


さすがに校内には入れないので、写真だけ撮って退散した。

 

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その後、岡山後楽園と岡山城へ向かった。

 


こちらは『十七歳だった!』の作中には特に出てこないが、せっかく岡山県に来たのだから、ちゃんとしたベタな観光地も回ってみようと思った。

 

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後楽園は、思っていたよりも広々としていた。晴れていれば散策するのにちょうどよさそうな場所である。

 

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岡山城から外を望む。

 


あいにく窓に囲まれており、外に出られるわけではないが、それでも窓から眺めるには十分な見晴らしだった。

 


城内では、ガイドとして小早川秀秋や宇喜多秀家、池田輝政の紹介、そして岡山城の変遷が説明されていた。

 


岡山といえば宇喜多秀家のイメージがあったが、宇喜多は西軍である。そう考えると、たしかに江戸時代以降は東軍側の大名が支配していたことになる。

 


他の県の人にしてみれば、「ここは誰それの城下町」という意識があったりするのだろうか。それとも、さすがにもう、そんなことはあまり関係ないのだろうか。

 


岡山城から出ると、地面が濡れていた。どうやら通り雨があったらしい。

 


まったく気づかなかった。ラッキーである。

 

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自転車で向かったのは、天神山文化プラザ。

 


作中では、友人のK哉くんに連れられていく先である。

 


ところで、この「K哉くん」が、文庫版『十七歳だった!』のカバーを手がけていた原研哉氏のことであると知るのは、ずいぶん後のことである。

 


「で、どこへ行くのだ?」

しばらくして、僕は我慢しきれずにそう聞いた。

「文化センターじゃ」

というのが、K哉くんの回答であった。

文化センター?なんだろうそれは。よくわからないけれど、とにかく文化がセンターしている所なのだな。あるいはセンターが文化している所なのか。いずれにしても文化が集まっていそうなところに間違いあるまい。そういうところで何をしてサボるのだろう。まあいいや。ドキドキドキ。(P.72)

 

などと桃色の想像力を駆使してK哉くんの後についていくと、彼は図書館のような場所を通過して、奥の自習室へと到った。室内はガラガラである。彼は大きな机の真ん中の席を陣取ると、おもむろに鞄の中から参考書と問題集を取り出して広げた。

「おいおい、何やっちょるんだ?」

そう尋ねると、K哉くんは黒縁のメガネのレンズをきらきらーんと輝かせて、

「何って、勉強じゃがな」

「だってお前、サボるんじゃないのか」

「じゃから学校サボって、自分で勉強するんじゃがな」

ぼくは渋谷公会堂のステージと勘違いして銭湯の女湯に登場してしまった森進一みたいな顔になった。まさにガチョーンである。(P.73)

 


現在の天神山文化プラザを見る限り、自習室は見当たらなかった。建て替えや改装などで、なくなってしまったのかもしれない。

 


特に中へ入る理由もなかったので、そのまま次の目的地へ向かう。

 

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奉還町商店街。

 


時間が遅かったこともあり、シャッターが下りている店も多かったが、思った以上に学生の姿が多い。

学習塾や、学生の交流の場のような施設も見受けられた。

 

 

ここで知り合ったイリミテ派の高校生たちは、最初に登場したN岡くんをはじめとして、みんなものすごい読書家で、弁も筆も立つ奴ばかりであった。この連中に揉まれ、負けまいとして乱読し、文章も書き始める中で、ぼくは本格的な文学青年として踏み出したのである。

断言してもいいけど、あの喫茶店がなかったらぼくは今のように文章で身を立てていないはずである。それくらいのインパクトが、イリミテとそこに属する高校文学青年たちにはあった。

そのイリミテが店を閉めてしまってから、もう八年がたつ。ぼくとしては帰る家を失ったような気分が、今も続いている。(P.150〜P151)


現在の奉還町商店街には、ダイニングバーなどもある。ただ、高校生が入り浸るような雰囲気の店ではなかった。

 

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一方で、レコード展や映画の資料がたくさん集まっている、マニアックな店もあった。こういう、高校生の多感な感性を刺激してくれるような店が、今も残ってくれているといいなと思う。

こういった場所で本を読んだり、あるいはゲームをやることができたら、僕の人生ももう少しは人と取っ組み合うということを学べた人生になったのかなと思う。

 

 

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夕飯は特に決めていなかったが、店名だけで決めた。「ぼくも十七歳だった!」の装丁担当Michelle氏に改めて感謝して店内へ。

 

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[みっちゃん](https://tabelog.com/okayama/A3301/A330101/33010748/)

の豚モダン、チーズトッピング。

疲れた体に濃いめのおたふくソースが染みた。食べ終わった後で、今日ぐらいはビールやハイボールを飲んでも良いなと気付いた。

 

 

 

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今日一日をこれで終えるのがなんだか名残惜しくなって、ホテルで晶光ベイブリーズを飲みながら岡山夜景を眺めて本を読んだ。

バカバカしい体験は同人誌を出すくらいにはしてきたけど、負けないようにと切磋琢磨する機会は高校時代に無かったのだなと振り返って思う。

 

 

今活動しているのは、その無念や残滓を未だに追い求めているのだと思う。