今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

いつかは大好物に別れを告げる日が来る

今週のお題「最近おいしかったもの」

 

リハビリを兼ねて、はてなブログのお題に沿って書いてみる。

 

最近「美味しいけれど量が多くてしんどかった」と感じる夕飯があった。

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五反田「二月堂」の坦々そば。

 

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五反田「プランタン」のナポリタン。

 

  どちらも美味しかったけど、明らかに分量が多いと感じた。以前なら何の問題もなくペロリと平らげられる量だけど、40代も後半に差し掛かろうとなる身にとっては、食べている途中で味に飽きる感覚があったり、胃に負担を感じたりして、食べることに集中できず、完食することに対する抵抗感を覚えてしまうようなしんどさを覚えてしまった。どちらも「残したくない」という意地で食べ切ったけど、食べ終わった後に(いままでだったら感じていた)満足感を感じられなかった。そのことを寂しく残念に思った。

  きっとこういったシーンが今後増えてくるのだろう。いままでずっと好物として食べていたサーロインステーキ、背脂ギドギトラーメンや豚骨ラーメンも、「しんどいし、まぁいいかな」と思うようになるのを想像すると、寂しい気持ちになる。

 

  一方で、以前はあまり外食でわざわざ選ばなかった食べ物を選ぶようになっている。例えば、「サバの味噌煮」「ブリの照りやき」といった魚料理。旅行先が漁港近くで魚が美味しい、生姜焼きなどの肉系料理が他に無いといった条件が無いと頼むことは無かったけど、最近は気分によって頼むことが増えている。魚の油は肉のそれと比べると胃腸に負担が少なく食べやすい。また「胃腸を活性化させたいから」という理由で自宅やホテルの朝食に納豆を食べることがある。納豆自体が安いことも魅力的である。しかし昔の僕は納豆が死ぬほど嫌いで、納豆に口をつけた両親のコップや箸を必死で洗っていた。子供の僕が納豆を買って食べている僕を見たら卒倒してしまうかもしれない。

 

  「食の好みが変わる」というのは、身も蓋もない言い方をしてしまえば「加齢による内臓の変化」だと思う。量が食べられなくなったり肉の脂がきつくなると感じる寂しさと、魚や納豆の味わいが好ましいと感じる楽しさの比率、どちらが大きいかと言われれば、今は残念ながら前者である。さらに加齢が進んだら、この比率も逆転するのかもしれない。ただ、それはそれで楽しみであるけれど、前者の寂しさが埋まって慣れてしまい、後者が相対的に大きくなったことで「ついに逆転してしまったか」とやっぱり寂しくなる気持ちを味わうのかもしれない。