今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

20200525-20200531 イライラと焦りの1週間

  今週は妙にイライラしたり焦ることが多かった。

   月曜日は久々に外で仕事をした。正確に書くと、客先に行って作業をした。途中少しトラブルは合ったものの、無事に完了できたので一安心。その後、会社のオフィスに戻り別の作業を開始。結局21時ぐらいまで残っていた。改めて、オフィスというものは仕事をするには適した環境なのだなあと今更の感想を抱く。「東京の夜景を見ながら仕事をする」という行為が、まさかこんなレアな体験になるとは思わなかった。

 

  5月末締切の仕事をチームでやらなければならないので、スケジュールの調整をしつつやっていたのだけど、妙にイライラすることが多かった。火曜日からずっとそんな調子だったので、さすがに何かおかしいと思って調べてみた。

おそらく原因は2つ。

  • 睡眠不足
  • 会社以外の人と話していない

  5月のGoogleカレンダーを見返してみると、自粛期間中とはいえ、ZoomやLINE通話で遊び友達と話していたのだけど、今週は1度も話していなかった。知らず知らずのうちに、ストレスが溜まっていたのかもしれない。1人でいることの耐性はかなり強いと自負していたけど、ある方向に対する孤独は耐性がそれほど強くないのかもしれない。ブログやTwitterの投稿も今週は少なかった*1。SNSは万能ではないけれど、「何かを発信する」という行為は、それだけでもストレス軽減になるのだろう。

 

6月は仕事が忙しくなりそうだから、とにかく寝ることにする。

*1:事実、この日記は5月だが完成したのは8月8日。

遊び友達が不倫してるのを知ったらどう思うか想像してみる

  質問箱に「遊び友達が不倫してるのを知ったらどう思いますか 」という質問が来ました。多分公式の質問ではなく、誰かが僕の質問箱に質問してきたようです。

 

 

  性愛に非常に縁遠い人生を送っているので、不倫の話は当然一度も聞いたことがありません。以前に質問箱でも答えた通り、不倫の話はハリーポッターと同じレベルのファンタジックな話です。

  その上で、もしも「遊び友達が不倫しているのを知ったらどう思うか」というのは思考実験として面白そうなので、試しに考えてみました。大前提として、その遊び友達自身が「不倫をしている」という事実を認識している場合に絞って考えてます(つまり、自分が未婚で、付き合っている相手が既婚者であることを知らないパターンは除きます)。

 

  まず、その遊び友達本人が既婚か未婚かによって、感想は異なります。

 

パターン1:遊び友達が未婚の場合

  この場合、付き合っている相手は既婚者になります。「ああ、恋愛というのは人の道を外すくらいのパワーをもつのだなあ」と思うでしょうね。非常に凡庸な感想だと我ながら思いますが、それ以外にあまり抱くことは無いかな、と。

 

パターン2:遊び友達が既婚の場合

  一方こちらは、言葉を選ばずに書くと「あまり人のことを大事にしない人なのだな」という感想を抱くでしょう。というのは、この手の不倫話で「遊び友達と遊び友達の配偶者という、当人同士の話」と言われることがあるけど、本当にそうなのだろうかと疑念を抱いているからです。たしかに不倫がバレてその後の二人の関係をどうするのかは当人同士の話でしょう。しかし、その前段階の「結婚をしているのだから不貞はしない」という約束を破る(かつ、そのことを隠す)行為は、「自分の利益のためなら、約束を反故にしても構わない」という思考が透けて見えます。  もし「そうはいっても、好きになってしまったものは仕方ないじゃないか」と反論するのであれば、「好きになって結婚した」相手の方を精算してから始めるのが筋です。
  「不倫をする」ということは、「約束を交わした自分に近い他人をどう扱うか」という態度の表明にしか見えません。そう考えると、自分とその遊び仲間の人付き合いにも、慎重にならざるを得ません。自分とその遊び仲間が何かをしようとした時、自分の知らない、不利益になりそうな何かをコントロールされている、操られている感が拭えないからです。

 

  もちろんこの話はパターン1の未婚で不倫をしている場合も広い意味で当てはまります。不倫相手の奥さんまたは旦那さんに対して、不倫相手に同じことをさせているからです。ただ、もし不倫相手の配偶者が顔も知らない人であった場合、不倫相手からの情報がすべてになるので、その人の痛みや怒り・悲しみ想像することは難しいでしょう。場合によっては不倫相手の配偶者に対する義憤すら覚えているかもしれません。

