今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

いつかは人生の最善手を

「お前は研究者向きだな」

  高校生の頃、先生や親からよくそう言われた。人と話すのが苦手で、本を読んだりするのが好きだった。もっとも今にして思えば、「あまりにコミュニケーション能力が低いから、会社勤めは無理なんじゃないか」と思われていて、それをオブラートに包んで言われていただけかもしれない。ただ、実際に僕自身もそう思っていたし、「研究者に向いている」ことに納得していたし、それ以外に自分の生きる道はないと思っていた。
  そして僕は受験戦争を突破して晴れて大学に入った。大学でたくさんのことをやろうと思った。哲学や心理学の研究もやりたかったし、高校時代全く作れなかった友達も作りたかったし、楽器を学んでT-SQUAREを演奏したかったし、彼女も作りたかった。

 

  そして4年間が経った。
  授業では、同級生の圧倒的な語学力、哲学の知見に打ちのめされ、唯一のよりどころである「研究者」という道すら崩れようとしていた。大学院に進学できるかどうかも危うい上に、進学した後の展望すら見えなかった。
  一方で、システムエンジニアという仕事があることを知った。人よりコンピュータの方が会話はしやすそうだ。ただしデスマーチというものがあり、残業徹夜を頑張るしかないらしい。それでも、どう考えても無理な営業よりは務まるかもしれない。

 

  大学院を諦めて会社員になるか。務まるかどうかわからない会社員生活を避けてもう一度研究者への道をチャレンジするか。

  僕は前者を選んだ。

 

  こうして僕は、彼女はおろか友達も作れず、ギターも弾けないまま研究者の道を諦め、入学時に思い描いていた目標を何一つ達成できずに大学を卒業した。

 

 

  しばらく前から、バックギャモンにハマッている。

  バックギャモンとは、「西洋双六」とも呼ばれている歴史のあるゲームで、その名の通り「双六ゲーム」である。対戦する二人がサイコロを交互に振り、出た目の数だけ自分のコマを進め、先に自陣営のコマ15枚をゴールまで運んだ方の勝ち。

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(上図では、白と赤がそれぞれ矢印の向きに駒を進め、白は右下、赤は右上のゴールを互いに目指す)

目的は非常にシンプルだが、
・駒を進めるにあたって、駒の移動先に相手の駒が1個だけあれば、「ヒット」して相手の駒をバー(振り出し)まで戻せる
・駒の移動先に相手の駒が2個以上有ると、その駒は進むことができない
・「ダブル」という、自分がサイコロを振る前に、相手に「点数を2倍にしようぜ」と持ちかけられるシステム(相手は申し出を受けてゲームを続ける(テイク)か、降りてこのゲームを負けにする(パス)かを選択する)
  などのルールがあり、駒の進め方やダブルをする・しないによって展開が変わるため、戦略的な要素の大きいゲームになっている。サイコロの出目、つまり運次第では素人が世界チャンピオンに勝てる可能性はあるものの、11点先取ルールなど、試合回数が必要なルールになると素人はプロには勝てない。このあたりは麻雀と似ていて、まぐれで勝つことができても、回数を重ねても安定して勝つには、きちんと強くなければといけない。

 

  さて、バックギャモンには「その局面での最善手を解析できる」ソフトがある。(僕も含めて)バックギャモンの上達を目指すプレイヤーは大体ソフトを持っていて、対局終了後に棋譜を入力し振り返りを行っている。

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  上図の右下には、「サイコロの5と6が出た場合、この局面ではどう動かすのが良いか」という解析結果が表示されている。上図の場合、矢印で示している「24番の駒を13番まで動かす」が最善手であること、それ以外の手はどれくらいのエラー値かを教えてくれる。(エラー値についての詳細な解説は省略するが、エラーの値が大きいほど悪手で、勝率が低くなると理解しておけばOK) 。

 

 

「あなたのこれまでの人生で一番の”失敗”もしくは”成功”ってなんですか?」
  バックギャモンを知る前にこう聞かれたら、一番上手くいったことや思いっきり失敗ったことを思い出して話していたと思う。しかし、今は違う。その成功・失敗を「果たしてあれは最善手でうまくいったのか、たまたまのラッキーパンチだったのか?」ということを考えてしまう。もっと言えば、成功か失敗かわからない決断が、最善手だったのだろうかということに想いを馳せてしまうこともある。

  バックギャモンは、自分の指した手が最善手かどうかはソフトで解析すればわかる。しかし、運が勝負に絡むため、最善手を指したからといって勝てるとは限らないし、最善手を指さなかったからこそ結果的に勝つ場合すら有る。サイコロを2つ振るので、出目は全部で36通り。もし23 通りで勝てる指し手と21通りで勝てる指し手があった場合、最善手は十中八九、前者である。しかし、場合によっては後者を指した結果、後者にしか該当しない出目が出て勝つケースも少なくない。そんな時、指した手が正しかったのだと思いながら意気揚々と解析をしたら高いエラーが出て驚き、実は最善手を見落としていた、あるいは最善手を最善手と認識していなかったことに気付く。
  自分が正しいと思って指した手がエラーだったけど、結果的に勝ちに結びつく。何回もバックギャモンをプレイすれば、それはただのラッキーパンチで、大体の場合、ひどい手を指したらひどい結果が返ってくることがわかる。しかしそれは、バックギャモンという同じ盤面上で繰り返しできるゲームだからわかることだ。

 

  一度しか経験できず後戻りもできない、同じ条件が他に無い「自分の人生」となると、あの局面のあの選択は、本当に最善手だったのだろうか?

 

 

  バックギャモンの目的は「このマッチに勝つこと」。だから最善手は、このマッチに勝つことを前提に導き出されている。だとしたら、人生の最善手を自信を持って指せるのは、自分の人生の目的を見据えられた人物だけなのだろうか。

  「自分の人生の目的」ってなんだろう。あの日の選択は自分の人生の目的に適っているのだろうか。未だにわからないまま、今日もバックギャモンに興じて、仕事をして、文章を書いている。昔に比べれば、したいことはできているが、人生の目的は、それ自体ではなく「その先にある何か」だと感じている。それが何かはわからないけど、それを探るために、必死で活動しているのだと思う。

  いつかは人生の目的を見据えて、最善手を打てる日が来るのだろうか。

 

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  バックギャモンでわからないポジションを解析した。最善手のダブル/テイクとノーダブル/テイクの差は6点。「ボーダーライン」で、ほぼ誤差に近いレベル、どちらを選んでも大差ないのでお好みでどうぞ、ということらしい。

  少なくともそういう時は、ビシッと好みを表明し、自信を持って手を指せるような人生を歩みたい。