今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

時間旅行 -いつでも僕たちは「いま」を生きていける-

  自宅から最寄りの浅草駅へ自転車を少し早足で漕いだ。隅田川花火大会は終わったけど、街は浴衣を着ている人たちが多い。一番多いのは女の人が3,4人という組み合わせ。次が男女のカップル。そんな人達を横目で見ながら自転車を駐め、銀座線で渋谷まで。浅草駅は始発なので必ず座れるのはありがたかった。ヘッドホンをしてiPhoneをズボンのポケットから取り出した。少し考えて、今日は「時間旅行」を聴くことにした。

  「時間旅行」を聴いていると、未来よりは過去を旅するようなイメージを持てる。その日、僕は時間旅行を聴いて過去に旅立った。 

時間旅行

時間旅行

  • アーティスト:T-SQUARE
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  気休めに英語の参考書を鞄に入れていたけど、案の定、読んでも蛍光マーカーを引いても頭には全然入ってこなかった。
  地下鉄銀座線なのに何故か渋谷だけは地上に出て、そこからまたひたすら地下に向かって歩くのってバカバカしいなと思いながら、乗り換えのために東急東横線へ歩いていった。渋谷のスクランブル交差点周辺には、上京してきたと思われる家族や夏休みで遊びに来た高校生、カップル、パリピ、よくわからない政治団体、募金の人。色んな人が居るけど、少なくとも誰もぼっちじゃない。だから僕は渋谷が嫌いだ。でも今日の目的地は渋谷じゃないからどうでもいいや、と思いながら東急東横線の急行に飛び乗った。

 

  目的地はみなとみらい駅のパシフィコ横浜。
  今年40周年を迎えるT-SQUAREのコンサート「T-SQUARE 40th anniversary Concert」の会場だ。

  中学高校と学校生活が一つもうまく行かず、燻っていた僕の人生をT-SQUAREは物語にしてくれた。ただの音楽と言ったらそれまでだけど、それでもT-SQUAREを聴いていると自分が何がしかの物語の主人公になれた気がした。将来への明るい展望があれば、そして今自分が歩いているのがその展望への旅路だったら、それは歩いていく原動力になっていくと思った。脱走の機会をうかがう囚人みたいな生活から、T-SQUAREは僕を解放してくれた。
  そのT-SQUAREが、40周年ということで歴代メンバーを揃えてコンサートをやる。行きたいと思う反面、僕は行くことに二の足を踏んでいた。迷った理由は大学受験なのにコンサートに行っている暇はない、からではない。受験に息抜きは絶対に必要だ。理由は3つ。
「周りのノリについていけるかどうか心配」
「アルバムと曲順が違うし、今までイメージしていたノリが壊されてしまうのではないか」
  そして一番大きな理由は、出演者の中にある「足立区立西新井中学校吹奏楽部」という文字だった。

 

  僕は(学校に行かなくていいという一点だけで)夏休みが大好きだったけど、夏のイベントは大嫌いだった。花火大会はどうせ友だちがいないから一人で見てもつまらないし、甲子園は普段立場の弱い生徒とかに威張り散らしてるくせに、ちょっと権力の有る先生やOBとかには外でだけいい面をしておいて陰で悪口ばかり言ってるような野球部の奴らがヒーローとしてちやほやされているようなイベントだ(実際の甲子園球児には会ったこと無いけど、ウチの野球部を見ていたらだいたい想像がつく)。
  でも、そんな奴らでも、野球が上手ければ、女の子にモテる。チヤホヤされる。友達が作れる。誰かに話しかけらてもらえる。何か誘っても嫌な顔をされない。机に突っ伏して寝てる時にいきなり椅子を引かれたりしない。何より、わざわざ机に突っ伏して寝る必要がない。
  甲子園球児たちは、僕が欲しかったものを全部持っていた。そして僕は、西新井中学校吹奏楽部に似たものを感じていた。西新井中学校には別に縁もゆかりもないし、吹奏楽部にも嫌悪感は無かったけど、自分より少し年下の中学生がプロ、それも40周年を迎える大御所のコンサートに参加しているという事実は、僕を気後れさせるのに十分だった。自分が今の人生で何ひとつできていない中で、中学生がT-SQUAREと肩を並べて演奏をしているのを見たら、僕はどう思うのだろう。人生のうまく行っている組とうまく行っていない僕との差が違い過ぎて、打ちのめされた気持ちになるんじゃないだろうか。

