今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

肉の万世と子どもの夢

  「疲れた」という言葉を聞くとこっちまで疲れるから、1回疲れたと言ったら100円貯金するルール。それが「疲れた募金」。 今年の6月に始めて3ヶ月、それなりの額が貯ったっぽいので、姉とご馳走を食べることにした。

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肉の万世 秋葉原本店の粗挽きハンバーグにチェダーチーズをトッピング。

子供の頃から好きで食べていたけど、チェダーチーズををトッピングできるようになったのは確か最近の話。時代だと思う。ハンバーグが他のものと比べてジューシーで、あらびきっぽさがたまらない。

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  牛すじ煮込み。万世に牛すじ煮込みがあることを知らなかった。あまり両親はホルモンとかを好んでは食べなかったし、子どもにも食べさせようとはしなかったから、発見が遅れた。初めて食べた万世の牛すじ煮込みは、しっかり臭みも取れてて美味しかった。甘辛く煮付けた煮込みが多いけど、こしょうをきっちり効かせていることも良かった。

 

  万世は子供の頃からご馳走だった。

  幸いなことに、ステーキや焼肉の美味い店はいくつか知ることができたけど、ご馳走として肉を食べたいとなった場合、今でも必ず万世は候補に上げる*1。僕にとって、万世は料理だけじゃない。電気街であり、電車も含めて万世だ。

 

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  万世店内より。もう石丸電機もサトームセンもヤマギワもないけど、色とりどりの看板とネオンサイン 、少しさみしげに灯る電灯は、今でも電気の街だと感じる。19時頃のネオンサインが最も光る時間帯は、飽きずに外を見つめていられた。

 

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  左手に中央線が走っている。ただ子供の頃はなぜかあまり外の電車を見た記憶がない。当時近くにあった交通博物館は好きで行っていたので、電車にも興味を示していたはずなのだけど。多分電気街の方のネオンサインに夢中だったか、電車が通るたびにうるさいから、電車の見えない席に連れて行かれたか、のどっちかだと思う。

  

 

  今日は母の命日だった。

  母は万世でロブスターを食べていた。それほど肉は好きではなかったのだろう。それでも万世に行ったのは、間違いなく「僕が喜ぶから」だったと思っている。夢見心地で電気街にはしゃいで美味しそうにハンバーグを食べる息子を見て、母は何を思っていたのだろう。

 

  「命日だから」と、あまり大げさに何かをするということをしてこなかったのだけど、ちょっとイベントを、と心境に変化があったのは、加齢のためなのかどうかは、よく分からない。  もういない人のことを思い出すことが、これから少しずつ増えていく。それはなんだか、これまで生きてきたことの振り返りにも似て、かつての自分を思い起こす。

  きっとこれからも、こうして何かを食べながら、かつての人々や自分を思い出していくのだろう。

*1:一人で食べる、という条件付きだけど。二人以上で、となった場合のシチュエーションが今のところ無い。

夏期休暇の有効な使い道

 夏期休暇は1週間丸々とってどっか遠いところにずっと旅行、もしくは小刻みにとってストレスを軽減しながら働ける準備をする、というのが比較的良い使い道なのではないだろうか。そんなことを考えてた1週間だった。

  組織が変わり徐々に仕事の作法も変えていく、と思いきや大ハードランディングだったので混乱の嵐。今週、休みを取って週3じゃなかったらと思うとゾッとする。そんな週だった。とりあえず今日はジムへ行くことができたので、習慣は絶やさないように心掛ける。習慣のの延長に未来がある、という考え方は、比較的好きなのだけど、あまり信じ過ぎると不測の事態のインパクトにストレスを感じるようになるので、ほどほどに。

 

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沖縄土産を冷奴に。

左は「あぐーあんだんすー」という味噌、右は「食べる島ラー油」。あぐーあんだんすーは、もう少し量が少なくても十分いける。食べる島ラー油は塩を軽く振ると良い。

沖縄に行ってきたので取った写真を元に振り返りながら感想を書く

  今年も沖縄に行った。

  去年は水族館やパイナップルパークへ行ったので、今年は少し違うところへ行こうと思った。

 

   地図を見たら世界遺産があるとのことで、中城城跡へ向かう。

  「観光案内では小学校から徒歩30分ってあるけど、久場駅からなら徒歩15分程度だからこっちのほうが早い」というネットの記事を見かけたので、久場駅から歩いて向かう。

 

