今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

体が衰えることの悔しさ

  筋トレをした後にプールで泳いだ。

 

  「筋トレした後にプールで泳ぐと最初から脂肪が燃焼できるので効果的」という記事をいくつか読んだ。かなり疲れそうだったので渋っていたけど、明日が祝日で休みだということに気づいたので、試しにやってみた。

 

  いつもより泳ぐ距離は少なかったものの、疲労度は大きかった。しかし、泳いでいる最中も身体が熱を帯びていたのがはっきり分かったので、おそらく効果は高い。

  今後も時間があったら筋トレとプールを組み合わせたい。

 

  余談だが、チェストプレスでできる重量が低下していた。想像以上にショックだった。3週間近くやっていなかったから当然は当然なのだけど、こんなに悔しい気持ちになるとは思わなかった。

  筋トレとプールを組み合わせる理由のもう一つは、筋トレをしたいからである。どうやら自分で考えていた以上に自分は負けず嫌いらしい。ライバルは自分選手権。

夏は肉味噌

  肉味噌を大量生産した。

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  夏場、たまに肉味噌そうめんを作って食べることがあるのだけど、この肉味噌、冷奴に乗せて良し、チャーハンの具にしても良しで使い勝手が思ったより良い。特にジムに通うようになってからは、冷奴の上に乗せて食べてる。たんぱく質がきちんと取れる上に、肉を食べたという満足感も高い。

 

   こういう大量生産ができて、できれば冷凍可能な惣菜を増やしたい。ちょっとした調味料、惣菜は普段の食卓を豊かにする。

 

  明日の夕飯は冷奴。体を鍛える。

不摂生を取り戻す心は想像以上に強かったらしい

 仕事を終えてプールへ。少し間が空いたこともあっていつもよりゆるくやるつもりだったけど、プールでダイエットする記事を読んだら妙に気合が入ってしまった。

webseeya.com

 

 結果、1回のクロールで泳ぐ距離も、合計で泳ぐ距離もいつもより長かった。いつもは、水中ウォーキングなども含めて全部で1km泳ぐのだけど、今回は1.2km。ジムに通い出した時は1kmなんてとても無理と思っていたけど、正しいフォームを身に付けて(とはいっても、まだ改善点は多々ある)、ゆっくり泳げば達成できることにビックリした。正しいやり方を確実にやっていけば、確実に成果は出るらしい。身体を使う運動とはこういうものだということを、もっと早くに知りたかった。

 学校教育に関する愚痴を書きそうになったけど、水泳に関しては指導をちゃんとしていた記憶があるので止めた。それより同級生の態度とかの方がよっぽど害だった。最近、体育を指導する家庭教師が出てきているけど、需要はとても理解できる。先生に指導能力が無い以外にも、同級生に馬鹿にされるのが本当に嫌だから個別に始動を受けたいという要望は、絶対ある。

 

 本当は筋トレとプール両方やって筋肉をつけるのが理想的なのだけど、習慣を身につけるため、しばらくはプール一本で沢山泳ぐ。

不摂生をしたら反動で不摂生分を取り戻したくなる

 土日はそれぞれ遊ぶ予定があったのだけど、いずれも夕方からだったので、昼間は空き時間に。何をしようか考えて、ある仮説に行き着いた。

 もしここで突発的に遊びとか本来食べる予定のモノ以外の基を食べるとか、想定外の予定を入れたら、反動でその分の埋め合わせをしようとする心理が働いて効率的に読書ができたりするのではないだろうか。

 

 実験した。

 

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 土曜日、神田神保町の二郎ラーメン。

 美味しいと思ったし二郎の中では上位に入るけど(最後までアツアツで食べられたのが良かった)、流石に脂はもういいやと思った。

 その後、読書が妙に捗った。ただし因果関係は不明。夕飯は無しにしたけど、カロリーオーバー気味だと思う。

 

 

 日曜日、渋谷東急の将棋まつり。

 前日の帰りに開催を知ったので、こちらも突発的に行くことを決める。

live.nicovideo.jp

 香川愛生 女流三段と 西山朋佳 奨励会三段 の対局を観戦。プロの対局を見るのは初めてだったけど、思った以上に楽しめた。一手一手の意図が正確に把握できたわけではないけれど、それでもお互いの喉元にナイフを突きつけるな攻め合いは見応えがあった。将棋は一局がすごく時間がかかるというイメージが強かったため、あまり視聴する気にならなかったのだけど、こういう対局が会ったことを知ることが出来てよかった。

 

 対局を見た後は、本と扇子を買って横浜へ。

 反動の効果は覿面。緊急じゃないけど重要な仕事をすることができた。業務外に近いけど、学習の効果を上げる活動は元々好きなので、こういったことで貢献できるのであればありがたいことだと思う。

 

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 誘いを受けて参加したリアル脱出ゲームは脱出失敗。ただし水餃子がめっぽう美味しかったので問題なし。