  そういうわけで、僕は西新井中学校吹奏楽部を見たくなくて迷っていたけど、結局T-SQUAREの40周年というお祭りの誘惑には勝てず、チケットを買ってパシフィコ横浜の大ホールに向かった。

 

 

  席は2階で、ステージを見下ろすことができた。今回は歴代メンバー18人が出演ということもあり、各パートを複数で演奏するらしい。だからドラムセットが4つもあるのか、と納得した。席に座り入場時に配られたチラシを眺めているうちに、照明が少しずつ暗くなっていった。静かに拍手が響いたので、僕も一緒に拍手をした。開演である。
  舞台の上手と下手から制服を着た中学生が楽器を持って整列を始めた。あれが西新井中学校吹奏楽部か。別に何の変哲もない、ただの中学生だと思った。でも、舞台の上手と下手からぞろぞろと出てきて、総勢50人以上が舞台に立つと少し気圧された。中学生たちがそれぞれ楽器の準備を終えると、指揮者がやってきて会場に一礼をした。もう一度拍手が起こった。僕も慌てて拍手をした。拍手が鳴り止み、指揮者が中学生たちの方を向いて指揮棒を上げた。
  演奏が始まった。T-SQUAREの代表曲「OMENS OF LOVE」だ。

 

  「OMENS OF LOVE」は、アルバム「R・E・S・O・R・T」の原曲はもちろん、「CLASSICS」の大胆にアレンジされたオーケストラ曲、「宝曲」の少し落ち着いたセルフカバー、どれも冒険心を掻き立てる印象を持たせつつ、それぞれの持ち味を活かして演奏している素晴らしい曲だ。そして、いま眼の前で演奏されている「OMENS OF LOVE」もそうだった。サックス、トランペット、ホルン、微妙に違う金管楽器がハーモニーを奏でていて、吹奏楽のアレンジが効いた「OMENS OF LOVE」は聴いていてとても楽しかった。僕はいつの間にか周りに合わせて、曲に合わせて手拍子をしていた。
  演奏が終わり指揮者が礼をしたところで、再び僕は拍手をした。演奏を終えた吹奏楽部と指揮者が舞台から退出した。
  T-SQUAREのメンバーはまだ一人も出ていないのに、僕はすっかり夢中になっていた。

 

  吹奏楽部と交代する形で歴代メンバーが登場した。いよいよだ。生で見る安藤まさひろは、伊東たけしは、マクドナルドのテレビCMやタモリ倶楽部で見た感じの人だった。初期アルバムにはメンバーの写真が載っていなかったので、初期メンバーの顔とかはよくわからなかった(もし載っていたとしても、30年以上経っているからやっぱりわからなかったかもしれないけど)。
照明が瞬いて演奏が始まった。1曲目はデビューアルバムの「Lucky Summer Ready」の1曲目「A Feel Deep Inside」。2曲目はセカンドアルバム「Midnight Lover」から表題曲の「Midnight Lover」。
  どちらも40年近く前の曲だ。初期アルバムはそんなに聴き込んでいなかったから、思い出すのに少し時間がかかったけど、とてもいい曲だと思った。「A Feel Deep Inside」はピアノを弾ませつつドラムが落ち着いたスネアで曲全体を支えていたし、2枚目の「Midnight Lover」は伊東たけしのサックスがより情感的にメロディーを奏でていた。

 

 

  瞬間、T-SQUAREが辿ってきた歴史が見えた。
  そして僕は思い出した。T-SQUAREはずっと僕を支えてくれていた事を。

  大学の推薦が取れず必死に受験勉強していた時、大学デビューに大失敗して一切何も得られずに卒業した時も、新卒で入った企業で残業の嵐だった時も、「Dans Sa Chanbre」はどこへでも行けるような自由な空気をくれたし、「COPACABANA」は静かで柔らかい海中に連れて行って癒やしてくれた。うつが寛解し始めてもう一度働き始めた時も、結婚生活に別れを告げた時も、半年近く休み無しで働いていたのに全然成果が出せずに燃え尽きた時も、「HEARTS」は悲しいことはどうやったって悲しいままだけどそれで良いということを、「待ちぼうけの午後」は所在なく立っているのも悪くないと教えてくれた。

