今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

普通に不死身として生きられる世界

  不老不死にはなりたくないが、不死身には一度ぐらいはなっても良いかなと考えている。

 

  子供の頃は若いことに価値があるなんて全く思えなかったら、「不老」の魅力がピンと来なかった。相応に老いた今では、もし不老不死になったら、実は相当しんどい作業が待っているのでは、と考えてしまう。例えば不老不死を願う人物として、いわゆるゲームのラスボスがいる。ラスボスの野望は叶わず倒されるけど、もしラスボスが勝って不老不死の能力を手に入れたらどうなるのだろう、と想像してみる。ラスボスが不老不死の力を手に入れたとしても、すでに側近たちは主人公達に倒されている。ラスボスは強大だが孤独だ。仮に新しい組織を作りその長にもう一度なったとしても、敵も味方も年を経るごとにだんだん死んでいき、自分が知っている人々はいなくなっていく。つまり、絶えず新しい人間関係の構築を行わないといけない。
 人間関係など社会との繋がりをどうやって構築・維持するか。そう考えると、その構築・維持する負担やそれを諦めた時の孤独のしんどさを想像してしまう。

そういうわけで、昔も今も不老不死はあまり魅力的と思えない。

 

 

  一方で不死身のキャラクターには妙な親近感が有る。これは、自分がこれまで読んできた本に登場する不死身のキャラクターは、大抵ギャグ漫画の登場人物だからだろう。普通なら即死するような目に遭っても、だいたいの場合は痛がるだけで死なない。さらに、ラスボスとかではなく、主人公や主人公の仲間として登場し普通に生きている。

 

 

  忍者の修行の一貫として瞑想中の主人公。友達が話しかけても返事が無い。主人公が無視しているので、友達は主人公の周りにバシャッバシャッと水を撒いて発電装置の両極を水にセットする。そしてスイッチオン。
「ゔぉらば!!!」
電流が走り、思いっきり感電する主人公。
「何すんじゃてめーーー!!ギャグ漫画じゃなかったら死んどったわーー!!!」

  もう20年以上前のエロ漫画雑誌に載っていたギャグ漫画の1シーン。タイトルも作者名も覚えていないのだけど、このシーンだけは、何遍も穴が空くほど読んだ当時のエロ漫画よりもずっと覚えている。「ギャグ漫画じゃなかったら」というキャラクターのメタツッコミが当時の僕には面白かった。

 

 

  ギャグ漫画の不死身のキャラクターは死なない。高圧電流を流されても、上空を飛んでいる飛行機から落とされても、戦車に使うような徹甲弾を打ち込まれても、火山の中に突き落とされても、死なない。気絶ぐらいはすることもあるけど、次の話ではしれっといつものように暮らしている。そして次の話は何事も無かったかのように続いていく。

「不死身」はなかなか豪快な特徴だ。「人間は必ず死ぬ」という当たり前すぎる概念に真っ向から歯向っている。だけど、不死身の登場人物がそれを積極的に表明もせず、特に普段の生活の中でも利用しないで生きていける世界は、とても優しく楽しく見える。彼らは不死身だが、「それはそれとして」物語は進んでいく。

 

「なんで不死身になったの?」

「どうやったら不死身になれるの?遺伝?薬?」

「不死身のままでいたい?それとも元に戻りたい?」

  こんな事を不死身のキャラクターに聞く人は登場しない。言い方は乱暴だが、これらの質問は「どうでもいい」。この質問の回答は、真剣に不死身になろうとしている人には役に立つかもしれないけど、不死身になる気がない人にとっては、何の役にも立たないからだ。不死身でないキャラクターは不死身になろうとしないし、不死身であることを(ギャグ的に突っ込むことはあっても)、羨むことも蔑むことも恐れることもない。ただ、「あいつは不死身だ」という理解をして、不死身のキャラクターに接している。

 

  この世の中はいろんな特徴を持った人で溢れている。特徴を持った人たちは、よく質問をされる。

 

  • 発達障害だとわかったのはいつ?
  • 水泳選手になってなかったら何になってた?
  • 好きな男性のタイプと女性のタイプは?
  • 事業を起こしてから一番苦労したことは?

