今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

「夢はありますか?」随分難しいことを聞きますね。

  Question-box に表題の質問が届いていました。

  この質問を読んだ時の僕の反応はタイトルの通りです。答えるのに時間がかかりそうなので、つらつら散文を書きます。

 

  子供の頃に描いていたような夢だったらもう無いし、持つことは無いと思っています。子供の頃の夢は、大きくなったらダイナブルー、あとはコナミの課長。ゲームを作りたかったんですよ。今は別にダイナブルーにも、コナミの課長にもなりたいと全然思いません。ダイナブルーはもし本当の世界だったとしたら悪の組織と戦うのはさすがに勇気が足りないし、実際の世界の話だったらスーツアクターや俳優になりたいってことだけど、それよりは他にやりたいことがあるから、夢にはならないかなあ。コナミの課長は、もうコナミがあんまりな状態だから*1、あそこで働きたいとも思えないです。

 

  じゃあ、今は?

  バックギャモンで世界一になりたいとか、書き物で文学賞を取りたいとか、そういう欲望はあるけれど、これ、夢っていうのかなあ?と首を傾げている状態です。さっき挙げたのって、なんとなく「目標」とか「願望」とか、という言葉の方がしっくり来ちゃって、「夢」って感じじゃないんですよね。今の現実とそれが実現する可能性を考えると、かなり実現する可能性は低いから、そういう意味では夢、あるいは夢想と言ってもいいんだけど、「夢」ってそういうもんじゃないなあ、と感じちゃってるんですよ。

  一言で言い表すのにチャレンジするんだったら「ピュアな現実知らず」とでも言えばいいのかなあ。うん、現実知らずって「夢」を表すのに大事な要素だと思う。ちょっと現実を知ってる人からすれば馬鹿にされるようなことを、臆面もなく本人が言えることを「夢」って言うんだろうな、と。さっきの「バックギャモンで世界一になる」「書き物で文学賞をとる」って、どっちも自分自身ができるってあまり思えて無いんですよね。だから夢っていうのは違うのかな、と。

 

  だから、この質問に答えるんだったら「夢はありません」「バックギャモン世界一、書き物で賞を取りたいって思うけどただの夢想です」だけで済みます。ただ、もう少し書きたいという気持ちもまだあります。

 

 

  40歳になりました。

  若い頃より、ずっと運動しているので、体力が落ちたという感じはしません。

  若い頃より、書き物のスピードは上がりましたが、大喜利の瞬発力は衰えています。

  若い頃から、全くモテず女性に相手にされなかったので、加齢によるディスアドバンテージは全く感じていません。

  若い頃より、現実を知るようになったので、判断のスピードは上がりました。

  若い頃より、現実を知るようになったので、夢を持てなくなりました。

  現実を知ったので、夢はありません。でも、人生はまだ楽しいです。

 

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  玉ねぎが10kg届きました。今年で5年目になります。

  最初は本当にタダのノリでした。腐らせてしまうかも、と思っていましたが、結果使い切ることができました。以来、クックパッドに創作たまねぎレシピを載せたり、玉ねぎゲーム会を開いてみたりと、少しずつやることが広がっていきました。

 

  多分、これから夢を持つことは無いと思います。なんとなく自分自身の器の量がわかってしまったので、それに合った生き方をしていくしか無いなと感じています。反面で、自分の世界の中にあるものに積極的にアプローチしていけば、自分の世界は広がっていくと感じているからです。

 

  僕の世界では、玉ねぎは10kg家に届きます。他の人の家にはあまり届きません。それを、珍しいという人や面白いという人がいます。

  玉ねぎが10kg家に届くのは、僕が作った現実です。

  夢はもう持てませんが、現実を開拓していくのは今でも楽しいです。

 

  今日考えたのは、そんなところです。

*1:子供の頃に遊んでいたゲームのクリエイターの方々が冷遇されていたことを知ったのはショックでした……。

今年はちゃんと振り返りをしたい -4月編-

もう今年も3分の1が過ぎたという事実に唖然としています。

 

townbeginner.hatenablog.com

 