 

  いま、僕は40歳を迎えてパシフィコ横浜の大ホールにいた。
  いま、僕の眼の前で西新井中学校吹奏楽部が、今は別のバンドなどで活躍している元メンバーが、そして安藤正容、伊東たけし、河野啓三、坂東慧の現T-SQUAREメンバーが40年間演奏し続けてきた曲を「いま」の自分たちに乗せて、演奏していた。それは、T-SQUAREがやる音楽とは何かを求めて辿って、ずっと活動を続けてきたT-SQUAREだから演奏できた曲だった。

  僕は、40年間活動を続けてきたT-SQUAREと手拍子をして一体になった。
  40年経ったことによる懐かしさなんて一つもなかった。60歳を越えた安藤正容が、伊東たけしが、これまでを経た「いま」だからこそ、過去を武器にして演奏できる曲があった。

  T-SQUAREが、40年前のデビュー曲から今年のアルバム「City Coaster」まで、一気に駆け抜けていった。最後の曲はライブの定番曲としてお馴染みの(といってもライブで聴くのは初めてだけど)「Japanese Soul Brothers」、そしてアンコールの「Truth」で幕を閉じた。演奏後、舞台上で18人が集まって抱き合い、客席に向かって手を上げた。僕も手を上げて大きく腕を振った。

 

 

時間旅行

時間旅行

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  時間旅行が終わった。
  大ホールを出て階段を降りるところで中学生の一団と一緒になった。さっきの吹奏楽部生か、吹奏楽部を応援に来た中学生かはわからなかったけど、きっと彼女たちも、明日からまた部活動で「いま」曲を練習したり、宿題に追われて「いま」苦しんだりするような今年の夏を始めるのだろう。そんな想像を勝手にして、少し楽しくなった。

 

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  帰り道、ハンバーグ屋に寄って晩酌セットを頼んだ。
  10代から大好物だったハンバーグと、20代の僕が嫌がってたビールと、30代で好きになっていったポテトサラダとヒレカツ。全部うまいうまいと言いながら食べられる40代の僕は幸せだった。翌日、胃もたれするような40代の僕じゃなければもっと幸せだったけど、それぐらいならまあいいや、とも思った。
  明日は趣味のバックギャモンをやる日だということを思い出して、鞄からバックギャモンの本を取り出した。洋書だから読むのはスムーズじゃないけど、それでも読み進められるから、昔の英語の勉強は役に立ってるらしい。


  明後日は立秋だけど、「残暑」という言葉が全くしっくりこない暑さは当分続くのだろう。甲子園は大丈夫かと、ちょっと心配しながら残りのビールを呷った。

今年はちゃんと振り返りをしたい - 6月7月-

ちゃんと月ごとに振り返りをしたかったのに、間が空いてしまいました。

気を取り直して、2ヶ月分まとめてやります。

 

6月:魔術師(正位置) -創造性・意欲・新規のプロジェクト・試みの成功- 

  仕事に関してはバッチリ当てはまってました。組織の変更などで仕事のやり方が変わったのですが、その最初のプロジェクトが無事に6月で終わりました。特に大きなトラブルも無くて良かったです。

  私事だと、どうやって文章を書くかを少しずつ意識していったけど、まだ形にはなっていない状態ですね。玉ねぎもそんなにちゃんと使えていないので、もう一歩といったところでしょうか。

 

7月:女帝(逆位置) -誘惑に流される・生活の乱れ・浪費・満たされない心-

 これはもう心当たりがあり過ぎて頭抱えています……。

  大阪にしばらく出張に行っていたのですが、夕飯にお好み焼きやうどんといった粉物中心の生活を続けた結果、体重と体脂肪が最高値を更新してしまいました。出張中危険だと思いモビバンを勝って自重筋トレをしたのですが、脂肪の増加には勝てませんでした(筋肉維持はできていたので、効果はゼロでは無かったと信じたいのですが)。