 

  ある特徴を持った人に投げかける質問は、基本的には相手を理解するために必要な質問なのだろう。ただ、「どうでもいい」質問ではないからこそ、「まだ我々はあなたを十分に理解していない」というメッセージを含んでいるように感じてしまう。場合によっては「理解を十分にしていないから、次のステップには進めない」というメッセージも含み、また質問を投げかける。

  人は簡単に理解できるものではないけれど、一度試しに理解したことにして、話を進めたらどうなるのだろう。案外、不都合なく話は回るし、質問される側も、「うるせえなあ、芋ようかん食ってんだよ邪魔すんな」という気分を味わわなくて済むのではないだろうか。

  不老不死と否応なしに関わらざるを得ない世界と、不死身であることを、「それはまあさておき」と横に置いておける世界。後者の方がよほど気楽で、特徴にきちんと向き合える。僕はそう考えている。

 

 

  会社のビルから地上を見下ろした。30階以上あるから落ちたら即死だ。だが不死身の人間なら死なないで済む。ここから落ちて死なない世界って、どんな世界なんだろう。
そこまで想像して、不死身は死なないけど別に痛みを感じないわけではないことに気付いた。もし何かやらかしたら、僕は他の人からここから突き落とされるのだろうか。きっと想像を絶する痛みだろう。
  さすがに余程のことがない限り、ここから突き落とされることはなさそうだ。不死身じゃなくて良かった。

今年はちゃんと振り返りをしたい -5月編-

もうすぐ1年の半分が過ぎ去るというジョーク。

 

townbeginner.hatenablog.com

 

5月は、

5月:皇帝(正位置) -獲得したい目標・実行力・リーダーシップ・繁栄- 

 と、初めて良い兆候を表すカードが出てきました。

  公私を振り返ると、あたっている部分はあるけどリーダーシップという部分ではもう一つかなあ。

 

  4月に近所のジムに行くか検討していると書きましたが、今までのジムを止めて近所のジムに行くことにしました。年会費で支払っているので二重登録になってしまう期間はありますが、金額の計算をした結果、今月入会したほうがトータルで安くなるので、入会しました。

   会社近く:着替えは用意してくれる、ジャグジー無し、設備普通

   自宅近く:着替えは自前、ジャグジーあり、設備充実

ということで、自宅近くのジムにシフトしつつ、会社近くのジムはスポット的に利用できたらするという方向で通ってます。

 

  iPhoneの液晶が壊れました。操作が全くできず使い物になりません。修理は2万以上、しかも修理には予約が必要で全然予約が取れない状況です。

  どうするか。3時間ぐらい迷った末、iPhoneXに乗り換えました。

 

  iPhoneXをしばらく使ってみての感想。

  • Face IDは認証しない時もあるけど精度は高め
  • ホームボタンが無いのはあっさりなれる
  • イヤホンジャックが無いのは評価が分かれるかも
  • バッテリーのパーセンテージが出ないのは地味にストレス
  • その他サプライズ的な嬉しい要素は発見できず

 とりあえず快適にはなったけど、乗り換えて心から良かったなあ、ということは今の所あまりありません。画質やカメラはかなり改善されているようですが、僕はそっちにはあまり重きを置いていないので評価はそんなにしていません。

  iPhone8で良かったかなあと思わないでもないですが、まあ買っちゃったものは仕方ないので、これからも使い続けます。

 

   大きな決断から小さな決断まで、いろいろ判断させられた5月でした。主体的に判断することは出来ていたと思うのですが、人を巻き込んで調整したり動いてもらうのは本当に難しいとも感じました。このへんの力、特に仕事で本当に鍛えたいです。やれやれ。

 

6月のカード。

6月:魔術師(正位置) -創造性・意欲・新規のプロジェクト・試みの成功- 

 試みの成功を信じて新しいなにかにチャレンジしたいです。何しましょうね。 

「夢はありますか?」随分難しいことを聞きますね。

  Question-box に表題の質問が届いていました。

  この質問を読んだ時の僕の反応はタイトルの通りです。答えるのに時間がかかりそうなので、つらつら散文を書きます。

 

  子供の頃に描いていたような夢だったらもう無いし、持つことは無いと思っています。子供の頃の夢は、大きくなったらダイナブルー、あとはコナミの課長。ゲームを作りたかったんですよ。今は別にダイナブルーにも、コナミの課長にもなりたいと全然思いません。ダイナブルーはもし本当の世界だったとしたら悪の組織と戦うのはさすがに勇気が足りないし、実際の世界の話だったらスーツアクターや俳優になりたいってことだけど、それよりは他にやりたいことがあるから、夢にはならないかなあ。コナミの課長は、もうコナミがあんまりな状態だから*1、あそこで働きたいとも思えないです。

 

  じゃあ、今は?