人間関係の維持コストは相手ばかりに負担させるもんじゃない

大学の同期会。

 

  当時はもやもやしていたこともあり、卒業したらブッツリ縁が切れるのだろうなと思っていたのだけど、細く長く続く関係になるとは思わなかった。SNSは良いものだなと改めて思う。人間関係の維持に関して無精を働いている割に、ここまで続けられるのは向こうの努力によるものだとも思った。

  あまり無精はするもんじゃない。

 

  随分酒が進んで、下戸なのにたっぷり飲んだ。なんだかんだで楽しかったんだろうな。

負けて、聞いて、目指していく -第二回カルドセプトナイト-

 アソビCafeの「カルドセプトナイト」へ。

 

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 日替定食「豚トロの塩焼き」とシャンディガフをいただきながら前回同様にプレイ開始。結果は3戦3敗。残念ながら1勝もできず。

 とは言え、何故負けたのかが比較的明確だったのは良かった。運が向いていないのではなく、クリーチャーの運用がまずくてレベルの高い領地を奪取されていたのが原因だとはっきりわかったので、どういう風に直すか課題が見つかって良かった。

 対戦が終わった後、対面で互いの感想を聞くことができるのは大きいと感じた。初めて見るカードも多い上、どのような思考でブックを作るかを聞けるのはとても良い。選ぶ属性、侵略と防御はどうするか、周回はどうするか、土地はどうやって増やすか、などなど。やりこんでいる人ほど、その人が何を目指しているか、どういうプレイスタイルを目指しているかが明確になっている。

 だからこそ、自分が負けたのは、「何を目指しているか」が明瞭になっていないからだったし、相手が「何を目指しているか」を把握できず対応できなかったからだと思っている。

 

 

 負けたり失敗した時に、何故駄目だったのかを分析するのは想像以上に大変だ。ピンポイントで駄目だった箇所がある場合はあまりなくて、大抵は複数の事が合わさって失敗を招き入れてしまう。失敗を防止するためには対策が必要だけど、全てに対して対策ができる場合はあまり無くて、時間などリソースの制約だったり、あちらを立てればこちらが立たずのトレードオフの関係があって、さあどうすると判断を迫られる。

 結果、うまくいくこともあれば、また失敗をしてしまうこともある。

 失敗したら、何が駄目だったのか再度分析して、その繰り返し。

 

 

 こんな面倒くさいことは、余程自分の人生に必要じゃなきゃできないよなあと思う。それが苦もなくできるってことは、やはりカルドセプトは自分にとって本当に面白いゲームなのだと思う。

 

 

 見返すと、上記の記述は仕事にも全然適用できる考え方だと思うし、そんな思考がカルドセプトから出てきたことにびっくりしている。ある特定の領域の思考を一般化・汎用化するというのは、その領域の本質を捉え、深く通じていないとできないと勝手に思っている。

 カルドセプトを通じていろんな事を知ることは、きっと可能だと信じながら、これからもカルドセプトをプレイし続ける。

過去の物語を踏まえて生きていく

 とても良い記事を読んだ。

hase0831.hatenablog.jp

 

 弊ブログは、元々英語学習をきっかけとして初めて、何か考えをまとめたりイベントに参加した時の記録として利用していた。そのため、毎日更新するという考えは基本的にはなかったし、あったとしてもそれは「ネタを見つけて記事にする」というスキルを鍛える目的だった。そのため、特にイベントにも参加せず、何かインパクトのある考えに触れたりしなかった場合は書く必要もないので、書かなかった。

 

 6月下旬からほぼ毎日ブログ記事を書き始めた。先ほど引用した記事の筆者、はせさんがほぼ毎日短文だけど毎日投稿していたことに後押しされた。言い方は悪いが「あれくらい短くても、自分が納得すればそれでいいじゃないか」と思えた。だから書き始めた。6月に妹が急死した事も関係あるのだと思う。父も6年前に急死し、叔父は11年前に急死した。人は突然いなくなることがある。物語は突然終わることがある。何の前触れもなく。

 

 ブログ記事はまだまだ荒いし、自分の感情を上手く乗せられているか首を傾げたく鳴ることもある。もっと早く記事を書きたいのに指が付いて来てくれなかったりともどかしくなったり、記事を書くよりカルドセプトやりたいと思うこともある。それでも、ブログ記事を書くことを今は止めたくない。

 最初は自分が生きた証を残したいという衝動なのか、と思ったけど、少し違う。ある種の熱狂が自分の中にあって、それが自分を突き動かしている。その熱狂の内訳は、自分が生きた証を残したい、誰かに呼びかけたい、もう1回自分の物語を反芻したい、等々。そんな感情が綯い交ぜになって、書いてる。

 

 ログは全て過去の物語。

 過去を踏まえて、生きていく。