  生活の乱れは、FF14という悪魔のゲームが影響しています。うっかりやり始めると他の時間をゴリゴリ削ってしまうので、慎重にプレイしないと危険です。どうやって終わらせるトリガーを作るかが今の所一番の課題です。いやあ、木工師と革細工師のクエストが楽しいなあ。

 

8月:女教皇(逆位置) -思い込みに囚われる・偏見・批判的・深く考え過ぎる 

   8月。思考に危険信号が灯っています。仕事よりは私生活に関してかな予感しています。あまり深く考えすぎないように気をつけます。

はてな村の隅っこにいる人間として

本エントリーは感情の整理のためのエントリーです。 

 

Hagexさんこと岡本顕一郎さんが殺された。

www.asahi.com

  当初「ITの講師が刺殺」と書かれた記事が、Hagexさんだと判明するにあたって、いっきにはてなブックマークが騒がしくなり、2018年6月25日22時30分現在、トップページのホットエントリーは9つ中8つが本件に関する記事である。

lineblog.me

 

zaikabou.hatenablog.com

 

  はてなブックマークでたまに上がってくるHagexさんの記事を読んでた。その時の印象は

「丁寧に記事を拾ってるなあ」

  という印象だった。主にイケハヤ・はあちゅう関連の記事で、少なくとも愉快犯として炎上させようという感じは受けなかった。丁寧に証拠集めをして炎上させる、やまもといちろう氏と同じ系譜と感じていた。嫌いだと言う意見はわかるけど、不都合なことを容赦なく突きつける、ある種のカタルシス的なものを自分が感じたのも事実だった。

 

  そのHagexさんが、自分の講演会の直後に、刺されて死んだ。

  意味がわからなかった。要人の暗殺みたいなことが起こった。

  

  程なくして犯人が出頭していた。犯人ははてなの捨て垢を作っては誰彼構わず「低能」と罵倒しまくっては通報されてその都度凍結されて、しまいには「低能先生」と呼ばれていた人物、らしい。はてな匿名ダイアリーに犯行声明を出していたらしいが、もう運営に消されてしまっているので、本人かどうかは結局不明のままだ(時間や犯人しか知りえない情報から本人と言われているけど、本人の口から聞くまで信じないことにしている。)。

 

   次々と上がってくるホットエントリーの哀悼記事を読みながら、「運が本当に悪くてHagexさんは死んだ」としか思えない自分がいる。低能先生が罵倒していたのはHageさんだけじゃないし、Hagexさんだけが非難したわけでもない。ただ、たまたま低能先生がいる福岡にHagaxさんが講演で来ていて、低能先生が気を起こして、こうなったんだと思う。

  ただの偶然の積み重ねにしか見えない。だからこそ救いようがない。

 

  『今週末に開催されるはてなの公式イベント「はてなミートアップ」は?』というブコメを見た。嫌な予感がした。

  

blog.hatenablog.com

 予感は的中した。中止になっていた*1

  昔「数万人に一人のクズが社会構造を決定する」というエントリーを読んだ*2。池田小学校の事件などを引き合いに、激レアな事故を防ぐために万人にコストを強いるという趣旨だったと記憶しているが、今回の事件もその契機になるのだろうなと感じている。

  ブログなどで情報発信するということは、それなりに責任の伴う話で、安全・安心といったことも考慮しなければいけないくらい利用者が増えて、インフラも発達してきたということなのだろう。これ自体は歓迎すべき話だ。人が増えて整備が行き届けば、それを土台としたさらなる技術・文化が生まれる。しかし、今回の事件はその契機としてはあまりにも重すぎる。名前のあるブロガーやイベントが一時的であれ萎縮してしまうのは望ましくない。それがデフォルトになり兼ねないから。

 

  他の人から見たら、僕は呑気に見えるのだろうか。隅っこの方で書いてるだけで、僕自身にはそこまで影響が無いからそう感じるだけなのだろうか。安全・安心は大事だけど、萎縮して書きたいことが書けなくなっているというのは、もうその時点で安全・安心が脅かされてしまっていることになるんじゃないだろうか。