4月は、

4月:戦車(逆位置) -限界を感じる・コントロールできない状況・不甲斐なさ・苦闘- 

  まあ、苦闘はしましたね。会社が移転したんですが、ジムの設備が以前の場所より悪くなってる&高いで明らかにジムに行くモチベーションが下がってます。コレ書いている今は、プールを使うとか続けるためのアイデアを出していますが、年会費払い終わったら解約して近所のジムに行くことも真剣に検討しています。

  ただ、限界を感じるとかコントロールできない状況、というのはそれほどピンときていないです。仕事だと、初動が遅れはしたものの仕事の仕組みづくりについて主管としてリーダー巻き込んで取り組み始めたり、遊びでは貸切を主催したりと、少しずつ自分のできることの枠を増やして言っている感はあります。本当にちょっとずつですが。

  先月書いた「書くこと」についても、noteアカウントを開設して試験的に書き物を分けていこうかなと思っています。noteはがっちりしたもの、ブログはそれよりは柔らかめの記事を。引き続きご愛顧いただけますと幸いです。

 

 今月5月は、

5月:皇帝(正位置) -獲得したい目標・実行力・リーダーシップ・繁栄-

 ようやく明るいカードが来ましたね。このカードに恥じないよう生きたいものです。

物語を始めた日

   僕は夏休みが大好きだった。学校に行かなくていいからだ。

 

   中学受験で第一志望に受かった喜びは、実際に中学に通ってから一ヶ月ぐらいで消えた。友達も全く作れず学校で孤立し、1人でゲームに逃避するようになった。次第に肝心の学業も低迷し、運動が苦手だった僕に居場所はなかった。クラスメートがそんな僕を見て、「こいつには何してもいい」と認識するのにさほど時間はいらなかった。学業が振るわないにも関わらず家でゲームばかりして勉学に励んでいる様子が見えない息子に、両親は当然雷を落とした。

  どうにかしなければいけないということはわかっていたけど、どうすればよいのかわからなかった。中学の3年間で、僕は助けを求めるという行為のことを、「ここに弱点ありますよ」と敵に教える自殺行為だと学んでしまった。僕は脚を持ち上げることのできない底なし沼にはまり、1人で生きていくしか無いということを暗く薄っすらと学んだ。

  高校は、先生やクラス構成、カリキュラムが変わったために底なし沼からは抜け出せたけど、中高一貫だったので人間関係はあまり変わらず、通学が「お務め」であることにも変わりはなかった。高校1年の7月、期末試験をなんとか切り抜けて夏休みに入った。学校に通う必要がなくなった。

  僕は夏休みが大好きだった。

 

  夏休みは図書館で星新一や筒井康隆の本を借りて読むか、家でゲームをやるか、秋葉原でゲームをやるかのどれかだった。当時は2D格闘ゲーム全盛期で、秋葉原のソフマップ店頭にはサムライスピリッツやキング・オブ・ファイターズなどのSNKゲームが負け抜け方式で試遊できていた。連勝すればそれだけ長くプレイできるし、ゲームは面白い上にタダ(!)。僕は真夏日に日差しの強い屋外の行列に並ぶのも苦にせず、定期的に通ってプレイし、連勝したり、あるいは1度も勝てずに悔しい思いをしながら時間を過ごした。

  次々と対戦相手を倒し、行列を一周させた。二周目に来た相手を何人か倒したところで、「帰ろうぜ」と負けた相手にプレイヤーが声をかけていたのを見た。20年以上経っても、こんななんでもないシーンをはっきり覚えているのは、その時「俺は友達いないけど、お前らよりサムスピ*1上手いからな」というせめてものプライドを維持したかった気持ちも覚えているからだと、今になって思う。

  次の試合で、僕の牙神幻十郎は敗れて記録は19連勝で止まった。この記録が更新されることはなかった。

 

   19連勝した帰り路に、前から気になってたレンタルCD屋に寄った。面白そうなテクノやゲーム・ミュージックがあれば借りようと思ったからだ。当時はTRFなどの小室サウンド全盛期だったけど、僕は全く興味が持てず、むしろクラスメートが聴いているからという理由で好きじゃないとすら感じていた。

 

  ゲーム・ミュージックを探すために、邦楽と洋楽の棚を素通りして奥に行った。残念なことにゲーム・ミュージックの棚は狭くめぼしいものは無かった。何か無いかなと隣の棚を探したところ、一つのアルバムが目に入った。

WAVE

WAVE

 

 T-SQUARE「WAVE」。

 (あれ、確か……)