 

  実際には、不倫相手の属性(既婚者か未婚者か)、不倫相手を自分も知っているかどうかによって、感想がさらに複雑になるかもしれません。ただ、感想のベースとしてはこの2つになります。

 

「不倫はやめとけ」と声をかけるかどうか問題

  ところで、不倫している友だちに向かって「不倫はやめなよ」と声をかけるかどうか、という話を見ます。多分、僕自身はその遊び友達には言いません。なぜなら、僕が「不倫はやめなよ」と言ったところで、当人達に届くとは到底思えないからです。

  大前提として、不倫を止められるのは親子や親族、親友レベルでしかできない話であると僕は捉えています。「不倫をする」ということは、それぐらいの重い話です。「倫」という字は、「人の守るべき筋道、仲間」の意味を表しており、それを「不」にする行為は、人の守るべき筋道や仲間を切る行為です。そういった行為を、自覚して行っているのであれば、(「遊び友達」の距離や種類は様々ですが)外側にいる人間にはどうしようもありません。身内レベルでないと解決できない話です。僕が数々の修羅場をくぐり抜けた恋愛マスターであれば、もしかしたら話を聞いてくれるかもしれませんが、前述の通り、僕の人生は性愛から縁遠いです。説得力という意味でも届くとは思えません。

 

  そう考えると、「不倫をしている」という話を聞かされた時点で、もう負け戦なのかもしれません。不倫が原因で友達の縁を切るというネット記事を以前に読みましたが、「江戸時代、火事が広がったらもう水かけても止められないから、仕方なく隣近所を壊して火事を止めていた」という話を思い出しました。言葉の水はもう届かないのかな、と暗い気持ちになります。

 


  質問自体は「どう思うか」という質問だったので、これで質問の回答にはなっているはずです。その上で、どうして僕にこれを聞いたのだろうということを少し想像してみます。僕にわざわざこういう質問をするということは、質問者さん自身に、質問に近いことが起こっているのでしょう。ぱっと考えつくのは以下の二点です。

  1. 質問者さんの遊び友達が不倫してるのを知ってしまった
  2. 僕の遊び友達が不倫しているという事実を知ってしまった

  1.ならば、お察しします。「不倫しているやつかよ、さっさと縁切ろ」と思うには近過ぎたり、「好きな人だから切りたくない」「不倫を止めさせたいけどどうしたらいいかわからない」という葛藤を抱えているのかもしれません。ただ、前述の通り、基本的にはどうしようもないと思います。もし止めたいのであれば、不倫相手の落ち度について興信所を使ってでも徹底的に調べ上げる、遊び友達の親兄弟を巻き込むことも視野に入れる必要があるからです。そこまでやれる覚悟があるのであれば、やっていいと思います。

 

 2.の場合、僕の「遊び友達」と書くくらいですから、この遊び友達は質問者さんと共通の知り合いの可能性が高いです。その上で僕に聞いてくるのはどのような意図なのでしょうか。

  もし「どうしよう」という意味で質問されたのであれば、答えは1.と同じです。

  もし「コイツをとっちめてえんだけど」という意味であれば、わざわざ僕に聞くまでもありません。僕にタレこむくらいの証拠を持っているのであれば、配偶者にバラすなど相応の行動を取ることはできるでしょう。遊び友達も少なからずダメージを受けるであろうことは胸が痛いですが、不倫をしているのであれば喰らっても仕方のない然るべきダメージなので、同情はしません。

  ただしこの場合、なぜ「コイツをとっちめてえんだけど」と質問者さんが思ったのでしょうか。それが気になります。とっちめる前に、とっちめたい理由をきちんと確認しておきましょう。もしそれが逆恨みや誤解に起因していたら、取り返しのつかないことになります。最悪の場合、さらなる逆恨みを呼び、質問者さん自身にも危害が及びかねません。

 とっちめるときは、法律的な話だけではなく、自分自身の心の持ちようも含めてきちんと準備をしてから、です。



  それにしても、この手の「普段接触している人間が実はなんらかの後ろ暗い秘密を抱えていたことを知ってしまったらどうするか」というテーマは、空想上の話として考えるにはなかなか面白いテーマですね。自分の倫理観や他人に対する距離感、スタンスの表明の仕方、さまざまなことがクリアになります(かつ、何がクリアになっていないかもセットでわかります)。もしなんの準備もせずに聞かされたら軽いパニックを起こしてしまうかもしれません。こういったifを、空想上の話として予防的に考えておくのは悪くありませんね。

