ああ、そうだよなあと思いながら読みました。
特にそうだよなあと思ったのが以下のくだり。
子供の頃は理解ができていなかったんですが、どうやら人間ていう生き物は自分や、周りの環境をだんだんと汚しながら生活しているようで、いわゆる"きちんとした生活"というのは普段からその汚れをきれいにする、ないしは汚れないようにコーティングする工程が盛り込まれているようなのです。 この工程をさぽると、汚れ(のようなもの?)がだんだんと蓄積していきます。それは人の体にであったり、精神に作用する生活環境に、です。
生活をサボったツケは身体で払うことになる。ちゃんと生活したい。 - 銀塩日和
自分の部屋から風呂場、トイレ、洗面台に至るまで「少しずつ」汚れていくんですよね。何か飲み物をこぼした時はわかりやすく急激に汚れるから、慌てて拭いたりしてリカバリーできるんですが、「少しずつ」だとあまり意識に上らないからそのままにしてしまう。最悪の場合、茹で蛙のように汚い部屋で過ごすというハメになってしまいます。そうなってる時って、「掃除をする労力 > 汚い部屋で過ごす不快感」 になってるから、負のスパイラルに陥りやすいんですよね。
で、この辺の記事を書こうと思ったら良いエントリがもうありました。
上記記事ではきちんとした生活をするための参考記事(主に掃除について)が紹介されていますので、ぜひ御覧ください。
で、なるべくサッと書けるようになる練習を始めているのでサッと書くんですけど、タイトルの通りこれには正解は、ありません。と、わたしは思っています。正解はないけど、自分の快・不快がある、という感じ。ただ、その快・不快を探るためのお手本というか仮マニュアルみたいなものは、たぶんある。 そんで仮マニュアルっていうか「ちゃんとした生活ってなんやねん」という大前提に戻ると生活には基本と応用、という2段階があって、まず基本ですよね、基本、これは大きく分けて3つの要素に別れると思っています。 ・清潔 ・健康 ・充実
正解は、ありません。でも。 - インターネットの備忘録
清潔・健康・充実が「ちゃんとした生活」としてあげられているんですが、概ね同意です。あとは、どこまでやれれば自分はOKなのか、というのを知るのが良いのかなと思います。
例えば清潔の要素で言えば「洗濯」「掃除」、健康の要素で言えば「食事」「睡眠」「適度な運動」が上記で挙げられています。ほとんどの人は「リソースには限りがあるからある程度できていればいいや」というスタンスなんじゃないかと思います。では、「何をどこまでやれればいいのか」となると、コレは人それぞれで。
ただ個人的には、「○○はどこまで我慢できるのか」と自分の許容範囲を決めておくのは大事だと思ってます。理由は、今後誰かと共同生活をするときに発生しやすいトラブルがどこにあるのか、自分の生活の穴が空きやすい分野がどこにあるのかを知るためです。
生活の穴が空くのは自分が一番無頓着な分野
生活の穴というのは、「○○をする労力 > ○○をしないために感じられる不快感」が発生する事象だと思ってください。大抵の場合、仕事が激務になったりして発生します。なぜ発生するかというと
・左辺(労力)が増えて右辺より大きくなる
・右辺(感じられる不快感)が慣れによって小さくなる
という2つの理由があります。
左辺が大きくなる例をあげると、掃除。部屋の散らかり具合や埃がたまって、だんだんと労力が増えてしまうケースです。
一方、右辺が小さくなる例もあって、こっちの方が厄介だったとします。例えば睡眠。慢性的に睡眠不足が続いた結果、体が慣れたように思えてしまい、それを続けてある日バタリと倒れてしまったり。少し例としては極端ですが、表面的に感じられる不快感は減ってるけど心身を蝕んでるケース。「⚪︎⚪︎はまだしなくていいか」が続くとこうなります。
そう考えると、「生活の穴」が一番発生しやすいのは、
・無頓着なので右辺が小さくて
・だからそんなにやることもなくスキルが上がらず、左辺が大きいまま
である、自分が一番無頓着な部分なんじゃないかなと考えてます。自分の場合、料理は好きだし不健康なものはあんまり食べたくないという欲求が強いので、料理は穴が空きにくくて*1、掃除や洗濯が穴が空きやすい部分ということになります。
無頓着な分野は左辺のコストを減らすのに注力すべし
*1:逆に言えば、ここに穴が空くような状況がずっと続くと本格的に危険です。