読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

現実と向かい合うための避難所としての読書 -青春の一冊 筒井康隆「農協月へ行く」-

こんなキャンペーンをやってまして。

 

特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/pdmagazine

 

 

  中学高校時代、友だちもできず、勉強も大してできなかった自分の生活は、読書とゲームだけでほぼ10割を占めていました。特に読書は、学校近くに沢山古本屋があり、中には4冊100円という破格の値段で売っている古本屋までありました。僕は、カバンが重くなるのも構わず、買っては読み買っては読みを繰り返していました。*1

 

  そんな生活を代表する一冊ってなんだろうな、と考えました。というわけでこちらを紹介します。

 

  筒井康隆「農協月へ行く」。 

  山藤章二氏の表紙イラストがいい味を出しています。

農協月へ行く (角川文庫 緑 305-14)

農協月へ行く (角川文庫 緑 305-14)

 

 

  表題作「農協 月へ行く」の他、小松左京の「日本沈没」のパロディ「日本以外全部沈没」、他5本を含む短編集ですが、ここでは表題作「農協 月へ行く」を紹介します。

 

 

やりたい放題のノーキョーの人々

  文庫本の初版は昭和54年(1979年)。高度成長期真っ只中に書かれた作品です。

他人の迷惑も何のその、あつかましいバイタリティで外国の辞書にも載った"ノーキョー"さんが月へ行く。無重力の宇宙船の中で、上を下へのどんちゃん騒ぎ、酒や芸者を強要する土地成金ぶりだ。ところが、無人のはずの月面で不思議な光景を目撃、そのニュースが電波に乗るや、地球上は大混乱に……「農協 月へ行く」 (文庫本 カバーあらすじより) 

 

  最近になって、来日する中国人環境客のマナーの悪さが取り沙汰されていますが、本作品を読むと、高度成長期時代の日本人も、(小説だから脚色されているとはいえ)ずいぶんだなあと思わざるを得ません。

  例えばこんな感じです。宇宙へ行くに前に滅菌室に入るくだり。

  規子が源三を見て、ひっと悲鳴をあげ、眼をそむけた。源三はまる裸だった。彼の巨根が赤黒い亀頭をてらてら光らせて勃起していた。規子のどぎまぎするさまを源三は、うるんだ好色そうな眼で見つめながらにやにや笑っている。

全員がはやし立てた。

「よう、源やん。みごとに立たしたのう」

「お前の息子が、この姐ちゃん好きや好きや言うとるやんけ」

「源三は、丸ぽちゃの女子が好きやさけえのう」

負けん気をおこして他の男達も陰茎を露出させ、勃起させようと努めはじめた。 (P.26)

 

  この記事を書くために再読しましたが、まあひどい。この後も宇宙船の中でカラオケがないと文句をつけたり、手鼻をかんだり、しまいには金にモノを言わせて副操縦士の規子に迫ったり、やりたい放題。

  その後、このノーキョーの人々は月で宇宙人と出くわします。ノーキョーの悪評は世界中に知れ渡っており、国連事務総長やアメリカ大統領が「よりにもよって農協かよ!!」と絶望するのですが、結果的に彼らは宇宙人と平和な外交関係を築くことになります。めでたしめでたしなのですが、最後の一文にオチがあり、これがまた良いです。

 

とにかくゲラゲラ笑うことができれば良かった

  本書は高校の頃に読みました。当時は「ノーキョー」という組織は名前しか知らず、ずっと後になって、「ノーキョー」が、東南アジアへ買春ツアーを行っていたことを知りました。高校の頃はそんなことも知らず、あまりの荒唐無稽な展開に素直にギャグだと捉え、傍目も憚らずゲラゲラ笑っていました。

 

  中学高校時代に読んだ本は、その内容はおろか、そもそも読んだ本のタイトルすら思い出せないものが多いです。かつて自分は読書家だとは思っていたのですが、インターネットが広まり、そういったエントリを読むについて、これだけの熱量を持てるだけの強い思い入れのある本があるだろうか、と考えると不安になりました。かつて自分が「読書」と称していたものは、ただつらい現実からの避難所以上のものでは無かったのではないか、と。

 

  しかし、今はそうだったとしても別に構わないと思い直しています。読書というものは、究極的には個人的な体験であり、自分の読書が他の人と違うものであることは、十分に起こり得ることだからです。

 

  中学高校は自分にとって一二を争う辛い時代でした。そのような状況での読書は、確かにつらい現実からの避難所だったのかもしれません。しかし、そこで避難所として選んだのは、壮大な物語ではなく、小さな世界の馬鹿馬鹿しいギャグでした。好きな漫画を思い返してみても、大体はギャグ漫画でした。きっと自分にとって、生きる力を与えてくれるのは、立派な偉人や壮大な物語よりも、小さな世界の笑える日常なのでしょう。振り返ってみて、そう思います。避難所は、現実と向かい合うための方法でした。

 

  「青春の一冊」には、特定の一冊についての鮮明な思い出、強い思い入れを書いているエントリがたくさんあります。他者との交流が含まれるエントリは、少し眩しく見え、作者や書籍の魅力を熱く語るエントリは彼我の力量の差に悔しく羨ましく素晴らしく思います。書評を書くことは、その本と書評者の向き合い方だけでなく、書評者の読書観も浮かび上がってくるのだと感じています。

 

   最近はTwitterに張り付いたり、仕事など役に立つための本しか読んでいません。久々に、何も言いたいことがないような短編を読みたくなりました。読んでゲラゲラ笑って、現実ともう一度向かい合うのも悪くないな、と。

*1:時効ですが、ここで表紙の背景色が黒のあの文庫本にハマりました。あの時の古本屋さんありがとう。