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  ここまで2時間かかった。

  途中道に迷ったことを考慮しても1時間はゆうにかかる。炎天下ということもすっかり考慮から漏れていた。もし途中でお寺と自販機を発券していなかったら、本当に道中倒れていたと思う。危険だった。

 

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  途中、朦朧としながら取った写真。多分無意識にいい景色と思ったのだろう。

 

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  中城城跡は、石作りが印象的で、見返してみると外国の城かと錯覚するような作りだった。天守閣が無く、日本の城と作りが違うから余計にそう感じた。

  とくに中城は、石積みに特徴がでていて、野面積み、布積み、相方積みと異なる方式が一度に見られるらしい。鉄腕DASHを見てるともっと楽しめたに違いないが、普通に見ているだけでも十分面白かった。石が琉球石灰岩という沖縄独自の石だということも影響しているのだろう。

 

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  太平洋を一望した。喉の渇きと足の痺れが癒やされた。

  流石に帰りはタクシーを呼んでもらった。 

 

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  首里城の本殿は改修中だった。残念。

  首里城は三大がっかりスポットと紹介されていたけど、本殿が改修中だった事以外はそうでもなかった。中城城跡で見た石積みがここでもあって、沖縄に来ているのだという気分がしっかり味わえた。

 

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  首里城を後にして、琉球王たちが眠る玉陵へ。琉球王国に関する歴史や当時の政治状況は書いてあったけど、琉球処分については一切触れられていなかった。当時の日本政府が琉球に対して何をしたのか書くことは、何か都合が悪いことなのだろうか。19代尚泰から琉球王国は解体され、従一位の称号を与えられていたけど、次の代の尚典はなぜ従二位止まりだったのか。そんなことを考えていた。こういう時、歴史の知識というのは、運動を行う時の筋肉にも似て、積み重ねてこなかったことによる蒙昧を後悔する材料になる。

 

小説 琉球処分(上) (講談社文庫)

小説 琉球処分(上) (講談社文庫)

 
小説 琉球処分(下) (講談社文庫)

小説 琉球処分(下) (講談社文庫)

 

  佐藤優氏が薦めていた本。琉球特有の用語などが少し飲み込みにくいが、小国である琉球の人々の感覚を味わえるのが良い。まだ下巻途中までしか読めていないのだけど。

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  琉球処分を読む前にこれを見ておくと、理解がし易い。親方の読み方はなかなかしっくり来なかったけど。親雲上はあっさり頭に入った。「おやかた」となまじ読めるから、その知識が邪魔してしまう。

 

  沖縄は日本にとってはテーマパークであり、日本のつらい部分を負担させられていると考えている。今、軍事基地があることに限らない。仮にアメリカ軍事基地がなくなったとしても地政学的に要所にならざるを得ない。琉球王国の末期、清と日本の板挟みに三司官は悩んでいた。力のある大国の間にある小国として、どう振る舞うか。それをずっと悩み続けてきたのが琉球であり、沖縄なのだろう。

  そんな勝手な感想を抱いた。似た国は他にもありそうだけど。アナロジーができるくらいにきちんと知識を蓄えておくことは、歴史に限らず重要である。 

 

f:id:TownBeginner:20170914212901j:image A&WのA&Wハンバーガーとルートビア。

ハンバーガは美味しかった。ルートビアはお代わり自由だったけど、一杯で十分。

夏季休暇の2日目は普段通り

  通院の必要があったので休暇を取得した。7月から9月に取らないといけない夏期休暇を使った。こういうのは本来は旅行とかに使うべきであまり上手い使い方ではないな、と思ったが、考えようによっては、例えば3連休をずっと取れるような使い方ができて、そういうのは細かい身の回りのことを沢山やる時に助かるんじゃないかと思った。一週間連続で取得しても、旅行とかの大イベントが無いと大抵はグダグダになってしまう。だったら、小刻みにとって細かいことをしっかり片付けるというのは悪くない。

