今朝方、そうだと納得して、少しの懐かしさを覚えるツイートを見た。
デリバリーの人に「寒いなかご苦労様さまです」ってひとこと添えてお礼を言うくらいの余裕を持って日々生きたいと思っていて、これたぶんタクシーに乗ったとき必ずチップを払っていたという池波正太郎イズムに影響されてるんだよな 世界の幸福の総量を少しずつ増やす行動を取れるのが大人っていうか
— はせおやさい♨️WFH (@hase0831) January 12, 2022
「タクシーに乗ったときには必ずチップを払う」は、池波正太郎のエッセイ「男の作法」に出てくる話である。
以下、引用は全て池波正太郎「男の作法(新潮文庫)」より。
と言う事は、根本は何かというと、てめえだけの考えで生きていたんじゃ駄目だということです。多勢の人間で世の中は成り立っていて、自分も世の中から恩恵を受けているんだから、
「自分も世の中に出来る限りは、むくいなくてはならない……」
と。それが男をみがくことになるんだよ。
(中略)
サービス料がある場合はチップはいらないというのは、これは理屈です。だけどね、こういうことを言うとまた誤解されるかもわからないが、形に出さなきゃわからないんだよ、気持ちというのは。
(「チップ」より)
男の作法は、高校生の頃に古本屋で買って何回も読んだのだけれど、このチップに関するエピソードは、すっぽり抜け落ちていた。高校生の当時、過剰にダンディズムに憧れて、何とか「男」になろうと無理していたのを覚えている。この本を形から取り入れて、ざるそばを食べる時は七味をそばにかけたし、刺身を食べる時はわさびを刺身に直接乗せて食べていた。今もそうしているし、実際その方が薬味の味わいもわかるので、これはこれで有益なアドバイスだったと思う。ただ、実践的な作法は覚えて真似したのに、チップに関する話のように、その背景や心情は、すっかり頭から抜け落ちていた。きっと池波正太郎の言いたいことは、高校生の自分には全く伝わっていなかったんだろうなと思う。
人間とか人生とかの味わいというものは、理屈では決められない中間色にあるんだ。つまり白と黒の間の取りなしに。その最も肝心な部分をそっくり捨てちゃって、白か黒かだけで全てを決めてしまう時代だからね、いまは。
「顔」より
池波正太郎は「〇〇だからいいじゃないか」という態度をよしとしていないことが感じられる。
「金を払ってるんだからいいじゃないか」「客だからいいじゃないか」。理屈ではその通りである。しかし、理屈だけを押し通してしまうと、理屈では決められない中間色が消えてしまう。そして、「人間とか人生とかの味わい」が無くなる。
もちろん、理屈をきちんと押し通さなければならない部分は多々ある。特に仕事の場面では、(業界にも依るのかもしれないけど)理屈がなければ話が進まない。しかしその一方で、すべてを理屈だけで押し通してしまうと「人間とか人生とかの味わい」が無くなってしまう池波正太郎の嘆きは、なんだか理解できる。
「お金を払っているんだから、どこへ座ってもいいじゃないか」
なんて言う人がいるけれども、自分が初めて行く店の場合は、常連がいつ来るか分からないんだから。それに対して自分は常連じゃない。やっぱり一番角の方へまず座ったほうがいいんだよ。(「勘定」より)
理屈の世界は時として、「客」対「店」のような対立軸を作ってしまう。池波正太郎は、それを良しとはしなかった。必ず店の立場に立って考えていた。前述の引用がすべての寿司屋に当てはまるかどうかは別だが、この視点は、冒頭のはせさんのツイートに書いてある「世界の幸福の数量を少しずつ増やす」という方針にも適っている。理屈を通してしまうと行き着く先はゼロサムゲームに近くなってしまう。そこを、理屈では決められない中間色を増やすことで、プラスサムゲームにする。
池波正太郎がそこまで考えていたかどうかわからないが、根底にある想いはきっと同じなのだろう。
ところで、男の作法を改めて読むと、高校生の自分とはかなり印象が違った。当時は、池波正太郎という文豪が「男の作法とは何か」を滔々と語りおろすイメージを持っていた。ところが、「はじめに」や「文庫版の再刊について」に書いてあるのは、上から目線どころか「せめて何かの役に立てば」とでもいうような、全く作法を説く気のない語り口だった。
この本の中で私が語っている事は、かつては「男の常識」とされていたことばかりです。しかし、それは所詮、私の時代の常識であり、現代の男たちにはおそらく実行不可能でありましょう。時代の社会がそれほど変わってしまっているということです。
とはいえ「他山の石」と言う諺もあります。男を磨くと言う問題を考える上で、本書はささやかながら1つのきっかけぐらいにはなろうかと思います。(「まえがき」より)
作法を説く気が無いと思っていたらその通りで、池波正太郎自身は作法を説くつもりが全く無いと明言していた。
何としても忸怩たる思いがするのは『男の作法』というタイトルだ。私は他人に作法を説けるような男ではない。
(中略)
どうか、年寄りの戯言とおもわれ、読んでいただきたい。そうすれば、この本は、さほど、面白くないこともない。(「文庫版の再刊について」より)
「男とはこうすべきものだ」という一種の指南書として記憶していた僕にとって、この前書きは衝撃的だった。改めて、池波正太郎の言いたいことは、高校生の自分には全く伝わっていなかったらしい。
今、Kindleでもう一度男の作法を読んでいる。年寄りの戯言というのは存外に面白く、学ぶことは多い。
御徒町「よもだそば」のかき揚げそばとインドカレー。
七味はかき揚げにかけるほうがやはり好きだが、別につゆにかけてもそれはそれで別にいいや、とも思う。