 

昼顔

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  • 発売日: 2017/12/20
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2020/05/18 - 2020/05/23 ボーナスタイムが終わりませんように

  誕生日を迎えた。当日はいつものように(「いつもの」というフレーズがすっと出てきたから、リモートワークはだいぶ生活に染み付いたのだと思う)自宅にいた。幸いなことにケーキ屋さんは開いていたので、ケーキを買って食べることができた。ありがたいことにTwitterなどのSNSや、たまたまFacebookで部長と繋がっていたから部会でお祝いをされるなど、今までにない不思議な誕生日だった。

  社会は大変な状況だけど、自分に合った働き方を見つけられたり、IoTなどの新しい取り組みにチャレンジできたりと、自分自身に関して言えば、なかなか良い1年の始まりになっている。少しでも長く、この絶好調の状態を維持したい。

 

  今週は多種多様なタスクが降って来て、少しいっぱいいっぱいになってしまい、働き詰めになってしまった。「音声入力すればブログ書けるじゃん」と以前に書いたが、仕事がいっぱいいっぱいになってしまうと、喋ってブログを書くことをうっかり忘れたり、億劫になってしまったりで、結局やらなかった。そういうわけで、せめて週間でも記録をつけるよう、こうやって書いている。

 

  緊急事態宣言が解除される見通しになった。

www3.nhk.or.jp  東京都は新規感染者数が一桁になり、解除できる見通しが立った、という解釈で良いのだと思う。もちろん「収束に向かっている」と捉えるのは間違いで、ワクチンなど有効な対策がない以上、再び感染者数が増えて緊急事態宣言が再発令される可能性は十分ある。というより、当分は発令と解除の繰り返しでコントロールしていくしか無いのかもしれない。

 

  緊急事態宣言が解除される一方で、「もうすぐボーナスは終わり」という感覚を抱いてしまっている。収束に向かっていると捉えていない、と書いたけど、もし本当にこのまま収束して元通りに社会生活が送れるようになったら、テレワーク等の今やっている取り組みは、無くなってしまうのだろうか。

  少なくとも僕は、今のテレワークが大変に快適なので、朝に満員電車に揺られてまで会社に行くことのメリットがどうしても思い当たらない。会議などのコミュニケーションは対面の方がスムーズになる場合もあるし、会社のサーバーを物理的に操作しなければならないなど、全く不要とは思わないが、そういった作業を平日ずっと通勤時間+満員電車というストレスをかけてまでやるべきか、と考えたらイエスとは到底言えない。

  今後、緊急事態宣言の発令と解除が繰り返されるとして、そのたびにオンラインとオフラインを行ったり来たりするのだろうか。そうこうしていくうちに、新しい社会が馴染んでくるのか、それとも結局今の社会が維持されてしまうのか、まだわからない。でも、これだけ社会を劇的に変えられるチャンスが来て、ストレスのない状態になるのだから、新しい社会に変わってほしいと、僕は切に思う。「リモートワークが向いていない」「子供がいるからリモートワークがやりにくい」という人々がいるのはわかるけど、少なくともリモートワークが快適にできる人は、リモートワークが維持できるようになってほしい。

 

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  鉄板焼肉 大当りの焼肉定食に生ビールを添えて。

  用事がもう無いので、ビールを飲もうと決めて食べた。辛味噌を鉄板の油で混ぜて、肉とキャベツを混ぜて食べると、いくらでもビールが飲めるような錯覚を覚える。今までよりも客は少なかったが、昼時で混み始めていたので、あまり時間を取り過ぎないように食べた。

  次回来る時は、もう少しゆっくりビールを飲みながら焼肉を食べられる状況でありますように。

2020/5/16 非日常がだんだんと日常になりつつある

  気がついていなかったけど、今週は月曜から金曜まで普通に在宅勤務をしていた。先週と先々週はゴールデンウィークで休み、3週間前は1日振替休日をとっていたので、平日5日間で勤務するのはえらく久しぶりという感覚がある。

   本来ならば、今週は客先を訪問し作業する予定だったけど、お客様の合意も得られたのでリモートで作業を行った。実際に作業したのは僕ではなく他メンバーだったのだけど、結果として何も問題なく作業終了。無事に終わってホッとしている。課題はあるにせよ、いちいち客先はおろか自社にも行かず、リモートで全て作業できるというのは、ありがたい話ではある。