 

  まだしばらく、はてな村の隅っこで特にどうということもない記事を書き続けると思う。

*1:Hagexさんのブコメにスターが輝いているのが悲しい。

*2:当該エントリーを読みたかったが、残念ながらリンク切れらしく読めなかった。

未来の匂いのする夜の街・時間が止まる朝の街

「TOKYO NOBODY」という写真集がある。

 

TOKYO NOBODY―中野正貴写真集

TOKYO NOBODY―中野正貴写真集

 

 僕は写真にあまり興味は無いのだけど、夜景、特に大都会の夜景は例外だ。夜はこれからだとばかりに光る電灯やネオンサイン。高い場所から見える、真っ暗な空間に浮かび上がった様々な色と明るさから成る電気の群れを見ると、人間の姿こそ見えないけど、確実にたくさんの人間が活動をしているのだと思える。コンピュータに興味津津だった子供の頃、未来の匂いが立ち上る秋葉原のネオンサインを見て胸を踊らせたのだけど、その時の気分が大人になった今もどこかに残っているのかもしれない。

  大都会の夜景は未来の匂いと賑やかさのおかげで、ずっと眺めていても飽きない。

 

 「TOKYO NOBODY」は、そんな都市風景の写真集を探してる中でたまたま出会った写真集だ。タイトルの通り、「東京」で撮影した「誰もいない」風景ばかりが収められている。変わった写真集だな、と思いAmazonで注文し本を開いて開いて1ページ1ページめくって眺めた。

 

  ぞっとした。それが「TOKYO NOBODY」を最後まで見た時の感想だった。

 

  写真の多くは陽の光が柔らかく射しているから、おそらく人のいない早朝に撮影されたのだろう。しかし、こうも人がいない建造物だけの写真を見せられると、なんだか人間が死に絶えてしまった近未来を連想してしまった。早朝の写真のはずなのに、「人間がこれから活動を始める」というイメージはこの写真集からは読み取れなかった。日本橋の橋のたもと、渋谷のPARCO周辺、サロンやソープの水商売の集まる区画、銀座のホコ天の区画、お台場の無造作に並べられたコンテナ、雪の降る首都高と雪の積もった皇居周辺。

  人は一人も写っていない。みんなどこへ「消えて」しまったのだろう。

 

  この写真集は1990年から2000年に撮影された写真を集めている。INAX、富士銀行、Yamagiwa、imidas、シャンテシネ。今はもうない看板や建物、会社が写真の中に納められていることで、余計に「人類が絶滅した未来の風景」という感想が強くなっていく。これから年月を経るに連れ、もっと無くなっていく建物や看板が増えて、「人類が絶滅した未来の風景」の色はますます濃くなっていくのだろう。

 

   念のために書いておくと、「TOKYO NOBODY」を酷評する気はまったくない。むしろ人だらけの東京という街で、これだけの無人の風景を撮影したことは称賛したい。インターネットも含め電子技術も十分に発達していなかった事も考えると、撮影に10年間かかった、というのも頷ける話である。ただ、僕が(勝手に)期待していた、未来の匂いがするような人間の躍動感が感じられる写真集ではなかった、というだけのことである。

 

   「大都会の夜景は未来の匂いと賑やかさのおかげで、ずっと眺めていても飽きない」と書いた。実のところ、このことがはっきり意識できたのは「TOKYO NOBODY」のおかげである。

 

「TOKYO NOBODY」は大都会の夜景とは真逆だ。

 陽が落ちて人は寝静まっているはずなのに、電光が人の存在を表している大都会の夜景。

 陽が射して人は目覚め動き出すはずなのに、何処にも人の存在が見えない「TOKYO NOBODY」。

 子供の頃に見た電気街を連想し、未来への匂いを感じられる大都会の夜景。

 今はもうない看板から、過去で時間が止まった姿を見せられる「TOKYO NOBODY」。

 「TOKYO NOBODY」があったからこそ、なぜ自分が大都会の夜景に惹かれ心が踊るのか、なぜ自分が「TOKYO NOBODY」を見てぞっとしたのか、はっきりとわかった。未来の匂いのするところは楽しいし居たいし、時間が止まった場所は怖くて居たくない。僕の趣向には少なからず、そういった面があるのだろう。