  記憶を辿り、どこで聴いたのかを思い出した。「来年の修学旅行のテーマ曲を決めよう」というクソどうでもいい学校の企画で、ノミネートされた曲にT-SQUAREの曲があった。他の曲と違い、ボーカルが無いことが新鮮だったからアーティストのタイトルは覚えていた。

  どんな曲だったかは覚えていなかったけど、確か良かった。そう思ったのかどうかは正直覚えていない。ただ、なんとなくで僕はT-SQUAREのWAVEを借りた。

 

  帰宅して早速CDプレイヤーにCDをセットして、再生ボタンを押した。*2

 

 

  再生開始10秒で僕の動きは止まった。

  オープニングのフェードインからのEWIによるイントロを、僕はただ聴いていた。

  衝撃だった。飲み物を取りに行くとか、エアコンを調整するとか、しばらくそういう日常の動作をすっかり忘れて、ただCDプレイヤーの再生時間を見ていた。ドラマチックで何かが始まるオープニング曲。曲が始まってから少し時間が経って、やっとそういう形容ができるまでに我に返った。

  実際の時間にしたら1分も無い。でもその時には、今までの世界が全く違って見える、伝説の聖剣を引き抜いたかのような感覚を味わっていた。

  1時間弱のアルバム再生が終わり、僕はすぐにアルバムリピートをつけて再生をした。

  曲は聴けば聴くほど耳に馴染んでいった。WAVEは暑い夏とジャケットの波の写真のお陰で、僕にとって夏のイメージになった。日差しの強い午後に自転車を全力で漕ぐ、ICE BOXに三ツ矢サイダーを注いでキンキンに冷やしてぐいっと一気に飲む、図書館で本を探す。どうということもない日々の1シーンが、T-SQUAREがリンクしていき、ある物語の1シーン1シーンとして心が少しずつ弾むようなものになっていった。 

 

  それから僕の生活はすっかり変わった。学校が終わったら図書館で星新一や筒井康隆の本を借りて読むか、家でゲームをやるか、秋葉原でゲームをやるか、CD屋でT-SQUAREのアルバムを眺めて溜めた小遣いで買うか、図書館でT-SQUAREのアルバムを見つけて借りるか、のどれかだ。傍目には何も変わらないように見えるけど(そもそもその当時の僕にそこまで関心を持っていた人間はいない)、僕の生活は間違いなく変わった。ただ地下の暗い道を、音を鳴らさないように細心の注意を払いながら脱出を図る脱走兵のような生活が、自分は何がしかの物語の主人公で、どこかへ冒険に出かけるための生活になった。そう肌で感じられたことと、勉学の成績が持ち直したことは無縁ではないと思う。テストでひどい点を取った時、ただ落ち込んでゲームをやるのではなく、T-SQUAREのアルバムを買って机に向った事を覚えている。多分あの時が初めて自分自身の意志で「体制を立て直して次は頑張る」を思えた日だ。

  T-SQUAREは僕の人生を物語にしてくれた。

Natural」は山岳に住む村人と霊鳥たちの物語。「NEW-S」は夜の摩天楼で人知れず走り抜けて戦う秘密組織の物語。「Impressive」は少し穏やかで賑やかな街中の物語。「Truth」は夕暮れの荒野、丘陵から一気に崖を下っていく遊牧民の物語。世間の話題に全く着いていくつもりが無かったから、「Truth」がF1で世間的に知られている曲だと知ったのはもっと後だったし、むしろ物語に邪魔だとすら思った。

  これらは全部僕の頭にしか無い、アバウトなストーリー、要するにただの妄想である。曲に歌詞が無いので、きっと同じアルバムの同じ曲を聴いても、このストーリーは僕以外にはイメージできないし、わかってもらえない。でも、それでも、僕にとっては、自分のこの生活を様々な豊かな物語にすることができたし、前に進むための原動力になった。

  音楽を勉強しておらず、雑誌を読むなどの基礎知識を全く習得していなかったため、T-SQUAREの良さを誰かと分かち合う方法はわからなかった。大学時代もフュージョン系のサークルに入ったけど全くついていけず辞めた。以来、僕はT-SQUAREをレビューしたり論評することをしていない。T-SQUAREは僕1人だけの頭の中にある物語として未だに続いている。

