今日も知らない街を歩く

雑記に近い形でちまちま書いていきます。

世界の幸福の総量と池波正太郎的な世界との関わり方について

今朝方、そうだと納得して、少しの懐かしさを覚えるツイートを見た。

 

  「タクシーに乗ったときには必ずチップを払う」は、池波正太郎のエッセイ「男の作法」に出てくる話である。

以下、引用は全て池波正太郎「男の作法(新潮文庫)」より。

 

と言う事は、根本は何かというと、てめえだけの考えで生きていたんじゃ駄目だということです。多勢の人間で世の中は成り立っていて、自分も世の中から恩恵を受けているんだから、

「自分も世の中に出来る限りは、むくいなくてはならない……」

と。それが男をみがくことになるんだよ。

(中略)

 サービス料がある場合はチップはいらないというのは、これは理屈です。だけどね、こういうことを言うとまた誤解されるかもわからないが、形に出さなきゃわからないんだよ、気持ちというのは。

(「チップ」より)

  男の作法は、高校生の頃に古本屋で買って何回も読んだのだけれど、このチップに関するエピソードは、すっぽり抜け落ちていた。高校生の当時、過剰にダンディズムに憧れて、何とか「男」になろうと無理していたのを覚えている。この本を形から取り入れて、ざるそばを食べる時は七味をそばにかけたし、刺身を食べる時はわさびを刺身に直接乗せて食べていた。今もそうしているし、実際その方が薬味の味わいもわかるので、これはこれで有益なアドバイスだったと思う。ただ、実践的な作法は覚えて真似したのに、チップに関する話のように、その背景や心情は、すっかり頭から抜け落ちていた。きっと池波正太郎の言いたいことは、高校生の自分には全く伝わっていなかったんだろうなと思う。

 

人間とか人生とかの味わいというものは、理屈では決められない中間色にあるんだ。つまり白と黒の間の取りなしに。その最も肝心な部分をそっくり捨てちゃって、白か黒かだけで全てを決めてしまう時代だからね、いまは。

「顔」より

  池波正太郎は「〇〇だからいいじゃないか」という態度をよしとしていないことが感じられる。

  「金を払ってるんだからいいじゃないか」「客だからいいじゃないか」。理屈ではその通りである。しかし、理屈だけを押し通してしまうと、理屈では決められない中間色が消えてしまう。そして、「人間とか人生とかの味わい」が無くなる。

  もちろん、理屈をきちんと押し通さなければならない部分は多々ある。特に仕事の場面では、(業界にも依るのかもしれないけど)理屈がなければ話が進まない。しかしその一方で、すべてを理屈だけで押し通してしまうと「人間とか人生とかの味わい」が無くなってしまう池波正太郎の嘆きは、なんだか理解できる。

 

「お金を払っているんだから、どこへ座ってもいいじゃないか」
なんて言う人がいるけれども、自分が初めて行く店の場合は、常連がいつ来るか分からないんだから。それに対して自分は常連じゃない。やっぱり一番角の方へまず座ったほうがいいんだよ。(「勘定」より)

  理屈の世界は時として、「客」対「店」のような対立軸を作ってしまう。池波正太郎は、それを良しとはしなかった。必ず店の立場に立って考えていた。前述の引用がすべての寿司屋に当てはまるかどうかは別だが、この視点は、冒頭のはせさんのツイートに書いてある「世界の幸福の数量を少しずつ増やす」という方針にも適っている。理屈を通してしまうと行き着く先はゼロサムゲームに近くなってしまう。そこを、理屈では決められない中間色を増やすことで、プラスサムゲームにする。

  池波正太郎がそこまで考えていたかどうかわからないが、根底にある想いはきっと同じなのだろう。

 

  ところで、男の作法を改めて読むと、高校生の自分とはかなり印象が違った。当時は、池波正太郎という文豪が「男の作法とは何か」を滔々と語りおろすイメージを持っていた。ところが、「はじめに」や「文庫版の再刊について」に書いてあるのは、上から目線どころか「せめて何かの役に立てば」とでもいうような、全く作法を説く気のない語り口だった。

この本の中で私が語っている事は、かつては「男の常識」とされていたことばかりです。しかし、それは所詮、私の時代の常識であり、現代の男たちにはおそらく実行不可能でありましょう。時代の社会がそれほど変わってしまっているということです。

とはいえ「他山の石」と言う諺もあります。男を磨くと言う問題を考える上で、本書はささやかながら1つのきっかけぐらいにはなろうかと思います。(「まえがき」より)

  作法を説く気が無いと思っていたらその通りで、池波正太郎自身は作法を説くつもりが全く無いと明言していた。

何としても忸怩たる思いがするのは『男の作法』というタイトルだ。私は他人に作法を説けるような男ではない。

(中略)

どうか、年寄りの戯言とおもわれ、読んでいただきたい。そうすれば、この本は、さほど、面白くないこともない。(「文庫版の再刊について」より)

「男とはこうすべきものだ」という一種の指南書として記憶していた僕にとって、この前書きは衝撃的だった。改めて、池波正太郎の言いたいことは、高校生の自分には全く伝わっていなかったらしい。

 

  今、Kindleでもう一度男の作法を読んでいる。年寄りの戯言というのは存外に面白く、学ぶことは多い。

 

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  御徒町「よもだそば」のかき揚げそばとインドカレー。

  七味はかき揚げにかけるほうがやはり好きだが、別につゆにかけてもそれはそれで別にいいや、とも思う。