 

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 ネオンサインのきらめく秋葉原。

 今でも、この風景を見ると未来の匂いを感じ取ることができる。夜の街の光は、不思議な力が宿っていると信じている。

普通に不死身として生きられる世界

  不老不死にはなりたくないが、不死身には一度ぐらいはなっても良いかなと考えている。

 

  子供の頃は若いことに価値があるなんて全く思えなかったら、「不老」の魅力がピンと来なかった。相応に老いた今では、もし不老不死になったら、実は相当しんどい作業が待っているのでは、と考えてしまう。例えば不老不死を願う人物として、いわゆるゲームのラスボスがいる。ラスボスの野望は叶わず倒されるけど、もしラスボスが勝って不老不死の能力を手に入れたらどうなるのだろう、と想像してみる。ラスボスが不老不死の力を手に入れたとしても、すでに側近たちは主人公達に倒されている。ラスボスは強大だが孤独だ。仮に新しい組織を作りその長にもう一度なったとしても、敵も味方も年を経るごとにだんだん死んでいき、自分が知っている人々はいなくなっていく。つまり、絶えず新しい人間関係の構築を行わないといけない。
 人間関係など社会との繋がりをどうやって構築・維持するか。そう考えると、その構築・維持する負担やそれを諦めた時の孤独のしんどさを想像してしまう。

そういうわけで、昔も今も不老不死はあまり魅力的と思えない。

 

 

  一方で不死身のキャラクターには妙な親近感が有る。これは、自分がこれまで読んできた本に登場する不死身のキャラクターは、大抵ギャグ漫画の登場人物だからだろう。普通なら即死するような目に遭っても、だいたいの場合は痛がるだけで死なない。さらに、ラスボスとかではなく、主人公や主人公の仲間として登場し普通に生きている。

 

 

  忍者の修行の一貫として瞑想中の主人公。友達が話しかけても返事が無い。主人公が無視しているので、友達は主人公の周りにバシャッバシャッと水を撒いて発電装置の両極を水にセットする。そしてスイッチオン。
「ゔぉらば!!!」
電流が走り、思いっきり感電する主人公。
「何すんじゃてめーーー!!ギャグ漫画じゃなかったら死んどったわーー!!!」

  もう20年以上前のエロ漫画雑誌に載っていたギャグ漫画の1シーン。タイトルも作者名も覚えていないのだけど、このシーンだけは、何遍も穴が空くほど読んだ当時のエロ漫画よりもずっと覚えている。「ギャグ漫画じゃなかったら」というキャラクターのメタツッコミが当時の僕には面白かった。

 

 

  ギャグ漫画の不死身のキャラクターは死なない。高圧電流を流されても、上空を飛んでいる飛行機から落とされても、戦車に使うような徹甲弾を打ち込まれても、火山の中に突き落とされても、死なない。気絶ぐらいはすることもあるけど、次の話ではしれっといつものように暮らしている。そして次の話は何事も無かったかのように続いていく。

「不死身」はなかなか豪快な特徴だ。「人間は必ず死ぬ」という当たり前すぎる概念に真っ向から歯向っている。だけど、不死身の登場人物がそれを積極的に表明もせず、特に普段の生活の中でも利用しないで生きていける世界は、とても優しく楽しく見える。彼らは不死身だが、「それはそれとして」物語は進んでいく。

 

「なんで不死身になったの?」

「どうやったら不死身になれるの?遺伝?薬?」

「不死身のままでいたい?それとも元に戻りたい?」

  こんな事を不死身のキャラクターに聞く人は登場しない。言い方は乱暴だが、これらの質問は「どうでもいい」。この質問の回答は、真剣に不死身になろうとしている人には役に立つかもしれないけど、不死身になる気がない人にとっては、何の役にも立たないからだ。不死身でないキャラクターは不死身になろうとしないし、不死身であることを(ギャグ的に突っ込むことはあっても)、羨むことも蔑むことも恐れることもない。ただ、「あいつは不死身だ」という理解をして、不死身のキャラクターに接している。

 

  この世の中はいろんな特徴を持った人で溢れている。特徴を持った人たちは、よく質問をされる。

 

  • 発達障害だとわかったのはいつ?
  • 水泳選手になってなかったら何になってた?
  • 好きな男性のタイプと女性のタイプは?
  • 事業を起こしてから一番苦労したことは?