  バックギャモンで世界一になりたいとか、書き物で文学賞を取りたいとか、そういう欲望はあるけれど、これ、夢っていうのかなあ?と首を傾げている状態です。さっき挙げたのって、なんとなく「目標」とか「願望」とか、という言葉の方がしっくり来ちゃって、「夢」って感じじゃないんですよね。今の現実とそれが実現する可能性を考えると、かなり実現する可能性は低いから、そういう意味では夢、あるいは夢想と言ってもいいんだけど、「夢」ってそういうもんじゃないなあ、と感じちゃってるんですよ。

  一言で言い表すのにチャレンジするんだったら「ピュアな現実知らず」とでも言えばいいのかなあ。うん、現実知らずって「夢」を表すのに大事な要素だと思う。ちょっと現実を知ってる人からすれば馬鹿にされるようなことを、臆面もなく本人が言えることを「夢」って言うんだろうな、と。さっきの「バックギャモンで世界一になる」「書き物で文学賞をとる」って、どっちも自分自身ができるってあまり思えて無いんですよね。だから夢っていうのは違うのかな、と。

 

  だから、この質問に答えるんだったら「夢はありません」「バックギャモン世界一、書き物で賞を取りたいって思うけどただの夢想です」だけで済みます。ただ、もう少し書きたいという気持ちもまだあります。

 

 

  40歳になりました。

  若い頃より、ずっと運動しているので、体力が落ちたという感じはしません。

  若い頃より、書き物のスピードは上がりましたが、大喜利の瞬発力は衰えています。

  若い頃から、全くモテず女性に相手にされなかったので、加齢によるディスアドバンテージは全く感じていません。

  若い頃より、現実を知るようになったので、判断のスピードは上がりました。

  若い頃より、現実を知るようになったので、夢を持てなくなりました。

  現実を知ったので、夢はありません。でも、人生はまだ楽しいです。

 

f:id:TownBeginner:20180520215813j:image 

  玉ねぎが10kg届きました。今年で5年目になります。

  最初は本当にタダのノリでした。腐らせてしまうかも、と思っていましたが、結果使い切ることができました。以来、クックパッドに創作たまねぎレシピを載せたり、玉ねぎゲーム会を開いてみたりと、少しずつやることが広がっていきました。

 

  多分、これから夢を持つことは無いと思います。なんとなく自分自身の器の量がわかってしまったので、それに合った生き方をしていくしか無いなと感じています。反面で、自分の世界の中にあるものに積極的にアプローチしていけば、自分の世界は広がっていくと感じているからです。

 

  僕の世界では、玉ねぎは10kg家に届きます。他の人の家にはあまり届きません。それを、珍しいという人や面白いという人がいます。

  玉ねぎが10kg家に届くのは、僕が作った現実です。

  夢はもう持てませんが、現実を開拓していくのは今でも楽しいです。

 

  今日考えたのは、そんなところです。

*1:子供の頃に遊んでいたゲームのクリエイターの方々が冷遇されていたことを知ったのはショックでした……。

今年はちゃんと振り返りをしたい -4月編-

もう今年も3分の1が過ぎたという事実に唖然としています。

 

townbeginner.hatenablog.com

 

4月は、

4月:戦車(逆位置) -限界を感じる・コントロールできない状況・不甲斐なさ・苦闘- 

  まあ、苦闘はしましたね。会社が移転したんですが、ジムの設備が以前の場所より悪くなってる&高いで明らかにジムに行くモチベーションが下がってます。コレ書いている今は、プールを使うとか続けるためのアイデアを出していますが、年会費払い終わったら解約して近所のジムに行くことも真剣に検討しています。