  こういった、「リモートでアクセスし作業を行う」事例はすでにクラウド界隈ではいくらでもあるだろうけど、今回のコロナをきっかけに、さらに広がっていくだろう。というより、そうなって欲しい。なんだかんだ言っても在宅勤務は想像以上に快適だ。移動をしなくて済むこと、音楽など環境を調整できることがこれほどまでに快適とは思わなかった。すでにこの環境にどっぷり浸かっており、今更普通に出社して作業をしろと言われてもモチベーションを保てる自信が無い。しかも今の状態だと、ジムに映画館など、寄り道をしていた場所がことごとく休業中のため、帰り道ボーナスも無い。今のところ出社圧力は無いはずだけど、もし圧力が出てきたら全力で抵抗するに違いない。
  それにしても、こういったリモートによる作業も、以前ならセキュリティの都合という理由でNGになっていたと思う。それがコロナをきっかけに、禁止どころか推奨にすらなったというのは、こちらとしては都合が良いけど、なんだかなあとは思わないでもない。「リスク」絶対的なものではなく相対的な評価なのだな、という感想である。

 

曜日感覚を取り戻すためのカレー

  曜日感覚が最近薄くなっている。テレビ番組やニコニコ動画の放送である程度は維持できているけど、それらの放送もタイムシフトや録画等で視聴できてしまうため、曜日をはっきり捉えるためのアンカーとしては少し弱い。海上自衛隊では代わり映えのしない風景で曜日感覚が無くなることを防ぐため、毎週金曜日にカレーライスを食べるという習慣がある。味覚という身体的に訴えるからこそ、こういった調整ができるのかもしれない。今の在宅勤務も、代わり映えがほとんどしない室内で作業しているので、ある意味では海上自衛隊の環境に近いのかもしれない。

 

mainichi.doda.jp

  たまたまスパイスカレーに関する記事を読んだ。スパイスカレーは前から少し興味があったのだけど、スパイスを購入しても使い切れずに腐らせてしまうのではないかと、二の足を踏んでいた。しかし、

  • スパイスはカレー以外の炒め物などにも幅広く使える
  • 在宅勤務で自炊する回数が増えたので、スパイスを使い切れる可能性が高い

と考えたので、一度試してみることにした。

  

   前述の記事で紹介されていた本。

   スパイスをロジックで説明してくれる本らしいので、一番応用が利くと思い購入。来週中に届くらしい。本当だったら翌日購入できる本屋を探そうと思っていたが、仕方がない。

  あとは肝心のスパイスだけど、どこで買おう。考えてなかった。

 

www.rakuten.co.jp

  楽天で検索してたら上野アメ横の大津屋が店を出していた。あまり意識していなかったけど、見たことがあるはず。ここで買おう。

検察庁法改正案でTwitterが揺れた

#検察庁法改正案に反対します というハッシュタグがすごい勢いで流れてきた。トレンドを見たら100万件を超えており、何事かと思った。

note.com

  5月10日の時点で、瞬間ツイート数が200万を超えていた。上記は、当該ハッシュタグがあまりにバズりスパム疑惑が出てきたので、実際に調査された方の記事。調査結果としては、スパムによる水増しは誤差レベルで、普通のアカウントがツイートしていることが判明していて、この問題の関心の大きさがうかがえる。 

 

  僕がこの問題について詳細を最初に知ったのは、NHKのこの記事。

www3.nhk.or.jp

   NHK社会部が顔出しで記事を書いていることに驚いた。問題点と主張がよくまとまっており、問題点がよくわかった。

  一方で「国家公務員の定年引き上げに合わせているだけ」など、改正案に反対する立場を諌める言説も流れてきた。そこで、実際に法律や改正案を読んで紐解こうと試みたが、不慣れな上に前提知識が欠けており、論点を探るのに四苦八苦し、諦めてしまった。 

elaws.e-gov.go.jp

 現行の検察庁法はこちらで参照可能。ここから参照できる。

 第二十二条 検事総長は、年齢が六十五年に達した時に、その他の検察官は年齢が六十三年に達した時に退官する。

   たったこれだけの条文を改正するのに、ここまで大騒ぎになるというのも考えてみたら不思議な話である。映画の題材になりそうだという感想。 

 

