今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

鍋底の唐揚げ粉を食べる楽しみ

  骨付の鶏肉が安い時に大量に買い、一気に作る唐揚げ。母が作ってくれるそんな唐揚げが、子供のころ大好きだった。
  骨付の鶏肉にから揚げ粉をまぶし、揚げ油に入れてパチパチと鶏肉に泡が集まるのを5分程度眺める。頃合いを見て、母が鶏肉を揚げ油から取り出したら出来上がり。眼の前には黄金色に彩られた唐揚げの世界が広がっていた。
  僕は手が油でべとべとになるのも構わず、骨の両端を掴んでガブリとかじる。たまに中の肉が熱くて、思わず「熱っ!」と叫びながら唐揚げを落としてしまい、親に注意されたりした。骨に残った肉も注意深く歯で削ぎ落とし、鳥皮の残りや細かい肉、骨の端にこびりついた粉、それこそ親の仇のように最後の一欠片まで残らず食べた。
 

 さらに僕には唐揚げを食べ終わった後の楽しみがあった。「ごちそうさまでした」とご飯を食べ終え、お皿を片付けると称して台所に行き、調理が終わって少し冷めた揚げ油に指を突っ込んで、揚げ油の底に溜まったから揚げ粉食べるのである。大変に行儀が悪い行為だ。親に見つかった時は当然怒られた。でも僕は懲りずに、親の目を盗んでから揚げ粉を食べた。揚げ油の底に沈んだから揚げ粉は、ちょっと焦げた香ばしさと、塩気と胡椒の香りが凝縮されていて普通の唐揚げ以上にスパイシーで、たまらなく美味しかった。

 

  今でも、自宅で唐揚げを作ることがたまにある。
  鶏もも肉を買ってきて(鶏肉屋で事前に唐揚げサイズに切ってもらう)、醤油と酒を混ぜたタレに鶏もも肉を入れて10分ほど揉み込む。キッチンペーパーで鶏もも肉の水気をとり、から揚げ粉をまぶしてヘルシオで20分程度焼いたら出来あがり。
  ヘルシオは揚げ油を使わずに鶏肉自身の油で揚げる、らしい。だから普通の唐揚げよりも油を使わないし、ヘルシーだ。ただ、味は普通の唐揚げよりはちょっと劣るかな、と思う。そして、この調理方法では、揚げ油の底に沈んだから揚げ粉を食べることができない。

 


  僕は揚げ油の底に沈んだから揚げ粉が大好きだった。
  今は多分そんなに好きじゃない。揚げ油に指を突っ込むなんて不衛生だし、多分単に油っぽいだけだろう。もう年をとっているので、油を食べるような真似をしていたらあっという間に太るだけだ。

  「多分」そんなに好きじゃない。油っぽいだけ「だろう」。
  僕は母の唐揚げを20年以上食べていない。少しずつ子供の頃の思い出と今の自分とが乖離していって、昔の経験と今の感覚がリンクしなくなっていく。昔感じた経験は、今どう感じるのだろう。

 

 

  少し前にクリエイティブ・ライティング に参加して良かったという記事を書いた。

townbeginner.hatenablog.com


  記事では「文章と向かい合うことができて良かった」と書いたが、本質的には「子供の頃好きだったことともう一度向かい合うことができて良かった」だったのかな、と思う。T-SQUAREが好きだから、初めてT-SQUAREに関する文章を書いて、ライブにも行った。夜景が好きだから、夜景の話を書いた。文章を書くことが好きだから、文章をしっかり書くことができるようになりたかった。
  骨付鳥の唐揚げが好きだった。揚げ油の底に沈むから揚げ粉が好きだった。きっと今揚げ油の底に沈むから揚げ粉を食べても、「【多分】そんなに好きじゃないだろうし、油っぽいだけ【だろう】」。この予想は多分当たっている。けれども、僕は骨付鳥を買ってきて唐揚げを作る決意を固めつつある。海外旅行と運動不足でびっくりするくらい太ってしまったため、実際に唐揚げを作るのは先の話になりそうだけど、きっと僕は慣れない手付きで唐揚げを作って食べたら、片付けの最中に、揚げ油の底に沈んだ唐揚げ粉を(別に誰にも見られないのに)こっそり食べるに違いない。

 

  子供の頃好きだったことは、きっとまだどこかに眠っている。それを掘り起こす作業は、なんだか考古学者になった気分で楽しい。