 

  「心が動いた体験」として、人はどういうことを挙げるのだろう。友人や恋人・恩師・親や子供など自分にとって大事な人との物語を語るのだろうか。

  今書いた物語に、自分以外の他人は一切出てこない。何がしかの影響は受けても、「心が動いた」という言葉が当てはまるような影響があったかと言われると自信がない*3。自分の人間関係が貧弱なのだろうか、と思い悩んだり、影響の受け方がたまたま人とは違うだけだと捉え直しをしている。

  この文章も書いている今も、Amazon EchoからT-SQUAREの「明日への扉」が流れている。T-SQUAREと僕は、あれからずっと僕の物語を作り続けている。

 

CITY COASTER(完全生産限定盤) [Analog]

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   4月にT-SQAUREの新盤が出るので予約購入をした。

   奇しくもT-SQUAREの結成年は僕の生まれ年と同じだ。リーダーの安藤まさひろ氏はもう還暦を過ぎているけど、図々しくももうしばらくは僕の物語を作ってくれないかと願っている。

 

*1:サムライスピリッツ」。ストリートファイターⅡがきっかけでブームとなった格闘ゲームの中でも特に好きだった。初代でタムタム使っていたのに「真・サムライスピリッツ」でいなくなってたのが寂しかった。完全に余談。

*2:本当はYoutubeのリンクを貼ろうとしたけど、公式のが無かったから止めた。T-SQUAREに関しては、非公式のリンクを貼りたくないと思ってしまっている。

*3:悪い意味で心が動いた経験なら、パワハラで鬱になったことがある。しかし長々と書きたくない。

今年はちゃんと振り返りをしたい -3月編-

3月振り返りまーす。

townbeginner.hatenablog.com

3月は恋愛の逆位置。

3月:恋愛(逆位置) -決断することから逃れたい・優柔不断な態度・迷い-

2月の振り返りでこんなことを書きました。

3月はテーマを決める月にします。適宜変えるとは思いますが、何も中心が無いのは決まりが悪いです。ちなみに3月は、

3月:恋愛(逆位置) -決断することから逃れたい・優柔不断な態度・迷い- 

 

テーマがブレブレになりすぎないようにします…。

 優柔不断な態度でなかなか座りが悪かったという自覚はありますが、少しずつテーマは決まってきました。

  • 人を誘うこと
  • 書くこと

 この2つを主軸に進めます。

  いずれも他者に対して何かのアクションを伴うものです((「書くこと」は自分に対してという面もありますが、ここでは誰かに対しての書きものと定義します)。「人を誘うこと」は、かなり苦手なアクションなのですが、いったんテーマにして1年やってみます。「何を」「誰を」は決めていません。おそらく決めないほうが何に対して恐怖を感じているのか、何が意志を沸き立たせる内容なのか、そういったことがクリアになっていくと考えています。

   3月は公私共に4月以降の助走期間でした。間違いなく。

 

ちなみに4月のタロットは、

4月:戦車(逆位置) -限界を感じる・コントロールできない状況・不甲斐なさ・苦闘-

 

うわあ、先行き不安。

自分の調子を整えるための料理

  読みまして。

 

nonoka72.hatenablog.com

 

  記事中に、

「美味しいと思ってもらえるかな」「栄養は大丈夫かな」なんて心配が先走ってしまって、ちょっぴり"義務感"や"プレッシャー"みたいなものが芽生えてしまうのです。 自分の好きなものを自分のために作るご飯とは私の中では全然訳が違う。

お料理のお話 - 前枝野乃加の日記

 とあって、「自分のために作るご飯」と「誰かのために作るご飯」ってやっぱり違うよなあと思いました。キャロルさん*1は義務感やプレッシャーって書いてるけど、加えて作って持ち寄る形式だと「食中毒とか気をつけないと」といった衛生面の要素も加わるので、より注意力を発揮しないといけないなあと。

  誰かのために作る事は全然嫌いではないし、やれるんだったらやったるでーという気にはなるのだけど、気力や集中力を消費するので、しっかりしたものを作ったらMPを大きく消費するような感じです。ちょっと何かを刻むくらいならメラ程度、なめろうとか手間が少しかかる&鮮度に気を付けないといけない料理を1品ならベギラマ、複数料理をコースで振る舞うのはイオナズン。今のところイオラやベギラマあたりが精一杯です。

