遺言書を書いた。
誤解のないように先に書くと、遺書ではなく遺言書である。
当初のきっかけは「しくじり先生」の遺言書についての回を見たことだった。
視聴当時は(ギリギリ)30代だったが、40代になるとうっすらと死ぬことについて意識が向かいだした。これは、社会情勢と自身の身の回りの状況に因るところが大きい。社会情勢は、自分が新卒で就職してから
- 2001年:911テロ事件
- 2009年:リーマンショック
- 2011年:東日本大震災
- 2020年:コロナ禍
と「昨日とは世界の見え方がガラリと変わる」出来事が4つもあった。平均すると、5年も経てば世界は変わらなくても、その見方はまったく別物になってしまっていることになる。
自身の身の回りの話は、血縁関係の死に方による。病院に入院してそのまま亡くなるような亡くなり方よりも、病気などの徴候もなくピンピンしていたのに、ある日突然死ぬケースのほうが多い。父も叔父も妹も、病気などの徴候は無かったのに、ある日突然、大動脈解離など突然死を引き起こす病気が起こって、そのまま亡くなっていった。
日本人の平均寿命は80歳を超えているが、今のところ、親戚で平均寿命以上生きていたのは祖母だけだ。そのこともあり、「まだ若いから大丈夫」とは全然素直に信じられなくなってしまった。いくら今健康でも、明日にはいきなり死んでいるのかもしれないのだから。
雪だるま式にややこしくなる相続問題
「自分は財産を大して持っていないし、血縁関係が少ないので遺言書を作成する理由は特に無い」。しくじり先生の視聴時はそう考えていたが、その後状況が変わった。
- 相続未完了の遺産が存在し、現時点でも相続未完了の遺産がある
- 上記の相続手続き対応の結果、不動産を保有することになった
この結果、自分が死んだ場合に非常に面倒な手続き&親戚間の紛争が発生する可能性が高くなってしまった。それであれば、「後始末」の準備としてはやっておくべきだと考えが変わった。自分が死んだ場合の相続対象と相続先を指定し、紛争を未然に防ぐこと、必要な書類を取るためだけに遺族が文字通り東奔西走しなくて済むよう準備すること。残された遺族について「知ったこっちゃねえよ」という感情を持っていない限りは、遺言書は作成しておくべきだと今は思う。特に配偶者と子供がいて家やマンションを買った人は、遺言書は書くべきだと考えている。不動産の相続などでややこしくなる可能性が高いからである。
弁護士に頼んで公正遺言証書を作成
遺言書の種類は大きく分けると「自筆証書遺言」「公正証書遺言」「秘密証書遺言」の3種類。今回の目的は「紛争予防」のため、最も確実性の高い「公正遺言証書」を選択。遺言書自体は自分で書いても法的には問題ない。しかし、今回は土地や建物が絡んでおり、自分で作成した遺言書が法的に問題ないか自信が無かった。遺言書の正確性を期すために、弁護士さんに頼んで遺言書を作成してもらった。財産の棚卸しをして必要な書類を渡し、弁護士さんに書類の作成と公証役場への立会手続などを依頼。
書類を作成し日取り決めて公証役場へ。当日、弁護士さんと立会人を含めて書類に押印して手続き完了。手続き自体は15分程度であっさり終わった。
当たり前だが、遺言書を作成したからといって自分の何かが変わるわけではない。何だったら、遺言書は施行されるのは自分が死んだ後の話なので、自分の人生という意味では全く関係がない。それでも、「自分が死んだ後の後始末は一つ片付けた」と事実は、今の自分が生きることについて、少しだけ不思議な安心感を与えてくれた。
浅草「本とさや」の上ロース。
一人焼肉として上カルビとロースを頼んだけれど、カルビは肉の厚みもあり中に火を通しきれず肉が冷たいのが気になってしまった。ロース肉は脂分こそ少ないものの、肉の味を感じるには充分に美味しい、というより脂分が少ない分肉の旨味が前面に出ていた。子供の頃からカルビ肉よりロース肉の方が好きだったのだけれど、歳をとって、よりその傾向が強まったように思う。
緊急事態宣言が明けて、8時以降も店内で飲食ができるようになった。しかし、飲食店の倒産ニュースや、これまでのコロナ感染者の増加の記憶を思い出すと、いつまでも一人焼肉が食べられるという保証は無いと感じてしまう。今日と同じ明日は、言うほど確実にはやってこない。