  ただ、限界を感じるとかコントロールできない状況、というのはそれほどピンときていないです。仕事だと、初動が遅れはしたものの仕事の仕組みづくりについて主管としてリーダー巻き込んで取り組み始めたり、遊びでは貸切を主催したりと、少しずつ自分のできることの枠を増やして言っている感はあります。本当にちょっとずつですが。

  先月書いた「書くこと」についても、noteアカウントを開設して試験的に書き物を分けていこうかなと思っています。noteはがっちりしたもの、ブログはそれよりは柔らかめの記事を。引き続きご愛顧いただけますと幸いです。

 

 今月5月は、

5月:皇帝(正位置) -獲得したい目標・実行力・リーダーシップ・繁栄-

 ようやく明るいカードが来ましたね。このカードに恥じないよう生きたいものです。

T-SQUAREと物語を武器にして

 僕は夏休みが大好きだった。

  中学受験で第一志望に受かった喜びは、実際に中学に通ってから一ヶ月ぐらいで消えた。友達を全く作れず学校で孤立した僕は、1人でゲームばかりやる少年になった。元々運動が苦手で、次第に学業も低迷していった僕には学校の居場所は無くなった。同級生がそんな僕を見て、「こいつには何してもいい」と認識するのにさほど時間はいらなかった。学業が振るわないにも関わらずゲームばかりして勉学に励んでいる様子が見えない息子に、両親は雷を落とした。

  どうにかしなければいけない。でもどうすればよいのかわからない。誰かに助けを求めたかったけど、もうその時には、僕は助けを求めるという行為のことを、「ここに弱点ありますよ」と敵に教える自殺行為だと学んでしまっていた。僕は底なし沼にはまり、僕は誰にも頼らず生きていくしか無いのだと暗く薄っすらと学んだ。

  不幸中の幸いで、高校では先生やクラス構成、カリキュラムが変わり底なし沼からは抜け出せた。ただ中高一貫だったので人間関係は変わらず、通学が「お務め」のままだった。高校1年の7月、期末試験をなんとか切り抜けて夏休みに入った。

  もう学校に行かなくていい。僕は夏休みが大好きだった。

 

 

  夏休みのいつもの日。秋葉原のソフマップ店頭で格闘ゲームの試遊を終えた。その日は調子が良くて自分の新記録となる19連勝を達成できた。負けたプレイヤーが悔しいなあと友達とぼやくのを横目で見ながら、1人で黙々と対戦相手を倒していった。いつものことだった。
  帰り路、前から気になってたレンタルCD屋に寄った。面白そうなテクノやゲーム・ミュージックがあれば借りようと思ったからだ。当時はTRFなどの小室サウンド全盛期だったけど、僕は全く興味が持てず、むしろクラスメートが聴いているからという理由で好きじゃないとすら感じていた。

  ゲーム・ミュージックを探すために、邦楽と洋楽の棚を素通りして奥に行った。残念なことにゲーム・ミュージックの棚は狭くめぼしいものは無かった。何か無いかなと隣の棚を探したところ、一つのアルバムが目に入った。

 

 

WAVE

WAVE

  • アーティスト:T-SQUARE
  • Village Records
Amazon

 

 T-SQUARE「WAVE」。

(あれ、確か……)
  記憶を辿り、どこで聴いたのかを思い出した。「来年の修学旅行のテーマ曲を決めよう」というクソどうでもいい学校の企画で、ノミネートされた曲にT-SQUAREの曲があった。他の曲と違い、ボーカルが無いことが新鮮だったからアーティストのタイトルは覚えていた。どんな曲だったかは覚えていなかったけど、確か良かった。そう思ったのかどうかは正直覚えていない。ただ、なんとなくで僕はT-SQUAREのWAVEを借りた。

  帰宅して早速CDプレイヤーにCDをセットして、再生ボタンを押した。

 

 

  再生開始15秒で僕の動きは止まった。オープニングのフェードインからのEWIによるイントロを、僕はただ聴いていた。

  衝撃だった。飲み物を取りに行くとか、エアコンを調整するとか、しばらくそういう日常の動作をすっかり忘れて、ただ再生時間のデジタル表示が変わるのを見ていた。ドラマチックで何かが始まるオープニング曲。曲が始まってから少し時間が経って、やっとそういう形容ができるまでに我に返った。