 

  ある特徴を持った人に投げかける質問は、基本的には相手を理解するために必要な質問なのだろう。ただ、「どうでもいい」質問ではないからこそ、「まだ我々はあなたを十分に理解していない」というメッセージを含んでいるように感じてしまう。場合によっては「理解を十分にしていないから、次のステップには進めない」というメッセージも含み、また質問を投げかける。

  人は簡単に理解できるものではないけれど、一度試しに理解したことにして、話を進めたらどうなるのだろう。案外、不都合なく話は回るし、質問される側も、「うるせえなあ、芋ようかん食ってんだよ邪魔すんな」という気分を味わわなくて済むのではないだろうか。

  不老不死と否応なしに関わらざるを得ない世界と、不死身であることを、「それはまあさておき」と横に置いておける世界。後者の方がよほど気楽で、特徴にきちんと向き合える。僕はそう考えている。

 

 

  会社のビルから地上を見下ろした。30階以上あるから落ちたら即死だ。だが不死身の人間なら死なないで済む。ここから落ちて死なない世界って、どんな世界なんだろう。
そこまで想像して、不死身は死なないけど別に痛みを感じないわけではないことに気付いた。もし何かやらかしたら、僕は他の人からここから突き落とされるのだろうか。きっと想像を絶する痛みだろう。
  さすがに余程のことがない限り、ここから突き落とされることはなさそうだ。不死身じゃなくて良かった。

今年はちゃんと振り返りをしたい -5月編-

もうすぐ1年の半分が過ぎ去るというジョーク。

 

townbeginner.hatenablog.com

 

5月は、

5月:皇帝(正位置) -獲得したい目標・実行力・リーダーシップ・繁栄- 

 と、初めて良い兆候を表すカードが出てきました。

  公私を振り返ると、あたっている部分はあるけどリーダーシップという部分ではもう一つかなあ。

 

  4月に近所のジムに行くか検討していると書きましたが、今までのジムを止めて近所のジムに行くことにしました。年会費で支払っているので二重登録になってしまう期間はありますが、金額の計算をした結果、今月入会したほうがトータルで安くなるので、入会しました。

   会社近く:着替えは用意してくれる、ジャグジー無し、設備普通

   自宅近く:着替えは自前、ジャグジーあり、設備充実

ということで、自宅近くのジムにシフトしつつ、会社近くのジムはスポット的に利用できたらするという方向で通ってます。

 

  iPhoneの液晶が壊れました。操作が全くできず使い物になりません。修理は2万以上、しかも修理には予約が必要で全然予約が取れない状況です。

  どうするか。3時間ぐらい迷った末、iPhoneXに乗り換えました。

 

  iPhoneXをしばらく使ってみての感想。

  • Face IDは認証しない時もあるけど精度は高め
  • ホームボタンが無いのはあっさりなれる
  • イヤホンジャックが無いのは評価が分かれるかも
  • バッテリーのパーセンテージが出ないのは地味にストレス
  • その他サプライズ的な嬉しい要素は発見できず

 とりあえず快適にはなったけど、乗り換えて心から良かったなあ、ということは今の所あまりありません。画質やカメラはかなり改善されているようですが、僕はそっちにはあまり重きを置いていないので評価はそんなにしていません。

  iPhone8で良かったかなあと思わないでもないですが、まあ買っちゃったものは仕方ないので、これからも使い続けます。

 

   大きな決断から小さな決断まで、いろいろ判断させられた5月でした。主体的に判断することは出来ていたと思うのですが、人を巻き込んで調整したり動いてもらうのは本当に難しいとも感じました。このへんの力、特に仕事で本当に鍛えたいです。やれやれ。

