今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

人をいなくするための儀式

 法事だったため朝からてきぱきと始動。今回は参列するだけだったけど、妙に体力と気力を使うのは何故なのだろう。法事が終わった後は、改めて何かをする気になれない。

 

 13回忌ともなれば参列者はごくごく近しい関係者のみとなり、故人の事が話題に上ることもそこまで多くない。例外的に何かあるとしたら、子供が小さいが、相続トラブルぐらいか。研究者や作家で、作品が実を結んだというのも思ったけど、その場合は回忌を待たずに話題になってるから、あまり法事で語られる特有のトピックではないだろう。

 

 13回忌の次は17回忌。4年後はどんな話をするのだろうか。

 50回忌までは数年おき、そこから先は100回忌。そもそも50回忌まで、法事を執り行う人間が存命かも、自分自身が生きているかもあやしい。100回忌ともなれば故人を直接知っている人間はもういない。その時は、故人がどんな語られ方をするのかあまり想像できない。歴史上の人物のような象徴的な扱いになっているとしたら、その人の死を偲ぶという意味合いは薄れてしまうように思う。

 

 こうして、故人は少しずついなくなっていくのだと思った。 

 きっとそれは、人間がきちんと生きて、きちんと死ぬために必要なことなのだろう。

法要は、人をいなくするための儀式として機能しているのかもしれない。自分も、親戚筋との世間話をほったらかしにするような人間ではなくなった。

 

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墓参りの近くにあった石材店にて。

キャラ石材は法事で退屈している子供対策だろうか。

ストーブが昭和だった。古い記憶を呼び起こすのは、偶然見かける古いアイテム。