  実際の時間にしたら1分も無い。でもその時には、今までの世界が全く違って見える、伝説の聖剣を引き抜いたかのような感覚を味わっていた。

  1時間弱でWAVEの曲が全て終わった。僕はすぐにアルバムリピートをつけて再生した。

 

 

  この日から僕はずっとT-SQUAREを聴き続けた。T-SQUAREは聴けば聴くほど耳に馴染んでいった。「Natural」は山岳に住む村人と霊鳥たちの物語。「NEW-S」は夜の摩天楼で人知れず走り抜けて戦う秘密組織の物語。「Impressive」は少し穏やかで賑やかな街中の物語。「Truth」は夕暮れの荒野、丘陵から一気に崖を下っていく遊牧民の物語。そして「WAVE」は暑い夏とジャケットの波の写真もあって、夏の街の物語になった。日差しの強い午後に自転車を全力で漕ぐ、ICE BOXに三ツ矢サイダーを注いでキンキンに冷やしてぐいっと一気に飲む、図書館で本とCDを探す。そういった特になんてことはない日常の1シーンがT-SQUAREとリンクしていき、物語の1シーン1シーンとして心が弾むようなものになっていった。

  将来への明るい展望があれば、そして今自分が歩いているのがその展望への旅路だったら、それは歩いていく原動力になっていく。T-SQUAREを聴くことで、ただ地下の暗い道を、音を鳴らさないように細心の注意を払いながら脱出計画を練る囚人のような生活が、自分は何がしかの物語の主人公で、どこかへ冒険に出かけるための生活だと感じられた。

  T-SQUAREを聴いても、周りの環境自体はあまり変わらなかった。昔から出たかった夏休みの大イベント「高校生クイズ」に出たかったのに、学校に友達がおらず3人1組が作れなくて応募ハガキを出せず、西武球場にも行けなかった。夏休み明けの実力テストは(予想はしていたけど)散々だった。でも、もう外でひどい目に遭ってただ落ち込んで家でゲームをやるだけの生活ではなくなっていた。テストの結果が帰ってきた日、「友達を作るのは無理だけど、勉強は自分が頑張ればなんとかなる」と、T-SQUAREのアルバムを買って机に向った事を覚えている。あの時が初めて自分自身の意志で「体制を立て直して次は頑張る」と決意できた日だった。ここから勉学の成績が持ち直したことは無縁ではないと思う。

 

 

  親や教師がムカつく、納得できないという話を聞く度に「みんないいなあ、同級生は敵じゃなかったんだ。親や教師なんかよりよっぽど同級生が嫌いなのに、自分には反抗期が来てないのか、精神的に幼いのかな」と考えていた。しかし、そうではなかった。学校にも親にも全然期待していないから反抗する気が無く、消しゴムのカスをぶつけてきたり机の上を痰だらけにしたり誰かの悪口しか言わないような同級生が死ぬほど嫌いだけど歯向かう力が無くて黙っていた自分にとって、これは形を変えた反抗期だった。高校一年のこの夏休みの体験は、今まで防衛戦ばかりだった自分にとって、初めて武器を手に入れて、自分ができることや、しっくり来ることは何かを探すという、攻勢に転じた最初の体験だった。

 

 

  この文章を書いている今なら、友達を作るチャンスはまだ残ってるぞとかゲームをやってるだけの自分をそこまで否定しなくていい、面白いのは確かだろ、今のうちに語るための準備をしておけとか、色々アドバイスができる。実際、せっかく大学に入ってT-SQUAREを好きなだけ語れるチャンスができたのに、語るための語彙が全く無かったこと、そもそもコミュニケーションの基本が全くできておらず、結果誰とも仲良くなれなかったという失敗をしている。

  でも多分、このアドバイスは高校時代の僕にはしない方がいい。高校時代の僕はアドバイスを聴いて活かすにはまだ幼くて、しばらく自分勝手に感じたままの通りに聴いて動くしか無かった。T-SQUAREとの出会いは全くの偶然だけど、これは僕の成功体験に他ならない。自分で何か得られる、動けるという感覚を持たせる喜びを味わって欲しいし、それをかき消すようにあれこれ言いたくは無い。

 

 