  そして日が経ち、検察庁法改正案について、改正案や反対意見を精査しながら、論点・FAQを専門家の立場から解説する記事が出てきた。

note.com

blog.livedoor.jp

  どちらも現職の法律の専門家による記事で、読みやすく大変ありがたい記事である。

  一番の論点で問題点(と僕が理解した内容)は、去年の秋に提出された「国家公務員の定年の延長にあたって、検察についても同様の対応を行う」という趣旨だったはずの改正案が、なぜか今年1月に大幅に内容が変更されたことである。

確かに検察庁法改正に関わらず、黒川検事長の定年は延長され(2020年2月)、その後に検事総長に就任すると思われます(2020年7月)。しかし、黒川検事長の定年延長はその根拠がないため「違法」です。この「違法性」を事後的に正当化するために改正法が成立するものです。(東京法律事務局blog より)

   黒川検事長の定年を正当化するための改正であることは間違いない(少なくとも、それ以外にわざわざ改正する理由が見当たらない上、改正する理由の説明も無い)。

  「三権分立の崩壊」「安倍晋三の逮捕をさせないため」という推測はもちろんできるし、それを疑いたくもなるが、憶測の域を出ない。その上で、 

www.nichibenren.or.jp

「筋が通った説明ができないなら検察は死んだも同然だ」
「人事による事実上の“指揮権発動”だ」
これは東京高等検察庁の検事長の定年延長をめぐる現職の検察幹部のことばです。 (NHK NEWS WEB サイトより)

  日弁連、さらには当の検察庁からこういった批判・反対声明が出てくる事を考えても、本改正案を強行採決してまで通すべきか甚だ疑問ではある。少なくともこの法改正案について、賛成する気にはなれない。

 

みんなが熱くなる政治の話

 ファン同士が争うから削除したと述べているのが切ない。

 

 
  自分自身は、この法改正には反対である。しかし、それを現政権への賛成あるいは反対だの、政治のことを理解している・理解していない、勉強している・していない、下手したらこの泡沫ブログにも、こういったコメントが付く可能性がある。政治に関しては、熱くなって攻撃をしてきたり、あるいは政治に関する言及をダサいと揶揄されたりでうんざりして、距離を取る人は少なくない。

  極端な話しか見えないのはどうしてなんだろう。観測範囲が狭いのだろうか。この手の話が、宗教となんだか似ている。熱心に入信して信仰をし、親族や友人を勧誘をしたり、そういったことを活動を毛嫌いして無宗教と公言したり。

  「初対面の人と政治と宗教の話はするな」という言葉があるけど、反対陣営だと烈火の如く怒り狂うツボはどこにあるのだろう。考えてみれば不思議である。好きな食べ物で喧嘩になる事は、せいぜいきのこたけのこ論争や、大阪焼き広島焼の話ぐらいで、ネットミームののネタになる位のレベルだと思うのだけど*1、政治・宗教の話になると途端に生々しさが出てしまう。表面上は毛嫌いしていてっも、政治や宗教というのは、自分の生きている地盤に関連していると無意識に感じているんだろうか。

 

*1:まあ、食事の好みで喧嘩したり離婚したりという事例はあるけど…。

2020/05/08 かき揚げそばとカレー麺と坦々麺を食べた

  どうしても会社と客先に行かなければならない用事ができたので、朝から出社。1ヵ月以上ぶりにスーツとワイシャツに袖を通し、革靴を履く。少し緊張してしまう位に慣れが無くなっていた。履く前に、革靴にうっすらとホコリが積もっているのを見つけた。メンテしなかったことを心の中で革靴に詫びながら、ブラシとティッシュで埃を取り、靴べらを使って履く。

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銀座のよもだそばの特大かき揚げそば。だしがよく効いたそばつゆと、染み出したかき揚げの油のハーモニーがすごく懐かしかった。かき揚げを少しずつ割り箸で崩しながらそばつゆを染み込ませ、蕎麦と一緒に食べる。

 

  ソーシャル・ディスタンスを守るよう、1つ席を開けて座るよう指示があった。でも、客は僕を入れて二人だけ。2ヶ月前はこの席がぴっちり埋まり、文字通り立ち食いでそばを食べる人もいたなんて信じられなかった。下手したら、コロナが収束してここに来られるようになっても、この店が残っているという保証は無い。嫌な想像をしてしまったけど、この想像が頭から離れない。それくらい、飲食店は苦境に立たされていると思っている。