 

6月のカード。

6月:魔術師(正位置) -創造性・意欲・新規のプロジェクト・試みの成功- 

 試みの成功を信じて新しいなにかにチャレンジしたいです。何しましょうね。 

「夢はありますか?」随分難しいことを聞きますね。

  Question-box に表題の質問が届いていました。

  この質問を読んだ時の僕の反応はタイトルの通りです。答えるのに時間がかかりそうなので、つらつら散文を書きます。

 

  子供の頃に描いていたような夢だったらもう無いし、持つことは無いと思っています。子供の頃の夢は、大きくなったらダイナブルー、あとはコナミの課長。ゲームを作りたかったんですよ。今は別にダイナブルーにも、コナミの課長にもなりたいと全然思いません。ダイナブルーはもし本当の世界だったとしたら悪の組織と戦うのはさすがに勇気が足りないし、実際の世界の話だったらスーツアクターや俳優になりたいってことだけど、それよりは他にやりたいことがあるから、夢にはならないかなあ。コナミの課長は、もうコナミがあんまりな状態だから*1、あそこで働きたいとも思えないです。

 

  じゃあ、今は?

  バックギャモンで世界一になりたいとか、書き物で文学賞を取りたいとか、そういう欲望はあるけれど、これ、夢っていうのかなあ?と首を傾げている状態です。さっき挙げたのって、なんとなく「目標」とか「願望」とか、という言葉の方がしっくり来ちゃって、「夢」って感じじゃないんですよね。今の現実とそれが実現する可能性を考えると、かなり実現する可能性は低いから、そういう意味では夢、あるいは夢想と言ってもいいんだけど、「夢」ってそういうもんじゃないなあ、と感じちゃってるんですよ。

  一言で言い表すのにチャレンジするんだったら「ピュアな現実知らず」とでも言えばいいのかなあ。うん、現実知らずって「夢」を表すのに大事な要素だと思う。ちょっと現実を知ってる人からすれば馬鹿にされるようなことを、臆面もなく本人が言えることを「夢」って言うんだろうな、と。さっきの「バックギャモンで世界一になる」「書き物で文学賞をとる」って、どっちも自分自身ができるってあまり思えて無いんですよね。だから夢っていうのは違うのかな、と。

 

  だから、この質問に答えるんだったら「夢はありません」「バックギャモン世界一、書き物で賞を取りたいって思うけどただの夢想です」だけで済みます。ただ、もう少し書きたいという気持ちもまだあります。

 

 

  40歳になりました。

  若い頃より、ずっと運動しているので、体力が落ちたという感じはしません。

  若い頃より、書き物のスピードは上がりましたが、大喜利の瞬発力は衰えています。

  若い頃から、全くモテず女性に相手にされなかったので、加齢によるディスアドバンテージは全く感じていません。

  若い頃より、現実を知るようになったので、判断のスピードは上がりました。

  若い頃より、現実を知るようになったので、夢を持てなくなりました。

  現実を知ったので、夢はありません。でも、人生はまだ楽しいです。

 

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  玉ねぎが10kg届きました。今年で5年目になります。

  最初は本当にタダのノリでした。腐らせてしまうかも、と思っていましたが、結果使い切ることができました。以来、クックパッドに創作たまねぎレシピを載せたり、玉ねぎゲーム会を開いてみたりと、少しずつやることが広がっていきました。

 

  多分、これから夢を持つことは無いと思います。なんとなく自分自身の器の量がわかってしまったので、それに合った生き方をしていくしか無いなと感じています。反面で、自分の世界の中にあるものに積極的にアプローチしていけば、自分の世界は広がっていくと感じているからです。

 

  僕の世界では、玉ねぎは10kg家に届きます。他の人の家にはあまり届きません。それを、珍しいという人や面白いという人がいます。

  玉ねぎが10kg家に届くのは、僕が作った現実です。

  夢はもう持てませんが、現実を開拓していくのは今でも楽しいです。

 

  今日考えたのは、そんなところです。

*1:子供の頃に遊んでいたゲームのクリエイターの方々が冷遇されていたことを知ったのはショックでした……。