  「心が動いた体験」と聞かれたら、多くの人は友人や恋人・恩師・親や子供など自分にとって大事な人との物語を語るのだろう。しかし、今書いた物語に、他人は一切出てこない。全て自分の中だけで完結している物語である。 他人から何がしかの影響は受けても、「心が動いた」という言葉が当てはまるような影響があったかと言われると自信がない。だから、自分の人間関係が貧弱なのだろうか、と思い悩んだ。おそらく半分は正解で、あまり人間関係の構築が得意ではなく、影響を受ける・与えるといった機能が不足していて、鎖国状態にも似た状態になっている。ただ、残りの半分は、他者からの影響の受け方・与え方が人とは違う、と考えている。普通の会話は苦手だが、文章ならばなんとかなる。影響の与え方、受け方が時間がかかる。面倒くさいけど、そういう性質に折り合いを少しずつつけて受け入れてやりくりしていくしかない。

  人と違うことは、人と違うこと以上でも以下でもない。人と違うこと、それだけだ。そして、人と違うことから物語は始まる。タロットカードが「愚者(実際には「人と違うことをする人」という意味合いが強い)」から始まるのは、意味がある。そう思う。

  T-SQUAREは僕の人生を物語にしてくれた。その物語は20年以上経ったいまでもまだ続いている。今も、Amazon Echoでライブアルバムの「明日への扉」を聴いている。昔は通常アルバムが好きでライブアルバムは曲順が馴染めなくて好きじゃなかった。だからライブにも行ったことがない。今は、こんな切り口があるのかと新鮮な気持ちで楽しめるようになった。今ならT-SQUAREのライブに行っても楽しめると思う。 

CITY COASTER(DVD付)

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  • アーティスト:T-SQUARE
  • SMM itaku (music)
Amazon

    T-SQUAREの新盤が届いた。早速聴いて耳に馴染ませている。

  奇しくもT-SQUAREの結成年は自分の誕生年と同じである。メンバーチェンジは頻繁に行われたものの、リーダーの安藤まさひろ氏は今もまだ健在で曲を作り続けている。もう還暦を過ぎているけど、それでももうしばらくは僕の物語を作る手伝いをしてくれないかと、勝手に親近感を抱きながら思っている。

物語を始めた日

   僕は夏休みが大好きだった。学校に行かなくていいからだ。

 

   中学受験で第一志望に受かった喜びは、実際に中学に通ってから一ヶ月ぐらいで消えた。友達も全く作れず学校で孤立し、1人でゲームに逃避するようになった。次第に肝心の学業も低迷し、運動が苦手だった僕に居場所はなかった。クラスメートがそんな僕を見て、「こいつには何してもいい」と認識するのにさほど時間はいらなかった。学業が振るわないにも関わらず家でゲームばかりして勉学に励んでいる様子が見えない息子に、両親は当然雷を落とした。

  どうにかしなければいけないということはわかっていたけど、どうすればよいのかわからなかった。中学の3年間で、僕は助けを求めるという行為のことを、「ここに弱点ありますよ」と敵に教える自殺行為だと学んでしまった。僕は脚を持ち上げることのできない底なし沼にはまり、1人で生きていくしか無いということを暗く薄っすらと学んだ。

  高校は、先生やクラス構成、カリキュラムが変わったために底なし沼からは抜け出せたけど、中高一貫だったので人間関係はあまり変わらず、通学が「お務め」であることにも変わりはなかった。高校1年の7月、期末試験をなんとか切り抜けて夏休みに入った。学校に通う必要がなくなった。

  僕は夏休みが大好きだった。

 

  夏休みは図書館で星新一や筒井康隆の本を借りて読むか、家でゲームをやるか、秋葉原でゲームをやるかのどれかだった。当時は2D格闘ゲーム全盛期で、秋葉原のソフマップ店頭にはサムライスピリッツやキング・オブ・ファイターズなどのSNKゲームが負け抜け方式で試遊できていた。連勝すればそれだけ長くプレイできるし、ゲームは面白い上にタダ(!)。僕は真夏日に日差しの強い屋外の行列に並ぶのも苦にせず、定期的に通ってプレイし、連勝したり、あるいは1度も勝てずに悔しい思いをしながら時間を過ごした。

