今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

インターネットで先祖巡りをした話

 AncientFaces.com というサイトがある。


AncientFaces.com: History told through photos, people, and genealogy

 

 古い写真を投稿することで自分のご先祖様がどんな人だったかという人となりをシェアするサービス。ざっと読んだところ、ユーザーが登録していない人の情報は、Social Security Administration(社会保障局)というアメリカの官公庁からの情報を元に出生・死亡データを取得することで表示が可能らしい。

 個人的には面白いサービスだと思うけど、自分は日本人だしこのサイトには縁がない。と思っていたのだけど、先日自分の祖先にニューヨークに渡ったピアニストがいるらしい、と言われた。まあ、91歳で亡くなった祖母より歳上なので、十中八九生きてはいないだろう。

 

 もしアメリカで亡くなっていたのであれば、このサイトでヒットするかもしれないと思い、検索。


Ichiro Onozaki (1909 - 1999) - New York, NY

 

 親戚に確認してもらうと、出生日が一致。まさかのバッチリヒット。どうやらピアニストとしてニューヨークに渡ったというのは本当の話らしい。

 Last NameのONOZAKIで検索したら他に血縁者がヒットするかも、と思い再検索したところ、先ほどのICHIROさんともう一人ヒット。

 


Dorothy F Onozaki (1915 - 1989) - Chicago, IL

 生きている年代はICHIROさんとほぼ同じだけど、Dorothyさんだから国際結婚したのだろうか、と親戚に聞いてみると、ICHIROさんはフミエさんという人と結婚してシカゴに行ったはず。だとしたら、名前が違うしこの人誰だ、と考えて気付いた。「F」は「Fumie」のFだということに。

 

話のタネとして語り継がれるご先祖様

 2人は戦後まもなくアメリカに渡ったらしい(渡航理由は手術のためと聞いたが、あまりはっきりしなかった)。フミエさんの妹夫婦がシカゴにいるため療養としてフミエさんはシカゴに、ICHIROさんはピアニストとしてニューヨークで生計を立てていたらしい。戦後まもない混乱期だったわけで、今より遥かにハードルの高い渡航(というより移住)だったのだろう。

 ここのサイトからは、2人の出生日と死亡日、亡くなった場所しかわからなかった。それでも、親戚から聞いた話と合わせることで、会うことの無かった2人のご先祖様に想いを馳せることができた。

 

 祖母の法要を終えた。

 祖母は祖母で、大正から昭和、平成と関東大震災から第二次世界大戦という混乱をくぐり抜けて事業を起こして子供を三人育てた。体が頑丈で、糖尿病になった時も普通の人なら意識混濁状態になってる血糖値なのにピンピンしていて、学会に発表したいと言われたエピソードがあった。亡くなってもう数年が経ち思い出すことも少なくなってきているが、改めて波瀾万丈でパワフルな人だと思う。

 

 天気の悪い日にはどうしても気分が落ち込んだり、仕事が上手くいかなくて凹んだり。それは日常のよくある風景なのだけど、そんなご先祖様の話を聞いているとスケールが違いすぎてクラクラしている。と同時に、そんな人々の血を自分がひいているという事実も奇妙な感覚を覚えている。

 いつかは自分も誰かに語り継がれる人になるのだろうか。悪口を言われるのはゴメンだけど、それでも死んだ後にちょいとした話の種になれるんだったら、それはそれでも何も語り継がれないよりマシな気がしている。