  一方で、自分のために作る料理は、無条件で自分の好きなもの、かつ今自分が食べたいものです。作り慣れたものならあまり失敗はしないし、初挑戦でも責任を負うのは自分だけなので気楽は気楽です。

 

自分の食べたいものを、自分の好きなタイミングで、自分の良き工程で、自分のために作って、自分で食べる。 なおかつ、生きる為にも必要不可欠な「食べる」ということであるというところが一石二鳥でお得感。 一時期、一人暮らしのご飯は自分よがりすぎて「なんだかこれじゃダメな気がする」と思いたって、綺麗に盛り付けした食卓を写真に撮ってSNSに載せたりもしていたけど、 逆に「なんだかこれじゃ自分のためのご飯じゃない」気がして、あまりやらなくなりました。

お料理のお話 - 前枝野乃加の日記

「 自分でコントロールできる」というのは大事な要素だと思っていて、外食で好きなものを食べるのではなく、自分で作ることに意味があります。外食では実現できない自分の好みの量・好みの味というだけではなく、自分でここまで作った、と言う感覚が大事なのかなと想像しています。最初にゴールをイメージして、そこまでの工程をイメージしてその通りに実施して、多少イレギュラーなことは在るかもしれないけど、だいたいはちゃんと料理ができます。

 

  書いてて思ったのは、

  • ゴールがイメージできてる
  • そこまでの工程が把握できてる
  • イレギュラーなことがあっても対応できる

  というのは、ストレス無く出来る活動どころかストレスを解消する役割すらあるのかなあ、と。人生、大抵の場合見通しが悪いしイレギュラーなことはしょっちゅう、ゴールが変わることすらあります*2。これだけコントロール出来ないことがあるのだから、少しはコントロールできるものがあったっていいじゃないですか。

  早く帰れたときや休日にキッチンで料理を作るのは、コントロールできることを確認しつつ自分の調子をととのえる役目も在るのかなと思いました。キッチンはちょっとしたベースキャンプです。

 

  自分で作る料理であるところの、通称「家メシ」は、僕の場合は大量に作って翌日以降もお弁当に出来たり、朝の忙しい時にすぐに食べられたり、といった類のものが好きです。具だくさんのつけそば or かけうどん、もやしと豚肉の甘酢炒め、鶏肉とニラのオイスターソース炒め、などなど。いけないとは思いつつ、できたてをついつい食べ過ぎちゃうのは、きちんと作れたことのご褒美という面もあるのでしょう。

   今日考えたのはそんなところです。

 

 

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  家メシの一つ「スープカリー」。

  スープカリーが好きで自宅でも食べたいなあ、と思っていたら「きょうの料理ビギナーズ」で紹介されていたレシピをもとに作ったものです。 キャベツが特徴的。

  長いこと作ってないなあ。久々に作ろうかな。

*1:こちらの方は、人狼TLPTという舞台で蠟燭屋キャロル役の方で、そう呼ぶのがしっくり来ているのでこう呼びます。

*2:こういうコントロール出来ないことを楽しむことができるのは、本当に自分に自信がある人なんだなあと思います。褒めています。

今年はちゃんと振り返りをしたい -2月編-

早くも今年2ヶ月が過ぎました。ちゃんと振り返りをしましょう。

 

townbeginner.hatenablog.com

タロットによると2月は死神の逆位置。

2月:死(逆位置) -グレーゾーンに陥る・無気力や無感動・希望が見いだせない状況-

 不穏なカードでしたが、言うほど無気力や無感動な状態には陥らなかったようには思います。ただ、カードリーディングのサンプルには、

「抜本的な変化の訪れを待ちながらも、変わらないでいることを選ぼうとしているのかもしれません」

 とあり、ぐさっと来ることがありました。人間関係の構築とか暮らしとか仕事とか、基本的なことを見直そうと思っていたのですが、あまり成果が出ない(基礎訓練が習慣として続けられない)月でした。見直すことが目的になって具体的な目標が曖昧なままになってしまっていたのかな、と。

 

思い出しました。

テーマカードは世界の正位置。最後のカードだったらよく分かるのだけど、キーカードとしてはどう読み解けばいいのか、ちょっと困っています。ライフワークや人生の目的を決めるとか、そういう大きな事柄と向き合うべし、あるいは自己を信頼して追求し続ける、ということを意味するのでしょうか。ともあれ、かなり強いキーカードなので、心に留めて生きていきます。 