  次々と対戦相手を倒し、行列を一周させた。二周目に来た相手を何人か倒したところで、「帰ろうぜ」と負けた相手にプレイヤーが声をかけていたのを見た。20年以上経っても、こんななんでもないシーンをはっきり覚えているのは、その時「俺は友達いないけど、お前らよりサムスピ*1上手いからな」というせめてものプライドを維持したかった気持ちも覚えているからだと、今になって思う。

  次の試合で、僕の牙神幻十郎は敗れて記録は19連勝で止まった。この記録が更新されることはなかった。

 

   19連勝した帰り路に、前から気になってたレンタルCD屋に寄った。面白そうなテクノやゲーム・ミュージックがあれば借りようと思ったからだ。当時はTRFなどの小室サウンド全盛期だったけど、僕は全く興味が持てず、むしろクラスメートが聴いているからという理由で好きじゃないとすら感じていた。

 

  ゲーム・ミュージックを探すために、邦楽と洋楽の棚を素通りして奥に行った。残念なことにゲーム・ミュージックの棚は狭くめぼしいものは無かった。何か無いかなと隣の棚を探したところ、一つのアルバムが目に入った。

WAVE

WAVE

 

 T-SQUARE「WAVE」。

 (あれ、確か……)

  記憶を辿り、どこで聴いたのかを思い出した。「来年の修学旅行のテーマ曲を決めよう」というクソどうでもいい学校の企画で、ノミネートされた曲にT-SQUAREの曲があった。他の曲と違い、ボーカルが無いことが新鮮だったからアーティストのタイトルは覚えていた。

  どんな曲だったかは覚えていなかったけど、確か良かった。そう思ったのかどうかは正直覚えていない。ただ、なんとなくで僕はT-SQUAREのWAVEを借りた。

 

  帰宅して早速CDプレイヤーにCDをセットして、再生ボタンを押した。*2

 

 

  再生開始10秒で僕の動きは止まった。

  オープニングのフェードインからのEWIによるイントロを、僕はただ聴いていた。

  衝撃だった。飲み物を取りに行くとか、エアコンを調整するとか、しばらくそういう日常の動作をすっかり忘れて、ただCDプレイヤーの再生時間を見ていた。ドラマチックで何かが始まるオープニング曲。曲が始まってから少し時間が経って、やっとそういう形容ができるまでに我に返った。

  実際の時間にしたら1分も無い。でもその時には、今までの世界が全く違って見える、伝説の聖剣を引き抜いたかのような感覚を味わっていた。

  1時間弱のアルバム再生が終わり、僕はすぐにアルバムリピートをつけて再生をした。

  曲は聴けば聴くほど耳に馴染んでいった。WAVEは暑い夏とジャケットの波の写真のお陰で、僕にとって夏のイメージになった。日差しの強い午後に自転車を全力で漕ぐ、ICE BOXに三ツ矢サイダーを注いでキンキンに冷やしてぐいっと一気に飲む、図書館で本を探す。どうということもない日々の1シーンが、T-SQUAREがリンクしていき、ある物語の1シーン1シーンとして心が少しずつ弾むようなものになっていった。 

 

  それから僕の生活はすっかり変わった。学校が終わったら図書館で星新一や筒井康隆の本を借りて読むか、家でゲームをやるか、秋葉原でゲームをやるか、CD屋でT-SQUAREのアルバムを眺めて溜めた小遣いで買うか、図書館でT-SQUAREのアルバムを見つけて借りるか、のどれかだ。傍目には何も変わらないように見えるけど(そもそもその当時の僕にそこまで関心を持っていた人間はいない)、僕の生活は間違いなく変わった。ただ地下の暗い道を、音を鳴らさないように細心の注意を払いながら脱出を図る脱走兵のような生活が、自分は何がしかの物語の主人公で、どこかへ冒険に出かけるための生活になった。そう肌で感じられたことと、勉学の成績が持ち直したことは無縁ではないと思う。テストでひどい点を取った時、ただ落ち込んでゲームをやるのではなく、T-SQUAREのアルバムを買って机に向った事を覚えている。多分あの時が初めて自分自身の意志で「体制を立て直して次は頑張る」を思えた日だ。