  そういうわけで、通院とジムと夕飯の自炊で1日が終わろうとしている。何かやり残したことは無いか思い浮かべた。こういう日記的な記事を書いていなかった。この手の記事はほとんど需要が無いが、自分自身には一定の需要が在ることがわかった。1日1日の記事を積み重ねて連続で書くことで、後から見返すと、当時の心理状況や思考が結構はっきり思い出せる。逆に言えば、書いていない時期はどうもぼんやりしている。遊んだ記憶はあるけれど、日常の中の感情とか、行く宛の見つからない思考が失われてしまっているように感じている。そういうのはなんだか寂しい気持ちになった。

  Twitterに書き留めることはできるが、多分Evernoteと連携を取っていなかったら同じように感じただろう。モノを書くツールには、何らかの形で振り返るための機能がないといけないのだ。Twitterは大好きだけど、よく使っている「モノを書くためのツール」とは少し違う気がする。

 

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  久々に自炊した。鯖を焼いたはいいが、臭いがなかなか取れなかった。水を敷いておくと油の匂いが付かなくて済むと知ったのは調理後だった。

牛乳石鹸のCMを見て、ふとコージ苑を思い出した

  牛乳石鹸のCMが炎上しているようです。


牛乳石鹸 WEBムービー「与えるもの」篇 フルVer.

父と子の絆。
とある男のなんでもない1日の物語。

昔気質で頑固な父親に育てられ、
反面教師にすることで今の幸せを手にした彼。

「家族思いの優しいパパ」。

でも、このままでいいのだろうか。ふとそんな疑問を抱く。

それでも、お風呂に入り、リセットし、自分を肯定して、
また明日へ向かっていく。

がんばるお父さんたちを応援するムービーです。

 

(上記動画の説明文より)

 動画では父親の背中を見送るカットが差し込まれていたりして、上記の説明通りにしたかったのだろうな、とは思うものの、冒頭で「ゴミを出しといて」と頼む妻に対して虚ろな表情を浮かべる主人公、息子の誕生日なのにケーキとプレゼントを買ったまま(会社の部長(?)に叱られた)後輩と飲みに行き帰るのが遅くなって妻に怒られ、風呂場で悩むシーンなどにツッコミが入りまくっています。要は、「なに自分が悪いことしているのに被害者ヅラしてるんだよ」的な感想です。

 

pokonan.hatenablog.com

  息子の誕生日だということは前々からわかっていることだし、それで妻も息子も待っているのが分かっているのに飲みに行くというのは、そりゃ妻も怒ります。仕事で怒られた後輩を励ますために飲みに行った、という言い訳はあるにしても、だったらせめて帰りが遅れる旨の連絡はしようよ、とは思います(作中で、居酒屋で電話があったのに出てません)。

 

  というわけで、この主人公はあまり良くない事をしているというのは同意見なのですが、一方で、色々考えて(考えすぎて?)やらかしてしまった、なにか衝動的に思っちゃったのかもなあ、とも思っています。

  なんでそんなことを考えているかというと、タイトルの通り、ふとコージ苑を思い出したからです。以下引用します。

 

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【「コージ苑 第二版」 相原コージ著 小学館 P.22 】 

  「世田谷まで」という客に対して突然乱心して「いやだ、晴海埠頭に行く!オレはオレの行きたいところに行く!!」と、客の制止を振り切って晴海埠頭を目指すタクシードライバー。

   この漫画の秀逸な点は4コマ目です。結局晴海埠頭まで来たタクシー。ドライバーは

「すいません、お客さん……」

  と謝ります。今更感たっぷりです。しかし、それに対して客は、

「いや……でもその気持ちわかるよ……」

  とタクシードライバーに寄り添っています。これにより、4コマのストーリーがきちんと締まっています。どう考えても悪いことをしたタクシードライバー、全面的に被害者の客、その2人が同じ場所で同じような感情を共有することで、1コマ目から3コマ目までのタクシードライバーの乱心に対する感情が回収されているのです。

 

  牛乳石鹸のCMにはそれがありません。何かもやもやしたもの、あるいは葛藤を抱えている主人公に、やらかした主人公に、どれだけの寄り添いがあったのか。このCMを見て批判している人々も、自分自身が抱えている(あるいは抱えていた)迷いやある種のもやもやを処理できないでいる人はいたんじゃないかと思うのです。それなのに、この主人公には非難が殺到してしまった。この時点で上手く描けていないと言わざるを得ません。