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  なんとなく気になったので、一駅歩く。溜池山王駅付近の朝の様子。明らかに車も人も少ない。  

 

  出社して仕事を淡々とこなす。オフィスというのは仕事をするために作られた環境であり、仕事をする上では優れた環境なのだと、今更ながら当たり前のことを思う。

 

  オフィスのフリースペースに取り付けてあったセンサーを外す。オフィスの利用率を調査するため、机や椅子にセンサーを取り付けデータを取得する実証実験をしていたのだけれど、原則出社禁止になってしまい、測定する必要がなくなってしまった。結局実験は中断となり、センサーを撤去することになった。センサーのデータを取得して分析するというのはなかなか面白かったんだけど、こんな結末を迎えてしまったのが悲しい。

 

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 六本木美之和のカレー麺。

  カレー麺というのはありそうで意外と無いように思う。カップヌードルカレー味が好きなのだけど、外食でカレー麺というと、ここ以外見かけた記憶がない。ここは定食も美味しいのだけど、そういうわけで、大体注文するのはカレー麺。半ライスも一緒に頼み、即席のカレーライスを作って食べる。 

 

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ソーシャル・ディスタンスに従い一席空けて座る。

 

会社に戻り作業を続け客先へ向かい、用事をサクッと済ませて仕事終了。

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新宿広州市場の汁なし坦々麺。いろいろな店で汁なし坦々麺を出しているけれど、個人的にはここの汁なし坦々麺が1番好き。ワンタンがあって食べる辣油と合わせて当てられるのがとても良く、ビールに一番合う。帰宅後に用事がなかったら、絶対ビールを頼んでいた。

 

 

  今日から紀伊国屋書店が営業再開した事を知る。たまたま欲しかった本があったので紀伊國屋書店に向かった。18時閉店だったけど、ギリギリ間に合い、目当ての本も見つけて購入。閉店だからかもしれないが、レジはそれなりに混んでいた。店員さんがマスクだけでなくゴム手袋をしていたのが印象的だった。

 

  そのままJRに乗り帰宅。

 

  出社してそばを食べて仕事して家冷麺を食べてお客さんのところに行って帰りに坦々麺を食べた、というだけの1日。2ヶ月前にこういう生活を送ったとしても、きっとブログにはわざわざ書かなかった。どうということもない話だし、わざわざ書くほどのことも感じられなかったからだ。  

  今はそうじゃない。2ヶ月前の日常は、もう非日常になった。

 

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   今日は1万7千歩、歩いたらしい。どうしても今の街を見たくてあるいていたら、こうなった。

   次に歩数が1万を超えるのはいつになるのだろう。

2020/05/06 自分の力ではどうしようもない困難に対して立ち向かう人々の物語

読みまして。

www.tyoshiki.com

  ブログ主のtyoshikiさんの主張には平田オリザ氏への言及も含めて、同意しています。平田オリザ氏の炎上には積極的に参加する気はありませんでしたが、あの言い方は製造業もそんな簡単な話ではないと理解しておらず、反発は受けてもやむを得ないと感じてしまいました。

  氏の「演劇入門」は良い本ですし、僕自身のコミニケーションの改善などにも寄与しています。それだけに、あの言及は残念で仕方がありませんでした。 

演劇入門 (講談社現代新書)

演劇入門 (講談社現代新書)

 

 

 

大学1年に演劇をやった話、浮き彫りになる課題について

 はてなブックマークを眺めていたら、こんなブログが。

www.tobiraza.co.jp

  横内謙介さんは存じ上げなかったんだけど(後でスーパー歌舞伎の演出を手掛けていると知って驚いた)、文中で早稲田大学の演劇に突いて書かれていたので一気に読みました。僕が大学生だった頃も、早稲田大学の演劇というのは魑魅魍魎としており一見さんお断り的な雰囲気だったのを覚えています。大学近くには立て看板も多く、入ろうかなと思いつつ、どこに入ればよいのかわからずじまいでした。

  そんな大学1年の時、「芝居をやらないか」と当時のサークルの友達に誘われ、旗揚げ解散という形で演劇をやったことがあります。始まったものの、途中の進捗が悪く人間関係もゴタゴタして、企画を主催した女の子がいなくなってしまい、脚本を変えてオムニバス形式の3本立てで芝居をしました。ビデオなど記録に残していませんが、素人が最初にやった舞台なので、まあその程度です。それでも、曲がりなりにも最後までやり遂げ、演劇経験者から出来を褒められたり劇団に勧誘されたりしたことは、大学に入って初めての成功体験としてずっと覚えています。