 これ、多分テーマをちゃんと決めろってことなんじゃないだろうか。

 

3月はテーマを決める月にします。適宜変えるとは思いますが、何も中心が無いのは決まりが悪いです。ちなみに3月は、

 

3月:恋愛(逆位置) -決断することから逃れたい・優柔不断な態度・迷い- 

 

テーマがブレブレになりすぎないようにします…。

神楽坂を歩いて読んで心の澱をかき混ぜる

  何か心に澱のようなものが溜まっていて、堪えられないほどではないけど上手く言語化できなくて、心が寂しくて居心地が悪くなってた。運動をしたらスッキリした気分になるだろうな、とは思ったけど、また溜まった澱が悪さをするだろうな、と思ったこと、前日に神楽坂の話をしていたので、久々に龍朋の炒飯を食べて神楽坂をぶらぶら歩こう、と決めた。何かつまめるものがあったら、それでビールを飲むのもいいな、と思いながら神楽坂へ向った。

 

  あ、先に言っておこう。

  ただ神楽坂を歩いて本を読んだだけの話がダラダラ続くだけです。

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 予定通り龍朋の炒飯。

 ご飯の他には卵、チャーシュー、ネギだけのシンプルな具材だけど、ラードのコクが良くて一気に食べてしまう。ビールを頼もうと思ったけど、店外に並んでる人もいるし長居はするもんじゃないなと思い取り止め。客層は思った以上に家族連れが多かった。地元の人が来てるんだろうな。確かにラーメンや炒飯が1000円以下の中華料理屋は家族連れだと助かる。子供の頃に中華料理屋連れて行かれたのを思い出した。

  客層の7割はラーメンを食べていたけど、炒飯が美味しいのだから回鍋肉とかの炒め物も美味しいはず。今度は回鍋肉を食べようと決めて店を出る。

 

  次はどこへ行こうか、なんだかブックカフェとか多いな、龍朋にも「読書会」とか置いてあった、と思いながら歩いてたら謎が解けた。

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 神楽坂、新潮社があるのか!

 考えてみたら、飯田橋の界隈は、護国寺に講談社があったりと出版社が割りと多い区域だ。なるほど。なんだかスッキリした気持ちになった。

 

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  もう龍朋で昼ご飯は済ませたからまた今度。しかし前菜が主役とか、おしゃれな店構えなのに「牛カルビ焼肉丼」とか豪快なメニューが載ってたりと、面白そうな店が多い。

 

  歩いて赤城神社に到着。

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(QRコード……???)

  愛宕神社ではお賽銭がEdyで払える、と言うのは聞いたことがあるけど、こうやって目の前にITが出てくると面喰らってしまった。美術館のような観光スポットと捉えれば全然不自然では無いはずなのに、神社や寺はまだそういう捉え方が自分の中でできてないんだと思った。今後、こういう場所が増えてくれば慣れてくると思うけど。

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  妙に映画やドラマのヒット祈願絵馬が多いな、そんなにここって有名なの?と思っていたら、どうやら近くにアニメの制作会社があるらしい。さっき新潮社があったし、そういった制作会社が近くに構えているのは自然だと納得。

 

 ブックカフェも多かったし久々に本でも読もうと思い、店内で本を探す。

kamomebooks.jp

  本の陳列に「男の愉しみ」「料理の真髄」など、一風変わったテーマを掲げたテプラが貼ってあったので、その列を確認してみた。

「男の愉しみ」には1列だけだったが、ラインナップに合ったのは、池波正太郎「男の作法」に「バックギャモン・ブック」。 

男の作法 (新潮文庫)

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改訂新版 バックギャモン・ブック

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  • 作者: 望月正行,景山充人,桑門昌太郎,日本バックギャモン協会
  • 出版社/メーカー: 河出書房新社
  • 発売日: 2017/04/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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 これはかなり信頼できるぞ!と胸を躍らせ本を探す。奥の方には漫画コーナーがあっったので、久々にイレギュラーな漫画でも買ってみるかと本棚を確認する。