  後輩を励ますために飲みに行くべきか、息子の誕生日があるから早く帰るべきか。迷うこと無く後者を選ぶことができれば何も問題はないのでしょう。でも、主人公は前者を選んだ。そのプロセスをもっと丁寧に描いていれば、評価は違ったものになったのかもしれないな、と感じています。本当のことを言えば、このCMを見て批判した人々も主人公に少し寄り添えば、違う風景が見えるのではと思います。しかし、形式上でも家庭を蔑ろにしてしまっているため、きっと共感を得ることは難しいのでしょう。

 

昔気質で頑固な父親に育てられ、
反面教師にすることで今の幸せを手にした彼。

「家族思いの優しいパパ」。

でも、このままでいいのだろうか。ふとそんな疑問を抱く。 

  葛藤の題材としては、いい線いっていると思います。仕事と家庭のバランスをどうするか悩んでいるのは、女性だけでなく男性も、です。それが結果としてただの炎上に終わってしまったのは、本当に勿体無い。  

 

  あと、この記事を書くためにコージ苑をKindleで買ったのですが、やっぱり面白いですね。引用したタクシードライバーの話、ゲラゲラ笑いました。

 

  今日考えたのはそんなところです。

コージ苑 第二版

コージ苑 第二版

 

 

 

 せっかくなので1と3もまとめて紹介。是非どうぞ。

コージ苑 第一版

コージ苑 第一版

 

 

コージ苑 第三版

コージ苑 第三版

 

 

バックギャモン合宿、昭和の定食屋

2泊3日でバックギャモン合宿に参加してきた。

バックギャモンは今年に入ってから再びハマりだしたのだけど、一度きちんと学んで見ようと思い参加を決意。

 

レクチャーの後、3人1組になって7ポイントマッチで対戦。空いた1人はPCで棋譜と取る役目で、終了したら3人でPCの解析結果を見ながら振り返り。

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プレイ終了後の画面。実際に指した手がコンピュータで解析され、赤字のブランダー(よくないと判定された手)を中心に振り返り。

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  パフォーマンスレート(PR,自分が指した手がどれだけ正確な手だったかを示すレート。エラーを起こすと増えるので、低いほど良い)を振り返ると、(予想はしていたけど)他の参加者と比較し自分が圧倒的に悪かった。自分が14Pの「中級者」に対し、他の人々は4〜6Pの「世界クラス」。壁は厚かった。とはいえ、どうしたらいいのかわからない場面が実践でもでてきて解説がもらえたこと、確率をきちんと数えられることが勝利につながることがよくわかったので、実りの多い合宿であったと思う。

  まだ振り返りは完全にできていないので、まとめたらゲームブログの方に記載をする予定。

  バックギャモンはやっぱり面白い。もっとちゃんとやろう。

 

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足利「繁食堂」のワンタンメンとセットのミニソースカツ丼。

ソースカツ丼はもちろん美味しかったのだけど、メニューが昔の定食屋のそれだったので、確信をもってワンタンメンを注文。縮れ麺の、喜多方ラーメン風味のあっさりとした醤油味。美味しかった。

  こういうラーメンを出してくれる定食屋は本当に無くなっちゃったな。寂しい。

今日は特別な日

一週間が終わった。

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今週は公私ともに頑張った自負があるので、担々麺とビールで疲れをねぎらう事にした。ジムで消費したカロリーが戻っってしまったけど、まあそれはそれとして。

 

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少し酔いを醒まそうとして、アイスを買った。サーティワンを買うのはいつ以来か忘れてしまったけど、手をベトベトにしながらアイスをパクつくスーツ姿のいいおっさんは、今思えばシュールな出で立ちに見えたと思う。

季節はもうすぐ夏だ。

 

 

 

<小林麻央さん死去>ブログに書き続けた日常の輝きと感謝 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

 

 「与えられた時間を、病気の色だけに支配されることはやめた」という言葉通り、高熱や転移したがんによる痛みに苦しみながらも、冷やしたタオルの気持ちよさや日差しの熱さ、オレンジジュースの甘酸っぱいおいしさを喜ぶ記事を投稿。息を引き取る直前にも「愛している」という言葉を家族に残したという。

 

5月ごろ辛い仕事があって、必死に心のポジションを整理したことがあった。

その時の不安とは比べるべくもないけれど、辛いことばかりに目を向けないで、他の人を気遣うことができるのは芯の強い素敵なことなのだと思う。

 

小林麻央さんのご冥福を心よりお祈りいたします。