  この記事を読んでそんなことを思い出しました。

ただね。

私は明らかに否定して、背を向けたけれど、あの頃のアングラの森の修行者たちの姿は、決して醜くも、愚かでもなかったと思うんだな。
理論という言葉を信じて、我が身をそこに追い込んで、真摯に、演劇の真理に向かおうとしていった、その姿勢はむしろ美しいモノだったと、懐かしくも、愛おしくも感じるのだ。
あの頃の面倒くさかった大先輩たちも、今の私から見たら、みんなもう、ただただ愛おしき若者たちだ。

 

  あの日の、演劇がよくわからなくて避けていた僕の近くには、多分こうやって演劇論と取っ組み合ったり反発したりしながら懸命に演劇に取り組んだ学生がいました。その学生達が、演劇から離れたり戻ったりを繰り返して今の演劇界があるのでしょう。そんなことも思いました。

  本記事は、良い内省を含んでいます。

 ドイツの文化相が、芸術は、私たちの命の維持装置だ、だから守らなきゃいけないという涙が出るような素晴らしいことを言ってくれて、けれど、我が国の政治家たちは、その言葉がまったく理解できていなくて、我々は深く絶望している。
だがね、その言葉は、決して我が国の為政者たちの暗愚を明らかにしただけではなくて、それを担う我々にもしかと突き付けられた剣であると思うんだよな。

すなわち、
私たちが今、取り組んでいることは、人々の生命維持装置となり得ているか?

  その意味で、今現実に起こっていることは、政治の問題だけでなく、業界・自分自身の問題でもあるのでしょう。コロナ騒動は隠されていた(隠していた)課題を容赦なく浮き彫りにしていきます。

 

12人の優しい日本人・リモート朗読会

そんな中、「12人の優しい日本人」がリモートで朗読会を行うというニュースが。

12nin-online.jimdofree.com

  「12人の優しい日本人」は、小学校の頃に父親が借りてきたレンタルビデオで観て、すっかり面白くて笑い転げたことを覚えている。この「12人の優しい日本人」は、もともとは「12人の怒れる男達」というアメリカ映画のパロディーだけど、僕にとっては12人の優しい日本人の方が、楽しかったことを覚えている。

12人の優しい日本人【HDリマスター版】 [DVD]

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  • 発売日: 2012/03/30
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 その12人の優しい日本人がリモート朗読会として上映されます。三谷幸喜さんの冒頭の挨拶で伊藤俊人への言及もあり、少し泣きそうになりました。 

  朗読はZOOMで行われました。陪審員全員の顔が映った状態というのは、各人の表情をチェックしやすく、この演目ならカメラワークの一手法としてありだと思うくらい、見ごたえがありました。守衛が入って来るシーンは守衛のカメラがオンになるなど、オンラインならではの芸もあり楽しめました。唯一、トラックと被害者・被告の位置関係を説明するところが少しわかりにくかったですが、正直朗読のクオリティが高かったので、それを差し引いても満足度は高かったです。

 

朗読会はYoutube Liveで行われ、アーカイブにも残っているのでぜひご覧ください。 


12人の優しい日本人 を読む会(前編)

 

  演劇業界はホットなニュースがたくさんありました。それを見てて考えたことは「助けを求めること」「内省し課題と向き合うこと」「新しいことを作っていくこと」がどれも大事で、「自分の力だけではどうしようもない困難」を抱えている人々が、どのように苦境に立ち向かっていくか、という話と理解しています。

 つまり、これは演劇業界の話ではありません。あらゆる業界の話です。飲食店にしろ製造業にしろ、「自分の力だけではどうしようもない困難」は、助けを求めないといけないし、新しいことを作る必要があります。そして、困難はこれまで手がつけられていなかった課題を容赦なく浮かび上がらせてきます*1

   いま、何をするべきかわからなくなったら、やろうとしていることはこのどこかに当てはまっているか考えることにします。特に「内政し課題と向き合うこと」は、後々効いてくる(かつ、即効性が薄いため見過ごされやすい)話なので、できるうちにやることにします。

 

  今日考えたのはそんなところです。

*1:外国人が来られなくなったため、「外国人実習生」が居なくなり操業できなくなった農業や製造業はまさにこの典型です。