少女漫画の定番ラインに、岡田あーみん「こいつら100%伝説」があった。  

こいつら100%伝説 (1) (りぼんマスコットコミックス (530))

こいつら100%伝説 (1) (りぼんマスコットコミックス (530))

 
こいつら100%伝説 全3巻 完結セット (りぼんマスコットコミックス)

こいつら100%伝説 全3巻 完結セット (りぼんマスコットコミックス)

 

  この本屋で本を選べば間違いないと確信した。

  カレー沢薫先生のを買おうかと思ったが、さすがに店内で大爆笑したら迷惑だろうから断念。藤子・F・不二雄のSFが気になったのと、「男の愉しみ」が信頼できるので1冊何か気になったものを読もうと決めた。

 

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藤子・F・不二雄「ドラえもん」「SF・異色短編」、トーマス・トウェイツ「ゼロからコースターを作ってみた結果」。

ドラえもん (むかし話編) (小学館コロコロ文庫)

ドラえもん (むかし話編) (小学館コロコロ文庫)

 

 

SF・異色短編 3 (藤子・F・不二雄大全集)

SF・異色短編 3 (藤子・F・不二雄大全集)

 

  

ゼロからトースターを作ってみた結果 (新潮文庫)

ゼロからトースターを作ってみた結果 (新潮文庫)

 

それとiPad Kindleで読みかけだった佐藤優「読書の技法」。 

 

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

 

   ゼロからトースターは、語り口がブログの文体に近くなっていて(「あれ?詰んでね?」とか「何それこわい」とか)、これは訳者の村井理子氏がこの本のコンテキストを正確に理解しているからこそ出来た訳だと思う。読後の感想としては、いつも薄っすらと感じている「現代社会じゃなかったら自分は何も出来ずに死んでるだろうな」という感覚を強化するものだった。鉄やニッケル・プラスチックなどの製造業は当たり前のように存在しているけど、特に重厚長大産業は一度破壊されたら復旧は困難だろう。自分たちの社会は案外危ういバランスの上に成り立っている。

 

 佐藤優氏の本は、以前も似た本を読んだけど「高校の基礎訓練をしっかりすべし」というのはその通りなのだろう。勉強法や参考書籍を並べていたが、数年たった今はスタディサプリなどのような環境も整っているので、やる気に慣れば学習環境は比較的整えやすくなっている。もちろん、どのようにモチベーションや習慣を維持するのか、という課題は残るのだけど。*1

 

  本屋で本棚を眺めていると、これだけ本があるのに1%も知らないのかと打ちのめされるような気分になることがあって、今日も似た感覚に襲われたのだけど、なぜか

「いや、しょうがねえだろ」

 と開き直ることができた。どういう心境の変化かはわからない。言えることは、これで少し心の澱みが沈殿していた状態からふわりと浮かび上がったこと、本を読むのが改めて楽しいと思ったこと、読書した経験が本当に血肉になっているかどうはか改めて検証しないとと感じたこと、そんなところ。

 ふと、こういう時普通の人々はどうしているんだろう、と思った。親しい人を呼び出してお茶しながら話したりしてるんだろうか。あまり1人で何かして解決策を探ったりはしないのか、そもそも心に澱は溜まらないのだろうか。「澱」としか表現できなくて、どう書き表したらいいのかわからないのだけど、悪意のような闇でもなく、焦りのような活動を促すような感じとも違う、ただ沈殿している状態の心。

  

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  神楽坂から飯田橋へ歩いてみた。橋の専門店や川辺のカフェなど、ここにも面白い店があった。面白い専門店がある街は好きだ。

 

  神楽坂は龍朋しか知らなかったけど、気候が穏やかになるととても歩いて楽しい街になると確信した。少し頑張って歩いて神保町へ抜けるのも面白そうだ。春になったら歩こう。

 

 そろそろ日が暮れてきた。夕飯の時間だ。

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 どうしても龍朋の回鍋肉が気になってしまった。

 期待通り美味しかった。キャベツが美味しい。肉はもう少し柔らかめのほうが嬉しいけど、十分行ける。ご飯が進みすぎるので小ライスでは物足りないと感じてしまった。でも我慢する。

 

 またしばらくしたら澱が沈殿してくるのだろう。その時はまた街を歩く。今度はどこの知らない街を歩こうか。

*1:地理を勉強しているけど、止まってしまってるな……