読みまして。
ブログ主のtyoshikiさんの主張には平田オリザ氏への言及も含めて、同意しています。平田オリザ氏の炎上には積極的に参加する気はありませんでしたが、あの言い方は製造業もそんな簡単な話ではないと理解しておらず、反発は受けてもやむを得ないと感じてしまいました。
氏の「演劇入門」は良い本ですし、僕自身のコミニケーションの改善などにも寄与しています。それだけに、あの言及は残念で仕方がありませんでした。
大学1年に演劇をやった話、浮き彫りになる課題について
はてなブックマークを眺めていたら、こんなブログが。
横内謙介さんは存じ上げなかったんだけど(後でスーパー歌舞伎の演出を手掛けていると知って驚いた)、文中で早稲田大学の演劇に突いて書かれていたので一気に読みました。僕が大学生だった頃も、早稲田大学の演劇というのは魑魅魍魎としており一見さんお断り的な雰囲気だったのを覚えています。大学近くには立て看板も多く、入ろうかなと思いつつ、どこに入ればよいのかわからずじまいでした。
そんな大学1年の時、「芝居をやらないか」と当時のサークルの友達に誘われ、旗揚げ解散という形で演劇をやったことがあります。始まったものの、途中の進捗が悪く人間関係もゴタゴタして、企画を主催した女の子がいなくなってしまい、脚本を変えてオムニバス形式の3本立てで芝居をしました。ビデオなど記録に残していませんが、素人が最初にやった舞台なので、まあその程度です。それでも、曲がりなりにも最後までやり遂げ、演劇経験者から出来を褒められたり劇団に勧誘されたりしたことは、大学に入って初めての成功体験としてずっと覚えています。
この記事を読んでそんなことを思い出しました。
ただね。
私は明らかに否定して、背を向けたけれど、あの頃のアングラの森の修行者たちの姿は、決して醜くも、愚かでもなかったと思うんだな。
理論という言葉を信じて、我が身をそこに追い込んで、真摯に、演劇の真理に向かおうとしていった、その姿勢はむしろ美しいモノだったと、懐かしくも、愛おしくも感じるのだ。
あの頃の面倒くさかった大先輩たちも、今の私から見たら、みんなもう、ただただ愛おしき若者たちだ。
あの日の、演劇がよくわからなくて避けていた僕の近くには、多分こうやって演劇論と取っ組み合ったり反発したりしながら懸命に演劇に取り組んだ学生がいました。その学生達が、演劇から離れたり戻ったりを繰り返して今の演劇界があるのでしょう。そんなことも思いました。
本記事は、良い内省を含んでいます。
ドイツの文化相が、芸術は、私たちの命の維持装置だ、だから守らなきゃいけないという涙が出るような素晴らしいことを言ってくれて、けれど、我が国の政治家たちは、その言葉がまったく理解できていなくて、我々は深く絶望している。
だがね、その言葉は、決して我が国の為政者たちの暗愚を明らかにしただけではなくて、それを担う我々にもしかと突き付けられた剣であると思うんだよな。すなわち、
私たちが今、取り組んでいることは、人々の生命維持装置となり得ているか?
その意味で、今現実に起こっていることは、政治の問題だけでなく、業界・自分自身の問題でもあるのでしょう。コロナ騒動は隠されていた(隠していた)課題を容赦なく浮き彫りにしていきます。
12人の優しい日本人・リモート朗読会
そんな中、「12人の優しい日本人」がリモートで朗読会を行うというニュースが。
「12人の優しい日本人」は、小学校の頃に父親が借りてきたレンタルビデオで観て、すっかり面白くて笑い転げたことを覚えている。この「12人の優しい日本人」は、もともとは「12人の怒れる男達」というアメリカ映画のパロディーだけど、僕にとっては12人の優しい日本人の方が、楽しかったことを覚えている。
その12人の優しい日本人がリモート朗読会として上映されます。三谷幸喜さんの冒頭の挨拶で伊藤俊人への言及もあり、少し泣きそうになりました。
朗読はZOOMで行われました。陪審員全員の顔が映った状態というのは、各人の表情をチェックしやすく、この演目ならカメラワークの一手法としてありだと思うくらい、見ごたえがありました。守衛が入って来るシーンは守衛のカメラがオンになるなど、オンラインならではの芸もあり楽しめました。唯一、トラックと被害者・被告の位置関係を説明するところが少しわかりにくかったですが、正直朗読のクオリティが高かったので、それを差し引いても満足度は高かったです。
朗読会はYoutube Liveで行われ、アーカイブにも残っているのでぜひご覧ください。
演劇業界はホットなニュースがたくさんありました。それを見てて考えたことは「助けを求めること」「内省し課題と向き合うこと」「新しいことを作っていくこと」がどれも大事で、「自分の力だけではどうしようもない困難」を抱えている人々が、どのように苦境に立ち向かっていくか、という話と理解しています。
つまり、これは演劇業界の話ではありません。あらゆる業界の話です。飲食店にしろ製造業にしろ、「自分の力だけではどうしようもない困難」は、助けを求めないといけないし、新しいことを作る必要があります。そして、困難はこれまで手がつけられていなかった課題を容赦なく浮かび上がらせてきます*1。
いま、何をするべきかわからなくなったら、やろうとしていることはこのどこかに当てはまっているか考えることにします。特に「内政し課題と向き合うこと」は、後々効いてくる(かつ、即効性が薄いため見過ごされやすい)話なので、できるうちにやることにします。
今日考えたのはそんなところです。
*1:外国人が来られなくなったため、「外国人実習生」が居なくなり操業できなくなった農業や製造業はまさにこの典型です。