  T-SQUAREは僕の人生を物語にしてくれた。

Natural」は山岳に住む村人と霊鳥たちの物語。「NEW-S」は夜の摩天楼で人知れず走り抜けて戦う秘密組織の物語。「Impressive」は少し穏やかで賑やかな街中の物語。「Truth」は夕暮れの荒野、丘陵から一気に崖を下っていく遊牧民の物語。世間の話題に全く着いていくつもりが無かったから、「Truth」がF1で世間的に知られている曲だと知ったのはもっと後だったし、むしろ物語に邪魔だとすら思った。

  これらは全部僕の頭にしか無い、アバウトなストーリー、要するにただの妄想である。曲に歌詞が無いので、きっと同じアルバムの同じ曲を聴いても、このストーリーは僕以外にはイメージできないし、わかってもらえない。でも、それでも、僕にとっては、自分のこの生活を様々な豊かな物語にすることができたし、前に進むための原動力になった。

  音楽を勉強しておらず、雑誌を読むなどの基礎知識を全く習得していなかったため、T-SQUAREの良さを誰かと分かち合う方法はわからなかった。大学時代もフュージョン系のサークルに入ったけど全くついていけず辞めた。以来、僕はT-SQUAREをレビューしたり論評することをしていない。T-SQUAREは僕1人だけの頭の中にある物語として未だに続いている。

 

  「心が動いた体験」として、人はどういうことを挙げるのだろう。友人や恋人・恩師・親や子供など自分にとって大事な人との物語を語るのだろうか。

  今書いた物語に、自分以外の他人は一切出てこない。何がしかの影響は受けても、「心が動いた」という言葉が当てはまるような影響があったかと言われると自信がない*3。自分の人間関係が貧弱なのだろうか、と思い悩んだり、影響の受け方がたまたま人とは違うだけだと捉え直しをしている。

  この文章も書いている今も、Amazon EchoからT-SQUAREの「明日への扉」が流れている。T-SQUAREと僕は、あれからずっと僕の物語を作り続けている。

 

CITY COASTER(完全生産限定盤) [Analog]

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   4月にT-SQAUREの新盤が出るので予約購入をした。

   奇しくもT-SQUAREの結成年は僕の生まれ年と同じだ。リーダーの安藤まさひろ氏はもう還暦を過ぎているけど、図々しくももうしばらくは僕の物語を作ってくれないかと願っている。

 

*1:サムライスピリッツ」。ストリートファイターⅡがきっかけでブームとなった格闘ゲームの中でも特に好きだった。初代でタムタム使っていたのに「真・サムライスピリッツ」でいなくなってたのが寂しかった。完全に余談。

*2:本当はYoutubeのリンクを貼ろうとしたけど、公式のが無かったから止めた。T-SQUAREに関しては、非公式のリンクを貼りたくないと思ってしまっている。

*3:悪い意味で心が動いた経験なら、パワハラで鬱になったことがある。しかし長々と書きたくない。

今年はちゃんと振り返りをしたい -3月編-

3月振り返りまーす。

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3月は恋愛の逆位置。

3月:恋愛(逆位置) -決断することから逃れたい・優柔不断な態度・迷い-

2月の振り返りでこんなことを書きました。

3月はテーマを決める月にします。適宜変えるとは思いますが、何も中心が無いのは決まりが悪いです。ちなみに3月は、

3月:恋愛(逆位置) -決断することから逃れたい・優柔不断な態度・迷い- 

 

テーマがブレブレになりすぎないようにします…。

 優柔不断な態度でなかなか座りが悪かったという自覚はありますが、少しずつテーマは決まってきました。

  • 人を誘うこと
  • 書くこと

 この2つを主軸に進めます。

  いずれも他者に対して何かのアクションを伴うものです((「書くこと」は自分に対してという面もありますが、ここでは誰かに対しての書きものと定義します)。「人を誘うこと」は、かなり苦手なアクションなのですが、いったんテーマにして1年やってみます。「何を」「誰を」は決めていません。おそらく決めないほうが何に対して恐怖を感じているのか、何が意志を沸き立たせる内容なのか、そういったことがクリアになっていくと考えています。

   3月は公私共に4月以降の助走期間でした。間違いなく。

 

ちなみに4月のタロットは、

4月:戦車(逆位置) -限界を感じる・コントロールできない状況・不甲斐なさ・苦闘-

 

うわあ、先行き不安。